イヤホンの話
イヤホンを失くしたことに気付いたのは電車を待つホームだった。イヤホンを取り出そうとしてポケットに手を突っ込んで、見つからない。どこで落としたのかと考えても思い当たらない。しかし落としたと考えられる場所は3か所あった。1つ、自宅を出てすぐ。イヤホンのイヤーピースを歩きながら取り替えてイヤホンを結んだ時。2つ、青信号が短い信号が青になって急ぎ足をした時。3つ、駅で財布を取り出した時。私は記憶力が悪いので入れた場所を大体忘れる。なので私はポケットに貴重品やらよく使う道具は一元管理と称して全部入れてしまうことが多い。ときどき、バッグにぶち込んでいるが。
見つからないものは仕方がない。私は帰り際にイヤホンを探すことを頭の隅に留め置きながら電車に乗った。
今回話したいのは別に昨日の予定などではなく、イヤホンを探したという事実だけだから話は帰りの電車へと飛ぶ。
帰りの電車はイヤホンがないからか、ひどく長く感じた。現実世界の音がうるさくて仕方がなかった。ずっとガヤガヤと動き続けているのだ。気に障らないわけがない。しかし行きの電車の方が酷かったことを思い出していた。
行きの電車には外人が多く乗っていた。遅延していたこともあって結構人が多かったのも覚えている。外人は電車の中でしゃべるのが好きなのか、それとも他国には電車の中で大きな声でしゃべってはいけないというマナーが存在しないのかはあずかり知らぬところだが、とりあえずうるさかった。私はイライラしていたのかもしれない。携帯を取り出して延々とナンプレを解き続けている間も様々なことを考えて、妄想して、時々1人で笑っていた。数日前までは延々と泣いていたのだが、涙が枯れた途端笑うようになった。この笑いは、気味が悪くて好きじゃない。私は笑いながら自身の顔に嫌悪を抱いている。考えている内容はいつも似たようなことだが様々だ。今書いている小説の話だったり、自分の死に方だったり、昔の思い出だったり。テレビのチャンネルのように一瞬で切り替わるそんな内容をいちいち覚えてなどいられない。こんな風にして行きの電車では飛び飛びの思考と並列して機械的にゲームを進めていた私だったが、帰りの電車では携帯が電池切れを起こしたために何もできず、思考の海に視界をゆだねていた。
電車が発車してから数分経たずに起こる苛立ちは少しでも体を動かせば爆発しかねないほどに強烈なくせして、それでいて緩やかで耐えられなくない奇妙な物だった。どうすればその苛立ちを解消できるか、私にはわからないまま電車は発車した。2駅進めば人の多さに苛立ちを覚える。4駅進めば静かなざわめきで苛立ちを覚える。そうしてなぜ苛立つのかと自問自答する。例えば満員電車をうるさいと感じたことはあるだろうか。あまりない。人の息遣い、咳、電車がゆれる音、ぶつかった際に小さく聞こえる「すいません」の声ぐらいであとは特に何も聞こえないことが多い。せいぜい、人が多くて五月蠅いと感じる程度だ。映画館を思い出していた。映画館にはたくさんの人がいるというのに、聞こえてくるのは大体、ポップコーンを食べる音か飲みきったジュースを啜る音か咳する音か隣人が身じろぐ音ぐらいである。それすらも、大体映画の音に掻き消える。時々、場違いに連れてこられた子供が泣き叫んだりする声が聞こえたりするが、それが「異常」として目立つだけで他は「普通」だ。
「異常」とは他と違うものを指す言葉だ。電車の中を見てみる。騒ぐ人はいない。大きな声でしゃべる人もいない。何か奇妙な動きをする人もいない。彼らは全員「普通」だ。私も「普通」だ。騒いでいないし、他との調和を保って過ごしている。それでいいじゃないかと思ったが苛立ちは収まらなかった。何がいけないのかわからないまま長く延々と続くテロップのような車窓を眺めていた。
電車が時間調整のために何分か停車した。そこでようやく「異常」に会った。どこかで誰かがケンカしているらしい。大声でどなり散らす声が聞こえた。私はそれに寄って行こうかと悩んだ。結局動かなかった。しかし妄想と言っても過言でないような言葉が脳内を満たしていた。何してるんですか?どうして怒鳴っているんですか?あなたも「異常」ですか?そう聞いたら怒鳴り散らしている男はどう反応しただろうか、なんて。どうでもいい妄想が終わる前には怒鳴り声も遠ざかり、数分後に電車の扉はしまった。私はそれでも尋ねていた。あなたに絡んでいたのなら私は死ねましたか?
