彼らは狩人
「同業者かと思ったが」
少し小高い岩の上から赤目狩りのザグが小さく呟いた。それはヒューら一行のことだろう。
「違うな、ザグ。それどころか一人、赤目が混じっている」
ザグに見張りを任せて得物の手入れに執心していた頭目のガタンがかすれた声で答えた。その声はかつてその喉を貫いた矢が原因だと言われている。そしてその矢を放ったのはザグであった。
「赤目が? どれだ? 何でそんなことがわかるんだ?」
訝しげにザグが聞いた。
「恐らくあの薄茶色の頭の女だ。歩き方が違う」
それを聞いてもザグにはイリの姿も、ましてや歩き方にも妙なところを見つけることはできない。隣にいる冷静なことで知られるシャゴーですらそうだった。
「前に姿が人と変わらず獣に変身する赤目がいたのを覚えているか?恐らくその類だろう、四つ足で歩くことが多いからかは知らんが、人と歩くリズムが違う」
ザグは感心するでもなく少し恐ろしくなった。普段からガタンには頭が上がらない彼である。それは彼が誤ってガタンを撃ち抜いたこともあるが、それ以前にこの鋭い洞察力や突拍子も無い思考のせいでもある。
「さ、流石だぜ兄貴」
それでも腕っ節にしか自信のないザグにはガタンについていくことしかできない。彼一人の頭では赤目狩りなどできようはずもないし、分け前は平等だった。喉を撃ち抜いた時も一発ぶん殴られるだけで済んだ。そんな彼に少なくとも恩義を感じないザグではなかった。
「洞窟に入ったようだが、どうする?」
「出てくるのを待つ。閉所では奴らが有利だ」
賢しいガタンはカヨートに真っ向から向かうことはしない。そして事前に辺りの地形は調査済みで、その洞窟がどこかへ繋がっていることもないと知っていた。
「いつも通りだ。仕掛けは終わっているんだろう?」
「ああ、勿論だ」
そう言ったのを確認するとシャゴーは岩から降りて影のように動き出した。所定の位置につくのだろう。彼はほとんど話すことはない。だがザグは彼のことをよく知っている。そして知っているからこそ、ガタンよりも恐ろしかった。
「あいつらが動き出したら教えろ」
それだけ言うとガタンは再びその刃をより鋭利にするための作業に戻る。種々の罠で獲物を追い詰めた後は必ず彼の手で喉元を切り裂く。まるでそれは自分の傷の恨みをぶつけるように。その度にその対象が自分でないことにザグは心底安心する。
「行こう……」
重苦しくヒューは口を開いた。チャクの傷の痛みも引き、彼らが整えるべき準備は終えた。後は覚悟を決めてここを出るのみだ。
チャクが先導し、殿にイリを置いて人二人はその間を行く。目指すべきはこの先の村だ。チャクを密告した村人がいるだろうが、とりあえずは人目の多い場所に向かうべきだと彼らは判断した。そんな場所ではガタン一味も無理はしないと祈るしかなかった。
チャクが彼らがついて来れるであろうスピードで走り出す。そして村への最短の道をとると共に、足元への警戒を忘れない。ガタンらが周囲に罠を仕掛けている可能性が高いからだ。最後に飛び出したイリはその瞬間に確かに何かが動き出す気配を感じた。しかし五感の一つを潰された状態ではその正確な方向と距離を導き出すことはできない。彼らを排除することが一番手っ取り早いと分かっているものの、情報の不正確さからそれを行うのは危険なことだと本能的に理解していた。
「止まれ!」
チャクが突然足を止めて叫んだ。
「気を付けろ……罠だ……」
予想通りにそれは仕掛けられていた。簡易なものではあるが彼らの足を止めるには十分だろう。ガタンらは彼が村に向かって走るであろうことも予想していた。チャクがさらに周囲を注視しつつ慎重に歩き出すと、似たような罠がそこかしらに仕掛けられていることに気付く。それらは物々しく、堂々と配してあり、急ごしらえであることが伺えるものの、うかつに走ることは許されない。
