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しばらくして、考えがまとまった。
養子の件を受け入れることにしよう。
だが、決して母に説得されたわけではなく、あくまでも自分で決めた。まだまだ先のことを考えると、高校生活から大学、社会に出るまで保護者の同意とかが必要な場面があるだろう。その時、母も父もいないなら、色々な支障があるだろう。
母の心配もなくなるし、これも仕方ない。
けど、今の家に残ることは決して譲れない。
そう決意して、手続きを済ませた。
養子になった日は、忙しく働く伯父が初めて俺に時間を割いてくれた。そして、質素ながら母の病室のテーブルで美鈴と共に四人で食事をすることとなった。
伯父の言葉は、ひとことだけだったが、とても重く感じた。
「まこと君、これからは、よろしくな。それにありがとう。悪いが美鈴のことと君のお母さんのことをよろしく頼む」
大病院の院長が、俺なんかに頭を下げてお願いする姿は、今でも信じがたい。
それに、その姿を見ていた母や美鈴が涙目になっていたこともはっきりと思い出せる。
本来なら頭を下げるのは、俺の方なのだが、その場は、「こちらこそ、よろしくお願いします」と答えるだけだった。
四月に入り、美鈴は別の高校に進学したことを母から聞かされた。
確か、俺と同じ高校を受験していたことは知っていたけど、別の高校を選んだなんて聞いてはいなかった。
俺が選んだ高校は県下で有数の進学校であるため、同じ中学の生徒は少なく、知り合いが極端に少ないので、入学後はとても気楽だった。
唯一の知り合いは、隣町の中学出身の滝沢だ。
受験前に塾の合宿で知り合った友人だった。
あまりしつこくなくて、ドライというか、クールな生活に付かず離れずの距離感が俺には心地良い。こんな環境で、俺の学校生活は、順調に滑り出したと思う。
☆☆☆
それは、入学後の週末のことだ。
校門に人だかりが出来ることは今までも色々なシーンで見てきたが、それは卒業式であったり、始業式であったりと、特別な時に限られる。
それでは、今日が特別な日かというと、それは違う。
ただ、一人に皆は注目しているだけで、特別な理由は無い。その注目の主は、桜華坂学園の生徒らしい。桜色のセーラー服は真紅の縁取りがされ、より女子らしさを強調する。
一年B組の窓際の自分の席から何気に見える人だかりだった。この騒ぎを耳にした男連中が窓際に集まるのに時間はかからなかった。
そして、珍しくも俺まで多少は目をうばわれていることを自覚した。
こんなのは、いつ以来だっただろうか。
……思い出せない。
確か、その時も美人に目を奪われたと思い出して、一人で苦笑いをしてしまった。
つい思い出し笑いをして、変人扱いされないか、周りを見渡すが、誰も俺など眼中に無く、窓の外の光景に夢中になっている。
黒々とした艶のある髪も短めにまとめられ、遠目にも身のこなしやちょっとした仕草、それに柔らかそうな表情までが、彼女の品格を表している。
きっと誰かの彼女か、若しくは妹なのだろう。
全く俺には関係無いことだ。
その対象なる人物は、校内がここまで盛り上がっていることすら知らないだろうな、と思いながら頭の中に一時的に蓄えられた記憶のキャッシュを削除すると、机の上に載せられた読みかけのミステリー小説を開き、手製の栞を抜いて物語の中に意識を集中させた。
その意識が削がれたのは、不意に名前を呼ばれたからだ。
「まこと君、一緒に帰りましょう」
本に夢中になりかけた間に、その桜色の制服の持ち主は、俺の目の前に立っていた。その姿は、長い髪を切り、上品に微笑む美鈴だった。
窓からは遠目に顔は見えなかったけど、美鈴とは思わなかった。それに朝は長い髪のままだったし、ここに迎えに来るなんて聞いていなかった。
俺に用があれば、メールするようにとルールを決めてある中、そんなことなどお構い無しで、平気な顔で、約束を破りやがった。
しかも、これで目立たない学生生活を送る予定だった俺の希望は見事に打ち砕かれた。
上機嫌な美鈴の顔をまともに見られない中、ざわざわと喧騒が聞こえる。
俺は唇を噛み締めながら心の中で、マジかよ、と呟いた。