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彼女はわがまま

 相変わらず泣き続けているセレは先程からイリとひっつきっぱなしで、彼女の胸元がふやけてしまうのではないかと思うくらいだ。泣きはらしたその瞳は赤みがかってまるでカヨートのようだとヒューは思った。


「ヒュー、私どうしたらいいと思う?」


 泣き止むのを待って何も言わないヒューに先んじてセレが切り出す。


「君はどうしたいんだ?」


 しかしヒューがその答えをくれるはずもなかった。彼とて彼女の運命を決める資格などないのだ。


「私は……」


 突き放されるような思いを感じてセレに不安が広がる。だが目を上げてヒューとイリの顔を見ると二人がとても柔らかく優しい顔であることに気付く。突き放されているのではなく、最大限に自分を尊重してくれているのだとわかると彼女の心にも希望が生まれる。


「私は、このまま旅をしたい……二人と一緒にいたい、あなたたちの旅の結末を見たい……私自身の答えを見つけたい……」


 曇りない彼女自身の答えだった。彼女の持つ好奇心と自立心は貴族の家というものに収まりきらない、狭すぎる世界なのだ。そして何より旅の中で育まれた彼らの絆は紛れもなく本物であり、このまま友の旅路を時に助け、助けられて、その行く末を見届けたいと思っていた。


「そうか……」


 ヒューが少し迷うような表情をする理由はセレにもわかっていた。彼は今でも危険な旅に巻き込むことを恐れ続けている。だから彼女が家に戻ろうともその選択肢を祝福してくれるだろう。


「それならそうすればいい。危険なのはもう承知なんだろう?」


 彼の答えでセレの心に勇気が生まれる。


「はい! 勿論です!」


「ふふ、私もセレがいてくれると安心できます。これからもよろしくお願いします」


 再びイリがセレを愛おしそうに抱きしめた。すっかりセレの涙で濡れてしまったその胸元が彼女の火照った頬をひんやりと冷やした。ヒューも安心したような表情でそれを見つめている。少し突き放したものの、彼の本心は彼女が共に来てくれることを願っていた。それは彼女の幸運がこの旅に不可欠だと思っていることもあったが、何よりやはり危険を顧みずに一緒に歩んでくれる存在というのは彼の心を強くしてくれると感じていたからだ。それは強くあろうとする彼のわがままでもあった。


「さ、それじゃあそのためにはやらなきゃならないことがあるな」


「はい……」


 このまま三人が納得するだけでは話は進まない。ガアッドを何とかする必要がある。


「どうしますか? 気絶させましょうか?」


「やめてくれ、もっと面倒なことになる」


 実力行使に走ろうとするイリをヒューが必死に止める。それは根本的な解決にならないだろう。


「どうすればいいのでしょう……?」


 セレが不安げに尋ねる。そんな彼女に対してヒューは何でもないことのように答えた。


「説得するんだ。君がどれだけ家に戻りたくないか、旅を続けたいのか、それを伝えれば大丈夫さ」


「え……?」


 その答えにセレは困惑気味だ。


「それで納得する相手でしょうか? 相当に頭の固そうな人物に思えますが?」


 イリが毒づく。あまり彼女に対していい印象を与えれていないようだ。


「大丈夫さ、多分な」


 彼がそう簡単そうに答えるのは、ガアッドのセレに対する態度を見通しているが故だ。厳しいように見えて、実は甘い。


「さ、行くんだ。全力で君の想いをぶつければいい」


 ヒューに促されてセレは足取り重くガアッドに歩み寄り始めた。その様子を見たガアッドはまた厳めしい顔つきになって彼女の前に仁王立ちになる。


「お別れは済みましたか? それでは戻りますよ」


「あ……」


 ガアッドはそのままセレの腕を取り、歩き出そうとする。彼女は何も言いだせずに振り返る。そうするとヒューとイリも不安な顔立ちでありながら笑ってこちらを見ている。自分を信じてくれていることを感じたセレは腕と足に力を込める。ずしりと重みを感じたガアッドは立ち止まってセレの顔を見た。


