22.闇の精霊
精霊探索の途上で立ち寄った洞窟に、どうやら精霊がいるらしい。
ミズキの指摘でそれを知った武明は、恐る恐る洞窟の奥を探ってみた。
「こんな所にいるのなら、土精霊かな?」
「そうですね。でも暗いから、闇精霊かもしれませんよ」
「闇精霊って、ハムニさんたちが契約してるあれだよな?」
「そうです。暗黒を司り、負の感情に干渉すると言われます。主に魔獣との意思疎通に使われてますけどね」
闇精霊とは光精霊の対極の存在であり、闇を司る精霊だ。
その特性上、人間の負の感情や、魔に傾いた存在にも干渉できる。
ハーフリングはこの闇精霊と相性がいいらしく、その契約者は魔獣使いとして重宝されている。
「でもどこに何がいるか、分からないな。ミズキ、その精霊はどこにいるんだ?」
「……!」
するとミズキが洞窟の奥の一角を指し示す。
武明たちが目をこらすと、最初は何も見えなかったのが、何かモヤモヤとした黒い霧のようなものに変わる。
「たしかに何かいるみたいだな。だけど、これと契約するには、どうしたらいいんだろ?」
「そうですね。普通は相手が逃げないのなら、直接手を触れて契約の意思を伝えます。だけど気をつけてください。必ずしも友好的な精霊とは限らないですから。場合によっては、攻撃を受けることもありますよ」
「ゴクッ……なんか怖いな。だけどやるしかない、よな?」
ためらいつつも武明は、霧のようなものに手を伸ばした。
それはザワザワと蠢きつつも、逃げることはせず、武明を受け入れるかのように見えた。
そして彼の手が触れたその瞬間――
「グアッ!」
「タケしゃま!」
「タケアキさん!」
その変化は激烈だった。
武明が手を触れた途端、心臓に氷を押しつけられるような不安感が押し寄せたのだ。
その胸が締め付けられるほどの不安感に、武明は立っていられなくなる。
しかし攻撃は、それだけではなかった。
武明がそれまでに経験してきた怒り、悲しみ、嫉妬、憎しみなどの負の感情が、次から次へと湧き出してくるのだ。
それはまるで呪いのように、彼の精神を苛み続けた。
それは傍目に見れば、ほんの一瞬に過ぎなかったのだが、武明にとっては永遠にも感じられる苦行だった。
そんな苦痛に精神をすり減らされ、心が折れそうになった彼に、救いの手が伸ばされる。
冷えきった彼の背中に、ほのかなぬくもりを感じたと思った瞬間、彼は現実世界に引き戻された。
「タケしゃま、タケしゃま、タケしゃま!」
そこには武明の背中にすがりつき、必死で呼びかけるニケがいた。
ほんのわずかな時間であったが、武明が硬直して苦痛の表情を見せたため、ニケは即座に異常事態を察し、背中にすがりついて呼びかけたのだ。
その必死の呼びかけと、彼女から伝わってくる温かい何かのおかげで、武明の体は自我を取り戻し、再び血が巡りはじめた。
「グウウッ……俺が精霊に触れてから、どれぐらい時間が経った?」
「え、いえ、ほんの一瞬でしたけど、何があったんですか?」
「俺もよく分からない。ふいに闇精霊から伝わってきた負の感情に、飲み込まれそうになってた。それもニケのおかげで助かったんだ。ありがとうな、ニケ」
「タケしゃま~……ビエ~ン」
「もう大丈夫だから、泣くなって」
背中に抱き着いたまま泣くニケをあやしながら、武明は闇精霊の攻撃がやんでいることに気がついた。
さらに驚くことに、今度は闇精霊の気持ちが分かるような気すらしていた。
戸惑いながらも彼は、精霊に契約の意思を伝えてみる。
すると精霊から驚いたような波動が生じ、次の瞬間には先ほど以上の精神攻撃が押し寄せた。
しかしどれほど攻撃が強まっても、先ほどのように武明の心が飲み込まれることはない。
彼は背中から伝わるぬくもりに支えられながら、精霊の攻撃をいなし、徐々に押さえ込んでいった。
そのようにしてしばらく見えない攻防を繰り返していると、霧の一部がパチュンと弾けて、シュルシュルと渦を巻きはじめた。
それはまるでミズキが生まれた時と同じようで、実際に霧は人の形を取っていく。
そうして最終的にできあがったのは、ミズキよりも大きな少女の姿だった。
