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× × ×
日曜日……朝食をとった私は今日の外出に向けて準備を進めていた。
芸能界関係の人たちがたくさんいるって話だったから、なるべくお洒落をしなくちゃと思い、以前お姉ちゃんに見繕って貰った余所行きの用の青のワンピースを着ることにした。
まだそんなに暑い時期ではないけど、外出にそれほど慣れていない私だもの、途中で疲れて熱に負けてしまうかもしれない。でも、これなら涼しいし、見た目にも可愛いと思われる感じがしたし。
お姉ちゃんもこれは私に似合うよって凄く進めてくれていたことを思い出したこともあったから。
この服だと幼く見えるから、髪を上げた方が良いってお姉ちゃんも言ってたから、今日は髪を後ろで結いあげて少し大きめのお団子に。それと、前髪も邪魔にならないように髪留めを使って……
当然お化粧もして万事準備オーケー。
これなら業界の人に会っても失礼な感じにはならないよね。
そう思いながら、少し厚底のパンプスを履いて私は家を出た。
10分ほど歩いて最寄りの駅に……で、ここから電車で30分足らずで新宿に。
たったこれだけの移動でこんな大都会に出てしまうんだもの、東京って本当に凄いと、東京の片田舎で暮らしている私にとってもこれは驚くべきことだった。
「やあ、待ったかい?」
南口の改札を出ると、そこには私服姿の渋谷先輩の姿。白のお洒落な上下のカジュアルが眩しい。
はあ……やっぱり先輩はかっこいいなあ。
そう思いながら見惚れていると、先輩が微笑んだ。
「まだ少し時間があるんだけど、少しそこでコーヒーでも飲まない?」
「えっと……は、はい」
そこは緑のロゴが鮮やかな人気のお店、『ス〇バ』。
はあ……こんなお店入ったことないよ。だって確かこういうところって高いって聞いてたし。
当然だけど私はこんな街中のコーヒーショップなんて入ったことはない。正直どうしていいのかまったくわからなかった。
しばらくメニューを見て悩んでいた私に、先輩は優しくいくつか質問をくれて、それに答えると店員さんに注文。出てきたそれは、まさに私がお願いした通りの感じのカフェラテ。
透明なカップに入ったそれを口にすると、本当に美味しくてびっくりして。
それから先輩とは色々お話をした。好きなテレビ番組のこととか、タレントさんのこととか。そんなことをしているうちにあっという間に時間がすぎて、そろそろお店を出ようってことになった。
貰ったカフェラテは私にはちょっと量が多かったこともあって、どうしようかな、勿体ないなと思っていたら、持って帰ってもいいとか。
それを聞いた私を見て先輩も噴出してしまって、私はもう恥ずかしくて死にそうだった。でも、僕も最初は分からなかったから大丈夫だよ? とかそんな風にすぐフォローしてくれて、なんとか持ち直すことができたのだけど。
やっぱり先輩は大人だ。することがみんなスマートだし、本当に素敵だと思う。
私はそのカップを手にしたまま、先輩の後を小走りで追いかけた。
× × ×
「いやぁ渋谷君!! 今日はよろしくね!!」
「はい、こちらこそ宜しくおねがいします」
「あ、そっちの彼女が例の子だね? うんうんすっごくいいね、可愛いね、最高だねぇ!!」
「え? え?」
スタジオに入った途端に、先輩に飛びついてきたのは髭を生やしたおじさんだった。そんな彼に笑顔で迎えられて私もなんと言っていいのかわからなかったけど、とにかく頭を下げた。
「今日は見学させていただきます。宜しくお願いします」
「うんうん見学ね、今日はね!! うん」
???
その言い方に何か引っかかったけど、私はとりあえずスタジオの隅に。そしてそこで着替えメイクアップした渋谷先輩が出てくると、カメラマンさんや監督さんから色々な指示が出て、先輩はそれに合わせていろいろなポーズを。スタジオ内にはパシャパシャとカメラのフラッシュ音が響いて、独特な緊張感があった。
はあ、やっぱりかっこいいなあ。
そんな風にうっとり見ていた私に、さきほどの監督さんが近づいてきた。
「ねえねえ、撫子ちゃんだっけ?」
「え? あ、はい」
唐突に名前を呼ばれてそう答えるも、私名前言ってないよね? そう不思議に思っていたら、急に監督さんが笑顔で言ってきた。
「君は本当に可愛いねぇ。今までもタレントにならない? とか誘われたりしたでしょ?」
「な、ないです。一度もないです!!」
「本当に? じゃあものは試しだよ。今日君のこと撮影してあげるよ。きっと君ならすぐに芸能界でタレントになれるもの、僕がいろいろとプロデュースしてあげるよ。芸能人とかともいっぱい仲良くなれるよ! さあ、ほらこっちへきて」
「や、やめてください」
そうぐいっと手を引かれて、思わず私は監督さんを突き飛ばしてしまった。監督さんは反動で尻餅をついていたけど、私はそのままそのスタジオを飛び出して逃げた。
× × ×
「はあ、びっくりしたぁ」
走って行った先は新宿の中央公園。
ここは以前お姉ちゃんと来たことがあったから、迷うことはなかったけど……
それにしても本当にびっくりした。急だったってこともあるけど、まさかいきなり手を掴まれるとは思わなかった。
でも……
「先輩置いてきちゃったなぁ、ひょっとして怒ってるかなぁ? はあ……」
木の下のベンチで上を見上げて、そう独り言ちてしまっていた。本当に最悪。
こんなはずじゃ無かったのになあ。
先程までのデートっぽい感じのウキウキ感はもうまったくなくなってしまった。その代わり胸にあるのはひたすらの罪悪感。
はあ、先輩に申し訳ないことしちゃったなぁ。
もう何もかもが嫌になりかけていた。
といっても今回は別に不登校になったあのころみたいな辛さはない。だって別に私の心までは抉られていないもの。でもやっぱりクヨクヨするのは嫌だな。
あーあ、何か気分転換でも……
そう思って思いっきり伸びをしたそこで、私は『その子』と目があった。
それは私のすぐ背後、視線を向ければ、もうすぐ目の前にその姿が。
「うわぁ、め、めっちゃ可愛い!!」
思わずそう呟いてしまって慌てて口を塞ぎ、そして私はその子に手を伸ばして……
というところで、何やら視線を感じて顔を上げてみれば、そこにあったのはあのぼさぼさ髪で無表情な彼の顔。
へ? え? な、なんでここに南方君が?