「ガアッド……私は戻らない! このまま旅を続ける!」


「何を仰いますか!」


 セレの反発に対してガアッドは怒声を上げて対抗する。彼の義務であり、彼が思う彼女の幸せのために厳格な教師の仮面を必死で被り続ける。


「あなたはリーアンヌ家としての責務を捨てると言うのですか? 先人が築き上げた誇りと伝統を、全てないがしろにされると?」


「あんな家大っ嫌い!」


 ヒステリックなセレの声に圧倒されてガアッドは思わず手を離した。


「貴族だなんて名ばかり……こんな荒れ果てた国の中でも何も果たそうとせずに自分たちの保身だけに走るような人たちばかり……それが本当に貴い人間がやることなの?」


「ですが……」


 セレの本当の気持ちをガアッドは聞いたことがなかった。彼女が誇りに思っているのはリーアンヌではなく、貴き者という肩書なのだ。


「あなたもお家に育てられた恩義があるはずです。それを……」


「お父様もお母様も大っ嫌い! 何よ、ずっと人をいないみたいに扱っておいて価値が出たと思ったら媚びへつらって……私がどんな思いであの家で生きていたのか何も知らないくせに!」


 兄や姉と違い放任されて育った彼女は心から愛情を求めていた。その挙句生贄の如く捧げられると決まった時の彼女の絶望は計り知れない。


「セレ様……」


「私は、私は自分の意思で自分がやるべきことを見つけたい! この人たちがそれを教えてくれる気がするの! だから、だからぁ……」


 セレの目に大粒の涙が浮かんで震えた声を必死に絞り出している。それを見てガアッドの顔から厳格な仮面は消え去る。


「お願い……このまま私を行かせて……少しくらい好きに生きさせて……もう、あんな思いをしながら生きるのは嫌なの……」


 ヒューが歩み寄って顔をくしゃくしゃに歪ませるセレの肩に手を置いた。彼女からこれ以上の言葉は必要ないと思ったのだろう。


「ガアッドさん、彼女の数少ないわがままだと思う……今まで自分を押し殺して生きて来たんだろう。それを許してやってくれないか?」


「お前は何もわかっちゃいない……」


 そう言いながらもガアッドにはもはや彼女を連れ戻そうという意思はないように見える。


「セレ様は昔からわがままばかりだった。勉学の際にもこれをもっと教えてくれだの、書物だけではわけがわからんから実物を見たいだの、今日はこれを学ぶ気分ではないだの何だの……」


 懐かしむように遠くを見てガアッドは淡々と語っている。


「全くわがままばかりで私は困ったものだ」


 そう言ってセレの泣き顔を優しい表情で見つめる。彼女は少しばかり恥ずかしさを覚えた。


「そのわがままを……何だかんだで許して来たのは、私でしたな……」


 ヒューの思っていた通りにガアッドはセレに対して実の子のような愛情を持っていた。それは彼女が家の中で不要物のように扱われることに対する哀れみもあったのかもしれない。だが事実として彼女に対して厳しく接するのはその愛情故のものであることは否定できない。


「私が甘かったのもあるでしょう、全ては私の責任。お好きになさい、家の方には見つからなかったと報告しておきます。罰も、私が甘んじて受けましょう」


「ガアッド、その……」


「お気になさらず、セレ様は自分の道を進んで下され。悔い無きように、それで私は満足です」


 ガアッドは柔らかく微笑む。実の親からもらえなかった愛情を彼女は深く感じた。


「ありがとう……」


 それだけで彼は満足した。彼女が自分が思っているよりもずっと強く育ったことに感動を覚えずにいられなかった。


「お元気で……」


 彼は足早に去ろうとした。もっと彼女の成長を実感してそれを慈しみたい気持ちでいっぱいだったが、自分の足がそれに引き留められてしまうことが怖くなった。


「待って……」


 しかしそれをセレ自身が引き留めた。


「何でしょう?」


 嬉しいような残酷なような気持ちだった。


「ガアッド、その……」


 何か言いづらいことのようだ。まだ何か自分に何か言いたいことがあるのかと思うと彼は少し嬉しくなる。


「何でも言って下さい、今更ですよ」


 そう言うとセレは覚悟を決めたようだ。


「えっと、私たちこれからターロットに向かうの……それで、遠くって、大変で、その……」


 彼女の言葉は少し要領を得たものではないが、それでも彼にはきちんと伝わった。ガアッドは呆れた様に息を大きく吐いた。


「それで、そこまでの足を手配せよと?」


「……ダメ?」


 家に連れ戻すためにここまで来た彼に対して逃亡のための手段を用意させるのはおかしなことだ。だがそんな彼女の最後のわがままに対してガアッドはとても怒る気分にもなれなかった。


「全く、セレ様は本当にわがままばかりで……」


 セレは恥ずかしさを感じて顔を真っ赤にする。

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