市遊市予
サブタイトルって本当に難しい。って前も似たような事を書いた気がする。
入学式の翌日、オレたち一年生はテストを受けていた。何でも、オレたちの学力を確かめたいということらしい。
オレは腐っても大学を卒業したのだ。受ける前こそ果たしてどこまでできるだろうか、と不安を抱いていたが、実際テストを受けてみると中々覚えているものだ。シャーペンが止まらない、面白いように問題が解けてしまう。
翌日テストが返されたが、結果は五教科満点。中学でも高校でもこんな点数は取ったことはない。隣近所の連中の答案を盗み見しながら、一人優越感に浸っていた。
なんて事になったら良かったのだが、生憎そう上手い事はいかなかった。他は特に問題ない点数だったが、数学はひどいものだった。赤点という奴こそとっていないが、大学卒業した男がこの点数とあっては、中身が大人である身としては中々に恥ずかしい。
一人ため息をつく。この憂鬱は、少し前まで現役中学生だった連中には分からないものである。しかし、オレの事なのでこの憂鬱もすぐに晴れるだろう。
今日はテストの答え合わせで、明日明後日はレクリエーション、本格的な授業はその後になるようだ。考えてみれば、授業らしい授業を受けるのは、久しぶりだ。大学の時も当然授業は受けていたが、高校より良くも悪くも自由だった。
入学して日が浅くて緊張しているのか、授業中に騒ぐ猿は一匹も見つからなかった。大学やオレの田舎の高校には何匹かいたはずだが、それとも東京の高校という所は、生徒が皆真面目なのだろうか。
そういえば、学校という所には図書館があるはずだ。オレは本を読むことは好きな人間だ。気分を晴らすのも兼ねて、放課後にちょっと足を運んでみる事にした。確か図書館は二階にあったはずだ。
歩いている内に、廊下の掲示板が目に入った。何枚か掲示物が貼られていたが、別に面白そうなものはない。目を通していると、
「立木さん」
谷岡に声をかけられた。
「その掲示板には、学校新聞が貼られるの」
聞いてもいないのに、教えてくれる。しかし、学校新聞なるものはオレの地元の高校にはなかったので、読んでみるのは楽しそうではある。
図書館が見えてきたので、足を速める。その時、足を滑らせてしまった。床が顔に近づいてくる。少し前に頭を怪我したばかりなのに、今度は顔でも怪我するのだろうか。思わず目を閉じる。
いつまで経っても顔に痛みを感じない。どういうことかとゆっくり目を開ける。オレの身体は、誰かに支えられていた。
「空樹、さん……」
オレを助けてくれたのは、空樹だった。
「だ、大丈夫か?」
自己紹介の時の様なぶっきらぼうな口調だった。
「あ、あぁ。ありがとう……」
ふと、胸に違和感が。見ると、空樹の右手がオレの胸を掴んでいた。すぐに空樹も気付いたのか、慌てて胸から手を離す。
「あ、これは、いや、あ、あ、えっと……!」
空樹は顔を真っ赤にして狼狽えている。トマトでもこんなに真っ赤にはなるまい。
「す、すまない!」
勢いよくトマトは頭を下げる。オレは思わず吹き出す。オレはこれまで公園、病院、入学式と三度空樹を見た訳だが、いずれも空樹は無愛想というか、感情がなさそうな表情ばかりだった。そんな空樹が、こんな風に狼狽えているのが面白かった、というより人間らしい一面が見られて安心したのだ。
「いいよ、助けてくれてありがとう」
頭を上げるように空樹に言う。空樹はゆっくり頭を上げる。いつの間にかまた無愛想になっていた。
「病み上がりだろう? あまり無理をするものじゃあないぞ?」
そう言われると耳が痛い。気を付けます、と小さくオレも頭を下げる。
「そうだ。空樹さん、これから図書館に行くんだけど、一緒に行かない?」
物のついでだ。空樹を図書館に誘ってみた。まだ学校が始まって一週間も経っていないが、明らかに空樹はオレたちの教室では浮いている。虐めを受けている、という訳ではなさそうだ。空樹本人が人を近づけまいとしているのだ。恥ずかしながら告白するが、オレも高校の時にはつるむ者がおらず、一人でいる時があったのだ。今思うと、一時的とはいえ実に勿体なかったと思う。
それで、一人でいようとする空樹を放っておけなかった。
「あぁ、アタシも図書室に行こうとしていた所だ」
