彼らは顔見知り
ライアラに到着した彼らが目の当たりにしたのは今まで見たことがないくらいの人が通りを行き交う光景だった。大陸の中心に位置し、発達した各所との交易路を持つこの地には古くから多くの商人が根城とし、この戦争でも貴族相手の取引によって彼らだけは平時よりも潤っていたと言える。
そんな多くの商人が行き来する町でヒューたちが探すのはターロットへ向かう馬車である。問題は果たして何処の馬の骨とも知れぬ三人組を乗せてくれるような物好きがいるかどうかである。
「金のためなら何でもやるような暇人かよっぽどなお人好しかだな」
町に辿り着きいざそれを探す段になってヒューは誰に言うでもなくポツリと呟いた。それは決してこの案を思いついたセレに対する嫌味というわけではなかった。
「何としてでも見つけましょう」
セレはその言葉を受けて落ち込むのではなく逆に喝が入ったようだ。それしか手がないと思えるくらいに彼らは疲弊していた。加えて休息をとるためにどこかに長居する気にもなれなかった。一度目の襲撃はイリの活躍により軽く撃退できたが、二度目の赤目狩りの襲撃はそれだけ彼らの心に恐怖を植え付けていた。
「見つかりますよ、きっと」
イリが明るく言い放った。楽天的とも言える発言だったがヒューもそう思っていた。セレの言い出した案だったからだろう。彼女の幸運がまた自分たちを導いてくれると信じていた。それは少し能天気とも言えるほどの過信であったが、彼はそう思わなければ歩き続けることができないくらいに疲れていたし、あの時の彼女の疾走が彼の心に強く残っていたこともある。
つらつらと町を歩き始めるとそこかしこに派手な服を来た人たちが通り過ぎる。彼らが望む金を持った商人たちの姿だろう。だがそれを見つけたとしても片っ端から声を掛けていく訳にもいかない。こちらは反逆者の息子と国から忌み嫌われる種族と家を出た貴族の連れなのだ。彼らが望むのはよほどのお人好しではあったが、それが極端に見つからないこともまた承知だった。
「誰か君の家に繋がりのある商人なんかはいないのか」
藁にも縋るようにヒューはセレに尋ねる。
「それが……わからないんです……」
当然だろう、彼女はまだ若い。加えてほとんど必要とされずに放置されていた四女とあっては家に関係のある実務に携わることもなかっただろう。故に自分の家の友好関係などには疎い。
「仕方ありません、勇気を出して声を掛けるしか……」
そうして彼らは人気の多い通りで立ち尽くすことになる。誰か人の良さそうな商人はいないかと流れる人混みを見つめるが、それだけでわかるものでもなく、またそのような者を見かけたとしてもそれに話しかける度胸は中々生まれない。結局彼らは時間を無駄に浪費することになった。
陽が陰らんという時間になり、彼らもそろそろ諦めて帰ろうかという気分になった時、ふとヒューは一人の男が気になった。その男は初老とも言えるほどの年齢であり、身なりは商人たちの中でもかなり良い。厳めしそうな顔つきではあるものの、それは口にたくわえた髭のせいであり、澄んだ目は心根の優しさを示すようである。ヒューが何故その男が目についたか、それは彼がこちらを凝視しているように思えたからだ。彼はそう言った視線に過敏になっている。だがその男は刺客の類にはおおよそ思えない。目立ちすぎる上に、人など殺せそうもない。それに彼ではなく、セレかイリのどちらかを見ているのだ。
「おい、知り合いか?」
男に届かないくらいの小さな声で二人に語り掛けた。イリはすぐに彼を見やって首を振った。一拍遅れてセレがそちらを見る。すると彼女の顔は見る間に蒼白と化す。
「ひっ!」
素っ頓狂な声を上げてセレは脱兎の如く駆けだした。そしてその声と逃げ出した様子を見て初老の男もすぐにそれを追いかけた。
「セレ様!」
ヒューとイリの目の前を男が駆け抜け、すぐに彼らもその男の正体に気付いた。
「まさか……」
「ああ、リーアンヌの手の者だろう」
身なりの良さとセレの名前を的確に呼び当てたこと、そして何より彼女の様子からしてそれで間違いないだろう。彼らは一瞬迷ったがこのまま放置するわけにもいかないと思い、とにかく二人を追いかけることにした。
セレは本能的に隠れることが頭に浮かんだために人目を避けて裏路地に入る。人を巻くためには人の群れに入り込む方が有利であったかもしれないが、今の彼女は冷静とは程遠い。一目散に逃げた先は彼女の姿を確認するには容易なほどに人も遮蔽物もない場所だった。初老の男は体力的に不利であるかと思われたが、セレは今全力で走り続けることが困難な体力だった。おまけに慌てて逃げ出したが故に荷物も持ちっぱなしであり、彼女の足を重く引きずることになる。年齢としては20も30も上であろう初老の男の全力疾走は、ついにセレを捉える。
「セレ様! 探しましたぞ!」
衣服の首元を引っ張って男はセレの動きを止めた。見た目以上に力があるようで彼女はそれ以上歩みを進むことも許されずに、膝を落としてその場に崩れ落ちた。
「ガアッド……どうしてここが……」
セレがぜえぜえと肩で息をしている。伏せた地面はタイルが敷き詰められており、それがひんやりと気持ちいいと頭に酸素が上らなくなってぼやけた頭で彼女は思った。
「今言ったではありませんか、探したのです! この大陸の隅から隅まで、その覚悟で!」
とは言え彼女の追跡はガアッドと呼ばれた男にとってそれほど難しいことではなかったようだ。何せ赤髪で短髪の女というものは行く先々の人々の印象に強く残っていた。
「さあ、戻りますぞ! ラグラー様がお待ちしています!」
「やだぁ……嫌だぁ……」
首元を引っ張られたままセレは幼子のように駄々をこねる。そのままずるずると引きずられる様は何事かと思わせるようであった。そこへ後ろから追いかけていたヒューとイリが駆け付ける。それを見たヒューは冷静ではいられない。
「おい、あんた! 何やってんだ!」
肩を掴みにかかる彼に対してガアッドは強い剣幕でそれに返す。
「邪魔をされるな! この方は名誉あるリーアンヌのご息女、そして私は付き人のガアッドと申す者。これからこの方は家に帰られるところである!」
年の功であろうか、ヒューはそれに気圧されて怯む。だが彼もそれに負けていられない。
「どんな理由だろうと彼女をそんな風に扱うのは許さない!」
強気なはずのセレの目には涙が滲んでおり、全身は震えて寒空の下の猫のようだ。それを見たガアッドも少し冷静になったようだ、掴んでいた手を離してセレに跪く。
「セレ様、どうか家にお戻りください。今なら当主様もお許しになりましょう。何より私はセレ様のお体が心配なのです」
一転してガアッドの態度には慈しみが見られる。心から彼女のことを思っているのであろう、そうでなければ納得できないほどに声と目と態度が優しさに溢れている。
「嫌なの……戻りたくないの……」
哀れな子猫のような態度はガアッドを困らせた。彼女を思うからこそこのまま引っ張ってでも帰らなければならないのに、そんな様子の彼女を見ては強引に連れ帰ることも難しいだろう。
「彼女の気持ちも考えてやってくれないか?」
「どこの誰だかは知らんが、彼女には責務があるのだ。名家としての責務が……」
ヒューに再び立ち向かうガアッド、だがそんな彼の言葉を聞いてセレはヒステリーを起こしたように叫ぶ。
「嫌! 絶対帰らない! 絶対結婚なんかしない!」
イリとヒューは驚いて顔を見合わせた。