や、約束はしてたけど、た、多摩川だよね? ここ新宿…… え? なんでいるの?
そんな風に、思考がぐっちゃぐちゃになっていた私は、よくわからないままに飲み終わって空になっていたカフェラテのカップを開けたり、カバンの中のティッシュを引っ張り出したり、ハンカチを畳んだりとか、もう訳の分からないままに動きまくっていた。
な、なんで!!
そう最後に思った瞬間、南方君は唐突に口を開いた。
「あー、俺は何も見ていない」
「は?」
そう言ってから徐にひとつ頷くと、そのままぷいっとそっぽを向いてスタスタと歩み去ろうとした。
「ちょっと待って!!」
私はそんな彼に一気に詰め寄って言った。
「な、なんで君がここにいるのよ!! 約束は夕方のはずでしょ? それにここ新宿」
そう問い詰めれば彼は何の感慨も漏らさずに即答。
「俺だって新宿に来る用くらいある。撫子に会ったのはたまたまだ」
「はあ? た、たまたまでこんなに偶然に会うわけないでしょ? あ、あんた、私を脅すネタでも探しに来たんじゃないの!?」
「脅す? 俺が? なんで?」
「そんなのこっちが知りたいわよ!! いったいあんたはなんなのよ。それになんで私の事呼び捨てにするの!? ねえ、なんで!!」
「なんでって、そりゃぁ……あ」
彼が突然私の背後の方に視線を向けた直後に、そのままくるりとまた向きを変えて歩み出してしまった。
「ちょっと、待っ……」
そうもう一度言いかけた時、彼が振り返らずに言った。
「渋谷先輩には気をつけろよな」
「はい? だからなんで……」
スタスタと彼はそのまま足早に進んでいく。
その時だった。
「堤さん? ああ、良かった、ここに居たんだね」
そう声をかけられて振り返ればそこには『はぁはぁ』と息を切らせた渋谷先輩の姿。彼は私に笑顔をむけてきてくれていた。
私はさっきしでかしてしまったことを思い出して居たたまれない想いになっていたのだけれど、そんな私の心情はお構いなしに彼は言った。
「あのね、さっき君が監督を突き飛ばしちゃっただろ? 監督あれでかなり怒ってしまってね……撮影が滞っちゃってるんだよ」
「そ、そうなんですか? そ、それは……ごめんなさい! 本当にごめんなさい!!」
私はとにかく謝った。どんな理由があるにしたって、人を突き飛ばしてしまったことに変わりはないのだもの。
ひょっとしたらケガもしてしまっているかもしれないし……ああ、私はいったいなんてことを……
そんなことを考えて頭を下げていたところに、先輩が優しく声を掛けてくれた。
「うん、でも大丈夫だよ。僕も一緒に謝ってあげるから。ね、さあ、一緒にスタジオに戻ろうよ」
そう先輩は言いつつ、私の肩に手を回してきて……
「い、いやっ!! ……あ」
途端にそれを私は払いのけてしまった。理由なんてよくわからない。ただ、無性に『気持ち悪かったから』。
またやってしまったという後悔と、先輩に失礼な気持ちを持ってしまったという申し訳なさで頭がいっぱいになってすぐに謝ろうと彼を見れば……
その表情は今までに見たことがないものになっていた。目を吊り上げ、頬を引きつらせ、口をわなわなと震わせて……
明らかな怒りの感情を持ったままで彼は私を睨みつけていた。そして周囲に聞こえないくらいの小声で静かにでも、まっすぐに私へと言葉を発した。
「君ねえ……優しくしてあげてればつけあがって、こんなにも僕に迷惑をかけて……。一緒にこんなところまで来たんだ。君だってその気だったってことだろう? 今更何もなしになんてできるわけないだろう?」
「その気って、いったいなんですか?」
「そういうのはもういいって言っただろう!!」
彼はがっしと私の腕を掴んだ。
その力があまりにも強くて、私は恐怖に竦んでしまった。
や、やめて……
大声で叫びたいのに怖すぎて声が出なかった。そして周囲に視線を向けてみれば、近くに人の姿は少なくて……私は彼に睨まれたまま大人しく言うことを聞くしかなかった。
ああ……このことだったんだ。南方君が言おうとしていたことは……
南方君は渋谷先輩が怖い人だって知ってて、知ってたからああやって私に教えてくれていたんだ。それなのに……
ああ、私はやっぱり馬鹿だ。なんであんなに私の為を思って言ってくれた言葉に耳を貸さなかったんだろう。うう……怖いよ。怖い。助けてよ……
引きずられるようにして歩いていた私、このままどうなってしまうのか予想もつかなくて本当に怖くて、ずっとただ心の中で助けを呼び続けていた。そしてついに公園の入り口付近まで来てしまって、そしてその出口のところに一台のタクシーが停まっているのを見て本気で絶望した。
ああ、いやだよ。こんなのいやだよ。
とめどなく涙が溢れ始めてしまったそのとき……
『その子』がそこに居た。