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第三章 再び悪夢の中へ

  第三章 再び悪夢の中へ



 庚は台所に向かうと、リクエストのあったベーコンエッグを作る。

 付け合わせはレタスサラダ。

 卵スープとバターロールを準備する。

 この光景に、法人は目を輝かせていた。

 曰く、法人の家庭では洋食が朝食になることはないという。

 毎日、ご飯と味噌汁の生活だそうだ。

 修学旅行と友人宅に行ったとき以外、経験はないとのこと。

 ホカホカのバターロールが目の前に並べられた時、その嬉しそうな顔といったら……。

 庚は思わず吹き出しそうになっていた。

 それを見とがめて、法人が一言。

「何だよ?」

「いいえ、何でもありません」

 そう言って、庚は食卓に食事を並べた。

 そして……。

「いっただっきまーす」

「いただきます」

 これまた夕食時と変わらない風景が、繰り広げられていた。


 朝食を食べ終わり、食器を片付けた後……。

 二人は落ち着き、お茶の時間となった。

 その間、庚は、法人の目を通して自分の身に起こったことを、客観的に聞いていた。

「まって、もう一度聞くわ。そのあやかしのもやは、私に対して何と言ったって?」

 確認のため問いただした。

「こう言っていたな。『我の歓喜を、狂気を味わうがよいわ』、そして『我の苦しみと絶望を体験してみるがよい』ってな」

 庚は無言で口に手を当て、考え込んでいた。

「その後、こうも言っていたな。『この娘の心は誠に純粋。最高の贄じゃ。今までの夫人では飽き飽きしていたところ。心踊るではないか。この娘の心が黒く染まるさまをじっくりと味合わせてもらわねばのう。最高の美味じゃて』。間違っていなければ、こうだ」

