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彼女はワイルド

「ヒュー様、ご飯ができましたよ」


 人の目を避けるように木々に囲まれた中で火を焚いて野営する男女がいた。そんな中焚き火から少し離れて辺りを警戒する男に対してベージュ色の長髪の女が呼びかけた。彼女の名はイリ、その笑顔は彼女の持つ人懐っこさをそのまま表すかのようである。だがそれとは対照的に燃える様な赤い瞳を持ってもいる。ヒューと呼ばれた男は彼女の呼びかけを聞いて焚き火の元までゆっくりと近付き、腰元に身につけた剣を置いて座り込んだ。


「妙な小細工はしてないだろうな?」


「はい、言いつけ通りに調理しました」


 彼がそう言うのは彼女が隙を見ては料理にアレンジを施し、それがことごとく裏目に出るためである。彼女がそれを行うのは全て彼に喜んでもらうためではあるが、彼女の味覚は非常に大雑把であり鈍感であり、仕上がった作品が人の身では耐えきるものではない。そのため本来ならヒュー本人が料理を担当するのが良いと彼自身も知っているのだが、彼女は時にどうしても自分が作ると激しく主張する。それは全て彼のために何かしたいと彼女が思っているからである。


「どうぞ、大したものではありませんが」


 料理のアレンジを許してもらえなかったことへの皮肉というわけではない。最後に町に寄って食糧が補給できたのは随分前になり、手持ちが少なくなったためだ。今日の食事も塩漬けの肉を焼き、そこにその辺りで拾った木の実を添えた物にパンだけだ。これを改悪することも難しいだろう。


「ではお食事の間は私が見張りをさせて頂きます」


 イリが立ち上がった。


「別にここで一緒に食えばいいだろう。こんな森の奥で誰か来るはずもない」


 ヒューは彼女に一瞥もくれずにぶっきらぼうに言い放つ。その様子は少し照れくさそうだ。そんな彼の不器用な優しさに対してイリは彼に飛びついて抱き着くことでその喜びを示した。


「流石ヒュー様! とてもお優しいお心遣い、痛み入ります!」


 自分の頬を彼の顔に押し当てて強く抱きしめる。その過剰な愛情表現に対してヒューは怪訝な顔つきになる。


「鬱陶しい! 俺はただお前に倒れられたら困るだけだ!」


 ひっつく彼女を手で押しのけて毒を吐く。突き放された彼女はそれでも満面の笑みだ。


「お気になさらずに、私はもう食事は終えておりますので」


「いつの間に……」


「先ほどその木の実を探すついでに手ごろな小動物がいましたのでさらっと」


「さらっと?」


「はい、さらっと」


「その割に時間がかかったようだが」


「小骨が多かったもので」


 とんでもないことを言い放つ彼女だが、彼らにとってそれは日常的なことであったが故にヒューは特に驚かない。見た目は繊細な少女のようではあるが随分とワイルドな性格であることが伺える。


「そんなわけですので私は辺りの警戒に移ります。ごゆっくり食事なさって下さい」


「いいって言ってるだろう……」


「あら、ご自分は見張っておられたではありませんか?」


「単に落ち着かないだけだ。流石にこんな森の奥では誰か来ればすぐにわかるだろう、お前の鼻で」


 先ほどから彼らが警戒しているのはただ単に野生の動物たちというわけではない。ヒューにとってはそれ以上に恐ろしい物がいる。それはまた忌々しい物でもあり、彼が旅をする理由にも強く繋がりがある。


