1.星呼びの儀式
「どうして、どうしてこんなことに……」
そんな絶望の言葉が、少女の口から洩れる。
彼女はウサギの特徴を持つ、兎人族だ。
白銀の髪に、同色の長いウサギ耳を生やし、腰部には小さな尻尾も付いている。
その顔立ちは優れて整っており、大きな緑の瞳の目立つ美少女だ。
しかし今、彼女の顔は薄汚れ、ひどく憔悴していた。
なぜなら彼女は、いきなりやってきた人族の集団に、村を蹂躙されたからだ。
もちろん抵抗はしたが、兎人族はあまり腕っぷしは強くない。
さらに謎の武器で大量の鉛玉を撃ち込まれては、彼らに成す術はない。
男たちは次々に討ち取られ、女子供は奴隷にするべく捕らえられた。
そんな中でも少女を含む一団だけは、仲間の助けもあってかろうじて逃げのびることに成功した。
しかしそれは、破滅を先送りしただけなのかもしれない。
すでに村の建物には火が掛けられ、男衆はほとんど残っていない。
なんとか彼女たちが逃げ込んだのは、森の中に隠された祭壇の洞窟だ。
それは彼女たちの信仰する創造神タイオワを祀った、簡素な祭壇である。
一応、非常時の避難先としても考えられていたため、多少の道具や食料の蓄えはある。
しかしだからといって、先の展望は明るくなかった。
あくまで一時しのぎに過ぎず、人族の追手が掛かれば、すぐに見つかりかねない状況なのだ。
何か手を打たねば、このまま逃げのびることは難しいだろう。
思い詰めた彼女は、祭壇の前に鎮座する老女に詰め寄った。
「おばば様! 何か、何か生き残る手段はありませんか?」
すると、おばばと呼ばれた老女が静かに片目を開け、たしなめる。
「そう焦るなオルジー。今、ヤツィがカレタカを呼びにいっておる。運がよければ、落ち合えるじゃろうて」
「だけど、おじ様たちが間に合うかどうかも分かりません。このままでは私たちは、奴隷として捕らえられてしまいます」
少女が泣きながら訴えると、老女が深いため息をつく。
すると老女は祭壇に近寄って、何やらごそごそと作業を始めた。
やがて作業を終えたらしい老女が、その場にいる者に厳かに告げる。
「今からいちかばちか、儀式を行う。神が我らを見守っておられるのなら、何か救いがもたらされるかもしれん」
「……星呼びの、儀式?」
少女がつぶやくと、老女がうなずいた。
「そうじゃ。今から儂の全身全霊を懸けて、儀式を執り行う。その後は、お前たちがなんとかせよ」
「でも、でもおばば様。星呼びの儀式には、術者の命が必要です。今、おばば様にいなくなられたら……」
「こんなばばあなぞ、いてもいなくても変わらんわ。じゃから、そう悲しそうな顔をするでない」
おばばは皮肉そうに言いつつも、少女を優しい目で見つめた。
老女はそっと少女の涙をぬぐうと、祭壇に向かった。
そして木の杖を掲げ、目を閉じて祈りの言葉をつむぎはじめる。
「創造神タイオワよ。アクダの魔女ハイラルが願う。我が命と引き換えに、一族の危機を救いたまえ」
そのような言葉が繰り返し唱えられると、やがて祭壇が淡く光りはじめた。
それは徐々に強まり、とうとう正視できないほどになる。
そして何か不思議な衝撃と共に、老女の声は途絶え、光も薄れていく。
しばし呆けていた少女は我に返ると、老女の元へ駆け寄った。
しかし、老女がすでに息をしていないのは明白だった。
彼女は静かに目を閉じ、微動だにせずに地面に倒れ伏していたのだ。
「おばば様っ、おばば様!」
村の最高齢者であり、巫女でもあるおばばの死に、少女たちはうろたえた。
すでに先の見込みのない中で、頼りにしていた老女さえ失ったのだ。
しかしそれと同時に、彼女たちをさらに狼狽させることが起きていた。
「ウウッ…………なんだ? 何が起こった?」
気がつけば祭壇の上に1人の男が横たわっており、彼が目を覚ましたのだ。
