三人は仲良し
夜が明ければ彼らは再び歩き出す。次なる目的地はここから南にある貿易都市ライアラである。当初ヒューはこのまま真っ直ぐ西に向かいターロットを目指すつもりであったが、セレの提案により却下された。ヒューとセレの体力的にも現実的ではないと断じたのだ。ヒューは自分が無茶な旅を敢行しようとしていたことを薄々気付いてはいたが、他に手がないと決めつけていた。
セレの記憶によればライアラにはターロットとの間に交易路を持っていたはずだった。今の国土の状況でそこを行き来している商人がどれだけいるかわからないが、金を積めば馬車で辿り着けるはずだと思ったのだ。それに賭ける方がこのまま徒歩で向かうよりもずっと現実的だとヒューは感じた。
「人目のある街道を避けるのでしたらあちらの山を登った方がいいでしょう。そこまで険しい道ではありませんし、確か山間には小さな村があるはずです」
地図を見ながらセレが小高い山を指差した。
「随分地理に詳しいんだな、セレさん」
ヒューが素直に関心した。ある程度の地図の読み方ならば彼でもわかるが、それに付随した知識までは蓄えていない。貴族の嗜みとして様々な教養を学んだはずではあったが、彼はあまり勤勉な方ではなかった。
「本当に役に立つかわからなかった知識ばかりですが、師に感謝です」
引き換えセレは勉学が大好きだった。それもこれも彼女がその師と大変気が合ったこともその理由である。
「あとヒューさん……」
「何だ?」
振り向いたヒューはセレが少し恥ずかしそうな顔をしていることに気付く。
「セレと呼んで下さい。私たちはもう命を共にする仲間です」
はにかむ彼女は大変魅力的に見えた。ヒューも少し恥ずかしさを覚えたが同時に嬉しさもこみ上げてきた。命を狙われる出来事に巻き込まれながらも彼女は自分を恨むことなく、それに協力してくれる。勿論物理的な援助だけでなく彼女がいるだけで少し旅路が楽しくなるような予感があったのだ。
「じゃあ俺のこともヒューでいい、よろしく頼む、セレ」
「はい、ヒュー」
名前を呼び合うことで信頼を確かめ合い、彼らは年頃の男女らしい気恥ずかしさを覚え、お互いに笑い合った。
「でしたら私のことも是非イリとお呼び下さい!」
二人の間に割り込むようにしてイリがセレに駆け寄った。
「は、はい! イリ、よろしくお願いしますね!」
「セレ!」
「イリ!」
イリはそれを大層気に入ったようで何度も彼女の名前を呼びながら跳ね回って抱き着いた。力加減を完全に間違えたイリはセレを結構な力で締め上げる。
「イリ……く、苦しいです……」
「あら、ごめんなさい」
解放されたセレは安心したように深く息を吐いた。そんな二人のやりとりを見てヒューがクスリと笑った。
「口調は変わらないんだな」
「こ、これは癖のようなものですので……」
ヒューが声を上げて笑った。イリといる時とは別の安らぎが彼の心に去来した。彼女とならこの旅もやり遂げることができるんじゃないかと彼に思わせた。思えば今までは半ば投げやりに、やり遂げようなどとは思わずにただ駆り立てられるようにして旅を続けてきたように思えた。途中で力尽きてしまってもいいと、そう彼は思っていた。だが今はセレに無事でいて欲しいと願っている。それは彼が生きていなければ実現できないことだ。彼は生きてこの旅を終える、そう静かに誓っていた。
山にはそこに暮らす者たちがひっそりと用いている小道が広がっていた。おかげであまり人目にもつかずに先日まで歩いて来た森の悪路よりもずっと歩きやすい道を通ることができる。おかげで傾斜も大してつらくは感じずに、セレが足を挫く心配もせずに進むことができる。
「鹿がいますね」
イリが鼻を鳴らしてそう言った。人の姿でもその鋭い嗅覚は健在だ。だがその身であまり匂いを嗅ぎまわる姿は人前では目立つので止しておいた方がいいとヒューから言われている。
「お前の晩飯か?」
「場合によっては、セレに捌いて頂いてもいいのではないでしょうか」
「私の技術だと時間がかかりそうですが……」
夕闇が辺りを包むくらいまで歩くと山にある村の誰かの所有と思われる狩猟小屋を見つけることができた。中には誰もおらず、彼らはそこを借りることにした。
火を点けて、荷物を置き、一息つく。二日も続けて屋根付きの場所で眠れるなんて、幸運なことだとヒューは自虐的に思った。
「さて今宵も狩りにでも行きましょうか」
セレは気合十分といったところだ。今までは自分の腹の足しにしかならなかった獲物が、セレのおかげでヒューのためにもなることがわかった以上、やる気が出るのも無理はない。
「別にいいんじゃないか? まだ食糧には余裕がある。そう無理して捕まえなくてもいいだろう」
「あら、余裕を持つというのは大事なことだと思われますよ。捕まえられる時に捕まえなくては」
既に出かける気になった彼女を引き留めることは難しいようだ。
「それにだな」
そんなイリに対して珍しく意地悪な笑みをヒューが浮かべた。
「はい?」
「ここらは狩りがよく行われているようだ、誰かさんが鹿の罠にでも引っかかったらことだ」
「あはは、イリさんがそんな罠に引っかかるわけないじゃないですか。失礼ですよ」
セレが笑いながらイリの方を見る。するといつもの飄々とした雰囲気は消え失せて、消沈したように目を瞑っていた。
「え、あ、その……」
その様子から何かを察したセレは自分の過ちを認めた。
「一度だけ、あるんです……引っかかったことが……」
獣を凌駕する者、カヨートとしてのプライドがイリにもあるようで、それは中々不名誉なことのようだ。
「す、すいません……私また余計なことを……」
セレは素直に頭を下げる。そんな彼女に対してイリは優しく微笑んだ。
「いえ、お気になさらず。当時はまだ何も知らぬ頃でしたから……」
「苦い思い出ですね」
セレの言葉に対してイリは顔を上げて満面の笑みで返した。
「そうでもないのですよ、私にとってはかけがえのない思い出です」
「そ、そうなんですか?」
「はい、何と言ってもそれがきっかけでヒュー様と出会えたようなものでしたから」
気持ちを翻してイリはヒューに抱き着こうと飛び掛かるもいつもの如くあしらわれていた。一瞬にしていつもの調子を取り戻したようだ。
「そう言えばお二人はどのようにして知り合われたんでしょう?」
その質問を待っていたと言わんばかりにイリが笑顔でセレに詰め寄った。
「お聞きしたいですか⁉︎ お聞きしたいのですね⁉︎」
「え、ええ……是非……」
イリのテンションの高さについていけずにセレは少し困り顔になる。だがイリはそんなことお構い無しに語り出した。