ー第3話 三崎コーチ
ー第3話 三崎コーチ
当時。
愛の居た上土居中学校テニス部で、コーチをしていた三崎コーチは、ジュニアのテニスクラブの責任者になっている。
ファルコンクラブと云う。
小学生を対象とした軟式テニスクラブの練習が終わった後、話を聞く事が出来た。
「高宮ですか。覚えてますよ。おもしろい選手でしたね。」
「おもしろい?。」
「ボールコントロールが巧みでね。あの当時の中学生にしては、試合を組み立ててゆける、稀な子でした。ただし、勝負師ではなかった。テニスを目一杯楽しんでましたが、目くじら立てて勝とう…なんて気は有りませんでした。まぁ巧みと言っても、パワーがなかったもんですから、強いボールには打ち負けて押し込まれてしまうんです。部内では勝てましたが、対外試合は…前衛のせいもあって、ほとんど勝てませんでした。」
「パワーをつければ、いい線まで行けた?。」
「そう〜ですね。決勝まで行けたかもしれません。でも、本人にその気は有りませんでした。」
三崎コーチは、楽しそうに話す人だった。企業のクラブに所属し、定年退職後のシニア大会から実力を発揮しだした。
ほとんどの県内大会で、常に準優勝する選手で、シルバーコレクターの異名を持っている。もちろん優勝も10を下らない。
ポール回し。あるいはケツ打ちと云う、必殺技を持っている。サイドラインに向かって、コートの外に出てゆくボールを、ネットポストの横を通して、相手のコートに打ち込む。弾道が低く、球速も速い為レシーブ出来ない。弾道が低いと云うのは、ネットの高さより下を通るのだ。これは、ルール上問題ない。しかも入れる為にカーブを掛ける。
「弾まないサービスと云うのは、ケツ打ちと似てますね。」
「あぁ。高宮のファーストですか…。あれは、阿部が編み出したんです。偶然なんでしょうけど。ファーストサービスの基本と云うのは、手首を極端に使わない事なんです。教則本にも書いてあります。ファーストサービスって云うのは、サイドアウトよりバックアウトの方が多いんです。だから、気持ち的に、押さえようとして手首で押さえたくなる。でも、手首で押さえようとすると、ファーストサービスの成功率が落ちるんです。ボールがラケットに接触する角度がバラつくでしょ?。同じ角度でラケットにボールが当たった方が、成功率は上がるんです。でも…阿部史也は、それを安定させたんです。トスを一定の位置に、正確に上げる事でね。」
「つまり…手首で押さえ込むサービスを、入るサービスにした?。」
三崎コーチはうなづいた。
「レシーブ出来ない…と云うのは本当なんですか?。」
「出来ません。サービスコートに入ると、地面を這って(はって)ピッと走るんです。ラケットを、地面に擦るように振ってもフレームに当たるしか有りません。コントロール不能ですね…フレームでは。偶然にネットを越える事を、期待するしか有りません。しかも、そんなサービスを打つ人間は、今現在も阿部史也と高宮愛しか居ませんから…試合でいきなり打たれたら、対応不能です。阿部は交通事故で亡くなりましたから、あのサービスの技術を知っているのは、高宮愛だけですね…今や。」
「三崎さんは、打てないんですか?。」
「打てません。まず入りません。やってみた事が有るんですが、使えません。阿部は百発百中でしたが、高宮はあの試合の後、まったく入らなくなりました。」
三崎コーチは、その幻のサービスをラケットで、ゆっくりと振って見せた。
「あの試合。高宮愛は得意のロビングを使ってないのは、何故です?。」
「…私のアドバイスです。打ち合うなと。相手は中学生全日本チャンブです。来た球は、全部決めるつもりで打ち込めとアドバイスしました。」
クラブの小学生が、三崎コーチの目の前に来て挨拶してゆく。
「コーチ。失礼します!。」
「はい。ご苦労さん。」
次々と、そのやり取りが終わると私は聞いた。
「高宮愛は、あの試合の後、テニスを離れたのはどうしてです?。」
「さぁ。あの子にとって、テニスは全てじゃなかったんでしょう。コートの外の方がイキイキしてましたからね、当時。…それで良いと思います。相田や宮内が、必ずしも幸せだったとは言えませんよ。」
三崎コーチは、ラケットのガットを指で動かしながら言った。
「三崎さん。テニスが全て…と云う人は、何に引きつけられるんでしょう?。」
「コートの外に、自分を見つけられない人でしょう。コートの中にしか、自分を見つけられなければ…コートに立ち続けるしかないでしょう?。」
三崎コーチも、そして相田も宮内もコートに立ち続けている。
勝負は。
コートの中の者と、
コートの外の者の間で決せられたのだ。
ー次話。
ー第4話 能登島 秀彦につづく。