86手目 捻り合う少女
……ここで5二歩、同飛、6四歩は、どうかしら?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
6三の地点には何も利いてないから、当然に同歩。そこで9五歩と端攻めを敢行すれば、同歩、同香、8二角、9一香成、同角、9八飛、9三歩、9五飛。これが6筋、5筋を全面防御してて、以下、7三角、7五飛に5五歩と突けないわ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
うん、これがいいんじゃないかしら。手筋っぽいし、5二歩。
サーヤは30秒ほど考えて同飛。私は間髪入れずに、6四歩と突いた。サーヤもほぼノータイムで同歩。読んでいたのか、それとも取るしかないから、読んでたフリをしたのか。
……9五歩。私は端の歩を突いた。
「端か……」
そうそう、端ですよ。
この発言だと、そこまで深くは読んでないっぽいわね。
サーヤの考慮時間に合わせて、私は同歩以下を読む。
3分後、サーヤは端歩を取らずに、7三桂と跳ねてきた。
ふむ……取りませんでしたか……。
行きがかり、9四歩と取り込むしかないけど……9四歩、7一角、9三歩成、6五桂までは、進みそうね。これが角当たりだから、6六角と逃げて……玉頭戦になりそう? 例えば3五歩、同歩、5五歩、同銀……続かないかな。
もうちょっと、中盤の捻り合いになりそうかしら。
じゃあ、9四歩として、様子を見ていきましょう。9四歩。
私が歩を取り込むと、7一角、9三歩成、6五桂、6六角まで、ぱたぱたと進んだ。私が角を逃げたところで、サーヤは再び長考に入る。残り時間は、私が11分、サーヤが……15分か。逆転しちゃったわね。端の攻防でごちゃごちゃ考え過ぎたかも。反省。
6五に桂馬がいるから、5五歩の合わせが効かないのよね。同歩、同銀、5七歩。これで完全に止まっちゃってるわ。7一に角がいるから、4四銀とも出れないし…点。
むしろ、サーヤの手に乗って、次に7五角とでもしてみる?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
単純だけど、これが厳しいかも。次にあからさまな6六歩があるし、かと言って、これを防ぐには、すぐさま攻撃を開始するしかないわ。そこでサーヤに手がなければ、桂馬を取り切って勝ち。
うん、この路線でいきましょう。7五角以下を掘り下げまして……。
パシリ
あうち、指しましたか。どれどれ……。
うッ……攻めて来た……。
3五歩、同歩……攻めは細いはずよ。同歩。
私が歩を取ると、サーヤは持ち駒の歩に手を伸ばす。
いきなり3六歩? そう思った矢先、その歩は別のところに打たれた。
ん? この歩は……私の5二歩と、似たような手だけど……。おそらく、同飛で5筋を薄くさせて、5五歩、同銀、5六歩の、垂れ歩作戦かしら? そのとき5六金は、3六歩と打たれてダメって言うシナリオだと思う。
でもでも、5六歩を同金とせずに、5八歩で受かってないかしら? 以下、後手はすることがなくなって、7五角か、あるいは9二ととかを容認せざるをえないような……。
うーん、サーヤとしては、それでも指せるってことなんでしょうね。だったら、敵のよく分からない囲いは、そこそこ堅いと思った方がいいかも。
まあ、取らないと7九歩成で、サーヤの方が速くなっちゃうし、同飛。
私は歩を払って、チェスクロを押す。さっきの局面を見る限り、サーヤは玉頭戦に勝負を賭けて、私はそれをかいくぐりながら飛車を捌く展開になりそうだ。玉頭戦になれば、後手玉の深さが活きてしまう。薄そうなサイドから攻めたい。
サーヤは、さらに2分ほど念入りに読んで、5五歩と突いてきた。これは私の読み通り。即座に同銀として、5六歩を待つ。
「ミレニアムの堅さを信じるしかないわね……」
ん? なんか言った?
私がぽかんとしている中、サーヤは桂馬を摘み、それを5七に成り込んだ。
なッ! け、桂馬捨てッ!?
同角は5五飛だから、同金……あ、そっかッ! そこで3六歩ッ!
