それぞれの変化
それからの三日間、俺は時間の許す限り芳弘のもとへ通った。
炎症反応からくる熱が出てきた芳弘は、鎮痛剤を点滴していても終始辛そうに痛みをこらえていた。
蒸し暑い八月の上旬、冷房が効いているとはいえ室内の空気は淀んで重い。瞬く間に汗をかく芳弘を、俺は以前、彼がそうしてくれたように、可能な限りこまめに絞ったタオルでぬぐい、濡れたパジャマを着替えさせた。
世話をしている最中に美奈子が何度か来たことがあった。が、俺はもはや、作業の途中で手を止めることはしなかった。最初、それを見た美奈子は全身に憤りを滲ませて睨んできた。けれども世話を終えた俺が跳ね返すように見返すと、一瞬にして青ざめ、まるで怯えたかのように後退った。それ以降は病室で会っても、美奈子が俺の存在に表立って怒りを露にすることはなくなった。むろん、内にこもった分、亀裂はさらに深まっていったのだろうが、芳弘を世話することのほうが遥かに重要だった俺は、それを妨げるものは容赦なく無視した。
それを目撃した雅俊は恐れをなして口走った。
「こえぇ! 本気で女に怒ったおまえって初めて見た。近寄りたくねぇっ」
俺はさらに冷たい視線を雅俊にくれてやった。
「じょ、冗談は置いといてよぉ……」
胸を押さえながら、それでも雅俊は聞いてきた。
「いいのか? このまま断絶しちまって」
「……それを動かせるのは芳弘だけだ。俺は芳弘の要望にだけ従う」
あの日生じた感情――美奈子への怒りが、胸の内側に燻っていて自分ではどうにもならなかった。
結局、それが後々俺に、そして芳弘に、それぞれの形で跳ね返って来ることになった。
芳弘の容態が落ち着き、無事回復に向かった八月の中半ば過ぎ、俺たちのファーストアルバムがとうとう発売された。
Gプロ事務所には発売当日に完売したとの報告が販売担当者から次々に届き、その夜、初日の総売上が十万枚を突破したと聞いたときは、さすがに俺も祐司も興奮を隠せなかった。ましてや雅俊は言うまでもない。
雅俊にとって、楽曲を作ることは本能に近いが、それをヒットさせることはまた別の挑戦になる。
〈T-ショック〉を立ち上げる時に誓った、国内NO.1ロックバンドという目標は、俺や雅俊にとって、生まれ持った宿命という厚い壁を打ち壊すための第一歩だ。
――権力を持つ者からこれ以上、蹂躙されないために、自分たちの力を蓄え、高い地位を勝ち取り、誰にも侵されないテリトリーを築く。それが俺たちの誓い――。
雅俊は普段、自信ありげに振る舞ってはいるが、曲作りに対する異常なまでのクオリティへのこだわりが内心の緊張を物語っているのを、俺も祐司もわかっていた。今、その最初の壁を打ち破ることに成功した雅俊へ、だからこの時ばかりは祝福を惜しまなかった。
その夜はGプロ総出で近くのレストランを貸し切っての祝賀会が開かれた。一ヶ月半後に迫ったイベントの準備に追われて参加できなかった若砂から、アヤセ・トベの名で十五本の高級シャンパンが届けられた時は会場が一気に盛り上がった。
やがて宴会がお開きになり、俺と雅俊、怪我が治りたての祐司はタクシーで帰途についた。
先に着いた俺たちがタクシーを降りるとき、一旦、車を出た祐司に向かい、雅俊が片手を差し出した。
「祐司、ありがとう。あんたがおれに腕を預けてくれたから、おれは自分の音を追求できた。祐司と出会えたことに感謝する」
祐司は少し驚いた顔でその手を握りしめた。
「どうした? 珍しく神妙じゃないか」
「さすがに、ここまで来れて思うことがあるのさ。……これからも色々なことで世話をかけると思うけど、おれたちのこと、よろしく頼むな」
色々なこと――それは、腰に怪我を負いながら、普通に受診できなかった類いのことを指すのだろう。
祐司は口元で笑った。
「任せておけ」
「ありがとう。じゃあ、また明日」
