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クレステッド・アーガス  作者: 木柚 智弥
残されたもののために
23/24

目覚め


 ――誰かが俺を呼んでいる。

「たくみ」

 雅俊の声? 違うような気もする。

「拓巳。まだ、ダメなのか……?」

 幾つかの話し声を聞いた気もした。だが、すべてに(もや)がかかったようで、はっきりとしない。

「芳兄さん。拓巳の様子はどうだ?」

「変わらずだ……食べたり動いたりはするけど、心はまだここにはないよ」

「そうか……」

 遠く、薄いベールの向こうで祐司の声がした気もした。だが夢を見ているだけなのかもしれない……。


(――拓巳)

 なんだ?

(そろそろ起きなよ)

 起きてるじゃないか、若砂。

(みんな待ってるよ?)

 みんなって、誰が?

(芳弘さんや雅俊や祐司さんや……それにオレも)

 なに言ってるんだ。おまえはここに、俺と一緒にいるだろう?

(いないよ)

 だってあったかいじゃないか。

(ううん、それ雅俊。オレはもう、あたためてはやれない)

 うそ?

(拓巳をあたためるオレは、向こうにいるよ)

 どこに?

(見たい?)

 見たい。だっておまえ、ここにいるのに、なんでか見えないし。

(そりゃそうだ。じゃ、見えるようにしてあげるからおいでよ)

 ほんとか?

(ほんとだよ。さぁ行くよ。ちゃんとついてきてよ? 向こうのオレは元気がいいから)

 待てよ、おい。

 ――ちょっと乱暴かもよ?


「うえっっ!」

 腹に衝撃がきた。見ると、何かが腹の上に乗っている。

「……?」

 触ると柔らかくてあたたかい。けれど、ごつごつもしている。特に腹に当たるところが……。

「痛てえ」

 腹に片手をやって庇うと、それがさらに動いた。

「だぁ」

 何かが顔を叩いた。()けようとしてつかむとそれがまた動き……。

「若砂?」

 目の前に顔があった。若砂だ。

「若砂」

 反射的にそれを抱きしめた。すると何か変なことに気がついた。

「小っせえ」

 抱きしめたそれが暴れて動き出す。つかまえて引き離してよく見ると――赤ん坊だった。

「………?」

 顔や首回りでくるくる踊る癖っ毛。つぶらな夜色の瞳。明らかに若砂の顔だ。

 ふと周りを見ると、見慣れたリビングが目に入ってきた。俺はうたた寝でもしていたのか、ソファーに寝転がっていた。改めて腹の上を見ると、若砂の顔をした一歳くらいの赤ん坊が、俺に脇を支えられて立っていた。ごつごつしていたのは(かかと)だったらしい。

 そいつの目が俺の目と合った。

「たぅん」

 赤ん坊が(しゃべ)り、そして笑った。笑うとますます若砂の顔になる。俺はようやく気がついた。

「……和巳なのか?」

 そのとき、キッチンカウンターのほうから話し声が聞こえてきた。

「いいよ、そこへ置いてくれれば。あれ? 和巳。和巳?」

 姿を現したのは芳弘だった。なぜだか髪が伸びている。彼は腹の上で俺に支えられている和巳を見ると困り顔になった。

「こらっ。乗っちゃダメだって言ってるのに。拓巳くんは今、お昼寝してるんだよ?」

 静かに、と言いかけて起きている俺に気づく。

「ああ、起こしちゃった。和巳は拓巳がお気に入りで困る」

「そうなのか?」

 返事を返した途端、芳弘の目が大きく見開かれた。

「拓巳?」

 俺は面食らって答えた。

「なんだ?」

 芳弘の顔が真剣でコワい。俺は寝てる間に何かやらかしたのか……?

「拓巳っ!」

 芳弘は腹の上の和巳を押し退ける勢いで俺の両肩をつかんだ。

「僕がわかるのかい?」

「わかるって……なんでそんなことを聞く」

 すると芳弘が振り向きざまに叫んだ。

「雅俊、雅俊! 拓巳が!」

 その声に、カウンターから雅俊が姿を現した。やはり髪が伸び、しかも背まで伸びてる気がする。

「どうした芳さん。また()つまずいて転んだのか?」

 なんだかヒドい言われようだ。

「うたた寝してた俺がなんで()つまずくんだよ」

 俺が芳弘の肩越しに答えると、雅俊もアーモンド型の目を真ん丸にした。

「たっ……」

 次の瞬間、その目から涙が一気に溢れ出た!

