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彼らは犠牲者

「あんたら、何か用か?」


 イリが森に潜む者たちの大体のいる場所を指し示すと、ヒューはそこに向かってよく響く声で語りかける。彼らは静かにざわつき始めた。まさかこの夜と森が作り出す闇の中で自分たちが探知されているなど思いもしなかったのだろう。


 そのうちに逡巡しながらも森の中からガサガサと音を立てながら姿を現し始めた。イリの見込みは凡そ正しく、その数は6人であり、手には粗雑でありながらも物騒な物が握られている。中には農具を持っている者すらいる。森から出た者たちは二人から少し距離を取りつつも半ば囲むようにして陣取った。平静を保ちつつもヒューには若干の焦りが見える。


「この先の村の者か?」


 昂る心を抑えて極めて冷静にヒューが質問すると彼らは多少毒気を抜かれたような気持ちになる。それに対して集団の頭領と思われる男が一歩前に出て答える。そうであると思われたのは手に持つその得物が他とは違う、純粋な殺しのための道具である剣であったからだ。


「そうだった……今は違う……」


「どういうことだ?」


 その男の顔には悲壮感がある。それを更に色濃くするのはやせ細った体だ。


「もう村では生きていけない……」


「何があったんだ? 話してくれないか?」


 イリが彼らから感じるのは明確な殺意だ。ヒューの説得が無意味であることなどとうに察している。それは彼自身も本能的に理解はしていたのかもしれない、だがどうしても事情だけでも聞いておかなければ、彼らに手をかけることもこのまま見逃すこともできない、それが彼の性分だ。


「蓄えも全て税で取られた、畑も痩せて使い物にならない……このままでは飢え死にするだけだ……」


「だから盗賊めいた真似を?」


 恐らくは何をしてでも生き延びると覚悟を決めたところなのだろう。まだ迷いが見られる。だがそれ以上の決意を彼らは秘めている。


「馬車の荷物を寄越せ、大人しくしてくれれば危害を加えることもない」


 吐き慣れない言葉であることが伺える。数日まではただの農夫であったのだ。


「残念だが大した積荷は無い。大人しく下がってくれないか?」


 数日分の食料はあるが彼らが期待するほどでもないだろう。それを聞いて引き下がるほどの決意ではない。死んだような弱々しい目でありながらも、そこには確かに生への渇望がある。


「ならばお前たちの身ぐるみを剥ぐだけだ。生きたままか死んでからか、それくらいは選ばせてやる」


 だがヒューにも引き下がるわけにはいかない理由がある。馬車もそこにある積荷も彼らが抱える荷物も、旅を続けるのにどうしても必要だ。


「どれもお断りだ。あんたらが選べ。退くか、留まるか」


 それはヒューにとって生きるか死ぬかという問いでもある。死ぬという選択肢を選ぶ者などいない。だが彼らにとって生きるという選択肢はここに留まることだ。


「ガキどもが、お前らが死ぬことを選んだんだ」


 どちらもが生を望んだが故に彼らはぶつかり合う。生きるという意思を阻む者に対して刃を向けることにためらいなど持つことは許されない。


「イリ、やるぞ」


 ヒューが剣を抜き、野党になり果てた農夫たちはそれぞれの得物をぎこちなく構える。そうして彼らが相手を見据えたその瞬間に、ヒューのその言葉をずっと待っていたイリが既に大地を力強く蹴っていた。


 赤目狩りのガタンは常にカヨート相手に最低でも5メートルの距離を保つことを心掛けていた。平均的なカヨートの筋力はその距離を一瞬で詰め寄ることができ、それに対して常人では防御や回避が追い付かないからだ。彼は先の戦いにおいてチャクにその距離まで詰められたからこそ、深刻な傷を負うことになったのだ。


 農夫たちは明らかにイリに近づきすぎていた。まさかこの場にカヨートがいようなど思ってもいなかったし、それとわかっていたとしてもその危険性について知ることすらなかった。イリの疾走は彼らの目に留まることすらなく、その一撃はヒューに最も近づいていたリーダー格の男の顎を正確に捉え、枯れ木のように首ごとへし折った。百戦錬磨の狩人のガタンですら右腕を犠牲にしてやっと生き残ることができたチャクの一撃、それに比類するものである。