 法人の記憶力は正しかった。

「私が夢で感化されることを楽しみにしているってこと?」

「そうだろうな」

 法人はずずっとお茶をすすりながらすまして言った。

 それを聞き、庚はすっと席を立った。

「おい、どこへ……」

「ちょっと確認するだけ」

 そう言って向かった先は、電話口だった。


「清子さんの具合はいかがでしょう」

 電話の相手は落ち着いた声で言った。

「あれから夢を見ず、落ち着いております。顔色もよくなりましたし……」

 その声を聞いて、庚は安心をした。

「分かりました。検証はこちらでこの後も続行いたしますので……」

「分かりました、引き続きよろしくお願いします」

 そう相手が言ったのを聞いて、庚は電話の受話器を置いた。

 電話先の相手は、今回の依頼人、近藤保氏だった。

 近藤家のその後の様子を聞いていたのである。

 電話の内容、そして法人の話からすると、黒いもやはターゲットを清子夫人から自分に変更してくれたらしい。清子氏から目が離れた訳だ。

 ということは、自分を餌に、やりたいことをやりたい放題と言う訳だ。

 ――なるほど

 ニヤッと笑うと、庚は法人の待つ居間へと行った。

 ……この時の庚の顔を見たら、法人は冷や汗をかいていたかもしれない。

 それほど、壮絶な笑顔だった。


「法人、買い物に行かない?」

「買い物?」

「食材の調達よ」

 冷蔵庫の中を見て、庚がそう言った。

「買い出し、してないのか?」

 その法人の疑問に対し、

「誰かさんの食い扶持がかさんだので、これでは足りないわね。……リクエスト聞くわ。だから、荷物持ちして頂戴」

 庚の中では、物持ちは法人と決定している。

「……了解」

 法人は、降参というように、両手を広げた。

 確かに、前触れもなく、この響谷家に乱入? したわけだ。

 食料も無くなるだろう。

 自分は、育ち盛り? ……を、少し? 過ぎているが、庚と比べたら自分は確実に食事を多く取る方で……。

 文句は言えない。

 ご馳走になっている身だ。

 こうして二人は買い出しに行くことが決定した。


「あら、庚ちゃんじゃないの」

 スーパーでそう声をかけてきた人がいた。

「あら、佐藤のおば様」

 庚はにっこりと笑い返す。

 その表情を見て、冷や汗をかく人が約一名。

 ――思いっきり、猫被りじゃないか。

 法人は引き攣り笑いをしていた。

 店の骨董品たちも、この笑顔を見たら同じ意見を言ったであろう。

「庚ちゃんの彼氏? いい男じゃない?」

 佐藤のおば様と呼ばれた女性は、法人を見てそう言った。

「あら~、褒めすぎですってば。残念ながら彼氏じゃありませんよ。父の友人で、墓前に手を合わせに来てくれたんです」

 庚はにこにこと愛想笑いをして、言葉を受け流す。

「そうなの~? いい雰囲気に見えたから、そうなのかと思って~」

「またまた~」

 これは寒い、めちゃくちゃ寒い。

 そんな会話が続く。

 法人は逃げ出したい思いに駆られた。

 買い物かごを持って、気付かない程度に横にずれていった。

 が、それを許す庚ではない。

「時々遊びに来ると思うので、その時はよろしくお願いします」

 庚は、抜き足差し足で逃げようとする法人の首根っこをつかんで引き留め、法人と二人そろって頭を下げた。

「よろしくおねがいします」


「ちょっと、逃げるとはどういうわけ?」

 庚は法人にそう言っていた。

「逃げるって……。お前が凄く怖い会話をしていたからじゃないか」

 その言葉に、庚は反論する。

「普通の近所付き合いじゃない。なぜ逃げる必要があるの?」

「……随分猫被った対応するんだな、お前」

 法人は思ったことを正直に述べた。

「あれくらい、挨拶のうちでしょ。猫被ったうちにも入らないわ」

 法人は引き攣った。

 あれのどこが、猫を被っていないって?

「お前、猫被りの上にさらに猫被ってるぞ。背負ってて重くないか?」

「何それ~!」

 喧々囂々と言い合う。

 普段静かなスーパーが、ある一部では賑やかになっていた。


 重いものを大量買い出しし、法人にそれを持たせ、快適気分で庚は帰宅した。

 法人はぜーぜー息を切っている。

「庚、米は今買わなくてもよかったんじゃないか?」

 十キロのコメを持たせられ、恨めしそうに庚に言っていた。

「あら、大盛りで白米を食べるのはどなたでしたっけ? 昨日も大盛り、今日も大盛り、これからも大盛りなのよね。この分じゃ、今週末には米無くなっちゃうのよ」

「……」

 法人はそれに対して何も言えなかった。が、別の面では文句を言いたい。

「キャベツに白菜、ブロッコリーにカリフラワー、牛乳二本に豚ひき肉、鶏もも肉、フランスパン、冷凍食品、ウインナー、ジャガイモに玉ねぎ、長ネギに角ベーコン、缶詰まで買いやがって。全く。かさ張るし重たいのなんのって」

 げっそりして言った。

「あら、ロールキャベツが食べたい、水炊き鍋がしたいって言ったのはどなたですっけ? その食材を買ったのですが? それに常備食材も足りなくなりそうで、野菜も買い足したし、冷凍食品にも頼ったのだけれど?」

 庚は、暗に、法人のリクエストのせいだと言いたい。

「……はいはい、俺が悪ぅございました。……で、これどこに置けばいい?」

「ああ、テーブルの上に置いて」

 法人は買い出し商品をテーブルの上に置いた。

 庚は商品をスーパーの袋から出すと、冷蔵庫にしまってゆく。

「作った分だけ食べてくれる人がいるから、作り甲斐があるのよね」

 庚が言ったその言葉は、法人には届かなかったらしい。

「あ? 何か言ったか?」

「ううん、何でもない」

 そういうと、ごそごそと冷蔵庫の整理を始めた。


「ねえ、法人」

 庚はロールキャベツの下ごしらえをしながら言った。

「私、今日もトライしてみたいと思うの」

 その言葉に、法人は渋い顔をした。

「昨日の今日だぞ。少し時間をおいた方がいいのではないか」

 庚のメンタルの部分も気にしての答えだった。

「昨日の今日だからこそ、見えてくるものがあると思うの。それに鏡の怪は私をターゲットにしている。店の結界があるから、本宅にいる限り、おいそれとは手を出してくることは考えにくいけど……。最悪の場合、店の結界破って、今日も同じようなこと、何もしなくても、多分されるのよね?」

 庚はロールキャベツを作っていた腕を止め、法人に向き合った。

「相手は、私を屈服させたいと思っている。そして、そうなった後、魂を食らいたいともね」

 法人は無言だった。

「なら、体力があるうち、相手に立ち向かう気力かあるうちに正面から向き合ってみるべきだと思うの。相手は強いわ。後になればなるほど気力がそがれていく。その時では遅いのよ。今、この時に、対するべきだと思う」