最近、死にたいと思うことが増えた。世の中がどうでもよくなったから。
最寄駅に着くまで結構な時間が気持ちの上で流れていった。緩やかで強烈な苛立ちは膝の上に重ねていた自身の手の温度にさえ腹を立て始めて収拾がつかなくなってきた。それでもジッと耐えて、駅名を呼ばれると同時に立ち上がった頃はまだ駅についていなかった。イヤホンのことばかり考えていた。
雨が降っているかと思っていたが雨は降っていなかった。階段を上りながらイヤホンを落としたであろう場所はどこかと悩んでいた。駄菓子を買ったコンビニの前には落ちていなかった。改札前にも無かった。仕方ないと行き来た道を辿って帰ろうと駅を出て、悩む。私はどの道を通って来たのだろう。
普段の帰り道は行きとは違う道を通る。そのため、行きと同じ道を通ることが簡単にできなかった。いったいどの道を通って普段駅まで来ているのかがわからなかった。1つ目の候補の道を歩き出してみる。その間も思考が転々と変わっていく。イヤホンが見つからなかったら、それ以外に何か色々考えていた気がするが忘れた。小説の話だったか、自分のこれからの生き方についてだったか、そんな感じだった気がする。
道を間違えた、と気づいたのは結構歩いてからだった。そのまま帰ってもよかったと思うのに、私は引き返して別の道を歩き出した。まるで家を嫌っているかのように、ダラダラと回り道をしてイヤホンを探して歩き出す。
私は目が悪い。矯正しているが結構低い値だったと思う。ビニール袋が結ばれたイヤホンにすら見える。そんなものだからイヤホンは簡単に見つけられないだろうなと思いながら歩いていた。そうかこの道を通っていたのかと駅へと引き返す道でようやく目的の道を見つけた。そこに落ちていないとわかっていながら道を辿ってやはり見つからなかった。駅へ向かう人の姿と駅から帰る人の姿があった。私は駅に来るように歩いてきたにもかかわらずその道を引き返し始めた。他の人々がそれを見たら何と思ったのだろうか。「異常」だと思うのだろうか。
白いビニール、白いおにぎりの包み紙、白いティッシュペーパー、イヤホンかと近づいたものはどれもイヤホンじゃなかった。ずっとイヤホンのことを考えていた。そうすれば思考が流れても元に戻って来ることを知っている。家に帰ったら何をしよう、イヤホンを探そう、明日はどうしようか、イヤホンを探そう、あの小説の次のシーンはどうしようか、イヤホンを探そう、そんな具合に思考の切り替えを逐一イヤホンに戻しながら歩いていた。大通りに差し掛かったあたりで一度忘れて別の物思いにふけった気がするが、信号を1つ過ぎたあたりで戻って来れた。イヤホンを探そう。
そう言えばイヤホンは落ちているものばかりだという固定観念で探していたことにそこで気が付いた。誰かが拾ってくれている可能性があった。私は俯きがちだった視線をガードレールにも沿わせるようにして歩き出す。気付くのが遅いなと思った。その道を歩いている間はずっとイヤホンのことばかりを考えていた。そこで思考を流してしまったらきっと見つけられなくなるという緩やかな強迫観念に縛られていた。イヤホンが見つかった。
なぜイヤホンでなければいけないのか私には理解できない。耳をふさぐためだけなら耳栓でいいはずだ。イヤホンは音楽を聞くための機械がなければ数百円の耳栓と同じ用途にしか使えない代物だ。私の携帯は電池が切れている。音楽機器も今は持っていない。だから千数百円のイヤホンには百均で買える耳栓と同じ価値しか存在しない。なのに私は耳栓ではなくイヤホンを耳にあてがう。私のことなのに私は理解できない。
イヤホンは結ばれたまま道端に転がっていた。もしかしたら誰かが道の端に避けてくれたのかもしれない。もしかしたらあの時歩いていたのは偶然道の端の方だったのかもしれない。何はともあれ、シャドウ側じゃなくてよかった。そう言えばイヤホンが落ちていた辺りでは母親らしき女とその娘らしき少女と子ども用の自転車に乗った弟らしき子供とすれ違った気がする。人を見るとそちらに目を移してしまう。動くものに興味があるとはさながら子供と同じだ。
