84手目 疑心暗鬼になる少女
「さて、作戦会議なわけだけど……」
歩美先輩の一言で、お昼休みの打ち合わせが始まった。
場所は、市民会館から少し離れたところにある喫茶店。盗聴防止。
「猿渡さんが来てないって言うのは、本当なの?」
……え? 唖然とする私を他所に、八千代先輩が喋り始める。
「松平くんの報告によれば、そうです」
「剣ちゃんの報告か……あんまりあてにならないわね」
会場にいるかどうかくらいは、彼でも分かるんじゃないですかね……多分……。
ただ、その情報が真実だとしても、問題は……。
「問題は、最終戦も来ないかどうか、ね」
そこ。駒北の二の舞になったら、それこそアウトだわ。
「甘田はともかく、ヤクザはそんなことしねえだろ」
と冴島先輩。
確かに、姫野さんがそういうことをするとは、思えないかも。
そもそも、猿渡さんを隠すために升風に大敗してたんじゃ、本末転倒だし。升風に3—2で勝てば、最低でもプレーオフなわけで、変なことする必要なかったと思う。
「来てない理由は?」
歩美先輩の質問に、八千代先輩は複雑な表情を作った。
「会場内に流れている噂では、推薦入試の面接と被ったそうです」
「面接と被った? ……つまり、市内にいないってこと?」
「噂が本当なら、そういうことに……ただ……」
八千代先輩は少し間を置いて、メモ帳を取り出す。
出ました。万能データベース。
「猿渡さんが受験する大学は、ここから新幹線で2時間の距離です。つまり、朝一で面接が終わった場合、手近な新幹線を捕まえれば、最終戦には間に合うことになります。ちなみに時刻表を調べた限りでは、乗車のチャンスが3回ありました」
えぇ……これはもはや……ストーカーの領域?
さすがに引きますよ、八千代先輩。
一方、歩美先輩たちは、真面目に情報を分析し始める。
「うーん……ってことは、最終戦に来る可能性は、普通にあるんだ……」
「どうだろうな。推薦入試の面接を受けたその足で、大会に来るか?」
「普通は来ないと思いますが、猿渡さんは、男女混合戦を推進した張本人です。責任を感じて、駆けつけてくる虞があります」
そうなのよね。「男女混合戦をごり押ししたけど、当日は入試でこれませんでした。テヘヘペロ☆」って感じの人じゃないのよね……猿渡さんは……。
みんなが押し黙ったところで、冴島先輩が机を叩く。
しゅ、周囲の視線が……。
「めんどくせぇ。両方のパターンを考えりゃいいだろ。どうなんだ?」
「猿渡さんが来る、来ないにかかわらず、うちは駒込さん、私、裏見さん、冴島さん、木原さんで鉄板です」
八千代先輩の自信っぷりに、志保部長が動揺する。
「あの……私は控えですか?」
「申し訳ありませんが、そういうことになります。まずは、これを見てください」
八千代先輩は鞄から、一枚の紙切れを取り出した。
四次元ポケットか何か?
「これが、藤花のオーダーです」
みんなが一斉に覗き込み、冴島先輩と頭がぶつかりそうになる。
「っと、すまねえ」
「いえ、こちらこそ」
謝罪もそこそこに、私は再度、プリントを覗き込む。
ふーん……藤女は、こうなってるんだ……。
「木下、戸辺、杉本って誰ですか?」
私の質問に、冴島先輩は肩をすくめてみせる。
「知らね」
ぶっきらぼうな。
私は、志保部長に視線を送る。
「す、すみません……私も知りません」
あらら、3年生の部長も知らないんだ。
だったら、もうお手上げね。
「ま、新人戦でも去年の大会でも見たことないし、おそらく幽霊部員でしょ。今回から一発勝負じゃなくなったんで、ムリヤリ引っ張り出してきたんだと思う」
なるほど……その解釈が妥当か……。
「だったら、私でも勝てそう」
と数江先輩。
先輩のところは、ヨッシーか甘田さんで決まりなんですが……。
「猿渡さんと関係なく、さっきの並びになるって言うのは?」
歩美先輩の質問に、みんなが耳を傾ける。
そうそう、それを説明してもらわないと。
八千代先輩は眼鏡を直して、ゆっくりと唇を動かす。
「まず前提として、『猿渡さんが出席するかどうかと関係なく、鞘谷さん、甘田さん、横溝さんは、必ずメンバーに入る』ものとします。実際、この3人を外す理由はありません。後ろ3人は、ずらしても意味がないので。すると、藤花に限って言えば、上2人の動向だけが問題になります。つまり……」
【パターンA 猿渡が在席】
猿渡 姫野 鞘谷 甘田 横溝
【パターンB 猿渡が不在で、姫野が1番席】
姫野 杉本 鞘谷 甘田 横溝
【パターンC 猿渡が不在で、姫野が2番席】
木下 姫野 鞘谷 甘田 横溝
「この3つしかありません」
うッ、説明が速い……けど、なんとなく理解したわ。
要するに、その時点での最強メンバーで来るわけでしょ。違うのは、猿渡さんが来なかったときに、姫野さんが1番席で出るか、2番席で出るかだけ。
「3番席は鞘谷さんですから、大川→駒込→傍目→裏見→冴島の並びはありません。これはパターンAになったとき、非常に危険です」
「んー、私は姫ちゃんと当たってもいいんだけど」
ダメ、絶対ッ!
