彼らは元貴族
三人は夜の闇を足早に、何も語らずに進んでいた。ヒューとイリはこんな気持ちで旅をしていたのだと、当事者となってしまったセレも感じるところとなった。不安に駆り立てられるようにして彼らはようやく町から少し離れたところにある無人の小屋を見つけ出し、そこを今夜の宿とすることにした。
元は物置小屋か何かだったようで、そこにはベッドも絨毯もない。それでも野宿よりかは幾分かマシだろう。今夜は久しぶりにまともなベッドで寝るはずだったのになとヒューは残念がったが、あのカビくさいベッドなら地面で寝るのと大差ないだろうと少しおかしくなった。
幸運なことに灯りのためのロウソクが小屋に残されており、それを灯すことで彼らの不安を少し和らげてくれた。
夜が更けて風が少し強くなったようだ。屋根が吹き飛ばされるのではないかと心配するほどにガタガタと揺れ、隙間から容赦なくそれは侵入する。そして彼らの拠り所である灯りを不気味に踊らせた。
「ふう……」
疲れからセレは大きく息をついてその場にへたり込んだ。そうして夜風を凌ぐためにずっと着込んでいた外套類を全て取り払い、身軽になるとすぐに横になった。するとセレが慌ててヒューの背後に駆け寄って、彼の目を両手で塞いだ。
「見てはいけません、ヒュー様」
「何なんだ、一体……」
鬱陶しそうに振り払おうとするもイリは頑なにそれを拒んだ。
「あの小娘、かなりの巨乳でございます」
「なっ……!」
「何を仰るんですか! 突然!」
慌ててセレが顔を真っ赤にさせながら自分の胸を隠した。今まではその全貌を外套により秘されていたっため分からなかったが、服の下からでもイリに伝わるほどに、確かに彼女の一部の発育は年相応ではなかったようだ。
「だ、だからって何だ……」
突然の情報にヒューはたじろぎながら未だにイリの手を振りほどこうとしている。
「あれは異常でございます。ヒュー様には私くらいのサイズが丁度いいと思います故、あれに見慣れて私のものが小さいと感じられては困ります」
「そんなの知るか! 勝手に決めるな! さっさと離せ!」
「駄目です! あれは邪悪なものなんです!」
「わ、わかりました! 隠しますから離してあげて下さい!」
そう言ってセレは脱ぎ捨てた外套で前を隠した。するとイリは何でもなかったかのように手を離す。ヒューはそうしてまともにセレの姿を見ることができなくなって気まずそうに目を逸らしている。
「全く……」
ヒューが大きくため息をつく。三人の間に気まずい空気が流れるものの、先ほどまでの緊迫したような空気は少し薄れたような気がした。もしかするとイリにはそういう狙いがあったのかもしれないとセレは思ったが、多分そうではないだろうと何となく感じた。セレが未だに獲物を狙うような目で彼女の胸を凝視していたからだ。
「さて……」
そんな空気に耐えきれなくなったのか、ヒューが口を開いた。
「君の旅の目的を教えてくれないか?」
ヤキスを目指していたはずなのにどこを訪ねることもなく自分達と過ごすと言った彼女が彼にはずっと疑問だった。こうして旅をすることになった以上本当は何を目指して彷徨っているのか、聞いておく必要があった。尋ねられた彼女は少しの間黙り込んだ。
「わかりました……」
覚悟を決めたようにセレは言葉を発する。
「まずは改めて自己紹介をさせて頂きます。私の名はセレ・オロ・リーアンヌと申します」
その名前を聞いてヒューが驚いてセレの方を見た。
「リーアンヌ、結構な名家じゃないか」
「はい、私の誇りでもあります」
イリはその名前を聞いてもピンと来ずに首を傾げているが、王家とも繋がりのある伝統ある一家であることをヒューは知っていた。現在は王都ガーデントの東部にあるシルレン地方の自治を任せられており、であれば彼女はそこからここまで旅を続けてきたのだと彼は驚いた。
「ですが今のリーアンヌに誇りなどというものはありません」
「何故だ?」
セレは苦い顔をしている。
「今のこの国をどう思いますか?」
突然の質問にヒューは少し戸惑ったがその先に彼女の旅の目的が語られるのだとすぐに分かった。
「つらい状況だな、皆飢えて、苦しんでいる」
「その通りです。戦争には負け、国土は荒らされなかったもののサビロアへの賠償金で税は搾り取られて民は苦しんでいます。なのに……」
セレが拳を握りしめた。
「なのにリーアンヌを含めた貴族たちは何もしようとはしません。何も変わらない生活を続けています。贅沢な日々を送ることに何の疑問も浮かべずに……それで……」
「癇癪を起こして家を飛び出したって言うのか?」
セレは少しバツの悪そうな顔になる。あまりにも短絡的だと自分自身でも感じているのだろう。
「民たちの生活を見て回ることで自分にも何かできるんじゃないかって思ったんです……何かできなくても何をすべきかわかるんじゃないかって……」
「無茶苦茶だ……」
ヒューが投げやりに言い放つ。
「わかっています、それでも何もせずにはいられなかったんです。私の師も言っていました。貴族であるからには、貴き者がすべき行いとはどのようなものなのか、それを知らなければならないと……あのまま家で落ちぶれた生活を送っていては知ることはなかったでしょう。後悔はしていません……」
その師というのが彼女の人格形成に大きく関わっているようだとヒューにもわかった。そしてそのセレの本質も少しずつだがわかってきたような気がした。真面目で融通の利かない頑固娘、直情的で自分に嘘をつけないのだろう。
「ということは特に目的地があるという訳ではないんだな」
「……そういうことになります」
彼女が当初自分の目的をヒュー達に話さなかったのはそれがあまりに抽象的で荒唐無稽なものだと自分でもわかっていたからだ。
「それでは……」
少し気恥ずかしいような気持ちをかき消すようにしてセレが口を開く。
「私も教えて頂いてよろしいでしょうか? お二人が追われる理由について」
ヒューとイリが顔を見合わせた。未だにそれを話すことについてヒューは躊躇してしまうようだ。
「セレ様も当事者でいらっしゃいます、語った方がよろしいかと」
そう言われてヒューもやっと覚悟を決めたようだ。
「それじゃあ、俺も改めて自己紹介させてもらおうか」
イリがヒューの隣に座り込んでその手をとった。
「俺の名はヒュー・エル・アディール」
セレは目を見開いた。彼女だけでない、この国に生きる者でその名を聞いたことのない者はいないだろう。
「アディールって……まさか」
「そうだ、俺はあの反逆者ロー・エル・アディールの息子だ」
夜風がその力を弱めて代わりに不気味な音を立て始めた。