オレたちは、図書室の扉を開けた。といっても、図書室という場所は話をする場所ではない。一緒に入りはしたが、入り口でオレたちは分かれた。一人になってから、オレは図書室を一回りしてみた。
図書室としての質は、オレの地元の高校と大体同じだった。いや、やたらと漫画が置いてあっただけ、オレの地元の方がバリエーションという面では勝っているのだろうか。
一通り見て回ってから、オレは小説の本棚に向かう。小説を読むのが好きだが、特にジャンルに好き嫌いはない。その時の気分で読みたいジャンルを決める。そう言えば、最近歴史モノを読んでいなかった。久しぶりに手を出してみよう。
そう思って好きな作家の頭文字の行の本棚に向かうと、空樹と鉢合わせた。好きな作家のスペースを見つけ、その中から土方歳三の本に手を伸ばす。すると、空樹と手がぶつかった。
「あ、ごめん。私は良いから、空樹さん読みなよ」
「いや、アタシはその隣のが読みたかったんだ」
空樹が取ったのは、その隣の沖田総司の本だった。別にオレに譲ってくれた訳ではないようで、何でもないように本を取っていった。オレも本を手に取る。
オレは椅子に座ったが、空樹は本を手にカウンターへ向かった。
「あれ、読んで行かないのか?」
小さな声で、空樹に話しかける。
「今日は用があるんだ。四日市、って言って分かるかな?」
四日市。知らない訳がない。毎月巣鴨の地蔵通りで『4』の付く日に行われる市の事だ。尤も、その由来などは実は知らない。
オレも大学時代には、用のないときはいつもそこに行って昼飯を食べていた。会社勤めになってからは自由に動きにくくなったため殆ど行けなかったが、そうか、今日は市か。
「あぁ、何か通りでやってたなぁ」
エセ記憶喪失のオレは、知らない振りをする。
「アタシの家が通りの近くでさ。行ってみるか?」
記憶喪失という事になっているオレに、空樹なりに気を使ったのだろうか。突然の誘いに流石に少し驚いた。しかし、別に断る理由もなかったので、オレは空樹と共に通りへ向かう。通りは相変わらずの賑わいで、年寄りのみならず若者もチラホラ見られる。お好み焼きやこんにゃくなど色々な食べ物や雑貨の出店が並んでいる。
焼き鳥の出店が目に入った。長らく食べていなかったので、オレは引き寄せられるように出店に足を運ぶ。その近くで何やら署名運動をしている団体がいて、オレにも署名を求めてきた。新しいタバコの法律がどうとか言っていたが、オレには焼き鳥の方が大事だ。やんわりと断り、何本か焼き鳥を買った。
焼きたてを一口。噛み応えのある肉は、噛むごとに塩と肉の味が口に広がる。別に大酒飲みだった訳ではないが、これは酒が飲みたくなる。しかし、生憎オレは女子高生。とても酒など買えない。入れ替わった相手が女子高生であることに、がっかりする。
オレが焼き鳥をかじっている横で、空樹は年寄りと話していた。年寄りと話している時の空樹は良い笑顔で、とても教室で一人でいる少女と同一人物には見えなかった。やはり、人は笑顔でいる方が良い。ましてや空樹のような美人なら尚更のこと。その笑顔が、なぜか嬉しくなった。
「空樹さん」
空樹に焼き鳥を一本差し出す。
「良いもの教えてくれたお礼」
本当はもっと前から知っていたが、いい気分になり、つい気前の良い事をした。一瞬戸惑っていた空樹も、串を受け取ってくれた。
「美味しい」
一口かじり、オレにも良い笑顔を見せてくれた。ただ、ももではなくぼんじりの串をあげてしまったのは間違いだった。オレはぼんじりの方が好きなのに。しかし、今更返せという訳にもいくまい。
お返しのつもりか、ベビーカステラを一つ分けてくれた。釣り合わない気がするが、こういうものは心の問題だ。ありがたく口に放り込むと、優しい甘さが塩辛さと肉の味に満たされた口を包み込んでくれる。
それから一緒に市を巡り、空樹と別れた。一人で家路を歩きながら、今日の事を振り返る。なんだ、あの空樹って奴、いい奴じゃあないか。
考えてみると、巣鴨通りには何度も創作において助けられているような気がする。一度お礼参りに行った方が良いのでしょうか。
因みにサブタイトルは正しくは『一遊一予』であり、遊び楽しむという意味です。