事態は深刻
「確かアディール家は……」
戸惑いの表情を浮かべながらかすれるくらい小さな声でセレが聞く。それは風の音にかき消されてしまうかのようだ。
「ああ、一族皆処刑された」
反逆による罪でロー本人だけでなくその一族全てが国王の命により処刑されることになった。ヒューも敗戦の報に次いで飛び込んで来たのは父が犯した罪についてであり、平穏な日々は突如として終わり家族も屋敷の使用人たちもまとめて国王軍により捕えられた。
「何故あなたは無事だったんです?」
彼女の目の前にいる人物は亡霊のような存在だ。未だ信じきれないような顔をしている。
「こいつが救ってくれたんだ……」
ヒューがイリの方を向くと彼女はにこりと笑ってヒューによりかかった。
「危ないところでした。ですが私一人ではヒュー様だけを救うのが精一杯で……」
ヒューは今でも忘れることができない。彼の首を切り捨てるために押さえつける者たちをなぎ倒しながら現れたイリの姿を。目を真っ赤にして雄たけびを上げながらその凶暴性を露わにする彼女は救世主と呼ぶには少し恐ろしすぎた。そして何よりそれが彼が見た初めて人の姿のイリだったのだ。
「あなたの悪夢というのは……」
何かを思いついたようにセレが口を開いた。
「そうだな、今でも夢に出てくる。目の前で首を刎ねられたスティが……」
彼らがどういう順番で処刑を行っていたのか、それはわからない。運が良かったのか悪かったのか、ヒューは彼らにとってメインディッシュのように最後に処刑するつもりだった。それ故彼は生き残ることができたが見知った人間の全ての断末魔を聞くことになった。
「あの気の強いスティが泣き喚きながら助けを求めて俺に向けた視線……夢の中じゃ首だけになって俺に怨嗟をまき散らす……」
愛しの妹が目の前で死んだこと、そして自分だけが生き残った罪悪感でそのイメージが夢の中で膨張し、さらに恐ろしい光景へと昇華される。それは幻想に過ぎないが彼の精神を蝕むには十分だった。ヒューに寄り添うイリが強く彼を抱きしめた。
「またつらいことをお聞きしてしまいました……」
「いいんだ、こうなってしまった以上一蓮托生だ」
優しくそう語るヒューは真っ直ぐセレを見つめた。
「それじゃあ、逃げ出したあなたたちは今何を目指して旅されてるんでしょう? ただ逃げ続けているだけには見えませんが」
彼女の言うように彼らが本当に逃亡しようとしているのなら一刻も早くニレン国内から逃げ出すべきだろう。それならば国境を目指すはずが大陸の真ん中から西を目指す彼らの旅は腑に落ちるものではない。
「西を、ターロットを目指している」
「ターロットを? 一体何があるんです?」
大陸の西端に近いその町はそこから船が出るわけでも、彼らをかくまってくれるような何かの勢力が存在するわけでもない。
「少し長くなるんだが……話しておく……」
大きく息をついたヒューがもういいと言わんばかりにイリを自分から引きはがした。貝のようにへばりつく彼女を離すためには普段なら苦労するところだが、今はそんなおふざけをしている場合ではないということを彼女も分かっていたようだ。
「父、ローの側近の書記官にアディンという女がいたんだ。俺も何度か会ったことがある」
思い返せば彼女は不愛想な人間だったとヒューは思い出した。彼女を連れて屋敷に帰って来たことがあったが、いつも父の後ろに隠れて俯きがちに挨拶をしていた彼女は陰気な印象を皆に与えていた。ヒュー本人も目を合わして会話をしたことがない、それをするのはローに対してだけだった。
「俺たちが国王軍から逃げ出した後に、そのアディンの友人という男が俺たちに接触してきた。そいつも変な奴だったな、真っ黒なローブを着て、顔すらわからないくらいに深々とフードを被って……」
「その人は何と?」
「妙なことを言ってきたんだ……父とカヨートは反乱など起こしていない、全ては国により仕組まれたものだと……」
ヒューは戸惑いに近い表情を浮かべている。彼自身その言葉を信じることができていないのだろう。
「その人は何故そんなことを?」
「アディンが全ての真実を書記に残したのだと、言っていた……そして俺にそれを探すように、と……」
「それを探しにターロットへ?」
セレが覚悟していた以上に話は異様な方向へと向かっていた。
「ああ、そこにあるようだとその男が言っていた。国の連中もその書記の存在を嗅ぎ取っていたらしくアディンも国王軍に追いかけられていたようだ、そして最終的に捕まった場所が彼女の故郷であるターロットだったらしい」
「アディンさんはどうなってしまったんでしょう?」
その答えはセレ自身聞くまでもないことであるとわかっていた。