「拓巳――っ!」

 そのまま胸に飛び込んでくるのをかろうじて受け止める。

「なんだ、どうしたんだ雅俊。若砂に笑われ……」

 そこまで言って気がついた。もう、若砂がいないことに。

「あ……」

「わかるかい……?」

 芳弘が、俺の手から和巳を抱き取りながら切なそうに聞いてきた。

「ああ……そう、だったな」

 目頭が徐々に熱くなってくる。

 そうだ。若砂は()ってしまった。俺に和巳を残して――。

「泣けよ」

 涙声の雅俊が俺の頭を抱いた。

「おまえはもう、我慢しなくていいんだ」

 俺の目からも涙がこぼれだした。

「若砂……」

 長らく凍りついていた俺の心は、雅俊や芳弘の見守る中、ようやく若砂の死を受け止めた。



 芳弘や雅俊の髪が伸びたのも道理で、俺は約半年もの間、正気を失っていたらしい。季節はすでに春の終わりなのだという。

 ひとしきり涙を流したあとで立ち上がろうとすると、和巳を床に放した芳弘が慌てて支えた。

「だから体が変だと思うよ」

「あれ? なんか……」

 足に力が入らない。仕方なくもう一度ソファーに座り直すと雅俊が言った。

「しょうがない。半年は長かったんだ。食事も進まないから痩せてきてたし、最近はよく転ぶんで打ち身が増えちまって」

 そう言われて腕を見ると、確かに記憶より一回り細く、青アザが三ヶ所もある。それでさっきの「蹴つまずいた」発言になったのだと納得がいった。

 眠りついた若砂が静かに息を引き取るのを見届けた直後、俺は芳弘たちの目の前で倒れ、それきり目を開いても何の反応も示さなくなったという。

「これは自失状態――自分を見失った状態です。衝撃のあまり、心に(ふた)をすることで自己防衛したんですね……。ゆっくり休ませてあげてください。ただし生活リズムは壊さないように。昼間はなるべく人と接してください」

 診断した渡辺医師の指示を受け、基本的には雅俊と芳弘が俺の、祐司と陽子さんが和巳の世話を担当して、休日にはそれぞれが交流したのだそうだ。

「でも休みの日以外では、僕はあまり役に立たなくて。(ほとん)どは雅俊が君を()たんだよ」

 これあるを予期していた雅俊は、あらかじめ社長やマネージャーに相談し、仕事を減らして俺の世話をしたという。

「社長とマネージャーも協力してくれたんだ」

 部屋の隅には、段ボール箱にファンからのメッセージカードや手紙が山積みになっていた。

 なんと、あれほど極秘にされていた俺の結婚、そして和巳の誕生が、ファン向けの公式ホームページで公表されたというのだ。芳弘の携帯で見せてもらうと、内容がまた、佐藤マネージャーの苦労を滲ませていた。

〈命の期限を切られた恋人のため、先に式を挙げ、一子をもうけましたが、その後、妻の容態が悪化し、先日身まかるに至りました。拓巳の療養に対し、皆様のご理解と励ましを頂きましたことを感謝します〉

 俺が未成年で父親になったことについて、批判的な見方をする意見もないではなかったが、大半のファンは同情的に受け止め、結果、手紙の山となったわけだ。

「だから安心して休んでいられたんだ」

 雅俊はそう結んだ。事実と少し違う内容での公表に複雑な思いがないわけではなかったが、俺は社長と佐藤マネージャーの気遣いをありがたく受け止めることにした。

「だけど、そろそろ限界かなって話していたところだったんだよ」

 明らかに体が()えてきいたので、いよいよ専門家の世話になるか、と迷っていたのだという。

「間に合って、本当によかった……」

 改めて抱擁してきた芳弘に俺も腕を伸ばした。すると。

「だぁっ」

 和巳が間を割って入るように俺の膝に乗り上げてきた。

「痛いっつーに」

 どうやら打ち身のある場所に、(かかと)の骨が食い込んで当たっているらしい。たまらずに芳弘から腕を離し、小さな体を抱き上げると、和巳はきゃっきゃと喜んだ。その様子につい、顔がほころぶ。すると雅俊が注意してきた。

「気をつけろよ。そいつは独占欲が強いんだ。一度相手をするとなかなか離してくれないぜ」

「そうなのか?」

「おまけに嫉妬深い」

 今のは、おまえと芳さんが自分を(かま)ってくれないから来たんだぜ、と雅俊は解説した。

「嫉妬深いなんて、俺たちの子にしちゃあ、ずいぶんと遠慮がないな」

「そりゃ、おまえに似たんだろ」

「えっ、俺?」

「自覚のないヤツはこれだから……」

 雅俊が嘆かわしそうにこぼした。そうか? と下を向くと和巳にまで「だぁ」と言われてしまった。

 だが、屈託のない笑顔を向けてくる和巳としばらく過ごしたあと、芳弘に抱かれ、陽子さんのもとへと連れられる和巳の姿を見送ると、なんだか自分でも「そうかも」と認めてしまった。