その男は黒髪黒目の青年で、彼女たちと敵対している人族に見えた。
しかしその衣装はこの世界にないデザインで、仕立てはかなり上質だ。
その背に荷物を背負っていることから、行商人かとも思われた。
しかしそんなはずはない。
彼こそは、老女が命を懸けて呼び寄せた存在のはずだから。
「救世主、さま?」
「えぇっ?」
ポツリとつぶやいた少女の声に、男の情けない声が重なった。
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それからしばし、混乱しながらも意思の疎通がなされた。
まずこの集団を率いる少女の名は、オルジー。
兎人族アクダの村をまとめていた長の娘で、15歳の美少女だ。
ちなみに儀式で息絶えたアクダの魔女の、孫でもある。
そして魔女によって呼びだされた男の名は、御門 武明。
こことは違う世界の、日本という国で暮らしていた男だ。
彼は中堅どころの部品メーカーでエンジニアをしており、年齢は32歳、独身である。
その顔立ちはそこそこに整っていて、体格は中肉中背。
平凡な見た目と言えなくもないが、意思の強そうな目とキリリとした眉が印象的である。
そんな彼は、趣味である登山の途中で、この世界へ召喚されてしまった。
「ふむ。いろいろと納得いかない話ばかりだが、ここは地球じゃないのは分かった。そしてこの婆さんが、俺を呼びだしたってことだな?」
「そうです。一族が消滅の危機にある私たちを救うために……ウウッ」
武明の質問に、泣きながらオルジーが答える。
すでに息をしていない魔女を見て、また涙がこぼれたのだ。
しかし、泣きたいのは武明も同じである。
「まったく。そんなマンガみたいな話、聞かされても困るんだけどなぁ。だいたい俺は、戦いの無い平和な世界に住んでたんだぜ」
「グスッ……しかし、星呼びの儀式で呼びだされた者には、強力な力が宿ると言われています。あなたにも戦う力は、あるはずです」
「知らないよ、そんなの……ところで、日本へは帰してくれるんだよな?」
「申し訳ありません!……星呼びの儀式とは、一族が危機に陥った時に行われる救世の秘術。これによって呼びだされた方は、救世主と言ってもよい存在です。ただし、儀式の行使には術者の命が必要なのです。つまり術者であるおばば様が亡くなった今、タケアキ様を元へ戻す術はありません」
オルジーは本当に申し訳なさそうに事情を語り、その場に土下座した。
それは武明にとって、到底納得できることではなかったが、それ以上の追及は控える。
決して納得できたわけではないが、まずは現状を知ることが最優先だと思ったのだ。
「チッ……それについては、また話そう。それで、これからどうしようってんだ?」
「はい、今わたしたちは、人族の集団から追われています。可能であれば彼らを撃退し、村へ戻って生き残りを探したいのですが……」
「人族? さっきから気になってたんだけど、あんたら一体、何者?」
「ですから我々は兎人族で、アクダの村の住人です」
「とじんぞくぅ? なんだそりゃ……ほんっとうにファンタジーじみてきたな……」
地球では考えられないような話に呆れ、武明はガリガリと頭をかく。
そんな彼に対し、オルジーたちも途方に暮れていた。
やがて落ち着きを取り戻した武明が、話を再開する。
「まあ、いいや。それで、敵を撃退するって言ったって、どうすりゃいいんだ? 俺は武器とか、持ってないぞ。いや、ナタぐらいならあるけど……」
「いいえ、タケアキ様はおばば様から、水精霊を引き継いでおられます」
「へ……みずせいれい?」
オルジーの指す方を見ると、武明の斜め上に何かがフワフワ浮いていた。
「なんじゃ、こりゃ?」
「それが水の精霊です」
武明はこの日、何度目かの思考停止を体験した。