君と私が見る夏は
九月なのに、夏回です。え、季節感考えろって? ……せっかく考えて途中まで書いてたのに、九月になったから出さない、なんてのはもったいなくて。
「あぁ……」
どうしてこう夏というのは暑いのだろう。このままだと、溶けてしまうのではないだろうか。比喩や何やではなく、本気でそう思ってしまう。
東京の夏と冬は、本当ならどうという事はない。オレの生まれた田舎町の方がよっぽど寒いし、夏はここより暑い。ニュースを見ると、別に今年は際立って暑い訳ではないようだ。それなのにこんなに暑く感じるのは、オレの身体ではなくなったからだろうか。桜の身体は、オレの身体より暑さ寒さに弱いようだ。こんな所で、入れ替わりの弊害が顔を出すとは。麦茶を流し込み、溜め息を一つ。
テレビでは、ホラー番組をやっている。この手の番組は好きではあるが、こんな午前中にホラーものの再放送なんてしても仕方がないと思う。まぁ、ネタがないのだろう。相手の苦労を思ってやろう。と文句を言いながらも、他に見るものがなくやる事もないのでそれを見ている。
恐ろしいものが写った映像を集めて、それを一つずつ放送する、というコーナーが始まった。その中で、廃病院に肝試しに来た若者数人が撮った映像という、いかにもといった映像が紹介された。
暗い病院内を、喋りながら歩き回る連中。連中が撮っているビデオなので、当然若者連中の顔は映らない。しかし、コイツ等の見た目が何となく想像できる。その時、一瞬画面に白いものが映った。今までなら、あれを霊や何やとまではいかなくとも今映ったのは何だろうか、と疑問が浮かんだ。しかし、どういう訳か『あれは霊ではない』と分かってしまった。どうせ何かの仕掛けだろう、と自分を納得させたのではない。あれは何だ、と疑問を持つ前に、いきなりその答えが頭を占めてしまった。
別に霊だとは思っていない。しかし、焼き肉を食べている横で屠殺の映像を見せられたり話を聞かされたりするようなもので、良い気分にならない事は間違いない。
なんだか、今放送している番組がつまらなくなってしまった。オレは、テレビの電源を切る。リモコンをテーブルに置き、トイレに向かった。
トイレから戻ると、仁奈がさっきのホラー番組を見ていた。大方、オレが怖くなったと思って嫌がらせのつもりで見ているのだろう。この番組を見てもつまらないが、ぼうっとするのもつまらない。それに、部屋にはクーラーなんてものはないので部屋に行ったところで暑いだけだ。
仁奈はオレを一度だけ見て、再びテレビに顔を戻した。オレが怖がってると思ってるな。怖くないものを怖がっていると思われるのは癪だ。しかも、自分よりも年下の小娘に。オレは、仁奈の少し後ろに腰を下ろす。
その内、霊感があると自称するタレントが、こんな事を言い出した。
「私、変な人を見たことがあるんです。ぼろい布を羽織った薄汚い身なりでした。一緒にいた友達に言っても、『そんな人どこにいるの?』って。これも、幽霊なんでしょうか?」
ふと、背中につめたいものが走った。いつもなら、アホか、と流せる。しかし、少し前にオレはあんな夢を見たのだ。不思議と流すことは出来なかった。夢に出たあの男も、同じ格好だった。
その時、オレの携帯が鳴る。画面を見ると、雪華からの電話だった。
「桜、明日の夜は暇か?」
今は夏休み、暇も暇だ。オレは、イエスを返す。
「その、な、夏祭りにでも行かないか?」
夏祭りか。誰かとそういうイベントに行くなんて久しぶりだ。雪華は巣鴨の夏祭りにオレと行きたいのだそうだ。
「良いな。行こう」
雪華からそんな誘いが来るとは思わなかった。オレが賛同すると、雪華は浴衣を着てくるように言ってきた。
