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カタンカタン……、カタンカタン……
乗客の少ない日曜午後の電車に、私は南方君と並んで座っていた。彼は先ほどのゴマダラカミキリムシをあの公園の管理事務所の人に押し付けてきていて(一応害虫だもんね)、今手にしているのは某大手デパートの手提げ袋ただ一つ。買い物の用があったということみたい。
で私はといえば、彼から紙袋をもらってその中にさっきのス〇バのカップ。当然その中にはあの大きなシロスジカミキリちゃんが、ティッシュとハンカチで作った簡易ベッドの上にゆったりと横になっていた。まあ、電車に乗っているから緊張しているのだろうけどね。
いなくなってしまったと思っていたけど、南方君が捕まえてくれていて、それを渡されて本当に嬉しくなってしまっていた。
「むふふ……ふふふー」
気が付いたらどうもシロスジカミキリちゃんを見ながら笑ってしまっていたようで、慌てて口をつぐんだ。すると、隣の南方君がぽそりと言った。
「全然変わらないな、そういうとこ」
「え?」
今何を言われたのかいまいちわからなかったのだけど、彼を見れば珍しく頬が緩んでいる。あれ? これはひょっとして笑ってる……の?
私はそんな彼の様子になにか納得いかないものを感じて、咳ばらいを一つしてから気を引き締め治してから言った。
「あ、あの!! きょ、今日は本当にありがとう……ございました……助けてくれて……」
なんとなく決まづくてそんな風に尻つぼみになったわけだけど、彼は特に気にした様子もなく答えた。
「いや……たいしたことはしてない……」
「そんなことないよ!! だって、あれは私のせいで渋谷先輩ケガさせちゃったんだよ? なのに、それを自分のせいだって……」
「別に撫子のせいじゃないだろ? 噛んだのはそいつだし、噛まれたあいつが間抜けだっただけだ」
「うっわ、ひっど……」
あまりにあんまりな南方君のそのセリフに私も結構ショックではあったけど、ああやって助けられた以上私も特に何も言えなかった。
でも気になっていたことはあったんだ。
「あ、あの……、えっとね、あのたくさんのゴマダラカミキリムシはどうしたの? 最初にあの公園で会った時、あんな段ボール持ってなかったよね?」
そう聞いてみれば、彼は目だけでこちらを見て、ごく当たり前な感じで言った。
「あの後、急いで集めた」
「ええ!? だ、だって、先輩と私が話してたのはほんの少しの時間だったんだよ? なのになんであんなにいっぱい……」
「じゃあ聞くが、カミキリムシはどこにいる?」
「えっと……若木とか、新芽とか、木の根とか? あ、カエデ……」
「ああ、あの公園にはカエデの若木が結構あったからなゴマダラカミキリムシには恰好の餌だ……でちょうど今の時期は羽化するし、カミキリムシは木の上の方にも多いから駆除されないこともあると思ったから……」
「え? 上の方って……?」
「だから、木に上って取ってきたってことだよ。けっこうたくさんいて良かった」
「ええー!!」
なんてことは無いようにそう言ってきた彼に言葉もない。
まさか木に登って捕まえてきたとか、あんな都会の公園でそれやったら流石に怒られちゃうんじゃないの……?
でも、そうしたのは全部私を助けようとしてくれてのことなんだよね。
あまりの居た堪れなさに私はもう一度彼に頭を下げた。
「本当にごめんなさい」
「だからいいよ別に。俺もその……楽しかったし」
そうポツリと言った彼の横顔はなんだか少し楽しそうにも見えた。それで私もほんの少しだけ気が楽になった。
先ほどのことに少し触れると、虫に集られた渋谷先輩はカミキリムシに噛まれた傷のせいで撮影が中止に。一応私と南方君も連れ添って例のスタジオに先輩を送ったんだけど、先輩に脅されたことも含めて、けがをした経緯を説明すると、監督さんには本当に渋い顔で睨まれた。
その時も、南方君が一生懸命に謝っていたのだけど、公園で駆除の為に集めていたカミキリムシが原因となった途端に、監督さんたちはもう話もしたくないって感じになって、私達はそのスタジオを追い払われた。
先輩もかなり憔悴していたけどね、自業自得なところもあるし、わざわざ家まで送ってあげる義理もないのでそのまま別れたというわけ。
別れ際に南方君がこしょこしょと何かを耳打ちしていたけど、先輩相当怯えていたようでいったい何をはなしたのやら。
いずれにしても、これで問題は全部解消されたってことみたいではあるけど。
私は思い切って彼に聞いてみた。
「ねえ、南方君。わたし……君とどこかで会ったことあるよね? それに……私の中学時代のことも……知っているよね?」
そう口にした。
彼が私のことを知っているのはもう明白だ。でも、いつであったのか、本当に覚えがない。
私の過去を知っていて、でもバカにするわけでも嫌悪するわけでもなくて、しかも助けてくれた。このまま知らないままでいたくなんてなかったから。
彼は私をまた横目に見た。
そして大きく息を吐いてから、言った。
「撫子が学校にいけなくなったこと……知ってたよ。でもお前と同じ中学校だったわけじゃない。俺は聞いたんだ」
「聞いた? って誰に?」
「それは……お前の姉さんにだよ」
「姉さん? ……あ」
姉さんと言われて唐突に私は目の前の彼の顔が蘇った。それはあの暗黒の中学時代よりももっとずっとずーっと以前の記憶。
あれは私がまだ本当に怖い物知らずで無茶ばかりやっていた頃の事……小学2年生だった時のこと……
「へ、平太郎……なの? 平太郎……だったの」
彼はまた横目でこっちを見て、今度は間違いなく柔らかく笑った。
「ああ、やっぱり気が付いていないだけだったんだな。俺はあえて無視されてるんじゃないかって少し不安だったんだけど」
「え? そ、そんなことするわけないじゃない!! 私が平太郎を無視なんて絶対しないよ。でも……本当に変わっちゃって……分からなかった、ごめん」
「いや、それはいい。でも俺にとってはお前の変わりようの方が異常に思えたんだけどな。撫子はもっと……そう、もっと好きなことを好きだって胸を張って言っているようなやつだったから」
そう言われて胸が苦しくなる。そう、私は平太郎が言っているような感じだった。でもそのせいで友達がどんどんいなくなって……最後には……
思い出すのが苦しくて胸が本当に痛くなる。
そんな私を見ながら平太郎は言った。
「でも……撫子はやっぱり撫子だった。昔と一緒で……虫が好きで……。それが分かったから、俺は本当にうれしかったんだ」
その言葉に胸が熱くなる。本当に泣きそうだった。
でも、せっかくこんな再会を果たして、こんなに嬉しい気持ちになれたんだ。ここで泣くのは止めよう。
だから私は言った。一生懸命笑顔になって。
「うん!! 今でも虫さん、大好きだよ!!」
それを聞いた平太郎は、再び微笑んだ。
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