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旅路は快適

 リーアンヌの名は偉大なもので、遠く離れた土地であってもガアッドは足を用意してくれた。長らく懇意にしていた商人がいたようで、馬車一台と御者一名を快く貸し出してくれた。そのおかげで彼らはこれまでの旅よりもずっと楽に、かつ安全にターロットを目指すことができる。その安心感からか、ヒューは馬車の中で揺られながら目を閉じて眠りについていた。そんな時その車輪が一際大きな石を踏み越えたようで、馬車がガタンと揺れた。


「……ん」


 眠っていたことさえ忘却したかのようにヒューはおぼろげな瞳をして辺りを見回した。見慣れた馬車の内装とイリとセレの姿を認めると彼は安心したように大きく息を吐いた。


「眠っていたのか」


「ええ、ぐっすりと」


 セレとイリがこちらを見て優しく微笑んでいることに気付くとヒューは少し照れくさいものを感じた。


「夢は、大丈夫でしたか?」


 イリがそう尋ねる。だが彼のそれまでの寝顔からそんなものを見ている気配がなかったのはわかっていたことだった。


「そう言えば、少し見ることが少なくなったかもしれない」


 単純に時が傷を癒したのだろうか、それとも彼の心が少し強くなって罪悪感に押しつぶされることがなくなったのだろうか。どちらにしても彼の眠りに対する恐怖心は少し和らいでいる。となればイリの毛皮を抱いて眠る必要ももうないのかもしれないと彼は少し嬉しくなる。これまでも毎晩のように年下の妹のような存在の前でイリを抱いて眠りについていたのだ。慣れたとはいえ恥ずかしいことに変わりはない。


「それはよかったです」


「ああ、眠りにもつけてこんな楽に道を進めるなんて、セレのおかげだな」


 長い旅路を歩きっぱなしだった彼にとって今この馬車は愛おしくて仕方がない存在だ。本当に馬車を手配できるかはほとんど諦め気味だったが、どんな形であれそのきっかけとなったセレには感謝しか浮かばない。本当に彼女と歩む道には祝福が施されているようだと彼は思った。


「いえ、手配してくれたのはガアッドです。私は何も……」


 彼女はガアッドを思い出していた。このわがままに対しても少し困ったような顔をしつつもどこか嬉しそうにしている彼に今まで彼女が気付くことのできなかった愛を感じることができた。家にいる時にはそんな余裕がなかったのだろう、自分のことしか考えられていなかった、彼女はそう反省する。


「そんなことはない、君の必死の説得あってのことだ」


「その節は本当にお見苦しいところを……」


 彼女にとっては見られたくないところだったようだ。無理もないだろう、それまで貴族の娘として厳粛な振る舞いを心掛けていたところが、泣き喚いて駄々をこねる様を見せてしまったのだから。だがヒューにとっては堅苦しい様が抜けて年相応に感情をぶつける彼女を見れたことでより親しみが増すことになった。


「そんなことない。ますます君のことが好きになった」


 彼は特に深く考えてそう発言したわけではない。未だに彼女に対しては妹のような感情で接していたし、彼女が愛おしいという点においてそれは嘘ではなかったからだ。だがヒューの何気ない一言でセレの顔はまたカヨートの瞳のように赤くなり、それとともにイリの瞳は炎のように燃え上がった。


「ヒュー様……? セレ、あなた……」


 セレは背筋が凍るような感覚に襲われて、再びカヨートの恐ろしさを思い出すことになった。


「ち、ちちち違いますよ! 友として、人としてということですよね? ヒュー?」


 命の危機を感じてそう慌てふためいて確認するセレに対して一拍遅れてその発言のうかつさにヒューは気付いた。


「そ、そうだ。決してそういう意味で言ったわけでは……」


「本当でございますか……?」


 未だ殺戮者のような瞳は収まらない。イリからすればセレは元々警戒すべき対象であったが、最近ではすっかり仲良くなってしまったためにそのことは頭からすっかり抜け落ちていた。