……でも、見落としってほどじゃないはず。桂馬を捨ててるんだから、3六歩の代償は十分取れてるわ。びびらせないでよね、もう。
とりあえず、3六歩は放置して(というか放置せざるをえなくて)、飛車の利きを止めるために5三歩、同飛、5四歩、5二飛。そこで一旦、4七金と戻り、3七歩成を催促。後手も当然に歩を成って、同銀。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
ここまでは、だいたい合ってるはず。
問題は、次よ。……サーヤの手が分からないわ。この囲い、どこから攻めるのがセオリーなの? 第一感はサイドなんだけど、私の飛車はまだ成り込めそうにない。じゃあ、どこからいく? 4筋? 3筋? 2筋? それとも、実は穴熊と一緒で、端攻めに弱いとか?
……なんか、最後の最後まで、情報不足に苦しめられてるわね。んー、これじゃ、サーヤの対策にハマっちゃってる感じがする。終盤に時間を残して、そのへんをじっくり考えられるようにしておきましょう。残り時間は、私が9分、サーヤが7分。さっきの長考で、また逆転してるから。
同金、3六歩、5三歩、同飛、5四歩、5二飛、4七金、3七歩成、同銀。
お互いに時間を気にしているのか、局面は、アッと言う間に進んだ。
サーヤはそこで1分考えて、5六歩。
なるほど、5八歩が打てなくなったから、5六歩が利く、と。
ただ、このシーンだと、同金でもいい……ことはないか。美濃の金がそこに離れて、勝てるイメージが湧かないのよね。何かと目標にされそうだし。むしろ、5八飛と寄って、歩を取り切っちゃう方がいいと思う。以下、6五歩、7五角……はダメか。6三桂で、両取りを喰らっちゃう。4八角と引いて、5七桂と重く封鎖。3八金、5四金、同銀、同飛は……私の方が悪いかな。角と飛車が、ほとんど死に体だわ。
でも、そのタイミングに合わせて、3四歩があるか。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これは、どうなの?
ちょっと、勝ちにく過ぎるような……4九銀の割り打ちもあるし……。
私は、長考に沈む。ここで悪いってことは、ないと願いたいけど……。
ん? 待ってよ、さっきの局面、7五角はありじゃない? 6三桂、5三角成、同金、同歩成、同角、5四銀、8六角、5三歩。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
飛車を避けたら、6三銀成と補充して、6七角、3四桂と突っ込んで行けば、飛車角交換になっても、金銀の差で圧倒できる気がする。4三の金さえ剥がしちゃえば、3四の地点が無防備だから、そこを集中攻撃しましょう。
オッケー、5八飛ッ!
私は堂々と飛車を回り、サーヤに攻めを催促した。
6五歩に7五角と出た瞬間、サーヤの表情が変わる。
「ん、それは……」
サーヤは30秒ほど考えて、6三桂。私は5三角成とする。
「あッ……そっか……」
どうだッ! これが香子ちゃん流よッ!
私が胸を張る中、サーヤは動揺を隠しきれずに、長考に入った。
これは焦ってますね。盤に覆い被さってるし。
だけど、油断は禁物。私も合わせて読む。とりあえず、同金、同歩成、同角あるいは同飛なわけだけど、同飛は5四歩、5二飛で、さらに一手稼げるわ。3四桂以下、大攻勢に出て勝てそう。だから同角、5四歩、8六角と、手に乗って指してくるはず。そこで……あ、8八飛があるじゃない。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
こうすれば楽に勝て……ない?
8五歩の粘りがあるか……8七歩じゃ思うつぼだし……。
「うらっしゃあッ!」
ッ!?
会場にいた人々が、一斉にこちらを振り向く。
わ、私じゃないわよッ!
「駒桜市立の選手、対局中は静かにしてください」
「す、すまねぇ……つい……」
え? え? 冴島先輩の身に何が?
私は自分の対局も忘れて、4番席を覗き込む。
……もう勝ってるッ! ぼこぼこにしてるじゃないですかッ!
こ、これは、マジで県大会が見えてきたかも……くぅ……緊張……。
私は、サーヤをちら見する。さっきより顔色が悪いわね。
甘田さんが負けて、動揺気味か。
……と、こんなこと考えてる場合じゃないわ。集中、集中。
「うぅ……分からない……」
呻き声を漏らすサーヤ。
やっぱり、6三桂が軽率だったと思う。
両取りだからって、いきなり飛びついたのが……。
「閃いたッ!」
ッ!?
私の驚きを他所に、サーヤは6三の桂馬に指を伸ばす。
「こうよッ!」
は? 飛車取りと角取りを放置? そんなことしたら……。
……………………
……………………
…………………
………………
あッ……ああッ……ああああッ!?
