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For ME  作者:   
3/10

精神病院の話

 世の人が「精神病院」という言葉にどれだけの「異常」を感じるのか私にはわからない。10代前半からお世話になっているもんだからこの言葉に多少の抵抗はあれど大した嫌悪感はない。世の人がどれだけこの「精神病院」に通っているのか、そして治療を受けたり処方箋をもらったりしているのかは私は知らない。ただ私は大して長くない人生の中で2度目の精神病院への通院生活を行なっているのが現状だ。

 1度目の通院も無気力ながら向かったことは覚えている。人嫌いが祟りすぎて身体接触が完全にできなくなってしまったから、と言うのが体のいい言い訳で、事実は別の所にあるのだが今は話す気が起きないからしない。私は「狂う」と無気力になる。病院に行けば薬を渡される、渡された薬で少し正常に戻る、そうしてだんだんと「狂っている」状態から正常な状態へと戻していく。これが私にとっての精神病院だ。

 なんで私は「狂う」のか。自分の持っていた固有観念や考えが粉砕された時に私は狂う。最初に「狂った」時は「世の中は安全である」という認識を覆されたことがきっかけとなった。あの時の無気力状態は長かったと今となっては思う。薬を飲んでも眠れない、自宅にいても安心できない、物を食べる気もしない。どうやって生きていたのか不思議なぐらいに私は私生活をぶっ壊して人とのかかわりも断って「狂っている」状態に落ち込んでいた。正常に過ごせないことを私は「狂う」と呼んでいるが、これで伝わるだろうか?

 あの頃の話をしたいんじゃなくて、今の話をしたい。今回はあの頃ほどには狂っていない。落ち込み具合もそんなひどくなかったが、ぶっ壊れは激しかった。風呂には入らない、寝たきり、呼ばれれば返事こそするがしゃべる気は起きない、体を清潔に保つ気力も着替える気力も部屋を片付ける気力もなくただひたすらあれまくる部屋の中で天井を見上げていた。それでも止まらない思考回路に目を回しながら。今回が前回よりましなのは多分、ご飯は食べて寝ているからだろう。それでも、まともな食習慣には戻っていないが。睡眠も副作用で寝て掟を繰り返しているが。

 精神病院とは、簡単に言えば学校のカウンセラーの延長だ。精神安定剤なんかの薬も出してくれる有料のカウンセラー。だから私は、精神科医は他の医者と同じように心の病気を治してくれるなんて思っていない。ただ、人に理解してもらえないことを聞いてもらえる場所としては重宝できる場所だと思っている。

 今回精神病院にかかったのは無気力状態をどうにかするため。しかし話すというのはどうにも下手くそだった。以前かかった頃から今日までどんな生活をしてきたか、今回「狂っ」た原因として思い当たることは何かないか、ようやく話し始める昔話。

 私は最初、平静を装っていた。元から平静だったのかもしれないが。しかし昔話を始めた頃にはずっと涙があふれて止まらなかった。なぜかわからなかった。ほんの1ヵ月前まで旅行をしていました。日本を回っていました。価値観が崩れました。「いいことじゃないですか。」・・・何が?

 わからなくなった。自分がどうしたいのかどうすればいいのか、今まで勉強しなさいと言われて必死になって教科書の文字を追って生きてきた。その中でどうしても捨てきれない夢があった。「旅したい」。

 主人公が各地を回りながら不思議な生き物たちと邂逅するゲームが世の中に多く存在する。私はそのうちの1つが好きで、いつかあんな風に旅をしたいと思っていた。旅をすれば何かが変わると思った。テレビのニュースで暗い話ばかりが持ち上がる世の中だけれども、旅をしてみたら世界の素晴らしさに気付いてもっと未来に希望が持てると信じ込んでいた。だから私は旅をしたかった。

 価値観は崩れ去った。世界は変わった。思った通り、思った以上に旅を終えた私に旅は大きな影響を残してくれた。それは他の人からすれば些細なことで、悩むようなことではなくて、傷つくようなことでなかったにもかかわらず、私には衝撃で、思考がそこから離れられなくなってしまった。

