SUGER HIGH 甘い病
*
美しさの基準は何処にあるのだろう、貴方は顔、と言うけれど。実際の所、僕もそうだと思う。
全ての初まりは顔なのだ。それは表情であるし、造形であるし、面影である。あなたが歳をとればとる程、それは美しくなってゆく。
出来る事なら、僕もそうであって欲しい。口惜しい。しかし、貴方の前では何の役にも立ちはしない。
容姿と云う血の通った芸術は複雑にして、なお安売りされる気がした。
*
早朝はナチスのガス室の様に人が詰まっていたバスも、午後4時を迎えるとアンモニアを入れたフラスコのように黄色く澄んで居た。
僕は……
ひたすらに今日見た貴方の顔を思い出した。恐らく、ではあるがどうやら僕は鼻筋の通った突き放す様な顔立ちが好みらしい。
そういった不純たり得る自分に辟易しながらも、遺伝子の生存本能は無情にも整った目鼻立ちや声質を求めさせる。
異質。倒錯して居る、と思った。どうにかして現状を打破する必要性に迫られて居た。何故だか知らないが、今だけは貴方の為に死んでも良いとすら思えるから不思議だった。
「恋の病だ」
不意に僕の右側から男の声が掛けられた。聞き違いかとも思ったが、ちらりと声の方向を見ると、そこには僕の方を向いて1人の男が立っていた。
「恋の病だよ、青年。実際に君は死んでしまうだろう」
「誰ですか、貴方は」
「死神だよ」
死神。そう言って男は夜空の様に黒ずくめた細身の身体で優雅に会釈をして見せた。
僕は男にからかわれているものと判断して、はぁ、とだけ言ってこの場を立ち去ろうと歩み出した。
「教師に惚れたんだろう」
やけに通って聞こえた声に、僕は思わず歩みを止める。訝しみながら男の顔へ振り向くと、先程から眉ひとつ動かさずに空気に凭れていた。
「見ていたのか」
「違う。君が俺にそう告げたんだ」
「僕が?」
その通り、と言って男、いや、死神は身を翻して僕に近づいた。輪郭も表情もなにもかも暗闇の中で見る様に曖昧で、服装と同じ、カラスの濡羽根のような色の髪の毛がやけに印象的だった。
「俺は君に左右される死神。君が死を予感したり実際に近づくと姿が表れるのさ」
「……信じられない」
「問題はそこではない。現状を考えろ、青年。今君はまさに死んでも良いと考えて居る」
死神は指を一本立てて僕を指した。
「危険だ。非常に危険だよ青年。何故君と関わりの浅い、しかも何の接点すら持たない者の為に死のうと言うのか」
「死ぬつもりなんて無い。ただ、一瞬そう考えただけの事だ」
「それが既に君を殺して居るのだよ、青年」
語気を強めた死神の物言いに、僕は一瞬怯まされる。死神はゆっくりと自らの顔を片手で覆うと、僕の目の前でその手を撫で下ろした。
「……そんな」
「この顔に殺されたんだろう、青年」
表れた死神の顔は、僕がつい先程挨拶を交わして別れた筈の英語教師のものに変わって居た。驚きと混乱で、僕の舌は痺れて上擦った。
「先生、だったのですか」
「違う。君の心を投影しただけだ。俺は死神。君に左右される死神」
「有り得ない」
僕はだんだんと恐怖を感じ、今直ぐに逃げ出したい気持ちで一杯になる。しかし、目の前に表れた顔に支配された様に、視線をそこから動かす事が出来ない。
「触れてみるといい」
「……」
思考は完全にパニックに陥っていたが、なぜかその一言には冷静に、またどこからか湧き出た興奮によって自然と手が動いた。
僕の冷えた指先が、先生の整った顔を滑ってゆく。おぞましいまでの快感が、僕の全身を走ってゆくのがわかった。
「心拍が完全に上昇した。心臓発作で倒れるつもりかい、青年」
「いや……違う……けれど、それでも構わない」
「良くないな」
死神はそう言うと僕の手を払い退け、もう一度片手で顔に触れて元のぼやけた顔を現した。
「完全に心奪われて居る。生きながらにして臓器を提供したのと同じ事だ」
「それがどうした。僕は先生を愛して居る、それの何が悪い」
「善悪の問題ではない、君の生き死にが問題なんだ。青年よ、君はまだ若い」
死神の氷河の様な指先が僕の頬に触れた。新雪の中に顔をうずめた様な、凍えそうな冷気が伝わって来る。
「病は必ず君を蝕むだろう。美しさとはつまり、顔ではない部分にあるのだ、青年よ。顔立ちの良さは毒だ。解毒剤なき、猛毒なんだよ」
「頭では理解して居るさ。しかし、事実、僕はそれで構わない」
良くないな、と死神は繰り返す。僕は死神の言葉を反芻しながら、静かに教師の顔を思い浮かべた。
この世に二人と居ない、完璧な造形。心を鷲掴みにして離さなかった。手に入るものなら、どんな悪行すら厭わない気持ちになれた。
「僕に構わないでくれ」
「……それが君の本心なら、今は素直に消えよう」
死神は口惜しそうに言い残し、周囲の影と闇をかき集めて同化し、液体のようになって空中に霧散した。
僕はその光景を見つめながら、やがて一人の空間になったと気付くまでその場に立ち尽くしていた。後には何も残っていない。残り香すら。僕は夢から覚めたかの様に朦朧とした気分を抑えながら、帰路に着いた。
*
翌日、僕の目の前に顕われた光景はひどく滑稽なものだった。
あれほど心酔した教師が髪型を変えていたので、僕は落胆したのだった。完璧であった筈の存在が、いとも容易く破壊されている。僕は無性に遣る瀬無くなり、ひたすらに唇を噛み締めて俯いた。
帰り道、何気なく寄った雑貨屋で山の様に並べられた商品を眺めていると、すらりとした容姿で年若い、美しい人が立っていた。
僕は意図せずその人を目で追ってしまう。不思議と心は軽くなり、あられもなく幼稚な期待と熱を注いでしまって居た。
内心で、乾いた笑いが湧いて来る。昨日までの決意は何だったのかと、自分で自分が情けなくなった。同時に、どこか希望が湧いたように晴れやかで安心しても居た。死神が話しかける。
「恋の病だ、青年」