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女は敵

 セレはこの大陸においてカヨートと呼ばれる種族である。それは人の力に獣の力を併せ持つ謎多き種族であり、単純な筋力において大きく人を上回るとともに、彼らにしか扱えない不思議な力を行使することもできた。だがその異様性と数の少なさから古くから迫害を受け、多くは奴隷として使役され、また戦争では捨て石の如く前線に送られることも多かった。


 基本的にその力と同じくして人と獣を合わせたような容姿を持つが、その程度には個体差が多く、一目でそれとわかるものから、全く見分けの付かないものもいた。ただカヨートに共通するのはその深く赤い瞳で、注意深く見つめることで判別は可能だ。


 そんな中イリはかなり特異な存在であり、見た目には人と変わりないものの、その姿を獣に変えることができた。それ故に彼女はヒューと出会うまで人と関わることなく一匹の獣として奔放に森を駆け回って生きていた。


 ヒューに抱きしめられながらイリは大きく欠伸をした。カヨートであるがために彼よりも多くの体力を持つ彼女は一晩二晩寝ることはなくてもピンピンしている。だが彼の腕の中は心地よく、それが彼女の眠りを強烈に誘うのだ。彼女に含まれる犬としての習性故だろうか、彼女は自分へ向けられた愛情を強く感じてそれに見合う忠誠心で返そうとする。かつて彼女もヒューに命を救われた身分だった。


 そんな中イリはそろそろとヒューを起こさないように彼の腕の中から抜け出た。その動きは気付かれていなかったようで彼は深く眠り続けている。どうやら自分の毛皮のおかげで悪夢を見ることはないようだ、それが彼女に喜びを与える。


 彼女が愛する者の腕から抜け出たのは他でもなく、何かの気配を感じたからであった。腕から解放されると大きく伸びをしてその体を再び人の身に戻した。その鋭い嗅覚から相手が獣でないと悟った以上人の身である方が都合が良いと思ったのだ。


「もし、どなたか存じ上げませんが姿を見せて頂けませんか?」


 気配の方に向かって声を掛けた。闇雲に襲い掛かるほど血の気の多い彼女ではない。そうすると木陰からがさがさと音を立てて一人の女が姿を見せた。


「申し訳ありません……火にあたらせて頂ければと思いまして……」


 火の明るさに引き寄せられるようにしてこちらに近づいて来たようだ。まだ若い少女は赤みがかった髪を持ち、この時代にそぐわないショートカットは何かの決意めいたものを感じさせる。どうやら野党の類ではないらしく、その立ち振る舞いは気品さえ感じさせる。


「ただ今私の夫が寝ております故、しばしお待ちいただいてよろしいでしょうか? 許可なく他人を近づけさせるわけにはいきません」


 睨み付ける様な瞳のイリに対してその少女は完全に気圧されて萎縮する。


「誰が夫だ……」


 ヒューが目を覚ました。イリが彼の元を離れたせいか眠りは浅くなっていたようだ。体を起こして目をこすりながら少女を見ると、彼は驚いたような表情を見せ、同時にその顔がわずかに曇る。


「こっちへ来な、どうやらお困りのようだ」


 彼の言葉に少女の顔が明るくなった。


「ありがとうございます……」


 少女が一礼をする。その丁寧さからは彼女が貴族かそれに関係する身分であることがヒューにはわかった。彼もかつて身に着けた儀礼だった。


「ヒュー様は優しすぎます。何者かもわかりませんのに」


「身なりからして野党や悪党といったものでもないだろう。それくらいわかる」


 イリに快く思われていないことは承知でも少女は火に近づこうとする足を止めることはできなかった。それほどまでに彼女の限界は近かった。


「セレと申します。道に迷ってしまいこのような場所に……危うく野垂れ死ぬところでした……」


 そう言って座り込んで大きく息を吐いた。よほど安心したのだろう、彼女の空気が弛緩していくのがわかった。


「俺はヒュー、こっちはイリ。こいつのことは気にしないでくれ。妻でも何でもない。ただの変人なんだ」


 その言葉を受けてイリは大げさに手を口に当てて驚いた素振りをする。


「まあ! 何て言いぐさでしょう! 先ほどまで私の体をあんなに強く抱きしめていましたのに! 私はあなたの一体何なのでしょうか?」


「ペットか……いやそれはそれで色々と問題が……」


 繰り広げられる妙なテンションの会話に付いていけずにセレは終始困惑気味だ。


「えっと……」


「気にしないでくれ。それよりどこへ行こうとしてるんだ?」


「ヤキスに……」


 それはこの森の西に存在する小さな都市の名前だった。彼が目指すターロットまではまだ距離がある。それ故に付きかけた食糧を補給するためにヒューもそこへ寄るつもりだった。