「え、浴衣なんて、着れねぇや」
電話をしながら、頭をかく。と言うより、桜が浴衣を持っているかどうかすら分からない。
「それなら、巣鴨に浴衣の店がある。そこで買わないか?」
浴衣の事を雪華に話すと、そう返される。なるほど、確かに桜が持っているとしても、変に女の子然とした奴だと気恥ずかしくて着れたものではない。部屋を見るにその心配はなさそうだが。
一度電話を切り、母親に浴衣の事を聞いてみる。母親は押入れから幾つか箱を引っ張り出し、漁り始める。呑気なもので、鼻歌なんて歌っている。少し経ち、ようやく浴衣を引っ張り出す。
試しに着てみたが、少し窮屈だ。それに、些か子供っぽい気がする。どうにか女性服を着るのに抵抗がなくなっては来たが、こんなものを着て友達と会う気にはならない。オレは、雪華と浴衣を買いに行く事を話した。因みに着付けは母親にやってもらった。
「良いじゃない。そんな女の子らしい事を言うなんて、嬉しいわ」
女の子らしい事なのだろうか。しかし雪華の奴、随分本格的な事を言う。
その日の昼、昼飯の素麺をすすってから巣鴨地蔵前に向かった。自転車を止めると、
「桜」
名前を呼ばれる。雪華だ。考えてみれば、雪華の私服姿なんて初めて見た。私服と言っても、白いシャツとジーパンという色気のない格好だ。せっかく美人なのだから、もっとおしゃれという奴をすれば良いものを。尤も、オレも人のことは言えないが。
「随分色気のない服装だな」
雪華に笑われる。先手を打たれた。確かにズボンにTシャツというごく普通の格好だが、雪華に言われたくない。それに、雪華はともかくオレの中身は男なのだ。嬉々としてスカートを履いていたら、その方が恐ろしい。桜と入れ替わる前の自分が鏡の前で化粧をして、喜んでスカートを履くのを想像する。やはり恐ろしい。
「自分だって似たようなモノじゃあないか」
言ってやる。
「い、良いんだよ、アタシは! み、店に行くぞ!」
言い返せなくて困ったようで、慌てて歩き出す。
雪華に連れられて、ある店に入った。いかにも伝統というものがありそうな古い店構えだ。
「あら、雪華ちゃん。いらっしゃい」
出迎えたのは、六十歳ほどの婆さんだ。雪華の名前を知っているあたり、雪華の知り合いだろうか。聞いてみると、やはりそうらしい。何と、オレが雪華の友達という事で、まけてくれるらしい。計算してみると、母親からもらった金が結構浮く。残りは祭りの資金にしよう。
雪華がオレに勧めてくれたのは、薄紫の生地に白い桜の柄が施された浴衣だ。
「アンタの名前と同じ、桜の柄だ。アンタに似合わない訳がない」
雪華は笑顔でそう言ってくれた。何故だろう。興味がない事のはずなのに、こんなに嬉しいのは。一緒に選んでくれた帯は、濃い紫だった。
「あれ? 雪華は買わないの?」
オレが尋ねると、雪華は笑顔を見せる。
「アタシのはもう買ってある。明日見せてやる」
もったいぶる。しかし、それが同時に楽しみにもなる。さっきはあんな事を言ったが、雪華は洋服よりも和服が似合うタイプの顔立ちだ。そしてかなりの美人と言って良いだろう。尤も、身内贔屓か桜の方が雪華より美人だと思う。まぁ、これはオレの好みの問題もあるのかもしれないが。確かに、もったいぶるだけの女ではある。
「そう言えば桜、アンタ浴衣着れるのか?」
雪華がこんな事を聞いてきた。オレは、よそ見と沈黙で返す。着れる訳がない。こちとらそんな物を着た経験はないのだから。
「……最悪ネットで調べるよ」
呆れた顔で見る雪華に、オレはそう返した。
「ダメだ」
突然、少し強い口調で言う雪華。どうしたのだろうか。
