彼らは復讐者
左腕に添え木を当てて布を強く巻く。締め付けるシャゴーの力が強すぎたせいか、ガタンは声はあげずに顔をしかめた。それを察したか、シャゴーは少しだけ布を緩めてそのまま固定した。
とにかく他者の痛みとやらに鈍感な性質のようで、何事もそつなくこなす彼であったが傷の手当てだけはガタンから落第点を頂いていた。こんな時はいつもザグがその役を担っていたのだが、そんな彼はもはやこの世にいない。無事な右手をガタンは強烈に握り締めた。
ガタンとザグは凡そ10年以上の付き合いになる。ただの頭の悪いごろつきであった彼を御し易いと見たガタンが都合のいい右腕として赤目狩りの一員に育て上げた。そして少し抜けたところもあるが、一人前と呼べるほどに彼が育った時、ガタンは自分の中に表現しがたい喜びに溢れていることに気付いた。
実のところガタンはザグに対して出来の悪い息子のような感情を覚えていた。それは少し歪であるものの、親愛の情に近い。だから何も言わずとも付き従う彼がかわいかったし、喉を射抜かれた時も鉄拳一発で事を収めたのだ。
狩りにしか興味の無い彼がまさかザグに対してそんな感情を抱いていたとは、彼自身も知ることは無く、無くした今彼の心に襲いかかる感情に戸惑うばかりであった。
「シャゴ―、奴らを必ず狩る。お前もついて来るな?」
ガタンのかすれた声が強い怒りの色を帯びていることがわかる。生まれて初めて純粋な復讐心を持って誰かを殺すことを彼は決意した。自分が生きるために何かの命を奪う行為を狩りと呼ぶのならば、この瞬間彼は狩人ではなくなった。そしてその対象は彼の左腕をへし折ったチャクではなく、他でもないザグの命を奪ったヒューであり、イリとセレはそのついででしかない。
シャゴ―は何も言わずに頷いた。彼が望むのはカヨートを狩ることだけであり、ガタンがそう言うのであれば否定する必要などなかった。彼のような復讐心など持ち合わせるはずもない。彼が興味あるのはカヨートを引き裂いた時に上げる叫び声とその血の色だけであり、ザグやガタンに対して情と言ったものはない。ガタンもそれを分かっており、彼もシャゴ―を便利な奴だという以上の感情はない。だがお互いの利害は完全に一致していた。
「まずは情報を集める。そして奴らがどこへ向かっているかがわかれば傷を癒してすぐに追跡を始めるぞ」
カヨート相手に手負いで立ち向かえるとは彼は思っていない。加えて彼は自分の手で喉元を切り裂くことを望んでいた。そのために傷を癒さなければならない。彼が治療に用いるのはカヨートであり、生け捕りにしておまじないを強要すれば良い。シャゴ―の愛は交渉向きだ、今までもそうやって彼らは傷を治して来た。
彼らが村へ向かったことは明白だ。ガタン達は彼らに気付かれないように村への道を歩む。狩人として生きていた彼らは静寂な森の中でも動物の気配を容易に察知し、危険を回避することができる。だがそんな老練な狩人さえも欺くほどの静かな歩みが今彼らの後ろを闊歩していた。
旅に似つかわしくない軽装であり、黒を基調とした衣服は闇に溶け込むことを目的としているのだろう。ボロボロの帽子を深く被ったその顔からは妙にぎらついて落ちくぼんだ瞳が覗いており、狂人を連想させた。観光を目的としてこの国を旅する者など今の情勢でいるものなどいないことは明白だ。であれば彼も何か目的を持って歩いているに違いない。
彼の名はイーゼン、彼の使命はヒューを捕らえてそれと接触した者を消すこと、すなわち彼は王国から送り込まれた刺客であった。国王直属部隊の黒猿隊の暗部であり、暗殺や諜報と言った闇の活動に従事していた彼は本来二人組で仕事を行うことが大半だった。今回の任務も国王から直々に命を受けていつものように相棒であるレークと共にヒューを捜索していたはずだった。
だがレークは任務中不運なことにカヨートの手に落ちてその首をへし折られることになる。そのカヨートとは勿論イリのことであり、ヤキスにおいてヒュー達に捕まり拷問されたのはイーゼンの相棒であるレークだった。
本来ならば増援を待ってそれとともに捜索を続行するところだ。単独行動では何かと不便であり、行動にも穴ができてしまう。だが彼はそれを選ばなかった。今彼は使命などどうでもよく、彼自身の意思を持ってその任務を続行していた。彼もまた明白な復讐者だった。
イーゼンとレークは黒猿隊の中でもその仕事の有能ぶりを高く評価されていた。彼らはほとんどの仕事を共に行っており、彼ら自身もお互いをベストパートナーであると信じていた。それに加えてイーゼンはレークを明確に愛していた。元より彼が同性愛者であったのか、それとも死線を何度もくぐる内にレークに心惹かれていったのかはわからないし、レークがイーゼンと同じ気持ちであったのかもわからない。確かなことはレークを失った彼が猛烈な憎しみに今支配されていることと、彼が何かを感じ取ってヤキスの潜伏場所を脱出してイリたちから逃れたのはレークの愛の力だと彼が信じていることだ。
国王からの密命を捨てて自分の復讐に走ったとしても、彼が行うことは変わらなかった。彼の復讐とはヒューに自分と同じ苦しみを与えることであり、それならば彼を捕らえて、その取り巻きである女たちを目の前で八つ裂きにした後に彼自身を痛めつけた方がいいと考えていた。
僅かな情報を元に今イーゼンは山道を一人歩いていた。今彼にははっきりとレークの幻影をその目で見ることができた。そして彼の望む声をいつでも聞くこともできた。
「ああ、レーク……分かってるよ……あいつらを必ず……そうさ、地獄に叩き落す……最も苦しむ方法で……」
亡者の魂があるとすればそれを具現化するのは生きた人間だろう。それは今ヒューとイリを正に喰らわんとしていた。
そんな亡者たちの叫びが届いたのであろうか、ヒューはイリを抱いて寝たにもかかわらず悪夢を見た。だがそこにスティの姿は無く、夢の中の彼が見たのは喉から血を流し呪詛を投げかけるザグの姿だった。しかし彼はその悪夢さえ受け入れた。自分の心がまだ弱いのだと断じた。
何も変わらぬ日がまた始まろうとしていた。何かに追われながら、だがそれでも何かを探し求めて今日もヒューは歩き出す。誰もが何かの使命を帯びてこの世界を生きると言うのならば彼がその意思を貫くのも自由であるし、それを阻むのもまた自由だろう。彼の道は苦難で満ち溢れている、だが彼は自分に強くなろうとする意思があり、そして彼を愛する誰かがいて、その道の無事を祈る誰かがいればきっと歩き続けることができるだろうと思っていた。