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町は不穏

 ヒューの見込み通りに日が暮れる頃には遠目にヤキスの町並みを見ることができた。その頃には彼らも街道にまで出ており、辺りには家屋や田畑が広がるようになっており、ポツポツとだが人ともすれ違うようになっていた。そのことに気付いたヒューは荷物から大きめの帽子を取り出してイリに差し出した。


「おい、これを」


 言い終わる前にイリはそれを即座に奪い取った。


「まあ、ありがとうございます! 家宝にいたしますわ!」


 そう言って自分のカバンの中にしまい込もうとするのをヒューが止めた。


「違う、かぶってろ!」


 それはカヨートである証の彼女の赤い瞳を隠すための物だ。遠目では分からないものの、それを見られると大きな騒ぎになることだろう。


「そう言いましてもヒュー様からの初めての贈り物ですのに……できるだけ新鮮なまま持ち帰りたいのですが」


「文句を言うならこのまま目を瞑って歩いてもらう」


「目を瞑って……ですか?」


「ああ」


 ヒューが厳しい顔で頷く。


「そのまま私がヒュー様の言いつけを破れないことをいいことに暗がりに連れ込んで……ああ、そんな回りくどいことをされずとも私はいつでも求められたら応える所存ですのに……もしやそういった趣向がお好みで……気付きませんでしたわ、私一生の不覚でございます……」


 ヒューは何も言わずにイリから帽子を奪い返して彼女に深々と被せた。


「さっさと行くぞ」


「無視されるのが一番堪えます……」


 すたすたと足早に歩くヒューを追ってイリがとぼとぼと歩き始めた。


「た、大変似合ってますよ、イリさん」


「ありがとうございます……」


 彼女なりの励ましであったが、それでイリの元気が元に戻るという訳でもない。どうしようもなくなってセレも力なく歩くイリの後を追いかけて歩き始める。


 ヤキスは大陸中央にある都市であるが故に直接的な戦火に巻き込まれることはなかったものの、戦争のために課せられた重税は市民らの生活を圧迫するには十分であり、大きく声を大にする者はいなかったが戦争が終わって胸をなで下ろしていた者が大半だった。だがサビロアが講和条約において要求した賠償金のためという名目で相変わらず税は搾り取られ、生活が元に戻ることはなかった。それ故に国民は皆敗北の要因となったカヨートを憎んでいる。


 ヒューらがヤキスの市街地に辿り着いた時も、天気は晴朗であるのにどこかどよんとした雰囲気が漂っていた。その要因となるのは多くの市民が生気のない目であたりをふらついていたからだろう。重税により職を失った者やまともに生活を送ることができなくなった者達だろう。陰鬱とした気分に気圧されながら、町に辿り着いたヒューが足を止めた。


「さて、君の目的地に着いたようだが?」


 そう言われてセレははっとした顔になる。ヒューとしては至極当然の質問であるように思えた。ただ何も言わなければこのまま彼女が付いて来そうなほどに自然に連れ合って歩いていた。


「あ、そ、そうでしたね!」


 何故か急に慌て出すセレに対してヒューとイリは顔を見合わせて首を傾げた。


「ここを目指していたんだろう?」


「そ、そうですよ? あはは……」


 取り繕うような笑いはカラカラに乾いており、二人を余計に戸惑わせた。そしてセレは何かを思いついたように顔を明るくしてみせた。


「そうだ、あの、もしよろしければお二人がここを発たれるまでご一緒にいさせて頂けませんか? せっかくこうして出会えたのに、このままでは少し名残惜しくありませんか?」


「しかし……」


 ヒューはあまり乗り気でないようだ。それは彼が追われる身であるがため、彼女をそれに巻き込みたくないのだ。


「大丈夫ですよ。こんな町中で襲われることもないでしょうし、どのみち一泊くらいはされていくつもりだったんじゃないですか?」


「確かにそうだが……」


「あ、ここの宿代を私が持ちましょう、お二人はまだ先が長いようですし……いかがでしょう?」


 何を言われようとも即座に否定しようとしたヒューが考え込んでしまうほどに魅力的な提案だった。


「いいじゃありませんか、私も少し名残惜しゅうございますわ」


 ヒューはその言葉を聞いて少し驚く。イリならば一刻も早くセレにいなくなって欲しいと言いだしそうだと思ったからだ。どうやら昨夜の共同作業以来少しセレに対して小さいながらも親愛の情が芽生え始めていたようだ。彼女にとっては初めての人の女友達とも言える存在にセレはなろうとしていた。