 法人は術を扱う法師として庚を見た。庚はその視線に真っ向から受け止めた。それを見て、法人は甘いなと思いつつも、庚の判断を了承した。

「ならば、俺も引き受けるまでだ」

 術者の視線でそう答えていた。

「……ありがとう」 

 庚はそう素直に回答していた。


 昼食の中華丼(これも大盛り)を平らげてから、法人は自分の法具の手入れを始めた。

 昨日も手入れをしていたので、特にしなくてもいいかと思われていたが、精神統一にもなると、法人は黙々と手を動かしていた。

 独鈷に結界針に、万が一使用することになった場合のお札と木端神の木彫り。

 庚は今日、昨日よりも深い場所に探りを入れるとのこと。

 危険が増すのは目に見えていた。

 それを見守り、そしていざという時、守るのは自分の役目。そう信じていた。

 ――それでいいんだよな、親父さん

 今は亡き、庚の父親にそう問いかける。

 自分の枕元に立った庚の親父さん。

 いったいどのような思いを自分に告げようとしたのか……。

 法人はしばらくもの思いに耽っていた。

 そんな時、庚の声が響いた。

「法人、三時のお茶、どうする? 頂いたカステラあるのだけれど」

「いやっほーい」

 法人は歓声を挙げて居間へと向かった。


 あんぐりと口を開けて、カステラをパクパク頬張る法人を見て、庚は驚きを含めた息を吐いた。

「よく入るわね。それで夕食、食べられるの? ご注文のあったロールキャベツよ? 法人の分は巨大にして作っているんだけど……」

「本当か? ラッキー! 楽しみだぜ」

「だから、そんなにカステラ食べて、夕食食べられるの?」

「これは別腹」

「それって、女性が言う台詞じゃないの?」

 そう言いながらも、庚もカステラを口にしていた。

 だが、法人のようには頬張れない。

 一口サイズに切って、口に運んでいた。

「この長崎カステラのザラメがいいねぇ。美味いんだよな」

 女性が言う解釈のようだ。

「いや~、こうしてうまいもの食べれるって、幸せだぜ」

 にんまり笑って口にカステラを運ぶ姿を見ると、何も言えなくなる。

「はいはい」

 お茶をしながら、庚はロールキャベツの状態を台所で確認する。

 その姿を見ながら、パクパクとカステラを食べながらも会話をする法人。

 庚は呆れながら、言葉を流すように聞き入っていた。


 そして、夕食時……。

「法人、夕食のロールキャベツ出来たわよ」

 その声に

「うっしゃ-!」

 再び手入れをしていた法具をその場に置いて、法人は食卓に急いだ。


 庚は料理が上手い。

 えーっ、とか、面倒、とか言いながらも作れるところは流石だ。

 今日も大きなキャベツの葉を剥いて、ひき肉を詰めて巻き付けるのを見ている。

 近頃だと、冷凍のロールキャベツも売っているだろうに、そちらには目もくれず、手作りしてくれた。

 他の具材は、玉ねぎに、ウインナーにジャガイモ、ブロッコリーに角ベーコン。

 具がそれぞれ大きく切られており、食べ応えがある。

 食べやすくなるまで煮込むなど、手間と時間がかかっただろうが、そんな面は何一つ出さない。

 それが『庚』だった。

 あっさりとしたコンソメスープが食欲をそそる。

 これを口にし一言。

「うんめえ」

 この言葉が口から出ていた。

 それに対し、庚は思わず噴き出した。

「ちょっと、それしか言えないの?」

「『うんめえ』のは『うんめえ』の。他に理由はあるか?」

「……ありません」

「庚、済まんが、白米おかわり」

「はいはい」

 茶碗を受け取って、ご飯を盛る。

 こうして夕食の時間は穏やかに過ぎて言った。


 昨日と同じく、交代で入浴を済ませた二人は、それぞれの準備にかかった。

 庚は、自室に戻り、衣装棚の上から衣装箱を取り出し、蓋を開けると、白い装束を出した。

 これは術者として本格的に技を繰り出すときに使う、白い着物と袴の衣装であった。

 祖母が存命であった頃、いずれ大きくなった庚が使うものだからと、仕立ててくれたものである。

 特に丈などは直していないが、ちょうど良い大きさだった。

 それを静かに着付けていく。

 いろいろな思い出が、頭の中を通り過ぎていった。