ただしその姿は、まだ不安定でフワフワしている。
「これはひょっとして、契約に成功しちゃった?」
「は、はい。人の形を取るということは、武明さんに恭順の意を示しているのだと思います。あとはミズキちゃんのように、名前を付ければ完成です」
「名前、か…………そうだな。魔夜でどうだ?」
「!!」
その瞬間、闇精霊との間に確かな経路が確立され、武明から魔力を奪い取っていった。
今回、武明は、マヤという名に魔夜の2文字を、明確にイメージしながら命名した。
なんとなくだが、その方が精霊の存在が強固になると考えたのだ。
実際に魔と夜という意味を与えられたマヤは、通常より強い自我を持つようになり、大きな可能性を秘めていた。
しかしそれは現状では分かりにくく、彼女の力が判明するのは後のことである。
見る見るうちに少女の形が実体化していき、ツヤの無い黒曜石のような少女が現れた。
「うわ~、本当に契約できちゃいましたね。しかも中位精霊。タケアキさんって、非常識ですぅ」
オルジーの呆れたような声にも、武明は反応できなかった。
それほど多くの魔力をマヤに奪われ、気が遠くなっていたのだ。
やがてそれも落ち着くと、首を振りながら立ち上がる。
「ミズキの時と違って、何かがごっそり奪われたみたいだ」
「ああ、それはマヤちゃんが実体化するために、魔力をもらったんだと思います。ミズキちゃんの場合は、元々おばば様の精霊だったので、それが少なかったんでしょうね」
「ああ、そういうことか。たしかに状況が違うもんな。まあ、いずれにしろこれで、目的の一部は達成できたわけだ」
「はい、おめでとうございます。でも中位精霊を2体なんて、本当にずるいですぅ」
オルジーがぼやく横で、マヤは自分の体を確認していた。
彼女は身長が130センチくらいで、8歳くらいの女の子のようだ。
さらに腰まである長い髪と、着物のような服装から、ミズキよりずっと大人っぽく見える。
ひととおり確認すると、彼女は満足そうにほほえんだ。
「ミズキより大人っぽくなったのは、なんでかな?」
「精霊の見た目は、その魔力と思考能力を表していると言われます。つまりミズキちゃんよりも、高い能力を持ってるってことなんでしょうね」
「水と闇では性質が違うから、一概には言えないけど、より上位精霊に近いってことか。そういえば、精霊って成長するのか?」
「いえ、普通は最初に契約した時から、変わりませんよ。だけどミズキちゃんは、タケアキさんと契約して中位になったんだから……やっぱりタケアキさんって、非常識ですね」
「俺が悪いみたいな言い方、やめてくれる?」
武明とオルジーが掛け合い漫才みたいなことをしていると、マヤにミズキ、そしてニケまで加わって遊びはじめていた。
マヤとミズキは半透明の彫像風なので違和感はあるが、見ていてほほえましい光景だ。
そんな彼女たちを横目に、武明とオルジーは野営の準備を始めた。
と言っても今日は快適なシェルターがあるので、火を焚くための薪を集めるぐらいだ。
それなりに薪が集まった時点で、ちょうど日が暮れていった。
武明たちは火を起こし、ありものの材料でスープを作る。
準備ができると、みんなで焚き火を囲んで夕食を取った。
「いただきま~しゅ」
スープの具をほおばるニケを見ながら、武明とオルジーも食べはじめる。
ちなみにミズキとマヤは、ニコニコと笑いながら武明の隣に座っていた。
精霊は食事を取らないが、どこか楽しそうに食事風景を眺めている。
「ウフフ、なんか急に、にぎやかになりましたね」
「ああ、これからも食事時ぐらいは、呼びだしてもいいかもしれないな」
「そうですね。それにしても、今日はうまくいってよかったです。さすがはタケアキさんです」
すると武明は、少し考えながら答える。
「うん、そうだね……でも実は、俺だけの力じゃ、ダメだったかもしれないんだ」
「それはどういうことですか?」
「俺もはっきりとは言えないけど、たぶんニケの助けがあったから、成功したと思うんだ」
「えっ、そうなんですか?!」
「ふえ?」
静かな洞窟内に、ニケの間の抜けた声が反響した