雅俊の声を合図に祐司は車内に戻り、動き出したタクシーを見送って、俺たちはマンションに入った。
シャワーを浴びてリビングに戻ると、先に済ませたはずの雅俊がソファーに座り、珍しくグラスを傾けていた。ローテーブルに目をやると、滅多に飲まない蒸留酒が置かれている。
「どうしたんだ。テキーラなんか開けて」
雅俊の手元を覗くと、氷を入れただけのグラスに注がれた透明な液体が、小さくした部屋の明かりを、揺れるように反射している――ロックなのだった。
テキーラはカクテルに使われる無色透明の強い酒で、祐司のような酒豪ならロックでも飲むが、酒に弱い者は水割りでも覚悟がいる。違法ホスト時代、散々酒の席に侍らされた俺たちは、未成年者にありがちな背伸びして酒に手を出す心境とは無縁だった。
「雅俊……?」
「悪いな。気にしないでくれよ」
そう言いながらも、ビンのそばに置かれたアイスポットには氷が山積みにされ、グラスと水がレモンの切れ端とともに置かれている。一人になりたくないのだ。
「俺にも作ってくれよ。薄いヤツな」
付け加えたセリフに、雅俊が小さく笑った。
「承知した」
流れるような手さばきで水割りが作られていく。昔、イヤというほどやらされた俺たちの作業だ。
「さあ」
隣に腰かけると、レモンと氷を浮かべたグラスがテーブルに置かれた。俺は手に取ったグラスを軽く雅俊にかかげてから飲んだ。ピリッとした辛味を含んだ冷たい液体が喉を滑っていく。腹の底に落ちると、それは瞬く間に熱に変わっていった。
「……小夜子が、これを少しだけ入れたライムのカクテルが好きだった」
ポツリ、と雅俊がこぼした。
彼がその名を口にしたのはあまりに久しぶりで、咄嗟にはその人の像を脳裏に結べなかった。が、ビンのそばに置かれた銀色の鍵を見た途端、まざまざと思い出した。
小倉小夜子。
それは雅俊の母親が再婚した相手の娘――義理の姉になった人の名前。
過酷な立場に置かれた雅俊を慈しみ、庇い、彼を小倉家の軛から解き放つために盾となって死んでいった、最愛の女性の名だ。
手元にある一対の鍵は、山手にある小倉家のセカンドハウスの鍵――本物のプラチナと宝石を使って作られた彼女の形見で、三年前、遺言によって雅俊が相続したものだった。今、その建物は彼のアトリエになっている。
「小夜子に報告したんだ。おれたちはここまできたぞ、って」
雅俊は、またグラスを手に取って傾けた。強い酒だろうに酔っていく気配もない。
「そうか……」
芸術に秀でた彼女は雅俊に才能を見いだし、絵画や音楽を伝えた。俺も雅俊に連れられて何度かレッスンを受けた。生きていればさぞかし今日の成功を喜んでくれたことだろう。
「でも、おかしいんだ。……なんでだろう。おれたちが目標に近づいた証の、嬉しい報告のはずなのに」
雅俊の手から、氷だけになったグラスが滑り落ちた。
「……っ」
咄嗟に手を伸ばし、床に落ちる前にそれをつかむ。
「雅俊……」
体勢を戻して横を見やると、雅俊の目が宙をさ迷っていた。
「アルバムがヒットしたらおれたちの地盤が固まる。立場が強くなって、経済的にも自立できる。もう誰かに養われて、代わりに自由を奪われることもないんだ。なのに……」
彼はソファーの上で体を縮め、両足を抱えると、今度は膝に頭を伏せた。
「なんで、こんなに苦しいんだ?」
俺は頭に手を伸ばしながら、その理由に思い至った。
今の雅俊には、他に喜びを分かち合いたいと思う人はいない。父親は八年前に他界し、母親は再婚したあげく、彼を小倉家当主、倒錯した少年嗜虐壁を持つ義父に捧げてしまった。俺と雅俊は、そういう意味で極めて境遇が似ている。雅俊にとっての小夜子は俺とっての芳弘だ。
ただし、結末は恐ろしいほど違う。芳弘は今も俺をその腕で支え、彼女はすでに逝ってしまった。この先どんなに雅俊が成功を収めても、伝えるすべはもうないのだ。