「あ、イヤ、ネットだと、せ、正確とは限らないだろ? だ、だから、アタシが……」
雪華の奴、一人で勝手に赤くなっている。
「雪華ぁ?」
肩を叩いてみる。勢いよくオレに顔を向ける。我に返ったらしい。
「こ、こんな風に友達と、お、おしゃれして、どこか行くなんて、は、初めてだから、そ、その……」
これ以上は聞き取れなかった。
「は、初めてだからキチンとしたいんだ!」
そうかと思うと、いきなり大きな声を出す。幸い、オレたちの他に客はいなかった。しかし、店主の婆さんは少し驚いたらしい。
初めてだから、キチンとしたい、か。今は夏休みだ。夏休みは、学生時代の思い出を作る絶好の機会と言って良いだろう。小学校から大学まで行ったオレが言うのだから間違いない。
オレと過ごす時間を、その初めての思い出にしてくれるという事か。オレとの時間を、自分の人生を飾る華にしたい、という雪華の気持ちが良く伝わった。単純に浴衣でどこかへ行くだけではダメ、浴衣を選び、着るという下準備でさえ雪華は思い出にしたいのだ。
「そっか。じゃあ、教えてくれる?」
オレは、雪華に着付けをお願いすることにした。自信があるようだが、もし失敗してもそれはそれで良い思い出になるだろう。
「……うん」
トマトの様に真っ赤になって、小さく雪華は頷いた。そんなオレとトマトを、店主の婆さんはニコニコして見ていた。
店を出ようとすると、婆さんに呼び止められる。
「雪華ちゃんの事、よろしくね」
小さく頭を下げられる。
「あの子はねぇ、中学の時には友達がいなくって寂しそうにしてたよ。久しぶりだよ、あんな嬉しそうなあの子を見たのは」
雪華の何か重い過去を思わせる様なことを言う。あんな嬉しそうな、という事は、中学の頃の雪華はどんな少女だったのだろうか。
「はい、雪華は私の大事な友達です」
気になる事はあるが、オレは笑顔で頷く。すると婆さんは安心したらしい。球技大会の時に雪華に説得され、オレは柚菜や美音を守ることを決心した。しかし、守るのは二人だけではない。雪華だって、オレの友達だ。雪華の過去に何があったかは知らないが、過去の事でアイツが困っているなら守ってやる。それで変な奴らに因縁でもつけられたなら、一緒に戦ってやる。
「『桜と友達で良かった』って言わせてやります」
雪華がオレとの時間を思い出にするように、オレも今のこの時間、これからの時間を大切な思い出にする。雪華は、是非とも一緒に思い出を作りたいと思える奴だ。球技大会やその前日の練習を経て、オレはそう思った。
翌日、夕方になって雪華が来てくれるのが待ち遠しかった。こんな気分は、久しぶりだ。元社会人だろうが、オレの根っこは子供なのだろうか。
四時くらいに、家のチャイムが鳴る。
「はぁい」
玄関の戸を開けると、そこには雪華、ではなく宅配のお兄さんが立っていた。当然お兄さんは悪くないのだが、がっかりしてしまった。その態度が露骨だったようで、お兄さんは極まりが悪そうに頭をかいていた。
雪華が来たのは、その三十分後だ。
「いらっしゃい」
突然、母親の声が聞こえた。振り返ると、いつの間にか後ろに立っていた。
「お邪魔します」
ペコ、と頭を下げる雪華。右手には、紙袋を提げている。あそこに浴衣が入っているのだろうか。
オレの部屋で着替える事にした。幸い、仁奈はいない。オレの部屋には大きな鏡を持って来てある。多少面倒だったが、友達を部屋に呼ぶ、なんて事は久しぶりだからつい面倒をしたのだ。
さて、着替えよう。オレは、今着ている服を脱ぐ。脱いだところで、視線を感じる。雪華だった。
「どうした?」
声をかけられた雪華は、とっさに顔をそらす。