「なあ、庚」

「なあに? お父さん」

 確かこの同じ装束に身を固めた父が言った言葉だ。

「『夢渡り』って覚えているか?」

「ええっと、夢を使って相手のことを知る技のことでしょう?」

 父の榊は、小さな庚を抱き上げた。

「そうだ。お前は『夢渡り』の素質がある。だから気を付けなければならないよ」

 榊は、小さな庚と同じ目線で話しかけていた。

「気を付けるって、何に?」

「『夢渡り』は状況にもよるが、場合によっては相手の気持ちに乗っ取られて相手そのものになってしまう。それは知っているね?」

「うん」

「だから、相手の気持ちに飲み込まれないよう、自分をしっかり持つことが大切なんだ」

「自分?」

「そうだ」

 庚は、父親の目を見て言った。

「それ、よくわからない」

「まだ庚には難しいだろうな。もっと大人になったらわかる。だから、この言葉だけ、覚えておきなさい」

「はい」

 そうして親子の会話はそれで終わった。

 懐かしい、記憶だった。

「庚?」

 昔のことに気を取られていた庚に声がかかった。

 部屋の外からの声だ。

「庚? いるのか? 戸開けるぞ」

「いいわよ、どうぞ」

 庚はそう返答した。

 ギイッと法人は庚の部屋の戸を開けた。

 そこで一瞬息を飲む。

 白い装束を身に着けた庚が、まっすぐ自分の方を向いていたからだ。

 庚の澄んだ眼を見つめ返し、法人は自然とこう呟いていた。

「庚」

「何?」

 庚は次の言葉を待った。

「庚、あのな……」

「だから、何?」

 次の言葉を促すが、なかなか返ってこない。

 庚が痺れを切らして言葉を発しようとしたとき、法人は思いがけない行動に出た。

 ――庚を抱きしめたのである

「迷ってもいい。悩んでもいい。……だが、帰ってくるのはこの場所だ。いいか、忘れるなよ。お前の帰る場所は、ここだ。……明日の夜は、二人で水炊き鍋するんだからな」

 その言葉に、庚はくすりと笑った。

 そして自然にこう言葉を返していた。

「はい」


 法人を先頭に店の中に入ると、庚は店と自宅を仕切る扉に手を置く。

 そして呪文を唱えると、指で封印の呪を書いた。

 これで店の中が、外部と切り離された状態となった。

 すでにベッドの状態にしていたソファに近づくと腰を掛け、隣のテーブルに手を伸ばした。

 そこには、今回の現象の元凶である鏡が箱の中に入れてあった。

 その箱から鏡を取り出した。

 再度確認する。

 やはり鏡に映し出されているのは自分のみ。

 庚の後ろに立っていた法人と背景は映っていなかった。

 静かに鏡を箱の上に置いた。

 そして、夢渡りの際に使う香をテーブルの上で焚き、ソファベッドで精神統一した。

 法人は少し離れた場所に胡坐をかき、手元には独鈷、結界針、木端神の木彫り等を置いて、万が一のことに備えた。

 そして結界を張る。これで妖からは自分が見えない状態になる。

 法人は庚を見て、静かに頷いた。

 それを見て、庚はソファベッドに横になりながら、呪文を唱えてゆく。

 再び悪夢の中へ、足を踏み込んだ。

 その声はだんだん、小さく、小さくなってゆく。

 そして声が聞こえなくなった時、ふわりと香の白煙が宙に舞った。

 これで、庚側の準備は整ったわけだ。

 あとは、相手の出方を見るばかりである。

 その場を、沈黙しながら、法人は見守っていた。


 暫くすると……

 鏡から、昨日見た黒いもやのようなものが出てきた。

 それは同じく、人の形を取りつつあった。

 そして……。

 庚を見ると、ニイッと笑い、体を近づけてゆく。

 庚の顔を覗き込み、庚の額に指を触れた瞬間――

 ふわり

 庚の焚いた香の白い煙が、黒いもやを周りを螺旋状に抑え込み始めた。

「何じゃ、何じゃというのだ、これは」

 黒いもやの妖は、焦り始めていた。

 そして、もや全体を香の煙が包み込んだ時……

「ひいいいい!」

 鋭い悲鳴が、店の中に響き渡っていた。

 

 ――庚の夢渡りの始まりであった。




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