「そうですね、それではここに居させて頂きます」


 そう言って座り込むとまじまじとヒューの食事風景を見つめている。


「あまり見るな」


「いいじゃありませんか」


「よくない、落ち着かない」


「そうは言いましても好きな方の食事というのはどれだけ見ても飽きませんの」


 平然と言い放つ彼女に対してヒューは呆れたような顔だ。


「腹が減ってるだけだろう」


「そんなまさか、結構大きめのリスでしたのに」


「涎が出てるんだよ。半分やる」


 そう言って自分のパンを千切って差し出した。イリは慌てて涎を拭ったが時すでに遅し、少し照れくさそうにヒューからパンを受け取った。


「ありがとうございます。でもどうせなら口移しがよかったです」


「リスを食った口を俺に近づけるなよ」


 先ほど頬ずりされたときも少し妙な匂いが漂っていたことをヒューは思い出した。


 簡素な食事であったためにその時間はすぐに終わる。とても満足のいくものではなかったがそれでも胃袋が多少満たされたことの安心感からか、ヒューは大きな欠伸をした。


「お疲れのようですね、もう休まれてはどうでしょう?」


「そうしたいのは山々だが……」


 そう言って辺りを見回した。不安感を拭い去ることはできないのだろう。


「大丈夫です。私が起きていますから」


「信用ならない。見張りを任していたと思ったらぐーすか寝ていたのは誰だ?」


「あら、あれはヒュー様のお膝が心地良すぎるのがいけないんですよ?」


「じゃあ、そこで寝るのはもう禁止だな」


「それで困るのはヒュー様ではありませんか?」


 しばしの沈黙が走った。得意げな顔のイリに反して憎らしそうな目で彼女をヒューは見つめる。


「ご安心下さい、今日は我慢致します。それよりも本当に少し休まれて下さい。顔色が悪いですよ」


 彼女はいつもヒューのことを考え、気遣い、それを実行する。柔らかい笑みを浮かべるイリにヒューは絆されて少し素直になる。


「わかった……それじゃあ少し寝る」


 そう言って毛布を取り出すと彼は目を瞑った。イリの言う通りに疲れが溜まっていたのだろう、彼はそれほど時を置かずしてすぐに寝息を立て始めた。そんな様子をイリは愛おし気に見つめていた。


 ここレセナリアはその全土が穏やかな気候に包まれる小さな大陸である。その大陸を二分するように南北に存在するのがニレン王国とサビロア帝国であり、二国は古くから対立し、ついには戦争にまで発展する。そして10年にも及ぶ戦乱は実質ニレン王国の敗北に終わり、国土は荒れ果て、国民は疲れ果てていた。


 今彼らがいるのはそんなニレン王国の中央にある小さな都市の東のはずれにある森である。そしてヒューは大陸西にあるターロットという小さな町を目指していた。戦争による傷跡は各地に残っており、そんな中を旅するのは決して得策とは言えない。各地に騎士や傭兵崩れの野党が跋扈しており、また旅の食糧を調達することも難しい。ほとんどの国民が飢えていたからだ。


 齢20にやっと満ちたほどの年齢である若者のヒューがそんな旅をするのは過酷なものだ。だが彼にはやり遂げなければならないことがあった。彼一人では到底たどり着けないだろう、故に彼はイリを頼るざるを得ない。そしてイリはそんな彼を全力で応援したいと思っていた。


 深く眠る青年の顔を見つめるイリはそんな運命を憎らしく思っている。誰よりも愛する者がそんな苦難を享受することを良しと出来るはずもない。だがそれがあるからこそ彼が自分を頼ってくれることも確かである。そんなことを思っているとヒューの顔が歪むのが見えた。悪夢にうなされている、それは彼にしばしば起こることだった。


「ヒュー様……ヒュー様!」


 そんな彼の体を揺さぶると恐怖に怯えた目で飛び起きた。


「うなされていましたが……大丈夫ですか?」


「ああ、ありがとう……」


 脂汗が額に滲んでいることがわかる。


「また悪夢を?」


「そうだな……やはり眠れそうにない……」


 決して平坦ではない道を歩み続ける身の上に加えて、これがあるため彼は疲弊を極めていた。それほど眠っていたわけではない、体にはまだ疲れと眠気が残っているに違いない。それでも彼は眠ることが怖くなってしまった。


「添い寝致しましょうか?」


「お前が寝てしまったのでは意味がないだろう……」


「大丈夫です、起きていますから。それよりも少し眠らないと本当に体が持ちませんよ」


 そう言うと少し逡巡するが、彼はそれを受け入れる。彼にとってイリはこの旅で唯一の心を許すことのできる場所になってしまっている。


「……頼む」


「はい」


 嬉しそうにイリが立ち上がってヒューに寄り添う。だが彼は少し不満げな顔だ。


「おい」


「何でしょう?」


 彼女は彼が何と言おうとしているかわかっている。それでも少し意地悪な彼女はとぼけてみせるのだ。


「毛皮の方が、いい……」


「仕方のない方ですね」


 彼女が意地悪を言うのはそれを望んでいないからだ。彼女はそのままの体で彼の胸に飛び込みたいのだ。


 イリが再び立ち上がって、ゆっくりと息を吸った。そうしてそれをさらにゆっくりと吐き出すとともに彼女の体に鈍い光と不思議なもやがかかり、その形を瞬時に変えていく。もやと光が払われるとイリが立っていた場所にはベージュ色のウェーブがかった毛並みの大型犬が四足で現れる。どことなく人懐っこそうなそれは確かにそれがイリであることを示すかのようだ。


 そうして犬はヒューの胸元に飛び込む。彼はそれを愛おしくてたまらないように抱きしめた。今夜は安心して眠ることができそうだ。それは彼が何より無類の犬好きであり、彼女の毛皮の虜でもあるからだ。


 ヒューにとってイリは心の支えであり、用心棒であり、そして何より命の恩人だ。

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