ところですれ違うで思い出したが、「普通」の人はすれ違う人を警戒する癖と言うのはあるのだろうか?私は何度か妙な体験をしているせいか、どうもすれ違う人、後ろを歩いている人、そばを歩く知人でない人に警戒してしまう癖がある。この人物が例えば突然殴りかかって来たとしたら、どう対処すべきかとすれ違う瞬間に咄嗟に考え構えてしまう。以前も道向こうを歩く男が突然こちらに走り寄って来て背後を狙われた際、あの日もイヤホンをしていた、咄嗟に臨戦態勢を取った記憶がある。何か言われた気がするが忘れた。人違いで謝ったのかもしれない。どうでもいいが酷く不快に思ったことだけは確かだ。怖いとかそういうのは潜在的な意識の方は不明だが表層的な意識上には存在しなかったことは間違いない。
工事中のライトが点滅する、街灯のない道をひたすらに歩く。あとは帰るだけだとなるとどうでもいい継ぎはぎだらけの思考が流れ出す。ふと目を落とすと影があった。マフラーが私の影の後ろで揺れていた。その影が街灯の光に消えた。街灯を過ぎて前にまた現れて、次の街灯が近づくとだんだん薄くなって消えてを繰り返す。何か思った気がするが忘れた。どうでもいいことだったんだと思う。街灯がなくなって影の行き来がなくなってまた何か考えていた。時々、考えていなかったんじゃないかと思うほど空虚な時間を過ごすこともある。それでも何か考えている。空虚だと考えていたのかもしれないし、何も考えていないと思うような状況を考えていたのかもしれないが、帰る頃には記憶処理できないほどの言葉が溢れている。疲弊感が半端でない。
帰るとチェーン錠が閉まっていた。扉が開かない。私は帰ってすぐにトイレに入る癖がある。これは家族にも似たような傾向がみられるから遺伝か何かなのかと思っている。人の下の話などどうでもいいことだろうが。とりあえず家から閉め出されてしまっては帰って来た意味がない。よく聞けば風呂の音がする。誰かが入っているのだろう。インターホンを押して、無反応。チェーンは扉の開いた状況からじゃ外せない。持っていたペットボトルを中に入れてとりあえずのアピール。そして風呂場の窓に回って窓を叩いた。
全裸で恐怖体験をするというのはなかなかに怖いことだと思っている。なんせ、身を護る術がない。そして少なからずの羞恥心が今の状態を見られたくないと思ってしまう。だから布1枚でもまとっていれば安心感が違うと私は思っている。何が言いたいか、本当は風呂場の窓など叩きたくなかったという本音だ。
締め出されたことを伝えてチェーン錠を開けてもらう。ようやく家に帰って人心地着く。イヤホンも見つかった。それで十分だ。そして酷く眠くなった。
私は医者から処方された薬を飲んでいる。こいつが酷く効くのだが副作用が半端でない。つまり、聞きすぎてしまうのだ。外にいる間は常に緊張状態が続くため薬の副作用である眠気は一切感じないのだが、自宅に帰るとこれである。何もせずに寝よう、と思うと同時に今日の電車を思い出していた。
「異常」、「普通」、正常。誰かに怒鳴り散らさなければあの「異常」も「普通」に戻れないのだろう。怒鳴り散らせる勇気があれば、少なくとも誰かに話す気力があれば、酒が入れば饒舌になるから入れればいいだろうかなんて思ったりもしたが、残念ながら酒は好きではない。付き合い程度に飲めるようにしているだけだ。美味しいと言われる酒ですらほとんどおいしいと思ったことは無い。アルコールのにおいが嫌いだ。ビールなんて最悪だと思っている。そして嫌々酒を飲んでへべりけになっていざ喋ろうと思ったところで話す相手もない。そうだ、どっかに垂れ流そう。そう思って眠いのか眠くないのかよくわからなくなってきた感覚を引きずりながらこれを立ち上げた。途中眠くなったので寝て起きてからもう一度書き連ねて今に至る。
これが私の日常で、「普通」だ。書いて一度読み直したけど、結構普通の人だと思った。実際はどうなのだろう?