「べ、別に。デカい胸だと思っただけだ」
確かに、桜の胸は同年代と比べても大きいと思う。風呂で見たから分かるが、大きいばかりではなく形もしっかり整っている。
顔をそむけながら、雪華も服を脱ぎ始める。まずい。オレは、すぐに目をそらす。オレが本当に女子高生ならともかく、今のオレは女子高生の身体をいわば借りているだけだ。中身は成人男性なのだ。雪華を大事だと思うからこそ、こんな盗み見るような真似は出来ない。
「桜、目をそらしたら見えないだろう? アタシがやり方を見せるから」
そう言われて、やっと雪華を見る。許せ、雪華。やましい気持ちはない。なるほど、桜が羨ましくなっても仕方がない胸だ。これ以上は、言わないでおこう。お互い裸ではないのが、せめてもの救いか。
「……どうせ平らだ」
思っていたことがばれてしまった。女はそういう視線に敏感だというが、どうやら嘘ではないらしい。別にそんなに凝視したつもりはないのだが。
雪華はだいぶ慣れているのか、スルスルと浴衣に着替えてしまった。こんな風に流れるように着るのは、他の同い年の少女でも難しいのではないだろうか。
そんな雪華の浴衣は、黒い生地に白で数匹の蝶と一輪の花が施されているものだった。昨日雪華が選んでくれたオレの浴衣は、オレに桜の名前の花が似合わない訳がない、と言って選んでくれたものだ。雪華の浴衣にも、雪のように白い花、雪華の名前と同じ花が施されている。なるほど、確かによく似合っている。思わず見とれてしまった。
「綺麗だ」
思わず、漏れてしまった。雪華には、聞こえなかったらしい。
思えば、人に向かって綺麗なんて言ったことはあるだろうか。東京には色々な人間がいる。だから多くの人間とすれ違う。その中で美人とすれ違った事も一度や二度ではない。しかし、今の様に見とれてしまうような事、口から素直な感想が漏れるような事はなかった。やはり、雪華はオレの中で特別なのだろうか。
「着ないのか?」
雪華に急かされ、とりあえずやってみる事に。途中で何度も雪華に手を止められ、また口を挟まれどうにか着ることが出来た。しかし、性格の違いかどうも雪華の様に格好が良くない。所々乱れている。それに、鏡で見ると少し太って見える。
「ホラ、アタシが直してやる」
オレの後ろに立ち、浴衣のあっちを引っ張りこっちを直ししてくる。これでは、母親に甘える園児のようだ。一応年上のしかも男としては、中々に情けない。いや、こっちは女歴は一年も経っていない。だから恥ずかしくない。そう思ってごまかそうとした。
ダメだ。やはり恥ずかしい。情けない。
「ゆ、雪華。私一人でできるからさ、その、大丈夫だよ……」
そう言うと、
「生意気言うな」
軽く頭を叩かれる。そう言えば、こんな風に女子と近づく事なんて今まで人生であっただろうか。少し間が空いて、無いと無情な答えが出た。思えば、てんで異性との華やかな思い出がない人生を送ってきた。昨日は入れ替わりの弊害とか何とか言っていたが、オレはやはり男。こういう時は少女と入れ替わって良かったとつい思ってしまう。いくら自分が聖人君子ではないと分かっていても、そんな下衆な考えが浮かぶのは少しばかり情けない。
そんな事を考えていたが、身体はされるがまま、雪華に浴衣を直されていた。その内、髪を解かれる。雪華の細い指が、オレの髪を撫でる。髪と髪の隙間を通る。なんだかくすぐったい。
「これで良し」
再び軽く肩を叩かれる。鏡を見ると、可憐に薄紫の浴衣を着こなした美少女が立っていた。ポニーテールは変わらない。しかし、いつもの乱雑なのではない。
「見とれてるのか?」