彼女に誓った成功への扉にようやく手が届いた――それが雅俊の心の奥底を揺さぶり、そこにしまわれた狂おしいほどの慕情を露にしている。どんなに求めても、もはや叶わない雅俊の切ない姿だった。
「吐き出せよ」
「拓巳……」
「おまえは泣きたいんだ、きっと」
悔しくて悲しいのだ。小夜子に伝えられないことが。
「………」
「吐き出さないと澱になって溜まる」
前の俺のように。
俺はグラスをテーブルに置くと、まだ髪の乾いていない雅俊の頭を、丸まった体ごと抱えてソファーに寄りかかった。
「―――」
体温が移り、熱を伝える。病院での芳弘の姿を見てしまったためか、小夜子を永遠に失った雅俊の切なさが現実味を帯びて胸に迫り、心を揺さぶった。
「我慢するな。一人が辛いなら……慰めてやるから」
「拓――……」
――その夜、雅俊の数年分の想いが、俺の体を駆け抜けていった。
そして次の日。
「よー……雅俊。だから、はやく電話しろよ……」
「ムリ……ちょっとムリ。拓巳、頼む」
真夏の強い日差しがカーテン越しに光を届ける寝室のベッドの上、頭を抱えたままの雅俊が、苦痛に呻きながら俺の脇で丸くなって答えた。
「俺こそムリ……っていうか、俺のはおまえの仕業だろっ。……責任取って連絡入れろよ……」
俺は俺で、全身が軋んで倦怠感がひどく、いわゆる〈足腰が立たない〉状態にされていた。雅俊もだるそうだが、ヤツの最大の症状は明らかに二日酔いだ。
「……ったく、対して強くもないくせに、気取ってテキーラをロックになんぞするから、そんなことになるんだぞ」
「おまえ、おれに違法ドラッグか何か盛ったろ……」
「妄想に逃げてないで、とにかく、今日は休むって、マネージャーに連絡してくれよっ……」
「わかったよ……」
結局、その日は「食あたりで……」とゴマかしながら、二人揃って一日休むハメになった……。
アルバムの売上げに沸いた夜から一週間後、芳弘は無事退院した。
まだ包帯が取れたわけではなかったが、日常生活に支障がなくなった彼はすぐに仕事に復帰した。
見た目よりも体力を消耗するのが美容師の仕事だ。俺たちもスタッフも心配したが芳弘は取り合わず、店の仕事や雑誌の撮影、そして約一ヶ月後に迫った綾瀬の新会社、アヤセ・インターナショナルのイベントの準備に邁進していった。まるで何かから逃れるために仕事に没頭している――そんな風にも見えた。
ショーで二着を請け負った俺のヘアスタイルの打ち合わせも始まり、この時期、仕事で二人が揃う時間がぐっと増えていった。
芳弘の店で、アヤセのスタッフや若砂を交えて打ち合わせているとき、背後から美奈子の視線を感じることがあった。が、俺はもはや気にすることなく芳弘の求めに応じ、必要な際には遠慮なく店に出入りした。
挨拶も交わさない俺と美奈子に対し、芳弘から指示が出ているのか、店内のスタッフは気遣うことなく淡々と仕事を進めていく。ただ一人、美奈子だけが、俺に近寄らずに過ごしているのだった。
その様子を見かねたのだろう。ショー開催まであと三週間に迫った日の夜、Gプロのビルから出るところで若砂に呼び止められた。
「いいのか? あんな風に目も合わさない状態で」
若砂は、このところ定番のビジネススーツ姿で歩み寄ると、襟元のネクタイを緩めながら聞いてきた。
「後々、困るんじゃないのか?」
あの病院での一件を若砂は知らない。
俺はふわふわした癖っ毛の頭に手をやって一言だけ伝えた。
「もういいんだ。ありがとな」
若砂は鋭く見破った。
「何かあったのか。あったんだな?」
「俺に言えるのは、この先も芳弘の要望ならなんでも応えるつもりでいる、それだけだ」
若砂はちょっと淋しそうな顔をしたが、それ以上は触れてこなかった。
「それはそうと拓巳。結局犯人は見つからなかったって?」
「まだ捜査はしているようだが、他に目撃証言もなくて進展はないらしいな」