 何のために勉強して来たのだろう。私が悩んだのはそこだった。勉強すれば幸せになると言われて生きてきた。家族から見ても私は少しばかり「変わっている」らしい。そんな変わり者を受け入れてくれるのは一定レベルの勉強ができる人たち以上だけだと言われて生きてきた。私はだから勉強してきた。しかし旅先で出会った人たちは必ずしも高学歴の人たちではなかった。高卒、中卒、わけありで家を飛び出した人。それでも彼らは私を受け入れて話かけてくれたし、談笑に付き合ってくれた。そして彼らは一様に幸せそうに生きてきた。変な盲信をしていた私がバカだっただけ、人生には色々あると知っていたはずなのに理解していなかった私は自分の固執に傷ついて勝手に「狂っ」たのだと、今になっては思う。

 そしてそれと同時に、世の中に興味がなくなった。「恋人でもできたら変わるよ」、と医者に言われた時に私の取って付けた平静は崩れ去った。「知るか」。興味ない、関心がない、どうでもいい、「どうでもいい」。私は自分の言葉にぶっ壊れた。

 全部全部どうでもよくなっていた。寝ようと飯を食おうと人としゃべろうと生きようと死のうと。私は青空が好きだ。その日は雨だった。もし晴れていたら屋上の扉の窓をかち割って飛び降りてやろうかと思うほどに好きだ。ぼたぼたと泣いているかのように落ちてくる雨粒が邪魔で邪魔で仕方なかった。だからその日は階段で降りて、その後どうやって帰ろうかと思っていたほどだった。「よくここまで来れましたね」、本当にそうですね、どうでもいいんですけどね、あなたの言葉も私のこれからも。そんなことを言いながら笑っている私がいた。どうでもいい、どうでもいい、泣きながらゲラゲラと笑っていた。「辛そうですね」、だったかを医者が言った気がするがよく覚えていない。笑いすぎて息は苦しかったし、泣きすぎて頭がくらくらした。でもその私ですら冷静に1歩下がったところで眺めている私がいた。笑いを止めようと思えば止められたと思う。涙は止められそうになかったけれども、多分あの狂ったような笑いだけならあの時止められたと思う。それでも私は数分間笑い続けた。

 笑いまくって泣きまくって、すっきりしてからまた一言、二言話して診察を終えた。薬を渡され飲み始めると、突然私は泣かなくなった。メンタルを強くする薬、と言われて処方されたそれは効果てきめんだったのかもしれない。効きすぎているのか、副作用は眠くなるはずが全く寝付けない日が続いているが。あと前夜に夕飯を食べると朝起きぬけで吐き気がするのでそれも勘弁してほしい。

 何の話をしていたっけ。こんな感じで私の思考は主婦のお喋りのように次々と話題が移って行って最終的に何を考えているか分からなくなるのだが、確か精神病院の話をしていた。私が現在どんな状況で治療を受けているかを話した、読み直していないから多分こんな感じで書いただろうとなんとなく覚えている範囲で書きまとめてみた。

 今のところ、私に自殺願望はない。薬でどうでもいいがさらに助長されたのか、もはや死ぬのも面倒くさくてのんべんだらりと生きている。崩れ去った価値観ももはやどうでもよくなった。この点は改善されたと考えていいだろう。思考を垂れ流している以上、とてもじゃないが人に読ませられる文章を書けているとは思ってないが。

 人は無料に抵抗を覚えるという。生活保護を受けている人に無料で食事を与えていたところ人は来なかったが、値段をつけたら来るようになったという話や、子ども用の食堂だったかを無料から数十円にしたらお客が来るようになったという話を聞いたことがある。私の精神病院のイメージは金を払って話を聞いてもらえて、場合によっては薬も出してもらえる相談所だ。金を払うのだから悪気も起きない。気軽な気持ちで行けばいいと思っているし、手遅れになるよりは数百、数千円で命をつなげるのなら安いものだともよく聞く。命を繋ぐとか正直今の私にはどうでもいいことだが、話せる機会を作れる場所としてはとても優秀でよくできていると思う。もし悩んでいる人がいるなら参考までに。

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