6.小さな戦士
武明に認められた喜びに号泣するニケだったが、5分ほど泣くと落ち着いた。
ニケは泣き止むと、おもむろに服を脱いで川に入り、体を洗いはじめた。
「お、おい、どうした?」
「からだ、あらうでしゅ。あたし、くしゃいでしゅ」
「あ~、うん、それはいいことだな」
実際に臭いには閉口していたので、武明は黙ってニケを観察した。
粗末な貫頭衣を脱ぎ去ったニケの体は、ガリガリだ。
身長は1メートルちょっとで、体重は20kgもないだろう。
頭部にピンと立った三角耳と、腰から伸びている尻尾の形から見て、狼系の獣人と思われた。
そして同時に、ニケが女であることも確認できた。
髪の毛が短いのでどちらか迷っていたのだが、またぐらにアレはついてない。
もちろん胸もツルペタで、性的情動を誘う要素は皆無と言っていい。
しかし見逃せなかったのは、その背に付いた傷痕だ。
ムチか何かで叩かれたような虐待の痕を見て、改めて武明はニケを守ってやりたいと思った。
やがて小ぎれいになって上がってきた彼女が、また元の服を着ようとするのを、武明は止める。
「ああ、待て待て。別の服をやろう。その服はもうボロボロだし、臭いからな」
「ふえ。ニケは、これで、いいでしゅよ。だけどやっぱり、くしゃいでしゅか」
「そうだな。まずは体をふけ」
武明はバックパックから取り出したタオルで、ニケの体をふいてやる。
すると彼女はくすぐったそうに、声を上げた。
「キャハハハ。くしゅぐったいでしゅ、タケしゃま」
「まあ、我慢しろ。風邪をひいたら、いけないからな」
たぶん風邪なんかひかないぐらいには丈夫だろうとは思いながらも、彼女をふきあげ、武明はバックパックからTシャツを取り出した。
カーキ色の無粋なものだが、元の服よりは何倍も良い。
もちろんブカブカなので、腰の辺りを蔓で縛ってやる。
きれいになって、新しい服に身を包んだ彼女は、想像以上にかわいらしく、まるで天使のようだった。
さっきまで泥だらけでくすんでいた髪の毛と尻尾も、キラキラと金色に輝いている。
ニケは両手を挙げながらクルクルと回り、嬉しそうに顔を輝かせた。
「キャハハハ。このふく、やわらかくて、きもちいいでしゅ。こんなにいいもの、もらっていいでしゅか?」
「ああ、大したもんじゃないからな。かわいいぞ」
「キャハハハ、ありがとうでしゅ~。タケしゃま、だ~いしゅき」
無邪気に抱き着くニケをあやしながら、妙なことになったものだと武明は思った。
子育てどころか結婚すらしていないのに、子持ちになった気分だ。
しかし不思議と気分は悪くない。
「そういえば、ニケは何歳なんだ?」
「え~と、ことし、6しゃいでしゅ」
「6歳? それにしては、体が小さいな。狼人族ってのは、そんなもんなのか?」
するとニケは、悲しそうに首を横に振った。
「あたし、あまりごはん、もらえなかったでしゅ。ほかのこ、もっと、おおきかったでしゅ」
「そうか……じゃあ、これからいっぱい食べような」
「いっぱい、たべて、いいでしゅか?……そうだ! あたし、きょかあれば、かりもできましゅ」
「別に狩りの許可なんて、いらないだろ?」
「かりは、しぇんしのしごとだからって、ゆるしゃれなかったでしゅ。いちど、うしゃぎとったら、なぐられたでしゅ」
またもや顔を曇らせるニケを見て、武明の胸が痛んだ。
どうせニケにいい暮らしをさせたくなくて、周りが勝手に禁止していたのだろうと、すぐに事情を察したのだ。
「ここには狩りを止める奴なんていないから、好きにすればいいさ。ところで、ニケはなんでここにいるんだ? 元の村へは帰らないのか?」
