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ソウセキ2017  作者: 多田野 水鏡
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氷の虎は英雄なのか?

初めまして。こういう所に投稿するのは初めてです。多くの方に読んでいただけたら幸いです。

  オレはつくづく馬鹿な人間だ。公園のベンチに座りながら、一つため息をつく。三月の終わりを告げる風は冷たく、オレの愚行を蔑んでいる様だった。

 そんな寒い中で、ジャージ姿でランニングをしている一人の少女が目に留まった。何か細い布の袋を背負っており、少し走ると少女は立ち止まった。これは後で知ったことだが、あの袋は普通に竹刀袋と呼べばいいようだ。

 少女は背中の細い袋から竹刀を取り出し、それで素振りを始めた。ひゅ、と振り下ろすごとに良い音が聞こえる。オレは剣道などやったことは無いのであまり偉そうなことは言えないが、中々きれいな型だったと思う。つい少しの間見入ってしまった。

 しかし、何もこんな所で素振りをする必要もなさそうなものだ。もう少し人目の少ない所でやればいいものを。 

 ふと顔を横に向けてみると、主婦らしき女が二人、こっちを見てひそひそ何かを言っている。まぁ、スーツ姿の良い年の男がこんな時間に公園のベンチに座って少女を眺めていれば、そんな反応をされても仕方がない。小さな笑い声が漏れる。

 オレも好きでこんな所でため息をついているわけではない。うざったかった上司を殴って逃げてきたのだ。

 なるほど確かにあの上司のやった事は法に触れはしなかった。しかし、法に触れない範囲で上司にあるまじきことは散々やってきた。あんな連中のやり口は十分わかっているつもりだ。アイツ等は掟の網目をかいくぐり、しかも上手い事逃げ口を作っていざ咎められたら堂々として逃げ口を坦々と述べるのだ。オレ自身昔よくその手で逆に悪者扱いされた人間なので、そういう連中に対して人一倍怒りを覚えるのだ。

 冷静に対処すれば、もしかしたら然るべき方法で裁くことが出来たかもしれない。しかし、オレはその時の気分で行動してしまうという悪い癖がある。社会人になった事で、少しは踏みとどまるという事が出来るようになったと思ったのだが。オレはやはり、成長できない馬鹿なのだ。

 今までは自分は社会人になった、子供の喧嘩とはわけが違う、と何とかギリギリで怒りを抑えてきたが、今日とうとう我慢できなくなったのだ。その結果、オレは上司を殴って会社を辞めてきたのだ。尤も、辞めてやる、と怒鳴って会社を出ただけなので、辞めてきたというより逃げてきた、といった方が正しいだろう。

 まさかこんな事になるなんて、オレの就職先が決まった事を喜び、笑顔で送ってくれたバイト先の店長たちにも申し訳ない。

 再びため息をついたところで、漸く鞄を会社に忘れてきたことを思い出した。あの中に財布やら音楽プレイヤーやらが入っているのだ、会社なんかに置いていく訳にはいかない。

 戻りたくない。上司に申し訳ないとは、微塵も思わない。しかし、あんな啖呵を切っておいて、鞄を忘れたので取りに戻りました、なんて極まりが悪い。

「いやだなぁ」

 わざわざ口に出し、三度目の溜息と共にベンチから立ち上がる。


 オレがさっきまでいた公園と会社までの距離はそんなに遠くない。歩いて十分ほどだろう。

 交差点に差し掛かる。青信号が点滅している。いつもならこういう時は癖で走ってしまうのだが、今日ばかりは足が動いてくれなかった。

 信号が赤になったので、オレも足を止める。そして本日何度目になるか分からないため息をつく。いっそあの信号がずっと赤のままで、会社に行けなくなってしまえばどれだけ楽か。