歩美先輩には悪いけど、vs姫野さんは、姫野さん有利だから。
「しかしそうなると、『駒込vs姫野、裏見vs甘田、冴島vs横溝を必ず勝つ』という条件になります。これは、なかなか厳しいと思いますが?」
八千代先輩の説明にもかかわらず、歩美先輩は納得しない顔をする。
「んー、香子ちゃんと藤女のさっちゃんなら、いい勝負なんじゃない? 円ちゃんは、ヨッシーが相手なら安定だろうし」
違うでしょッ!
あなたが姫野さんに勝てるかどうかですよッ! あ・な・た・がッ!
「裏見はサーヤに、公式戦、非公式戦で連勝してるんだぞ? どっちも快勝だ。ここで裏見vsサーヤを作らねえ理由はないと思うが? 合宿だと、裏見は甘田に負けちまってるからな。裏見vs甘田は、精神的に甘田が楽だ」
「……それもそうね」
う、うまい……歩美先輩の棋力に触れないで説得した……。
さすがは冴島先輩。手懐け方は、お手の物ですか。
「分かったわ。サーヤには香子ちゃんをぶつけて、さっちゃんは円ちゃんに処分してもらいましょ。数江ちゃんがヨッシーに当たるのは、黙認するわ」
そ、粗大ゴミみたいな言い方は止めましょう……さすがに可哀想……。
「で、私が1番席で出る理由は?」
話が戻り、八千代先輩も一層真剣になる。
「駒込→傍目で並べた場合、考えられるパターンは、次の3つです」
【パターンA 猿渡が在席】
駒込 傍目 裏見 冴島 木原
猿渡 姫野 鞘谷 甘田 横溝
【パターンB 猿渡が不在で、姫野が1番席】
駒込 傍目 裏見 冴島 木原
姫野 杉本 鞘谷 甘田 横溝
【パターンC 猿渡が不在で、姫野が2番席】
駒込 傍目 裏見 冴島 木原
木下 姫野 鞘谷 甘田 横溝
「どのパターンでも、最低1—1に収められます」
うむむ……なるほど……ほんと、よく考えてるわね。
私が感心していると、冴島先輩は指をぽきぽきと鳴らす。
「要するに、オレと裏見が勝ちゃいいんだろ。……ひと捻りにしてやるよ」
こ、怖い……っていうか、冴島先輩、甘田さんに負け越してるんじゃ……。
私が身を引いた途端、遠くの席から、カップルのひそひそ声が聞こえた。
「おい、あの男、喫茶店でスカート履いてるぜ」
「ほんとだ。何かの罰ゲーム?」
……………………
……………………
…………………
………………
ま、その話題は置いときまして。
「じゃあ、この並びで行くんですね?」
私の確認に、歩美先輩も部長も頷いた。
「そうですね……私も、傍目さんの案が最善だと思います」
「私も賛成。ただ、香子ちゃんにひとつだけ、言っておきたいことがあるの」
私に? ……何でしょうか。
さっきの負けの小言なら、ちょっと勘弁して欲しいけど……。
心配する私を他所に、歩美先輩は先を続けた。
「あのね、香子ちゃんの試合展開を見ると、どうも対策されてるっぽいのよ」
「対策? ……私がですが?」
「そう。やっぱり新人戦優勝が、ネームバリューになっちゃってるみたい。久世さんが筋違い角をしてきたのもそうだし、スネ夫くんの対藤井システム右銀急戦だって、そうよ」
「たいふじ……何ですか?」
私が恥を承知で尋ね返すと、歩美先輩は人差し指を立てた。
「そういう、戦法に対する理解不足を狙われてるのよ」
うッ……厳しい物言い……。
「香子ちゃん、最近は、王様の囲いを保留する四間飛車を指してるわよね?」
「は、はい……」
「何で? 昔は、一直線に囲ってたじゃない?」
それは……。
「何かの本で、そう読んだからです」
「『藤井システム』? それとも『最強藤井システム』?」