雪華が笑いながら尋ねる。雪華は冗談のつもりで言ったのだろうが、実際見とれていた。この身体が本当の自分のものではないからこんな事が出来るのだろう。
「アンタは普段ガサツだからあんな風だけど、もっと髪を大事にしないといけないぞ。アンタほどの美人が、あれではもったいない」
なるほど、女のいう事だと説得力がある。髪は女の命という言葉もあったっけ。もう少し身だしなみというものを気を付ける事にしよう。
ただ、少し太って見えるのは変わらない。
「……何か太って見える」
オレが言うと、いきなり雪華がオレの胸を掴んできた。
「コレのせいだろうなぁ、コレの!」
痛い。雪華はどうやら怒っている。良し、もう分かった。雪華の前では胸の話はしないでおこう。もしかすると、今度はヤスリで削られるかもしれない。後で知ったが、胸が大きい女性が和服を着ると、太って見えるらしい。
少しして、ようやく落ち着いた雪華と家を出る。出ようとすると、
「ちょっと」
母親に呼び止められる。何だろうと思っていると、五千円札を握らせてきた。
「お小遣い」
そっと耳元で囁く。なるほど、仁奈に贔屓だと言われないようにか。
「楽しんどいで」
母親が、ウインクを見せる。
オレたちは二人、巣鴨通りに向かう。オレの家から歩いていける場所だ。やはり祭りと言うだけあって、人が多いというレベルではない。オレは元々こういう人混みと言うのが嫌いだ。だから、こんな所は頼まれたって一人では行かない。隣に雪華がいなければ、さっさと帰ってしまう所だ。
四日市でよく来る場所なので、ある程度勝手は知っているつもりだ。しかし、日中に行われる四日市と出店も装飾も、それにBGMも違うからか別世界に見えない事もない。
しばらく出店で食べ歩きを楽しんだ。オレは元々甘いものが好きだが、桜と入れ替わってからそれに拍車がかかったようだ。今、オレはチョコバナナを頬張っている。本当は綿あめも食べたかったのだが、包み紙の問題で買うに買えなかったのだ。
雪華はかき氷を買った。メロン味だ。緑色に、白が覆いかぶさっている。練乳だ。オレの実家にはかき氷機があった。夏はそれで氷をかいて、レモン、イチゴ、ブルーハワイ、メロンとありったけのシロップと練乳をぶっかけた奴をかきまぜ、風呂上りに食べていた。今考えると、よくあんな恐ろしいものを食べられたものだ。それも、若気の至りという奴だろうか。
つい懐かしくなってしまった。オレも買えば良いのだが、甘いものの後に甘いものを食べると旨味が薄れるので嫌なのだ。つい雪華のそれをじっと見つめてしまった。オレが昔家で食べていたのよりずっと綺麗な色だ。
「一口だけだぞ」
すると、雪華がスプーンをオレに近づけてきた。オレが食べたがってると思ったのだろうか。違うと一言言えば良いのだが、雪華の綺麗な眼、吸い込まれそうな黒い瞳を見ていると、断れなくなる。オレに気を遣ってくれたのを、無下にできなくなってしまう。
「どうした?」
何だか、年甲斐もなく急に恥ずかしくなってしまった。昨日雪華をトマトと言ったが、これではオレがトマトになってしまう。
「桜?」
こうなれば、ヤケだ。オレは、勢いよくスプーンに顔を近づける。そして、一口を頂いてやった。その勢いに、雪華も流石に驚いたようだ。
オレ一人トマトになるのは癪だ。雪華もなれば良い。オレは、
「お返し!」
雪華の口にドングリ飴を放り込む。というより、唇に押し付けるといった方が良いか。お気に入りのコーラ味が、雪華の口の中に落ちていった。いきなり口に広がったコーラ味に、再び驚かされたらしい。
「桜、いきなり入れる事はないだろ!」
器用に左頬に飴を持っていき、オレに詰め寄る。
「言ったろう? お返しだよ」
