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練馬で生まれ育った私は、小さい頃から変わっていると言われていた。
うちの家は町中から少し外れた丘陵地帯の一軒家で、まだ周囲には畑や林も多かった。そのせいなのだろうか? 私はいつも外に行っては庭や畑に居る小さな虫たちを見つけると、眺めたり、触ったり、それを捕まえたり……最初の内はお姉ちゃんも一緒についてきてくれていた。私が毒虫に刺されたりしない様にとか、いろいろ図鑑を見ながら教えてくれたりもしていたんだけど、毎日のように全身虫だらけになって遊んでいる私を見て悲鳴を上げて、いつの間にか一人で遊ぶようになっていた。
それでも、私にとって虫たちは何よりも魅力的な生き物だった。
外にはたくさんの虫がいた。アリにハチにチョウにバッタ。畑にいけば色々な虫の幼虫たちにも出会えたし、林に行けばハサミムシやダンゴムシにヤスデ、ムカデなんかも見つけられてそれを持ち帰っては家族全員にぎゃーと悲鳴を上げられた。
こんなに可愛いのになんでみんなはそんなに嫌がるの?
そんな風に私はずっと不思議に思っていたんだ。
だから、私には友達はいなかった。
幼稚園でも小学校でも、小さかったころ私と一緒に遊ぼうと言ってくれる子はほとんどいなかった。いても、暫く遊んでいるとその子のお母さんがやってきて、『虫は危ないから触っちゃダメ』って、その子のお母さんに怒られてまた一人になる。そんなことの繰り返しだった。
なんでみんなあんなこというの?
なんでそんなに虫さんを毛嫌いするの?
虫だって何もなければ怒ったりはしない。怖いことがあったり、危険を感じたりしなければ優しいままなのに……毒とか牙とかに気を付けてれば危ないことなんて何もないのに……なんで?
私にはほかの人の言っていることが全然理解できなかった。
だからいつもなんでなんで? って聞いていた気がする。そうしたら、友達はおろか、私に話しかけてくれる人も誰もいなくなっていたんだ。
後で聞いた話だけど……その頃の私は周りの人達から『虫子』ちゃんって呼ばれていたらしい。
いつでもどこでも虫と遊んでいたから、そんな私と遊ぼうとしている子達の中には『虫子ちゃんを無視しよう』とか、そんな風なことを言っている子もいたから。でも私にはその意味が良く分からなかった。だって噛まれない捕まえ方があるもの、触り方があるもの。
だからなのか、その頃の私はいつも何を言われてもにこにこ笑っていたようにも思う。
今なら少しは分かる。
基本みんな虫は苦手なのだ。なのにどんな虫も平気で触って、叱ったり嫌味を言ったりしてもいつもにこにこ動じない私をずっと気味悪がっていたんだと思う。でも、そんなこと、幼くてバカな私には全然わからなかったんだ。
そんなある夏の日のことだった。
遊んでくれる友達はいないから、小学校から帰った私はいつものように一人で近所のクヌギ林に遊びに来ていた。この時期は本当に生き物が多いから、私にとっては毎日が宝島のようで時間を忘れて虫を探し続けていたんだ。
でもその日はいつもと違っていた。
先客がいたのだから。
「うわっ……、ひゃっ……、ひいぃっ……」
畑脇の茂みからクヌギ林に入ると、そこには短パンすがたの一人の男の子。私はすぐに一緒に遊ぼうよと声を掛けようとして……
でも、『撫子ちゃんと遊ぶのはやめなさい』と私の目の前でお母さんから叱られる友達の姿を思い出して、その時は声をかけないようにした。
だから私はひとりで夏の虫を集めた。
その日は確かミツバチだった。
ビニール袋を片手に持って、花に止まってみつを吸っているミツバチのお腹の真ん中あたりをそっと摘まめば刺されることもなく簡単に捕まえられる。そしてそれを次々にビニール袋の中に入れていった。
そのまま暫くハチを追って、隣の畑にいっぱいいたから畑の中を駆けまわってたくさん捕まえて満足してから再び林の中へ。
すると、さっきとまったく同じ場所で、さっきの男の子がしくしくと泣いてしまっていたんだ。
流石にもう声を掛けた方が良いと私も思ったんだ。
「どうしたの? どっかいたいの?」
そう聞いてみれば、その子は私の方を見て言った。
「ううん、違うの……いたくない。そうじゃないよ」
「じゃあどうしたの?」
その子はいよいよ大粒の涙を浮かべて泣き出してしまった。
「カブトムシ見つけたのに怖くて触れなくて逃げられちゃったぁ、わーーーーーーーん」
そう大声で泣きだしてしまって私はすっごく耳が痛かった。
だから……
「えっと……カブトムシ欲しいの?」
「うん……」
「じゃあ、これ持ってて」
「え?」
私は手でぎゅっと握っていたミツバチ満載のビニール袋を彼へと手渡した。中には満載のミツバチたち。袋の中でぶんぶん羽音を立てて飛び回っていた。
「ひいっ!!」
その子はまた悲鳴を上げていたけど、私は有無を言わさずに袋の上の方をしっかり握らせた。
「口を開きさえしなければ出てこないよ。それ私が一生懸命に捕まえたんだから絶対逃がさないでよね」
「へ? これ君が捕まえたの? どうやって?」
「手だよ」
「手ええっ!?」
その子はかなりびっくりしていた感じだったけど、私は構わずに近くのクヌギの木の……根っこの辺りの柔らかそうな土を手で掘ってみた。
「今はお昼だから多分寝てるから……いるといいんだけど……あ、いた」
「え?」
私がそっと土をどけたそこに、黒く金属色に光る大きな一匹の虫の姿……それを手に取って彼へと差し出した。
「えっと、はい、『ヒラタクワガタ』。カブトムシじゃないけど、いる?」
「え? え?」
彼は私の手の上で大人しくしているヒラタクワガタを興味津々に見つめて、そしておっかなびっくりで手を伸ばそうとして躊躇してしまっていた。どうやって触っていいのか分からない、そんな感じで……
だから私は彼の手を掴んでその掌を開かせて、その上にちょこんとヒラタクワガタを乗せてあげた。
「あ、あ……」
彼はその瞬間ホントにびっくりしていたけど、暫く見ているうちになんだかだんだん嬉しそうな顔になってきて……
「だいじょうぶ、怖がらせなければ何もしないよ」
そう言っていたら、ヒラタクワガタがてってってってと歩き始めて、彼の腕を上りだしてしまった。
「あ、あ、あ、ど、どうしよ……ひぃ……」
「だいじょうぶだって」
私はクワガタをひょいと摘まみ上げてまた彼の手の平のうえに。
でもクワガタはまたてってってと彼の腕を上り始めて……それをまたひょいってつまんで手の平の上に。
そんなことを何回かしているうちにだんだん彼も慣れてきたみたいで、私を真似て自分でもつかめるようになってきていた。
そして彼は笑ったんだ。
「うわぁ、触れた。僕にもクワガタが触れたよ!!」
「すごいじゃん!! すごいよ!!」
そう言ってパチパチと拍手をすると、彼は本当に嬉しそうに笑ったんだ。でもそのあとすぐ油断して思いっきり指を挟まれたあげく、私が預けていたふくろから大量のミツバチが飛び出してきて、それはもう大変な事態になったのだけど。
でもそれが凄く楽しくて。そのとき私は彼と初めて笑い合った。
「僕の名前は【南方平太郎】。君は?」
「私は堤撫子だよ」
これが私と平太郎との最初の出会いだった。
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