「伏せろっ!」
彼がその瞬間に感じ取ったのはわずかな木の軋みとも言えるような小さな音だった。それが弓をひきしぼる音であると判断した彼は号令とともに自分も地面に伏せた。すると彼の隣に立つ大木に矢は刺さり、背筋に冷たいものが走った。その矢が飛んで来たであろう方向に目をやっても、人影は見当たらない。それどころか全くの別の方向から第二の矢が飛来して地面に刺さった。多数の木々の中、狙い通りに矢が飛んで正確に獲物を届かせることは難しいだろう。だがそれが彼らの心に安心をもたらすことはない。
罠で身動きを封じて姿を見せずになぶり殺しにするつもりなのだと四人にも理解できた。カヨートの二人には何かが彼らを囲うようにして走り回っていることはわかる。それでも罠と封じられた嗅覚によって明確な位置まではわからない。
飛び交う矢の中、身を伏せながら彼らはじりじりと進む。出来る限り木々の密集した場所を経由するように、足元には万全の注意を配して。そんな中一際大きな、小枝を踏み抜いた音が響くのをイリは聞き逃さなかった。咄嗟に音の方向に目を走らせるとそこには確かに一人の男が見え、すぐさま木陰に身を隠した。それを最大の好機と見たイリは全力でその場から跳ねた。驚異的な視力と判断力で罠を見極め、瞬発力と筋力でそれらを大きく避けながら木々を縫うようにして彼女は男の元へ走った。
「イリ!」
ヒューが思わず叫んだ。彼女の行動があまりにもリスクのあるものだと感じずにいられなかった。それでも彼女は止まらない。一人でも減らせば彼らの負担がずっと楽になることは明白であるし、それで向こうが撤退してくれるかもしれないと彼女は考えた。
「うおっ!」
すさまじい勢いを持って飛び出すカヨートの姿を見てザグは間の抜けたような声を出した。明確な殺意を持ったカヨートの姿はどれだけ狩ろうとも慣れることなく彼の心に恐怖を与えた。だがそれも彼にとっては既に赤目狩りのスリルの一部程度にしか思っていなかった。
イリとザグの直線状にある最後の罠を彼女が飛び越えると、ザグは身を翻して退いた。慌てふためいたように足元のおぼつかない走り方であり、一瞬にして追いつけるとイリに感じさせる。そして一瞬の疾駆の後に彼女の爪がザグを捉えたと思ったその時だった。
重い金属音とともにイリの右足に激痛が走る。
「ふう、危ないところだったな」
彼らの特性のトラバサミが彼女の足にがっちりと深く噛みこんでいた。それは草と木の根の間に紛れるように完璧に秘されて配置されたものであり、今までのものとは性質が異なっていた。
「油断しやがったな、赤目の化け物がよ」
彼は知っていた。狩る者が最もその気を緩ませる瞬間を。罠と矢で焦れさせたところにあえて姿を見せることで襲い掛かることもわかっていた。そこに自分の最も自身のある罠の場所に誘い込んだのだ。ガタンとシャゴ―に比べて浅慮なところもあるが、彼もまた幾多のカヨートと戦ってきた狩人なのだ。
「ぐっ……」
普通の鹿用の罠よりも格段に頑強に残酷にデザインされたそれはイリに鋭い痛みを与える。それでも跪くことなく身を立たせて立ち向かう。それが例え虚勢の類であっても彼女はそうしなければならない。そしてザグはそれを理解し、いくらでもやりようがあった。
「イリ!」
即座に彼女の危機を察したヒューは悲痛な叫びを上げた。それでも彼女を助けに行くことは無謀そのものであることも痛いほど分かっていた。脅威となるカヨートが一人減ったことで残りの二人がさらにその包囲を縮めていることがわかる。
「さあてどう料理してやろうか!」
ヒューたちにも届くようにザグが声を響かせる。挑発の類であり、彼らをさらに動揺させて焦れさせるためのものだろう。そしてさらに彼らのミスを誘おうと言うのだ。ヒューは血が出るほどに拳を握りこんだ。