 その夜、雅俊と俺は、いつかの夜と同じくソファーに並び、グラスを傾けて語り合った。

「おまえには助けられてばっかりだ……悪かったな」

「お互い様さ」

 笑みを浮かべる雅俊の姿を俺は改めてながめた。

 雅俊も、以前に比べると一回りほど痩せていた。背が伸びたせいもあるだろうが、グラスを持つ指は骨ばり、顎から頬にかけてのラインが少しシャープになった。もはや今の雅俊に〈天使〉の異名はそぐわない。彼にかけた半年の苦労が忍ばれる姿だった。

「夜、慰めてもらってたんだろう……?」

 ポツリとこぼすと、雅俊は俺の顔をじっと見、やがて口を開いた。

「若砂が言ったんだ。『必ず拓巳を返すから、諦めないで待っていてくれ。オレを恋しがるだろうから、そのときは慰めてやってほしい』って」

「若砂が……」

「おまえはちゃんと帰ってきた。だからいい」

 そして雅俊は黒目勝ちの瞳に強い光を浮かべた。

「おれたちの戦いは続いている。テリトリーはまだ不安定だ。そしておまえには守るものができた。そうだな?」

「――ああ」

 和巳を守り育てる。それが若砂から託された願い。それを俺に課すことで、自分がいなくなったあと、あっさりと生を手離しそうな俺をこの世につなぎ止めたのだ。

「だからおれたちは一蓮托生だ。おまえを助け、和巳を守ることが自分を守ることにつながるんだ。遠慮なんかするな」

 それに、と彼は表情を和らげると口元で笑った。俺はちょっと体を引いた。ヤな予感がする。

「この半年間、おれもゆっくりと時間を過ごしたから、色々な作品ができた。だから安心してしっかり回復しろ。そしたらキッチリ体で返してもらうぜ」

 ………やっぱり。

 それには逆らえないので悔し紛れに言い返した。

「わかったから、おまえもテキーラはそのヘンでヤメとけ」

 俺はまだ、オマエを受け止めるにゃ足腰が萎えてるし、明日、二日酔いになられちゃ困るんだよ、とぼやくと雅俊は困った顔をした。テキーラの瓶は、すでに半分ほど空いていた……。



 次の日の夕方、Gプロへ行くという雅俊と入れ替わりにして、芳弘と、彼から連絡を受けた陽子さんと祐司が和巳とともにやって来た。

「だぁ」

 上がり框で出迎えた途端、和巳が手を伸ばしてきた。それを腕に抱き取ると陽子さんが微笑んだ。

「やっぱりわかるのかしらね。父親のことが」

「お世話をかけました陽子さん。祐司、ずいぶんと待たせてすまなかったな。……ありがとう」

 祐司はどんな感情を秘めているのか、感慨深そうな眼差しをよこし、黙って肩を軽く叩いた。

 リビングに落ち着いた後、四人で今後についてを話し合った。

 体の萎えた俺は、すぐに回復というわけにはいかないので、この先の希望を伝えた。

「自分の手で育てたいんです」

 ソファーにもたれ、膝の上に和巳を抱いたまま伝えると、正面に座った陽子さんは隣の祐司と顔を見合わせた。

「でも拓巳。ただでさえ子育ては大変よ。ましてあなたは人気ボーカリストなのよ?」

「わかってます」

 俺たちの戦い。それも続けなければならない雅俊との約束だ。だが俺は譲る気はなかった。

「もちろん、だめなときは甘えます。でも基本的には俺の手で、俺が責任を持ちたいんです」

 和巳の頭をなでると、小さな手が伸びてきてシャツの袖をつかんだ。

「わかってます。子どもを育てるなんていいことばかりじゃない。ちゃんとした母親でさえノイローゼになる人がいると聞きました。でも」

 袖のボタンも引っ張られる。

「俺は多分、一人ではもう立てません」

 陽子さんが息を呑んだ。祐司は目を伏せ、隣に座った芳弘は黙って俺を見つめている。

「以前の俺、ただ生きていただけの俺なら一人でも平気だった。むしろ煩わしいくらいでした」

 望みもしないのに求められ、奪われてばかりだったから。

「でも、芳弘が俺を拾ってくれて」

 俺は隣の芳弘を見上げた。

「陽子さんや祐司に普通の家族の姿を見せてもらったり、芳弘の手で世話を焼いてもらっているうちに、俺自身にも親しい人を持つ喜びがわかってきて」

 ついに愛することを知り、それを受け取ってしまった。

「俺は味わってしまった。愛情に囲まれた幸せの日々を。これを失うことは、俺にはもう耐えられないでしょう。だからどんなに大変でも、二人で一緒に暮らして、俺たち自身の〈家〉を築きたいんです」