芳弘を襲った暴漢は、彼を一発だけ殴ってすぐに逃走したようで、第一発見者であるマンションの住人も、倒れている芳弘を見つけたときに人影はなかったと証言しているという。
「でも、これは明らかに芳弘を狙ったんだと思う。それは祐司のときよりはっきりしている」
問題は、祐司の件が関連するのかどうかなのだが。
「祐司のことは伏せてあるから調べようがないんだ」
「例の、メールの件はどうなったんだ?」
「芳弘に頼んだまま、宙に浮いてたな……今はもう、芳弘も忙しいだろうし」
佐藤マネージャーからは、その後は特に際立ったメールはない、と聞いている。
「オレが事務所のメールを調べるわけにもいかないしな……」
若砂はメールが気になっているらしい。
「メールの内容がどうあろうと、芳弘も祐司も一歩間違えたら命に関わったはずだから、油断するつもりはない」
俺はその話を打ち切りにして、別の質問を投げかけた。
「ところで若砂。その後、家ではどうなんだ。折り合いはついてるのか?」
「オレ? ああ、母さんのことか」
若砂はすぐに反応した。
「まぁ、目をつぶってもらってるってところだ。定期検診だけは行けってせっつかれてて……それがちょっと煩わしいかな」
「親はまだ諦めてはなさそうだな」
若砂は少し困った顔をした。
「尾崎先輩に知れたら『小言を言ってくれる人がいるだけ幸せだぞ』って絶対言われそうだ」
その言い方が本当にその先輩が喋ったかのようで、つい笑ってしまった。若砂も「笑うなよ」とぼやきながら笑みをこぼした。
俺はまた不思議な気分になった。若砂と話していると、どうしてこう、体の底が軽くなるんだろう。
「そうだ」
若砂は脇に抱えていたビジネスバッグから、一通の封筒を取り出した。
「これ、ショーの後に開かれる打ち上げパーティーの招待状。拓巳たちの分を姉さんから預かってきたんだ。その表紙、見てくれよ」
手に取った真っ白い封筒の表を見ると、真ん中にシンボルマークらしい模様が押し印に加工されていた。玉子くらいの楕円の中に、一羽の雉に似た鳥がデザインされ、その下に飾り文字で〈CREST〉と刻印されている。
「クレスト……?」
俺がつぶやくと、若砂が嬉しそうに頷いた。
「冠羽根、という意味だよ。そこにある鳥は冠青鸞と言って、鳳凰のモデルになった美しい鳥なんだ」
「へえ、実在する鳥だったのか」
「その英語名をクレステッド・アーガス、と言うんだよ」
「―――!」
思わず顔を上げると、若砂が嬉しそうに微笑んだ。
「オレも昨日、知らされたんだ。姉さんは一人で決めたらしいから。驚いたけど嬉しかった」
「そうか……! よかったな。おまえの姿勢が綾瀬の心を動かして、名前を残させたんだな」
「そんなんじゃないよ。けど、姉さんには感謝したい。だからオレ、この先も頑張って会社を手伝っていこうって決心したんだ」
「それはいい。若砂には合ってると思うぜ、この仕事。……ホストよりずっと」
若砂は少しだけ苦味の混じった笑みを浮かべながら、尾崎先輩も今度入社するんだよ、と付け加えた。
「それで姉さんにそのことを伝えたら、『じゃあ、入社試験の代わりに課題を出すわね』って言われて」
「おまえにあんのか、そんなもの」
「姉さんにとっては社員の手前があるから形ばかりの軽いテストのつもりなんだろうけど、オレにはハードルが高いんだよ」
若砂は思い出したように肩を落とし、嘆息した。
「なんだか大変そうだな。難しいのか?」
「うん……オレにはこの世界にツテがないから」
その顔は思ったより深刻そうで、俺は珍しく心を動かされた。
「俺が協力できそうなことなら言ってくれよ。少しは役に立つかもしれないからな」
「ホントかっ? 拓巳に頼めるなら――」
若砂は一瞬、目を輝かせた。ところがすぐに「やっぱりいい」と撤回した。そう言われると気になる。
「なんでだよ」
「拓巳には……ちょっと難しいかもしれない。まずは自力でなんとかしなきゃ……ありがとな」
