01-1:異世界の話なのに魔術でやっつけないのかよぉ!
ちょっと昔の事。
世界からは魔が消え、異能を持つ人々も何処へと失せてしまったという。
突然の出来事に人々は戸惑い、暫し混乱が続いた。
……かに思えたが、直ぐ平穏は訪れた。
同時に魔物も一切出なくなっていた。
「恐らく、異能を持つ者が魔王でも倒したのだろう」
人々はそう思った。
しかし、魔王を撃ち倒した英雄はいつまでたっても人々の前に姿を見せない。
やがて人々の心に平穏が齎された。
そして大体90年程の月日が経ち、再び魔は世界を包み混沌を生み出す。
人々はこの世に訪れた魔を、また受け入れた。
============ここからが本編になります============
目が覚めた。
というよりは、止まった時がパッと戻ったかのようだった。
今、私は前のめりで倒れそうになっている。
間に合わない、と反射的に地面に向かって直ぐに手を出す。
だけど両手をついて尚自重を支えきれず、そのまま体はパタリと落ちてしまった。
……痛くない。幸い枯れ葉がクッション材となってくれたようだ。
しかし同時に半分視界が埋もれてしまう。
……ここは、森?
私は何故こんなところに……そう思った時だった。
「……大丈夫か?」
差し伸べられた手が月明かりを遮る。
どこか懐かしい男性の声。
誰だろう……少し首を動かして、間の抜けた声の主を覗き込むように目線を上げる。
でも視界は未だ暗いまま、というか……どんどん暗くなっていく。
そして私は気づいた、その暗闇が落ちてきている事に。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
これはきっと、落ちてくる暗闇の声だ。
でもさっきのような優しさの欠片もなく、月夜を覆うほどの殺意を纏っている。
――あれ? これは……今手を差し伸べてくれた人じゃない!
「うるせーな。今は夜中だぞ……」
その時、またあの懐かしい、温かい声がした。
しかし今度は静かに強く囁き……。
……やがて遅れて轟音が響く。
衝撃で辺りの枯れ葉が吹き飛び、地面や木がまるで地震でも起こったかのように揺れた。
「きゃあっ!」
瞬間、視界が開ける。
今の衝撃で私の体はひっくり返り、仰向けになっていて……だからすぐにわかった。
眼前には、巨大な昆虫が苦悶の表情で宙に舞う姿が、月明かりに照らされている。
その体が、優に5メートルは超えるだろうという大きさに。
アレは、魔物だ……それもとびきり巨大な。
あんな物が落ちてきたら、死んでしまう。
再び黒に染まり始める視界、悪寒が瞬時に体を駆け巡る。
音が消えていく……きっと死ぬ間際に起こるスローモーションのようなものなのだろう。
怖い、怖い、怖い、こんなに長くゆっくりと死へと向かっていく恐怖なんて!
やがて私は恐怖に駆られ耐えられず、ぎゅっと目を閉じて、その時を待つ。
「……っ!!」
しかし、暗闇は私の上に堕ちてこなかった。
「……よぉい、しょっ!」
「おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ……!」
何故かはわからないが急に体に絡んだ殺意が薄くなって、恐怖が消えていく。
そして、肌に風を感じた。
何が起きているのか、耳だけでは理解が出来なくて。
自分の命が残っている事実が不思議で、目を開いた。
すると、私の目にはさっきまで落ちてきていた魔物がまた飛ばされ、苦悶の残響を残して遠ざかるシーンが写っている。
あんなに重そうで大きなモンスターが安々と……受け止められ、投げ返されていた。
そして小さくなった暗闇から光が漏れ、眼の前の男のシルエットがクッキリと目に映る。
体は……決して大きくない。
なのに……何だろう、この内に感じる力強さと優しさは。
彼はきっと、あの魔物を倒す。
そんな確信にも似た感情が、不思議と彼の背中を見る私の目に灯っていた。
「すまん……なるべく静かにやっちまうけど、ちょっとだけ我慢しててくれ」
「……ぇ」
暗闇を見上げる彼。今の声は多分、私に言葉をかけてくれている。
しかし私の口は、体同様まだあっけにとられて上手く返事をする事が出来ず、動かない。
「くそう、人間! 何だお前はぁ!! はぁ…はぁ…!」
魔物はお腹を抑え、しかし剥がれた外殻はポロポロと舞い落ちる。
「……だがぁ! そ、空なら攻撃は出来まい、ハ ハ ハ !」
「……ふぅ」
呆れるようなため息が聞こえた。
暗闇が、虚ろになっていく。
彼は魔物の台詞を聞き流し、話の途中でそっぽを向いて近くの石を拾い上げる。
「投擲……か? 無駄、無駄無駄ぁ! ちょっと強いからってここまで届くものかぁ!」
そしてモンスターに向かってヒュッと投げると……光になった。
「うぉぅっ?!」
思わずモンスターは両手で顔を覆う。
しかしその一歩手前でモンスターには当たらず、光は消えてしまった。
「……何だ、今のは」
モンスターが発した言葉が、そのまま私の頭にも浮かぶ。
「何なんだ今のはぁっ?!」
「ちょっと力みすぎた。もう一回だ」
白い煙と焦げた匂いが月明かりの空に漂った。
彼は再び屈んで、石を探し始める。
……。
……私は今、とんでもない光景を目の当たりにしたのかもしれない。
彼の投げた石……それが今、まるで流れ星のように魔物の眼の前で燃え尽きた。
彼の投げる力が強すぎて、空力加熱で燃え消し炭へと変わっていった!