 頭を下に向けると、垂れ下がった髪にすかさず和巳の手が伸ばされた。

「拓巳、あなたは……」

 その手を取りながら顔を上げると、陽子さんが目を(しばたた)いていた。

「あなたは、本当に独りだったのね……」

 芳弘が陽子さんに告げた。

「僕がサポートするよ。そば近くに住んで、お互い助け合えばいい。僕も助かる」

「助かる?」

 首を傾げると陽子さんが芳弘に顔を向けた。

「まだ言ってないの?」

「拓巳は昨日、目を覚ましたばかりだよ」

 陽子さんが口を閉じる。隣を見上げると、芳弘は黙ったまま苦笑した。すると祐司が静かに言った。

「芳兄さんに、子どもができていたんだ」

「えっ⁉」

 子ども? いつのまに!

「そ、そうか。俺が寝ぼけてる間にいい人ができてたのか。よかった……」

 な、と言おうとして気がついた。三人の間に流れる空気がおかしい。特に、陽子さんと祐司が……。

「拓巳、驚かないでちょうだいよ」

「陽子さん! 拓巳はまだ病み上がりだ。落ち着いたら僕がちゃんと説明するから」

「おだまり。拓巳にはあなたの被保護者として知る権利があるのよ。自分だって前に『拓巳を先に選んでいたのに相性を考えずにいたから失敗した』とか言ってたじゃないの。繰り返したくないのなら先に伝えるべきよ」

「――!」

 それはかつて芳弘から聞いたことのある言葉だ。

「あのね。美奈子が子どもを産んでいたの」

「えっ?」

「生後十ヶ月、八月十日の生まれだそうよ」

「八月……」

 その言葉にふと思い至る。

 和巳は本来なら八月一日が予定日だった。俺と若砂が暮らし始めた、あのイベントの頃に授かった子だ。あの当時、芳弘と美奈子はすでに別居していた。そのあとで楡坂(にれざか)の事件があって――。

「まさか、あの時の……」

 フッと体から血の気が引く。

 スパニッシュ・フライ。あの恐ろしい薬――。

「子どもに罪はないよ」

 芳弘が諭すように言った。

「生まれた理由はどうであれ、僕の子どもであることは事実だ」

「芳弘……」

 俺の脳裏に楡坂から聞いたセリフが思い浮かんだ。

(ご主人を取り戻し、子どもを授かって家族で仲良く暮らしたい)

「じゃ、なにか? 子どもをてこに、あの女は芳弘に復縁を迫ってるのか?」

 すると芳弘が答えるより早く、陽子さんが応じた。

「それならまだわかるんだけど、そうじゃなくてね。なんと、この子――優花(ゆうか)というらしいんだけど、その子を両親のところに置き去りにして、新しい男と三ヶ月ほど前に姿を消しちゃったっていうのよ」

「はあっ⁉」

 男と姿を消した――? あれほど芳弘に執着していたのに?

「で、両親が芳弘に連絡してきて、引き取ってくれないかって言ってるの。その両親だってまだ若くて、お金に困ってるわけじゃないのよ?」

 だが、自分たちで育てる気はないわけだ。

「僕の子どもなんだから僕が育てる。それでいいじゃないか」

「よくないわ。あなた、あんな目に遭わされてできた子を素直に愛せるの?」

「俺もおふくろの意見に賛成だ」

 珍しく祐司が意見を言った。その顔が強張っている。

「その子を見るたびに思い出す。ただでさえまだ夜に(さいな)まれたりするのに。無茶だ」

「祐司……」

 芳弘が困ったように祐司を見ている。

「祐司の言うとおりよ。そんな子引き取ったら心を壊しちゃうわ。拓巳からも言ってやってちょうだい」

 陽子さんの剣幕に芳弘がため息を漏らした。俺には芳弘の気持ちが読めた。そんな風に母親から置き去りにされ、祖父母からも疎まれているらしいその子どもを放っておけないのだ。かつて、俺を放ってはおけなかったように。