そう聞かれたニケは、必死な顔で武明にすがりついた。
「あたし、かあしゃん、しんで、いじめられた。このままだと、しんじゃう、おもって、にげてきた。だから、しゅてないで、くだしゃい。なんでもしましゅ、なんでもしましゅ……」
顔をクシャクシャにして懇願する彼女の頭を撫でながら、武明は優しく言う。
「俺は捨てないから安心しろ。実は俺もこの世界に来たばかりで、知り合いがいないんだ。だからニケが助けてくれると、嬉しい」
「しょうなんでしゅか?……なら、がんばるでしゅ。こうみえてもニケ、ちから、つよいんでしゅよ」
「そうか、よろしく頼むな」
安心したニケの背中をポンポンと叩いていると、ヤツィから声が掛かった。
「タケアキさん、食事の用意ができましたよ。ちなみに魚は捕れたんですか?」
「あ、わりい。すっかり忘れてたわ」
「まあ、期待してませんけどね……ところでその狼人、どうしたんですか?」
武明を呼びにきたヤツィが、ニケを認めてとげのある声を出す。
「ああ、ここで死にかけてたから、助けた」
「助けたって……そんなの、どうするんですか?」
「ああ、悪いんだけど、一緒に連れてきたい。彼女も来たいと言ってる」
「そんな、ただでさえ余裕がないのに、よその子供なんて……」
「俺が面倒見るよ。いいだろ?」
武明が強く言うと、ヤツィもそれ以上は追及しなかった。
実際のところ、武明は登山グッズに身を固めていたのもあって、それほどお荷物になっていない。
彼がどうにかすると言うのなら、勝手にしろと思ったのだ。
その後、野営地へ戻って同じ話をしても、さほど反対はされなかった。
それからカレタカたちが取ってきた獲物と、持ち出した食料で作った、簡素な夕食を皆で取る。
腹いっぱいにはほど遠いが、ニケにも分けてもらえた。
なんだかんだいって、兎人族は情が厚いのだ。
腹がくちくなったところで、ニケが武明に頼みごとをしてきた。
「タケしゃま、ニケにぶき、かしてくれましぇんか?」
「ん? 武器、か……大したものは持ってないけど、これでどうだ?」
武明はバックパックの中から、小ぶりなナタを取り出した。
めったに使わないが、やぶこぎ用に常備していたのだ。
その他にはレザーマン風の多機能ツールもあったが、武器には向かないと思ったので黙っておく。
そして皆の前でナタを鞘から引き抜くと、カレタカたちの目つきが変わった。
それはこの世界ではめったに見れないほど、上質な武器に見えたからだ。
それもそのはずで、武明のナタは量産品とはいえ、日本の工業力によって作られたものなのだ。
一応、この大陸でもドワーフ族が、鉄製品を作っている。
しかしそれは非常に高価であり、村の中でも数人しか持てないような代物だ。
そのドワーフ製に勝るとも劣らない異界の武器を見れば、戦士たちが騒ぐのも無理はないであろう。
しかしニケはそれに気づかず、無邪気にナタを受け取ると、ブンブンと振り回しはじめた。
「うわ~、しゅごいでしゅ、このぶき。みためより、かるくて、じょうぶそうでしゅ」
ニケの体格からすると、ちょっと大きすぎるように見えたが、彼女は軽々とナタを振ってみせた。
その姿を見て、兎人族の戦士たちもそれを寄こせとは言えなくなる。
さすがに救世主と言われる者の持ち物を横取りするのはためらわれるし、ニケならそれなりに使いこなせそうだったからだ。
その晩、ニケはナタを胸に抱いて、武明のシュラフに潜り込んだ。
彼から与えられた武器を抱き、そして無類の温かさに包まれて、彼女は夢の世界へ旅立つ。
それは彼女にとって生まれて初めての、充足した眠りだった。