ー第1話 高宮家への取材
ー第1話高宮家への取材
その日は暑かった。
JR岐阜駅5番ホームで、私は流れ落ちる汗をバンダナで抑えていた。
時計は午後の2時を差し、ホームに人影はない。
やがて、駅のアナウンスが列車の到着を知らせた。
ーまもなく。区間快速大垣行きが、5番ホームに到着します。黄色い線まで下がってお待ち下さいー
4両編成の列車から降りてきた、山際正義を見つけて声を掛ける。
「正義くん!。竹山です。」
身長は180cmくらい。スーツを着て眼鏡を掛けた姿は、大学生3年生とは言え立派な紳士に見えた。
「こんにちは。すいません竹山さん。今日はよろしくお願いします。」
「いや!。高宮さんの取材に同行できるなんて光栄ですよ。…お父さんは、まだアフガンに?。」
「えぇ…。また2部がらみです。無事に帰ってくると良いんですけど…。それはそれとして、どうやって高宮さんのアポを?。」
「ベリーペットグッドレストランの中島社長です。大学時代のバイト仲間だったんです。高宮さんと。(タイフーンアイ参照)そのツテです。ただ、言えない事は言わないと…おっしゃってまして。それでも、会いますか?。」
「構いません。本人の顔を見るだけでも、取材はしなければならないと、父の山際厚に言われています。」
取材対象は高宮 愛。
性同一性障害研究家。このJR岐阜駅前のタワーマンションで、3年前銃撃戦があった。岐阜タワーマンション705号室で、謎の武装集団と陸上自衛隊が撃ち合ったのだ。
たまたま外を通りかかった、タクシー運転手や通行人、ドライバーが銃声と砕け散る窓ガラスを見ている。
にもかかわらず、マンションの住民はこの銃撃戦について、なかったと口を揃えた。フリージャーナリストの山際厚と、息子で助手の正義は関係者に取材を試みてきたが、すべて拒否された。
そして今日。
私こと竹山透を同行する条件で、705号室の住人高宮 愛から取材の約束をとりつけた。
私はスポーツノンフィクションライターで、高宮 愛は私のファンであるらしかった。
本当の所は、山際正義が銃撃戦の話を聞きたいのだが、それには一切答えられないと言われている。そのかわり、竹山透には会ってみたいのでと云う事だった。
エントランスで705を押すと、女性がインターホンに出た。
「竹山透です。今日の取材は可能ですか?。」
ー山際さんもご一緒ですか?。ー
「はい。山際からの質問は有りません。お顔だけでも拝見させて下さい。」
ーわかりました。ロックを解除します。お入り下さい。ー
山際正義は、ホッとした顔をした。
705号室のドアに現れたのは、社長秘書タイプの美しい女性だった。年齢は20代後半だろうか…身長は165cmくらい、髪は肩までのストレート。小さな真珠のイヤリングが見える。黒いタイトスカートにジャケット。胸元には、ハート型のネックレスが見える。
玄関には、黄色い花が溢れるような油絵が掛かっていた。
ほのかに香水の香りが漂ってくる。
私は意識せずに、銃撃戦の弾痕を捜していた。
「どうぞ。お入り下さい。父は出てまして、今日は夕方にしか帰りません。」
リビングに案内されながら、高宮愛の柔らかな声を聞いた。きちんと整頓され、チリひとつ落ちていないリビングは、住人の性格を映し出していた。
「いつもは散らかってるんですよ。今日は頑張ってお掃除しました。」
「お父さんは、お仕事ですか?。」
「いえ。防衛庁に務めてましたが、退官しまして。今は交通事故関係のボランティアをしてます。」
山際正義の目がピクリと動いた。このマンションは、旧防衛庁や防衛省関係の入居者が多い。
テレビとオーディオ関係のデッキの前に、ソファーが置かれている。その左にはパソコンが見えた。高宮愛はホームページを持っている。性同一性障害の研究家としては、日本でトップの人物だ。
そのパソコンの横に、フォトフレームに入った写真が4枚あった。
右からひとつ目は、おそらく両親と写っている写真。バックはイージス艦のようだ。2番目は、どこかのバーのドアの前で、ミニスカート姿の写真。3番目は、顔がよく似ているので…兄妹だろうか?男性と親しげに、肩を抱かれている写真。最後は、テニスコートのネットの前で、ラケットを持ったスコートの女の子が、泣き顔に憤り(いきどおり)を込めた目で振り返っている。その女の子に向かって、両手を突き上げて駆け寄ってゆくように見える、後ろ姿の同じくスコートの女の子の写真。しかし、振り返っている女の子は高宮さんではなかった。
山際正義とソファーに座って、私は最後の写真に興味を引かれた。
高宮愛は、オープンキッチンでコーヒーを淹れて、運んできた。よどみなく、コーヒーを2つ置いて、私達の前に座った。
「高宮愛と申します。」
と言って、名刺を差し出した。
こちらも慌てて、名刺を出し交換する。