そして……彼が投げて起こった反動が、遅れてモンスターに降りかかる。
「ぶっ、おああああああぁぁぁぁぁぁ! なんだこの突風ぅぅぅぅぅ!!」
「きゃあああああああ!!」
空へと上がる風と舞い上がる地表の土埃や石。
そして、ついには私でさえも宙に浮き始めた。
しかし寸前のところで手を掴まれ、引き寄せられる。
少し浮遊感を味わった後、気付くと私はお姫様抱っこをされていた。
「……大丈夫?」
「……あ、ありがとう?」
これは一応助けてもらったことになるのだろうか、という疑問がつい言葉尻に現れる。
「いやいや……うん、まあ」
――彼はその時、申し訳なさそうにしていた……と思う。
――私はそこでようやく彼の、グンマさんの顔を見た。
――間の抜けた、でもだから少しホッとする様な、彼の顔を。
それしにてもこの抱えられ方……恥ずかしい。
「あ、あの私ってどうしてここに――」
と私が言いかけた瞬間、彼はすっと屈む。
瞬間ビュウッと音がして、何かが頭上を通り過ぎた。
木々は巨体を避けるように歪み、そこには獣道が出来上がる。
そして枝は闇の通り過ぎた先を指すように、向きを変えていた。
見えない獣道の奥……そこから闇の奥から声が響き、彼に死を叫ぶ。
「クソッ、クソクソッ! お前は、ここで……必ず殺す、必ずだあ!!」
だけど、彼は動じなかった。
「飛ばされてどっか行ったのかと思ったが……まあ、御託はいいから早く来いよ」
「えっ!?」
代わりに、未だお姫様抱っこの私が思わず慌てる。
自信有り気な彼はともかく、私なんか魔物に襲われたらきっとただじゃすまない。
「あ、あのっあの!」
と、しどろもどろでもなんとか自分の足で立とうとして、なのに体は全然動かない。
分からない、一体何がどうなっているのか。
自分のことも、今いる場所も、この状況も。
そして魔物の咆哮が獲物に狙いを定めた。
「くっそおおおおおおおおおお!!」
「ちょっと、怖い思いさせるかも」
彼が不意にそう言うと同時に、全身に鳥肌が立って悪寒が走る。
「あ、あーあー!」
魔物が襲って来る、その殺気というか予兆の印だった。
そして同じ気配を彼も感じたのだろう。近くの棒を器用に蹴り上げ、掴み取る。
一瞬、私の体がまた無重力になっていた。
「こんなもんでいいな。フン!」
彼は握った棒で一振り、空に向かって放つ。
すると丁度そこに居合わせたかのように魔物が突っ込んできた。
そのまま、まるで吸い込まれたかのように木の棒へと向かっていく。
魔物の焦る顔が見えて……スローモーションのように時の流れが遅れ、色を失っていく。
最後、巨大な魔物の体に棒が触れた瞬間、微かに見えた気がした。
まるで不確定な未来を映したかのような、武器の残像が魔物の体を覆いっていく様を。
しかしそれは印象であって虚空なのだといわんばかりに、腕は振り切られていく。
やがて彼の一撃は衝撃を纏い、魔物は押し潰される様に液体へと変わって。
……四散していった。
ビシャアッ!!
「あ……あ……」
再び重力によって彼の腕の中へと戻った私。
あまりの出来事に声も出せず、目を点にするばかりだった。
「……さてと、立てるか?」
さっきまで魔物だった紫色の液体が、私達の体へと降り注ぐ。
空いた口が塞がらなかった性もあって、その雫はうまく? 私の口から喉に直接届いた。
「……ごほっ、ごぉほっ!」
紫色の液体は匂いもそうだけど、私を気絶させるに至る程のエグミで喉を襲う。
「ぁっ……はあっはあっ」
「まあ……とりあえず、一旦戻るか」
やがて頭が状況についていけなくなって、私の意識は遠のいていく。
これが初めての記憶で、後は全く覚えていない。
……私は、記憶喪失だった。
「この木、殴るのに丁度いいな。持って帰ろう」
消えゆく意識の中、そう呟く彼の声が聞こえた。