メロン味のお返しと、『あーん』のお返しだ。しかし、前者はともかく後者は伝わらなかったようだ。尤も、オレが『あーん』なんてやる柄ではないから、オレなりの『あーん』だ。
一通り見て回ったので、疲れてしまった。丁度雪華も疲れたらしく、二人でベンチに座る。飾られた小さな提灯や街灯に、雪華の浴衣の蝶が照らされる。黒い浴衣に、白い蝶と華が映える。
その時、少し風が吹いた。雪華の白い脚が見えた。少し前に読んだ本に、的礫という言葉が書かれていた。使い方が違うかもしれないが、雪華の白い脚はその言葉を思い出させるに相応しく綺麗だった。浴衣を彩る蝶が、風で舞う。雪華の白い脚が月に見え、月に照らされた蝶が夜空を舞っているようで何とも幻想的に見えた。
「……そう人の脚をジロジロ見るな」
手刀で軽く頭を叩かれる。別にやましい気持ちで見ていた訳ではないのだ。……だと思う。オレは、さっき思ったことを正直に話す。
「雪華、綺麗だ」
言ってしまった。口から漏らしてから、なんとも気っ恥ずかしい台詞をほざいたものだと思う。オレがそんな台詞を吐く柄か。顔が熱くなる。昨日雪華をトマトと言ったが、どうやらオレもトマトになっているらしい。顔の熱から、赤くなっているのが分かる。
トマトになったのは、オレばかりではない。雪華も顔を真っ赤にしている。
「い、いや、アタ、アタシが、き、綺麗なんて……」
手を振り首を振り、学校での空樹雪華しか知らない人間が見たら、同一人物とは信じてくれないだろう。
「さ、さ、さ、桜だって、そ、その、きれ、きれ、あ、いや、えっと……」
目の前の雪華に、まともに言葉が話せるとは思えない。助け舟を出してやる。親切心ばかりではない。何というか、こうして狼狽える雪華が可愛くなった。つい、からかいたくなった。この先を言ってやったら、どんな反応をするのだろう。気になってしまった。
「綺麗? ありがとう」
とどめを刺してしまったらしい。雪華はもう何も喋れなくなってしまった。両手で顔を一度小さく押さえて頷いた。それっきり、動かなくなってしまった。
巣鴨通りに昼の四日市の姿と夜の夏祭りの姿があるように、雪華にもいくつかの姿がある。学校での他の連中からしたらとっつき辛い雪華と、こんな風にトマトになって狼狽える可愛い雪華。
新しい雪華の一面を知った。これだけでも、夏祭りに来た甲斐があるというものだ。
「ありがとな、雪華」
聞こえているかは分からないが、雪華の肩に手を置き礼を言う。今日の祭りに誘ってくれた事、浴衣を着せてくれた事、綺麗だと言ってくれた事、新しい顔を見せてくれた事。
「それでは皆さぁん、今から盆踊りを始めまぁす」
その時、なんとも空気の読めないというか、オレ達二人のこの空気には場違いな素っ頓狂なアナウンスが響いた。盆踊りか。確か保育園のお遊戯で踊った以来ではないだろうか。あの時は園児向けの曲を保育士が選んでいたが、ここではもっと本格的な曲が流れるのだろうか。
確か、盆踊りの由来は決して明るいと言えるものではなかったと、前に読んだ本に書いてあったような気がする。しかし、そんな事はどうでも良い。今はただ、雪華と一緒にこの時間を楽しみたい。二人で楽しめるなら、何だって構わない。
「雪華、行こう」
ようやくトマトから人間に戻った雪華に、手を伸ばす。
「せっかく雪華が誘ってくれたイベントだ、最後まで楽しもうぜ!」
また素の口調で喋ってしまった。しかし、雪華は特にそこについては気にしないようだ。
「あぁ、踊ろう」
笑顔でオレの手を取る。そして、オレたちは人混みの中に溶け込んでいった。
こんなに書いたのは初めてかもしれない。