「本当だ、彼女は……ただの友人だ……」


 ヒューも何故このような弁解を行わなければならないのかわからなくなった。それでも今はセレの命の危機とも言える。そのような不満を述べるわけにはいかないだろう。


「そうですか……信じましょう……」


 とりあえずは矛を収めてくれたようで、イリがいつもの朗らかな雰囲気で包まれていくのがわかった。ヒューとセレはほっと胸をなで下ろした。


「あービックリした……」


 誰にも気づかれないような小さな声でセレが呟いた。まだ頬が火照っているかのように感じて彼女は両手で押さえてみた。心臓の鼓動が聞こえる様な気がして少し違和感を感じる。何故ヒューにただの友達だと言われた時に少しの落胆を感じたのか、頬はまだ熱く動機のようなものを感じるのは何故なのか。それは同年代の男女が命懸けの旅をする中で自然と芽生える感情であったのかもしれない。だが彼女はそれを頭ごなしに否定する。そんなはずはない、それは抱いてはいけないものなのだと、強く思った。赤目狩りの襲撃でイリとセレの前に立ちはだかるザグに颯爽と現れた彼の姿に心揺さぶられたのはイリだけではなかった。


 夜になると当然であるかのように馬車はその歩みを止めた。車内の三人は呆れかえるほどに呑気にうたた寝をしており、それが止まったことにも気づかなかった。


「今夜の宿に到着しましたよ」


 雇われの御者であるトエトがぶっきらぼうに声を掛ける。ガアッドの紹介で連れ立つことになったこの男は所謂金のためなら何でもやる男の一種であり、決して彼らの旅に感銘を受けた聖人ではない。そのため彼らとも余計に交わろうともせずただ淡々と馬を走らせる男であった。ヒューにとってそれは都合がいいと感じる存在である。


「ん……ああ……」


 決して広くない馬車の中でずっと同じ体勢で眠り続けていたせいか、体の節々が痛んだ。一番に起きたヒューがイリとセレを起こして軋む体を外に放り出すと汗ばんだ体に夜風が心地よい。


「私は先に言って宿を手配しておきます」


 トエトは事務的にそれだけ言い残して一足先に宿に向かっていく。こういった旅には慣れているのだろう。彼に任せておけば無事目的地まで辿り着けるだろうと安心させてくれる。


「行こうか」


 まだ眠たげなセレを急かして三人も宿に入っていく。今までのように自分の足で踏みしめる旅路ではないせいかターロットに近づいているという実感はない。それでも見たことのない町並みが彼らを別の場所に運んだのだという確信を持たせてくれる。


 トエトは気を遣って部屋を二つ取ってくれたようで、ヒュー達三人と彼自身の部屋で別れることになっていた。旅賃も含めて彼にはガアッドから報酬が支払われている。そのためヤキスで彼らが泊まろうとした宿よりもずっと綺麗なところで、かび臭いことも埃っぽいこともなく快適な睡眠を彼らに与えてくれるだろう。


「さて、ヒュー様、もうお眠りになる時間ですね」


 彼女がそう言うのは彼の眠りのために犬の姿をとるための合図である。だが今夜は彼女が変身しようとするのをヒューが手で制した。


「いや、今日はいい。毛皮無しでも眠れそうだからな」


 彼がそう言うとイリは大変不満そうだ。


「いいえ、昼間は大丈夫だったかもしれませんが夜はわかりません。きちんと眠れるという確証がない以上お伴させて頂きます」


「いや、やってみなくちゃわからないだろう」


「それでも、今夜くらいは……」


 彼女が不安がっているのがセレにもわかった。彼らが寝床を共にするのはヒューのためだけではなく、イリ自身のためでもあるのだ。今の彼女の唯一とも言える心の拠り所、それを奪うのは酷なことなのだとセレには思えた。


「ヒュー、いいじゃありませんか。そう恥ずかしがることもありませんよ」


 セレが笑ってそう言った。そこには決して彼を馬鹿にしたようなものを感じさせない。純粋にイリのためを思っているからこそそのような表情ができるのだろう。


「だが……」


「ヒュー、イリを安心させてあげて」


 昼間の彼の不用意な発言でイリが不安を抱えてしまっていることもまた事実なのだと彼女はわかっていた。全てを見透かされたような気がしてイリは嬉しいような照れくさいようなむず痒い思いがした。


「今夜だけだ……」


 ヒューがため息をついてそう言うと、いつものようにイリは犬の姿で彼の元に飛び込んだ。彼自身そうやって眠りにつくのは悪夢を見ないためだけでなく、純粋に気分がいいのだ。そんな二人を見てセレはにこやかに微笑む。だがその表情には隠すことのできない複雑な思いが見られ、彼女の胸には少しチクリとした痛みが走った。

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