 俺は和巳を見た。腕の中でうとうとし始めている和巳のあどけない顔、若砂によく似た顔を。

「芳弘は、その子の姿を見たか?」

「見たよ。送られてきた手紙に写真が入っていたからね」

「どっちに似てるかわかったか?」

「……多分、僕に似ているんじゃないかと」

 なるほど。だから疎まれているわけだ。

 瞬時に心が定まる。

「じゃ、大丈夫だ。迎えてやればいい」

「拓巳!」

 陽子さんが声を上げ、祐司が鋭い目線で聞いてきた。

「どうして大丈夫なんだ」

「俺の経験だけど、外見のインパクトは大きいと思うんだ」

「インパクト?」

「ああ。外見から受けるイメージというか、印象っての? それだけで人はある程度、相手を判断してしまう」

 俺の顔がいい例だ。

「その子が美奈子に似ているっていうなら俺だって反対だ。っていうか自分に自信がない」

 たとえその子がよその人から見て優しく可愛くても、俺にとっては違うだろう。

「俺の父親がそうだったように」

「――!」

 祐司と陽子さんが驚いた顔をした。芳弘が痛ましそうな顔で俺の肩に触れた。俺は芳弘に頷きかけ、祐司に目を戻した。

「俺の顔は、父が執着して奪い、そして最後まで拒まれて逃げられた母に生き写しらしい」

「――!」

「父は、俺が小さい頃は無視することで自分を保ち、俺が母と同じ背格好になったら今度は母と混同したんだ」

「そうだったのか……」

 祐司が息を吐き出した。

「憎い、でも憎めない。そうやっておかしくなっていったんだと今ならわかる」

 相手の面影をその子どもの顔に認めたとき、どうしても重ねてしまう想い。

「和巳を見て無条件に愛情が湧く……これは、外見から俺が勝手に若砂を重ねているからであって、和巳自身を愛するのはもっとあとのことだろう」

 でも、最初に思えることは大事なんじゃないだろうか。

「芳弘に似たその子が不幸な目に遭いそうだというのなら俺は無視できない。もし本当にその子が芳弘に似ているのなら、そのままそこにいたんじゃ不幸になる。陽子さんはどうですか? 芳弘に……つまりは祐司にも似た赤ん坊がそうやって疎まれていたら、無視できますか?」

 陽子さんは言葉に詰まったようだった。

「芳弘の子をそんな目に遭わせたくない……まずはその子の姿を確認してみてはどうですか?」


「ありがとう、拓巳」

 陽子さんと祐司が和巳を連れて帰った後、少し疲れてソファーに寝そべっていると、芳弘が声をかけてきた。

「お陰で話がまとまりそうだ。助かったよ」

「俺も和巳のことを同意してもらえたからお互い様だ」

 俺は体を起こすと芳弘に隣を空けた。

 芳弘に写真を持ってこさせた陽子さんは、それを一目見た途端、「うーん」と唸ったまま黙ってしまった。祐司も固まったまま凝視していた。見せてもらうと、なるほど疑いようもなく芳弘の面影を宿した顔立ちの赤ん坊が、こちらを振り向いている姿が写っていた。

 結局、それを目にしては陽子さんも考えざるを得ず、芳弘が引き取ることはほぼ決定したようなものだった。

「正直、困っていたんだよ。もうずっと話が平行線で……」

「俺じゃない。これはその子の運なんだ」

 この世に生まれ()でた運。

「芳弘に似ていた、そのことが事態を動かした。美奈子に似ていたらそうはならなかったかもしれない」

 そもそも疎まれたりしなかったかもしれない。

「本人にはどうしようもないことが人生を左右する……そんなことは、どこにでも転がってるんだな」

「拓巳……」

 隣に座った芳弘が悲しそうな表情を浮かべた。

「そんな顔しなくていい。お陰で俺は若砂を理解できた。だから一緒になれたんだ」

 ともに過ごした時間は短かったけれど。

「芳弘に救われて、若砂に生き様を教えられた。今の俺はもう、自分に価値がないなんて思わない。和巳を託されたから」

 和巳を守り、育て上げるまでは、自分を投げ出すことはできない。

「だから芳弘にも堂々と世話をかけるし、ずうずうしく甘えるぞ。その子ども――優花が来ても」

「そりゃ大変だ。面倒を見る子どもが増えるんだね?」

「そうさ。俺は芳弘の息子なんだろう? だから三人になるぞ。悩んでるヒマなんてないほどにな」

 偉そうに言うと、芳弘はわかったよと苦笑した。


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