「ですよね、イリさん! さ、決まりです! 今夜はたっぷりお話しましょう!」


 女性二人はにこにこ笑いながら戸惑い気味のヒューを引っ張って行こうとする。若干納得行かなかったヒューも深く考えることを止めてそれに従った。腕を引くセレの姿にまたかつての妹の姿を見て、今度は何故か心地よかったのだ。


 表通りの大きな宿屋を見つけてセレがそこに入ろうとする。だがヒューはそれを引き留めた。金も高くつくだろうし、何より極力人目を避けようとする彼のお気に召す宿ではなかった。それにいくらセレの金といえども、負担は小さく済ませようと思ったためだ。少しの押し問答はあったものの、セレはあまり強く出ることはできずに彼の言葉に従って裏通りにある安宿を一緒に探し始めた。


「だからよぉ、最初から俺は怪しいと思ってたんだよ!」


 ボロボロの酒場の軒先からしゃがれた男の声が響いて来る。見れば薄汚い恰好の初老の男たちが三人で卓を囲んで酒を飲んでいた。


「いやあ、流石だぜ。まさかあの家が使用人にカヨートをまだ使っていたなんて誰も思わなかっただろうな」


「全く、結構な商人の家だったらしいが反逆者をかくまっていたとあっちゃ、あそこも終わりだろうな」


 下品な笑い方をしながら大きな声を張り上げるその光景を見慣れなかったセレは思わず足を止めてしまった。


「まあ、そのおかげで密告した俺に報奨金がもらえたってわけだ。カヨート様様ってとこだな!」


「馬鹿言っちゃいけねえ! あの赤目どものせいで俺らはこんなしみったれた生活してんだ! クソ喰らえだ!」


 セレは思わずイリの顔を見てしまったが、深々と被った帽子のせいでその表情を読み取ることはできない。だが実のところイリはそんな連中の言葉は全く心に届いていなかった。彼女にとって世界の中心はヒューであるためにそれを気にする余地すらないのだ。帽子の下の顔もいつもと変わらない笑顔のままだった。


「まあまあ、カヨートどもも憎たらしいことこの上ないがそれ以上にクソッタレなのは反逆者ローの野郎だ!」


 その言葉に今度はヒューが反応した。


 反逆者ロー・エル・アディール、それは元ニレン王国軍の将官の名前だった。その名がカヨートと並んで憎悪の対象となり得たのは他ならぬ彼らの反乱の扇動を行った中心人物であったからだ。セレは勿論、ヒューもそのことを知らないわけがなかった。


「そうだな、カヨートならとっ捕まえりゃ金になってくれるが、ローの野郎はどれだけ憎んでも酒の一滴もくれやしねえ! こんな罰当たりがあるか!?」


「違えねえ!」


 下卑た笑いを大きく立てる三人に向かってヒューは立ち止まって大きく目を見開いた。その様子に気付いた男のうちの一人が彼に突っかかる。


「何だぁ? 文句でもあんのか?」


 ヒューは何か言葉を発そうとしようとしているようだが、それは形にならずに口を開くだけに終わる。それが自分でももどかしいのか、歯を食いしばって男の元へと近づこうとする。それを咄嗟にイリが引き止めた。そしてヒューに向かって音を発さずに唇の動きだけで「冷静に」と伝えた。


「失礼致しました、主人はお酒の匂いがひどく苦手でございまして……それで少し少し不愉快なお顔をしておりましたのかもしれません」


 イリが酔っ払いに向かってペコリと頭を下げた。


「ああ? そんな奴がこんなとこに来てんじゃねえよ!」


「おほほほ、そうでございますね! それでは行きましょう、あなた」


 男たちに対して何の感情も持たないイリが男の威圧を全く意に介すことなくヒューの手を引っ張って歩き出した。セレもそれを見習い一瞥もすることなく追いかける。


「すまない……」


 小さな声でヒューがイリに囁いた。


「いいのですよ、あんな方たちの言うことなどお気になさらず」


 やけに声色が明るいのはヒューと一瞬でも夫婦ごっこができたからに他ならない。そんな色めき立った彼女とは対照的にセレの頭にはまた新たな疑問が溢れだす。ヒューが何故足を止めたのか、他ならぬカヨートを侮蔑するような発言に対してだろうか、それともヒューはローと何か関係があるのだろうか。好奇心旺盛な彼女はまた質問してもいいことなのかと頭を悩ませることになった。

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