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嫌な夢を見た。
この頃は見なくなったと思ったが、今日のアレコレで気持ちが揺さぶられてしまったのだろう。
美鈴の料理を食べてから、自室でいつのまにか眠ってしまったらしい。制服に皺ができている。
だけど、もう昔のことは忘れよう。
☆☆☆
中学三年の秋、両親が突然離婚した。
それは朝ごはんを食べていたときにだった。
父、母、僕の三人で食卓を囲んでいると、母から爆弾とも言える話が始まった。
「ねぇ、あなた、そろそろいいでしょう?」
「そうだな。君がそう言うのなら、仕方ない」
「ごめんね。本当に愛していたわ。
だから、絶対に幸せになってください!」
「わかった。もちろんだ!
じゃあ、今日は最後の記念に美味しい物でも食べに行こう。何が食べたい?」
「……わたしは、とくに無いよ。まこちゃんの好きなものにしましょう。この子が一番不憫だと思うし、……特に最後なら」
「んっ、ならステーキにしよう。久しぶりにAホテルのロビーで十八時に待ち合わせとしよう」
何の話かは、母の話の中で察することができた。
二人のやり取りに対して、僕は一言も口を挟むことはなかった。それは、二人とも微笑みながらの会話で、いかにも楽しく話している状況だったため、さすがに冗談だと決め込んでいたのだった。
しかし、これが冗談では無いと理解したのは、ホテルの食事が終わり、ロビーで父から母に緑色の大判の紙が渡された時だった。
たぶん、離婚届けの用紙だ。以前、テレビで見たやつと同じものだ。
唖然として、両親の様子を見ていたが、母との話がひと段落した後、父が僕に顔を向けた。
「まこと、お母さんを頼んだよ。
お父さんは、来週からしばらく海外出張に行く、帰国して住む所が決まればメールする。
それまでは、どこかのホテルに仮住まいだ。
あと苗字はそのままでもいいし、お母さんが旧姓に戻るそうだから、変えてもいい。
来年から高校生なんだから自分で決めなさい。
あと困ったことがあれば相談には乗る。それに大学の学費を出すから、お金のことは心配しないで勉強してくれ、離れて暮らしても親子は親子だ。じゃあ、元気で!」
唐突に告げられた言葉は、あまりに重く、実感が感じられ無い。
目の前で、父と母が軽くハグをして、俺の頭をぐしゃぐしゃに撫でたあと、父は僕らをじっと目に焼き付けていた。父の目元が潤んでいたのは、見間違いでは無い。
すっと息を吸い込むと、不意に踵を返し、後ろ向きで小さく手を振ると、そのままドアを抜いて人混みに消えてしまった。
地下鉄を降りて、家に向かう間中、僕と母は口を開くことは無かった。俺も色々と考えることがあり、母は楽しそうな顔から、いつのまにか、抜け殻のように脱力しているかのように見えた。
お風呂に入ると、今までの思い出が頭に浮かび、思わず涙が出ててしまった。男が泣くのは恥と思うけど、これは仕方ないことだ。
気分が落ち着いた頃に母にどういうことかと聞いたら、短い言葉で一言だった。
「お父さん、私の他にいい人ができたの」
「そう、なんだ……」
特に言葉は見つからず、ありきたりな返事しかできなかったさし、やはり実感が無い。
それに納得できなくても、これ以上は聞きたいとも思わなかった。
ただ、一つだけはっきりした。
これからの俺の人生の設計図は、大きく書き換わるのだろうと、消しゴムで消して、新たに書き換えるように俺の友達や住んでいる所まで、全てが今とは違うのだろうと。
あの紙を見てしまい、覚悟はしていた。
だけど、生まれてから、ずっと住んでいた家を離れることに多少なり抵抗があった。
しかし、それを加味しても今までの自分の環境をリセットしたいと思っていたこともあり、母の主張に素直に従って、母の実家に住むことになった。
そんな訳で、東京近郊のベッドタウンから母の生まれ故郷である九州の福岡市西区に転居した。
いきなり知らない土地にやって来ると、色々と戸惑うことも多かった。学校に全く友達がいないことや地理感が無いため、買い物をするにも苦労したことだった。
一方で、良かったこともあった。
リセットしたいと思っていた嫌な想い出から解放されたことだ。つまり、昔の彼女との微妙な距離が解消されたこと。
まあ、フラれたんだけど、この後が居心地が悪かった。よりによって当時の俺の親友と付き合い始めたのだから、気持ちは色々と複雑だった。
ファミレスに呼び出され、いきなり別れ話とは、心の準備をしていなかった俺には、両親の別れ話と重なり軽い鬱になってしまった。
心労が重なり、学校を二週間程度休んでしまっが、その間に自分の中でなにかが変わった。
しかし、それは俺には必要な時間だった。
ファミレスでは、親友であった木下智則の横に二俣和美が座り、俺はその対面に一人で座ることになっていた。
もうこの時点でおかしいことがわかる。
なぜ、和美は彼氏の俺の横では無く、智則の横に座ってるのか、話を聞くまでも無い。
二人から色々と言い訳がましい言葉が出て来たみたいだが、全てが左耳から右耳にスルーしてしまい、ほぼ何も覚えていない。
唯一、覚えている言葉は、「お前ら、幸せになれよ。それと、お前らには暫く会いたく無い。じゃあ」
そう言って、別れたのが二人との最後だった
それから二週間、僕が学校に出たのは引越しの前日で、朝の朝礼に参加しただけだった。
転校先は母の実家の校区内の公立中学である。
たまにしか来たことはないが、これからは、ここが俺の家となる。新たな土地に移ってから、意識して喪男になるべく、気持ちを決めた。
髪の毛はあえて切らずに、伸ばしてボサボサ、目は元々悪かったからコンタクトレンズを使っていたけど、ここでの生活から眼鏡に変えた。
私服も派手目な物やお洒落な感じのものは引越しを機に棄てたし、昔の写真は全て捨てている。
新たな土地で、俺の人生の再スタートをするんだ!
そう誓って飛行機に乗り込んだ。
☆☆☆
なんてことだ。
昔のことなんて、あまり思い出さないようになったのも美鈴のおかげだろう。スマホの時計を見ると、午前二時過ぎ、もう全てを忘れないと、そう切に願い、そのままベッドに横になった。