 ふと足元を見ると、蟻が歩いていた。蟻にでも生まれていれば、こんな苦労をすることは無かっただろう。尤も、蟻に生まれたらまた別の苦労をしないといけないのだろうが。

 頭を上げる。見ると、公園の剣道娘と同じ位の少女が一人向こうから横断歩道を歩いてきている。まだ青にはなっていないが、下を見ているのでどうやら気付いていないのだろう。

 車が近づいてきている。少女は、顔を上げてようやく気付く。放っておけば、彼女はアレに轢かれて死ぬのだろう。

 気が付くと、オレは走っていた。


 全く、ついさっき後先考えずに動いたばかりに今後どうしたものかと悩んだばかりだというのに、またやってしまった。何だって見ず知らずの人間のために。

 オレの向こう見ずは最後まで治らなかったようだ。しかし思ったほど痛みを感じない。だんだん意識が遠のいていく。苦しまないで死ねるだけありがたいのだろうか。

『会社の上司を殴って、その後車に轢かれて死にました』と親が聞いたら、どんな顔をするだろう。まぁ、褒められることはないだろう。

 意識がなくなる間際、しまった、と男の声が聞こえた気がした。しまった、じゃあないだろう。こっちはお前のせいで死ぬところだというのに。起き上がって何か言ってやりたいが、もうその元気も残っていない。

  全く、下らない人生だった。


  真っ暗な世界が広がっている。誰かの泣き声が聞こえる。頭が痛い。

  真っ暗なのはオレが目を閉じているからと気付く。なんだ、オレは生きていたのか。これは運が良かったのか悪かったのか。或いは死んでいた方が楽だったのではないか、と気が少し重くなる。

  口から呻き声が漏れた。このまま目を閉じていたかったが、そういう訳にもいかないだろう。ゆっくり目を開ける。

  清潔感のある白い天井が、真っ先に目に入った。

  体を起こすと、誰かがオレに抱きついてきた。お袋かと思ったが、どうやら違うらしい。確かに同じ細身の中年女ではあるが、お袋より少し若く見える。

  これはどうした事か。お袋の顔が変わった話は聞いてない。そんなにお袋の事は好きではないが、それでも親の顔を見間違える事はない。

  無意識に頬を掻く。そこでまた違和感を覚える。はて、オレの肌はこんなにスベスベだっただろうか。ヒゲの剃り残しの、あのヤスリみたいなザラザラした感じがない。

  というより、車に轢かれたにしてはえらく怪我が少ない。骨の一本折れていて良いものだが、両手は普通に動く。足にもギブスの様なものは見られない。

  どういう事か、と両手を見るとまた違和感が。オレの手はこんなに細く、綺麗だっただろうか。

  そういえば、なんでオレが今着ている病院服は薄いピンク色なんだろう。これは女物ではないか。それともこの病院では、男女共にピンク色なんだろうか。

「桜、良かったぁ……」

  中年女が何か言っている。さて、桜とは誰だろう。その名前に心当たりはない。

「桜って、誰?」

  オレの口から漏れた言葉を聞いた中年女が、世界の終わりでも来たかの様な顔をする。

  てんで分からない。中年女の他にも何人かベッドの横に立っていた。スーツを着た初老の男、私服の細身の中年男。白衣の男は医者だろう。その中にオレが知っている顔はなかった。

オレの親は来ていないらしい。中々薄情だと思ったが、東京とオレの実家は結構離れている。まだ着いていないだけだ、と気付いた。

  枕元の白い台に、小さな鏡が置いてあるのが目に入った。

  この違和感の正体が分かれば、と鏡を手に取る。恐怖より焦りがオレの心を占める。

  鏡には、確かに顔が映っていた。しかし、それはオレの顔ではない。そこには女の、オレが助けようとした少女の顔があった。

  自分が自分ではなくなった。それに気づいた時、オレは何をしたのだろうか。叫んだのか、呆然としたのか。

  その時のことは覚えていない。

タイトルの2017は2017年の意味なのですが、その2017年がもうじき終わりそう……。


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