「拷問の末処刑されたようだ。だが決して書記の場所を明かすことはなかったようだ」
「それで、あなたが追われていると?」
「そうだな、今国の連中は躍起になって書記を探し回っているらしい。そしてタイミング良く脱走した俺が何かを知っていると睨んでいる」
「何か手がかりは?」
そう言うとヒューは自分のカバンをごそごそとまさぐって一枚の紙を取り出した。
「その男が俺にくれたのはさっきの言葉とこの紙切れ一枚だけだった。だが正直意味がわからん」
セレはその紙を受け取って広げてみる。そこにはこう書かれていた。
『今あなたは深い悲しみにあるでしょう。ですが泣きはらしたその瞳でしか見えないものがあるはずです』
ただの慰めの言葉としてしかとれないその文を呼んでセレは首を傾げた。
「どういうことでしょう?」
「さあな、俺にもわからない」
「あなたはそれを見つけに行くんですね、父の汚名を晴らすために」
セレがそう言うとヒューは遠くを見るような虚ろな目になる。
「正直、父のことはよく知らない。俺が生まれてからも家にはあまり帰らなかった人だ、それに戦争が始まってからはずっと遠くにいた。国を裏切るようなことをする人なのかどうかもわからない。それでも……」
その目は今を見つめることなく遠い思い出の風景を懐かしんでいるのだろう。
「悪い人じゃなかったと思う」
厳格な人物ではなかった。どこか飄々とした雰囲気を持ち、たまに家に帰って来た時にはヒューとスティを目一杯可愛がってくれた。
「本当に国の陰謀なのか、それもわからない。それを明らかにしたいってわけでもないし、家族を皆殺しにした奴らに復讐したいってわけでもない。俺にそんな力がないっていうのはわかる。それでも、知りたい、俺は……」
そう言うとヒューはイリを見た。それだけで彼女は彼が何を言わんとするかを分かった。
「こんな漠然とした目的に付き合わせてすまない、イリ」
「今更でございます。私の全てはあなた様に捧げると言ったではありませんか」
にこりと笑う彼女に対してヒューはその頭を撫でることで感謝を伝えた。相変わらずの犬扱いにイリは少しやきもきしたが、嬉しいと思う感情が目減りすることはなかった。
「そう言うわけだ、そこで考えたんだが君を家まで送ろうかと思う。国とは言えどリーアンヌには気軽に手出しはできないんじゃないか?」
大きな回り道となることは間違いないだろうが、ヒューにとって今は何よりセレの身が心配だった。
セレはその言葉を受けると強い意思を秘めた瞳でそれに返した。
「いえ、私はあの家には帰りません」
「だが危険なのは今の話でわかってくれたはずだ」
「危険を承知でお願い申し上げます、あなたたちと同行させて下さい! 私も真実が知りたいんです!」
相変わらず勝気な瞳でヒューを真っ直ぐ貫く。貴族の腐敗を許すことができない青臭い正義感に溢れた彼女はローを反逆者に仕立て上げた国が許せなかった。そこには否定の余地など残されていないかのようだ。だがヒューにとってセレは守るべき友であり、旅に同行させることはそれを極めて難しくする行為であることは間違いない。
「駄目だ、君を巻き込むわけにはいかない」
だがヒューも頑なだった。妹を目の前で失った彼はもう彼の側で大事な人が命を失うことは心が耐えきれるものではないとわかっていた。
頑固な二人の押し問答はしばらく続いた。イリはそれをどちらにつくともなく眺めている。彼女としてはヒューの意見に従うべきだとわかっていたが、初めてできた友人が加わることも捨てがたいと思っていたし、何より彼女自身はヒューとセレの二人を守り切ることができるだろうという自信があった。
「わかりました! それではお聞きしますよ?」
討論の果てにセレが大きく声を荒げた。
「何だ?」
「どうやってターロットまで行かれるおつもりですか?」
「そりゃ歩いて行くしかないだろう……」
そう言うとセレは悪戯に微笑んだ。
「へえ、果たして辿り着けるものでしょうか?」
「どういうことだ……?」
「ヒュー様は随分お疲れのようですし、先ほどの町でのお買い物を見たところ路銀も尽きかけているようですが?」
セレの言葉がヒューの胸に突き刺さった。確かに彼女の言うように旅を続けるという点において今の彼は最悪のコンディションであったのだ。
「君がいればそれが解消されると?」
「そうですね、家から持ち出した金はまだ結構あるのですよ。ですが私を家に送ると言うのならそれをお渡しするわけにもいきません」
勝ち誇ったようにセレはヒューを見つめた。
「ヒュー様、私も同行してもよろしいんじゃないかと思います。セレ様の身ならば私が全力でお守りします故……」
女性陣二人に囲まれてヒューは諦めたように大きくため息をついた。
「結局は金か……」