「とりあえずの目的地は同じということだな。今日はここで寝るといい。明日一緒に出発しよう」


「あ、ありがとうございます」


 ヒュー達に対してセレはあまり警戒心を持っていないようだ。その主な要因はイリという気の抜けた存在のおかげだろう。人を騙すにはあまりにも無防備で馬鹿らしい。


「食事は済ませたのか?」


「それが……手持ちは尽きてしまいまして……それで街道を歩くより真っ直ぐ森を突っ切る方が早いかと思ったのですが……愚策でした」


「だろうな……こっちの食糧もあまりない、満足行くかはわからんが少し分けてやるよ」


「そんな……」


「気にするな、出会った以上行き倒れになられても目覚めが悪い」


 見ず知らずの人に対してここまで優しくできるのは彼の持ち前のものかそれとも相手がか弱い女性だからだろうか。だがセレを見るヒューの瞳には何か慈しみのようなものを感じずにはいられない。そんな彼に対してイリが二人の間に立ちふさがるようにして割って入る。


「ヒュー様は優しすぎます。こんな娘に贅沢させるわけにはいきません。もう一度リスでも捕まえてきましょう。それで十分でしょうに」


 セレに対する言葉は辛辣だ。


「何でそんなに冷たく当たる……こんな女の子が困っているのは見過ごせないだろう」


「だからこそでございます。ヒュー様の伴侶は私と決まっていますのにこんないきなり現れた娘っ子に恋愛感情でも芽生えられたら困ります」


「今お前への殺意が芽生えそうだ……」


 彼女の持つ縄張り意識がそうさせるのであろうか。今まで二人で旅を続けて来た上、ヒュー以外の人と関わることがなかったイリにとってセレは未知の生き物であるため激しく彼女を警戒していた。


「け、喧嘩はしないで下さい……そうだ、食糧を買い取りましょう。それでいかがですか?」


 ヒューが自分に何か施すということが気に食わないというのなら、それを取引にしてしまえばいいというセレの考えであった。


「悪くない話だと思うが……?」


「……ヒュー様がそれでいいのでしたら」


 この荒廃した国の中でも金の価値は変わらない。むしろ食糧の値段が上がることによってさらにその価値は増すといっても過言ではないだろう。貧しい農村部などでは食糧を売る余裕すらないということもあるだろうが、都市部においてはまだ法外な値段でそれらは売っている。イリもそれを知っていた。


「だそうだ。というわけでまずはこれでも食え。倒れそうな顔をしている」


 なけなしのパンをセレに渡す。彼女は慌ててカバンから金をとり出した。パン一つとしては少し高めとも思える額を渡されてヒューはやはりか、と憶測が確信に変わるのを感じた。


「それで、貴族様が何を求めて彷徨っているんだ?」


「どうしてそれを……?」


 身分を隠そうと言う気はあったのかとヒューは心の中で苦笑する。


「金を持っているからだ。それを惜しむ様子もない。金を持ち出して家出でもしたのか?」


 そう言うとセレは少し黙りこくって、重く口を開いた。


「それだけは言えません……」


「そうか、別に構わない。所詮はヤキスまでの間の連れ合いでしかないしな」


 それに彼自身も旅の動機を語ることはできない。セレは罰が悪そうにしながらもパンを齧り始めた。そんな彼女をイリが相変わらず訝し気な目で見つめている。


「いいですか? これからヒュー様はお疲れですのでゆっくりと私を抱き枕にして眠られます。ゆめゆめ邪魔なさらないように」


「はあ……」


 気の抜けたような返事がセレの口から漏れ出した。


「さあ、ヒュー様、先ほどの続きと参りましょう! 私を力いっぱい抱きしめてもう一度安眠なさってください!」


 胸元に飛び込もうとするイリの頭を押さえつけてヒューはそれを拒否した。


「もう今日は眠れる気がしない。お前も大人しくしていろ」


「そんな……」


 しゅんとなったイリはその場に座り込んだかと思うと、いじけたようにセレからそっぽを向いてその場に寝転んだ。


「あの……お二人は一体どう言う……?」


「ただの主従だと思ってくれ」


「そうですか」


 腑に落ちなさそうな顔をしながらセレは食事を始めた。そんな彼女の顔をヒューは気付かれないようにまじまじと見つめる。見惚れているというわけではなさそうだ、そこにはやはり確かに悲哀の色が見える。

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