「なっ!」


 その右隣にいるボロボロの斧を携えた男が悲鳴を上げた。何が起こったのかさえ理解が追い付かずに、目だけであらぬ方向に曲がった男の首を見据えていた。彼が次に見たのはイリの美しい顔だった。その時には既に彼の胸部に彼女の掌打が突き刺さっており、岩を砕くような衝撃は心臓の鼓動を止めるに十分だった。強靭な脚力による疾走だけでなく肉薄した際における拳の振りも、とてもではないが可視のものとは思えない。


「こいつ、あ、赤目だ!」


 冷静に処理を行っていたはずのイリだったが、闘争により心が昂った結果、静かに揺らめくような瞳の赤がより濃く滲んでいた。焚き火の僅かな灯りがそれに反射すると燃え上がる様に燦然と輝く。


「話が違う!」


 男たちの内の一人が偶然にも故障した馬車を見つけ、さらにそこにいるのが年端もいかない男女であることがわかったがために、彼らは今の行動に走った。簡単な仕事のはずだった。6人で迫れば泣いて荷物を置いていくだろうと思っていた。それが今では五分も経たずに2人が殺された。そして残りの4人は全身の隅々にまで恐怖が行き渡るのを感じて本能に従い彼女に背を向けて走り出す。だがそれは決して許されることではなかった。


「っぎ!」


 男たちの何倍も早く力強くイリが駆けだして一人の男の後頭部に拳が叩き込まれる。その勢いは男の顔面を地面に叩き付けて顔中の骨という骨を砕いて意識とともに命が消え失せる。鈍い音が響き渡って一人は足をもつれさせ転倒し、後の二人は彼女から逃れることなどできないという現実から目を背けて走り続けた。イリは逃げ出す二人を執拗に追いかけまわした。


 無様に転げまわった男は2、3度もがいて空を掻く。そしてイリが自分を追い越して言ったことに気付くと胸をなで下ろす。だがすぐに迫る足音に気付いて飛び起きた。


「すまない」


 起き上がった男が手に持った鍬を構えるよりも早くヒューの剣の一撃が飛んだ。正確無比に急所を狙い撃つイリに倣った首元への斬撃は、正確に動脈を両断し血の弧を描く。男は首を抑えながら地面に倒れ、ゆっくりと絶命した。


 自分でも冷酷だと思った。だがカヨートであることが割れてしまったのなら命を絶つしかないとヒューは妙に落ち着いた頭で考えていた。国の圧政により生きるために野党に身を落とした哀れな農夫であったが、彼にとってはイリの方が大切な存在である、それだけのことだ。半ば無理矢理に自分を納得させつつ、ヒューはイリを追いかけようとする。だが彼女は既に逃げた二人を片付けてこちらに戻って来たところだった。


「お怪我はありませんか?」


「大丈夫だ。それよりお前のその腕……」


 イリの右手の拳は皮が削げて、手首がだらんと垂れ下がっている。彼女自身はあまり戦い慣れていないために加減を知らないのだろう、自分の力が仇となったのだ。


「これくらい大したことありません」


 そう言うと彼女は左手で優しく右手を包み込んでおまじないをする。彼女は傷を抑えながらそのまま歩き出す。


「自分で治すのには少し時間がかかります。早く戻りましょう。きっとセレが心配されてますわ」


 きっと痛みを抱えているに違いない。それでも決して表に出そうとしないイリをヒューは誰よりも強いと感じた。その強さが欲しいのだと、それがどうすれば手に入るものなのかと、思わずにいられない。転がった6体の死体に一瞥もすることなく、ヒューは歩き出す。


「やはり問題はあのカヨートか……」


 闇夜の森の中でイリさえも気づくことができないほどに気配を消し去ってそこにいる男が小さく呟いた。元刺客であり現在の復讐者と化したイーゼンであった。妄執に憑りつかれながらも元々闇に生きていた彼はその周到さを忘れてはいなかった。彼はヒューたちの背後に張り付いて常に機会を伺っていた。


「大丈夫さ……レーク……上手くやるよ……あいつらにも、協力してもらうさ……」


 ガタンたちも既に傷の手当てを終えたところだった。そして同じようにヒューたちを追っていることも、その目的も既に知っていた彼は周到にその機会を待っている。決してリスクを冒そうとはしない、そうして彼は今まで生き残って来たのだ。

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