残念そうに話を打ち切ろうとするので、ついムキになってしまった。
「俺だって芳弘のことではなにかと世話になっただろ? 俺が助けになるんだったら遠慮はよせよ。逆の時に頼めなくなるじゃないか」
「そんなことは気にしないでくれよ。オレはいつだって拓巳の頼みならできる限りのことはするつもりだよ」
何の気負いもなくするりと言われ、腹の底に妙な熱を覚えて引き下がれなくなる。
「ならお互い様だろう? いい状態で付き合いを保つコツは一対一が対等でいることだ。俺は、おまえとはこの先もずっと付き合える仲でいたい。おまえは違うのか?」
若砂は一瞬目を見張り、すぐに答えた。
「もちろん、オレも同じ気持ちでいるよ。じゃあ、本当に拓巳にお願いしてもいいんだな?」
「くどい。それ以上、言ったら俺への侮辱だ」
「わかった、感謝する。拓巳に頼めるのならこんなに嬉しいことはない。正直、途方に暮れてたんだ。ありがとう」
今度は素直に頭を下げられ、俺は説き伏せた達成感とともに聞いた。
「で? 何をすればいいんだ?」
「うん。姉さんの課題は、彼女の眼鏡に叶うクレストの専属モデル候補を見つけてくることだから、拓巳なら逆に表彰されちゃうくらいモンクなしだと思うけど、一応、確認するために連絡を……拓巳、拓巳っ?」
俺は、あまりの展開に一瞬、頭が動かなくなっていたらしい。気がつくと、若砂が俺の両肩を支え、俺はその肩にすがっていた。
「どうしたんだ! 貧血か? どこかで休んで……」
「いや、違う。大丈夫だ。ちょっと――」
「あ……もしかして姉さんのこと……」
若砂はやっぱり、という顔をして、すぐに俺を労うような笑顔を浮かべた。
「ごめん、よそう。今のは忘れてくれ。最近は姉さんが姿を見せていてもちゃんとスタッフと打ち合わせしたりしてたから、いけるかなとも思ったんだけど、専属じゃ話が違うよな。気持ちだけで十分――」
「いや」
俺は遮った。……というか、あれだけエラそうなセリフかましておいて、今さら綾瀬じゃ無理、なんてそれこそ恥ずかしくてムリ……。
「……大丈夫だ。任せておけ。ただし、俺がよくても雅俊の許可がいる。普通のモデルが専属契約を結ぶようにはいかないかもしれない。〈T-ショック〉の活動を優先してよければ可能、……ということになるがいいか」
こ、これが俺の精一杯だ。
若砂は驚きながらも喜色を露にした。
「拓巳なら十分だよ! もし姉さんが不服な様子だったら、オレが全力でその条件を呑ませて見せるさっ!」
自信溢れる笑顔が眩しい。やる気に満ちた若砂が全力――ブラックキャッパーの全力! ――でかかれば、いくら綾瀬といえども無視はできまい。
俺は、自分がバカなのか、それともただの見栄はりヤローなのかわからなくなりながら、満面の笑顔で詳しい説明をする若砂をながめていた……。
かくして三日後の午後三時、俺は雅俊に大笑いされながら、送迎スタッフを引き連れた若砂の迎えを受け、綾瀬の立ち上げた会社に契約に行くことになった。
「ついに捕まっちまいやんの~」
事情を聞いた雅俊は専属モデルの条件を、やはりバンドの活動を優先で、とした。
「それさえ守ってくれたら、あとはどこで何してようが構わないぜ」
Gプロには、綾瀬から早くも正式に打診がいったようで、会社側に異存はなく、佐藤マネージャーは嬉しそうに「モデル〈タクミ〉の分は別に登録するからね!」と張り切っていた。
祐司は心配したし、芳弘は真剣な顔で止めたが、俺はもう後には引けなかった。
ここまできて若砂に嘘はつきたくない。
「立ち向かう勇気が持てたことは喜ばしいんだけど、ホントに大丈夫かなぁ……」
俺の身なりを整えながらも芳弘はつぶやき、綾瀬と再会したときどうなったかを思い出した俺も、最後には神妙に付け足しておいた。
「あの、ダメそうだったら素直に呼ぶんで、よろしく……」