「大阪の女装っ子さんのハワイ土産のコナコーヒーです。最高ランクの豆なんです。美味しいですよ。どうぞ…。」
とりあえず、コーヒーカップを口に運んだ。
「今日は。山際さんには申し訳ありません。お会いすると言いながら、何も言えなくて…。」
山際正義は、明らかに゛あがって゛いた。
「取材と云うのは、こういう物だと父に言われています。顔を見るだけでも取材出来ないようでは、話にならんと。」
「イラクのレポートを読みました…。すごいお父さんですね。ご協力できなくて、申し訳ありません。」
山際正義は高宮さんをしばらく見つめて言った。
「失礼ですが。ご結婚は?。」
唐突に、あまりに関連性のない質問に私は慌てた。
「失礼だ。そんな事を聞くもんじゃない。」
しかし高宮さんは、口に手を当ててクスッと笑った。
「竹山さん。大丈夫です。山際さんは、真っすぐな目をしてらっしゃいますね。記者さんなら、質問に根拠があるはずです。それがちゃんとした根拠なら、お答えしますよ。」
私は首を横に振ってヤメロと合図したが、山際正義は言った。
「こんなにちゃんとした女性が、独身と云うのは理解できません。僕なら放っておきません。そう思ったので聞きました。」
「それは筋の通った質問ですね。では…筋の通った返答をしなくては。その写真の人…。」
高宮さんは、自身と男性が写っている写真を、机の上から持ってきた。
「…将来は、結婚すると思ってましたが…玉突き事故に巻き込まれて亡くなりました。」
私は凍りついた。だが山際正義は平静だった。
「それは…名神高速道路で起こった12台が絡む玉突き事故ですね?。原因は…荷崩れで落下した鉄材を発見したトラック運転手が、急ブレーキを踏んだ事による…。先頭の運転手は死刑から、終身刑に減刑されてます。その運動の中心にいたのが、高宮さんのお父さんですね?。」
「…よくご存知ですね。」
「神明被告の裁判は、興味があって傍聴しました。実は、父の記者仲間の方に、死亡者の顔写真を見せてもらったんです。その写真のカラーコピーを、その時見てるんです。高宮さんの大切な方だったとは知りませんでした。申し訳ありません。」
「いいんです。もう私の中では決着がついてますから。…だだ、人を愛するのが少し恐くなりました。自分の事が、どうでもよくなるくらい愛して、また失ったらと思うと…どうしても踏み切れなくて。」
「すいません。十分答えて頂きました。そこまでで、やめましょう。」
慌てた山際正義を見て、高宮さんは、またクスッと笑った。
「山際さんの質問には答えないはずなのに。やられてしまいました。さすがは山際厚さんの息子さんですね。」
「いえ。不肖の息子です。もう僕からは質問しません。」
「…アラ残念。どうします?。竹山さん。」
私は話題を探して、4枚目のテニスの写真を見た。
「これには、高宮さんが写っておられませんが?。」
「あ〜、後ろ姿が私なんです。」
「テニスをやっておられたんですか?。」
「昔の話です。中学生の時に軟式テニス部にいまして…これは地区大会2回戦で初勝利した時の写真です。1回戦は棄権による不戦勝でしたから…。でも、この初勝利が最後の勝利です。3回戦は負けましたから。たまたま、この前衛の部長さんのペアが足をケガして、その代わりで出ただけですから。」
私はもう一度写真を見た。するとネットの向こうに、小さく相手の選手が写っているのを見つけた。
「あっ…この選手。相田良子じゃ?。」
高宮さんは、にっこり笑った。
「竹山さん、すごいですね。さすが、スポーツライター。」
私は記憶を探った。
「…確か、宮内道代とのペアで、中学生全国大会を、1年と2年の時に連覇している。しかし、3年の時に地区大会シードの2回戦。ストレート負けした。」
私は硬式テニスプロに転向した相田と宮内に、インタビューするため資料集めをしている所だった。
「高宮さんが、相田宮内ペアを破ったんですか!?。」
「結果的にそうなりました。お二人には申し訳なかったんですけど…。」
これはスポーツライターとして、ただ事ではない。相田宮内は、お互いに負けた事はあるが…そのキャリアの中で他の選手に負けた事がない。中学3年の試合を除いては…。この試合は地方予選で記録は無いに等しい。相田宮内にも、聞きにくく、聞いた人間はいない。
相田と宮内を破った人物が目の前にいる。
「高宮さん。この試合の話をしてもらえませんか?。」
「良いですよ。」
高宮さんは、何でもないと云う顔で笑った。
こうしたいきさつで、この取材は始まりました。
2話からは、所属していたテニス部の背景と、関係者へのインタビュー。7話で高宮さんのインタビュー内容と合わせて、試合をリプレイします。
遠い夏の日。
高宮愛と篠原妙子女子部長。無敗を誇った相田良子と宮内道代。
この幻の試合を再現してゆきます。
ー次話。
第2話上土居中学校軟式テニス部