こ、こんな手がッ! しまったッ! 完全に見落としてたッ!
ご、5二馬も7一馬も、4七桂成で終わってるッ!
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
2枚換え……違うわ……最低でも3枚換えよ……。5二馬、4七桂成、5六飛、3七成桂は3枚換え。かと言って、飛車を逃げなきゃ5八成桂だし……。
背筋が冷たくなる中、私は踏ん張って応手を読む。
5二馬、4七桂成、5三歩成は、飛車の方を取らずに3七成桂、同玉、5三角。以下、同馬、同金は、駒割りが飛桂と金銀銀の交換。これは……勝ちにくいと思う。後手は金銀7枚持ってる上に、5六に拠点が残っちゃってるわ。5六飛なんてしたら、6七角が飛車金両取りになって、ほぼ終了。私の陣形は、飛車の打ち込みに耐えられない……。
落ち着け、裏見香子。要するに、4七桂成とされるから、いけないのよ。4八か5六に金を逃げましょう。4八金引、5七銀打の追撃は面倒だから、5六金、6七銀、5二馬、5八銀不成、同金として、駒の損得なし。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
サーヤは5五の桂馬の処置に困るはず。
私は逆に、6一馬あるいは3四桂の明確な狙いがあるわ。
オッケー、焦っちゃダメ。5六金ッ!
「ぐッ……」
サーヤは私の金上がりを見て、軽く呻いた。
6七銀としてくるか、あるいは……。私はサーヤの応手を待つ。
候補手が多過ぎて、サーヤの残り時間では、読み切れそうにない。もちろん、状況は私も同じだ。単に4七桂成もあるし、あるいは5三角、同歩成、同飛と、手を戻すのもありかもしれない。以下、5五金に6七角の切り返し。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これも、相当嫌な筋だ。5四歩、5八角成は、速度で先手が勝てない。
あぁ……好転はしてないみたいね……潰れてもないけど……。
ピッ。サーヤの持ち時間がなくなった。ここから彼女は、1分将棋。
「6七銀は、攻め駒が足りない……こっちよ」
4七桂成……くぅ、成って来ましたか。
5九飛と逃げるのは、3七成桂、同玉、5三角で、はっきり駒損。だから5二馬で、ほぼ決まり。問題は、5八成桂、同金に、サーヤが何をするかだ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
単純に考えると、飛車を下ろしたくなるわよね。7九飛とか。
こっちは5四に歩がいるから、5九桂とかじゃないと、受けられない。以下、8九飛成、3四桂(5三歩成は同角で、働いてない角が動き出しちゃう)……ここで、2三銀ってするの? この囲い、攻め方も分からないけど、受け方も分からないわ……まずい……。
ピッ。あうち、私も1分将棋。とりあえず、考えをまとめると、5二馬、3七成桂、同玉までは確定で、サーヤが飛車を打ってきたら、一回5九桂と受けたあと、もう一枚の桂馬で3四を狙う。2三銀なら6一馬で角を殺しに行く手を見ましょう。
よし。整理完了よ。5二馬。
私は飛車を取り、とりあえず大駒を手に入れた。
サーヤは59秒まで考えて、5八成桂、同金。
さあ、ここよ。いったい何を……。
息を呑んで待つ私に、その答えが示される。
うわぁ……いかにも手筋って感じの手が飛んできたわ……。終盤に入ったし、サーヤもそろそろ本領発揮ね。中盤のリードを挽回されたのは痛い。
でも、諦めないわよ。
5三歩成、5六歩の攻め合いは勝てないから、同金か5七金引の二択。同金はさらに6六歩と伸ばして、陣形を乱してきそうね。6一馬、6七歩成、同金は……勝てないか……無視して7一馬、5八とは、もう寄っちゃってる感じだし……。
守りの金を上がるのは悪手ね。5七金として、5六銀の露骨な攻めには、取らずに6一馬か3四桂。5七銀成、同金、7九飛に7一馬として、馬を頼りに入玉……できない? できないかも。
え? だけど、このふたつくらいしか、手がないような……。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「くッ!」
パシリ。私は5七金と引いた。
チェスクロを確認する。……セーフ。時間切れしてないわ。
これで時間切れ負けはアホだから、注意しましょう。
「引いたわね……」
何か文句ありますか? かかってきなさいッ!