……そんなタイトルだったかしら。
「どっちかだと思います」
私が自信なさげに答えると、歩美先輩は溜め息を吐く。
「それじゃダメよ」
「……」
「いい、藤井システムを指すときは、居玉で頑張るわけだから、当然、急戦に弱くなるわ。要するに、スネ夫くんが指した右銀急戦も、アリなわけよね。右急戦なんて、今じゃ誰も使わないけど、局地的には有効なのよ。おそらくスネ夫くんは、香子ちゃんが初日に田中戦で藤井システムもどきを指したのを知って、対策を練って来たんだわ」
……そっか……心当たりがあるわよ。
対局中に、「やっぱりね」って言われたような気がする……。
ってことは、最初から完全にハメられてたわけで……。
「だからサーヤも、間違いなく同じことをしてくると思う」
「きゅ、急戦ってことですか?」
「それは分かんないわ。藤井システム対策は、いろいろあるから」
……………………
……………………
…………………
………………
きつい。精神的にきつい。
自分の将棋にダメ出しされるのは、ほんとにきつい。
私が涙目になっていると、歩美先輩は声音を和らげた。
「ちょっとキツく言い過ぎたかもしれないけど……これだけは覚えておいて。学生棋界は、香子ちゃんが考えてるほど、甘くないわ。みんな真剣にやってるんだから」
「……はい」
沈黙。
お通夜みたいになった空気を察して、志保部長が手を叩く。
「それでは、食事も終わりましたし、そろそろ会場へ……」
○
。
.
「ハァ……」
会館の前で、私は何度目かの溜め息を吐く。
「裏見、あんま気にすんな。駒込も、怒ってるわけじゃないからな」
それは分かってるんですけどね……なかなか……。
「ありがとうございます……」
「ま、飲み物でも買って、気軽に構えとけよ」
冴島先輩はそう言い残して、会館の自動ドアをくぐった。
……お茶でも買いますか。
私は自販機の前に立つ。
緑茶は……売り切れか。麦茶……売り切れ。
あれ? 全部売り切れ?
……もう、私の分くらい、残しときなさいよ。
将棋部員が大挙して買うから、こういうことになるッ!
私はムカムカしながら、別の自販機を探した。
確か……裏手の駐車場にあったような気がするわね。多分。
私はぐるりと建物を回って、市民会館の駐車場へと向かう。秋の日差しが降り注ぐ、何とも閑散とした風景。私はお茶を一本買い、そのまま裏口の階段下に身を寄せた。
あぁ……ほんと泣きそ……こんなの、中学の陸上部で怒られたとき以来だわ。
私は中学時代を思い出しながら、物悲しくなった。あの頃は、適当に指してても誰も怒らなかったし……良かったな……。
「先輩……誰もいないです……」
……ん? この声は……ヨッシー?
2つの足音……いや、もっと多いわ。
私は無意識のうちに、階段下の物陰に身を隠していた。
足音は近くで止まり、今度は大人びた女性の声が聞こえてくる。
「猿渡さんは、いらっしゃらないのですね?」
「ムリムリ。面接終わったの、11時半らしいから、間に合わないよ」
これは……藤女の作戦会議ッ!?
ま、まずい……盗聴する形になっちゃってる……どうしよ……。
私が困惑する中、姫野さんと甘田さんの会話は続く。
「さて……困りましたね」
「どうする? それでもまだ、うちが有利だけど」
「こちらの補欠は、駒を動かせるかどうかのレベル。とてもではありませんが、ひとり以上は出せません。猿渡さんの穴を木下さんか杉本さんで埋めて、それで終わりです」
あッ……八千代先輩の読みが当たってる。
「ってことは、姫ちゃんが1番席か2番席だね……どっちがいい?」
「敵の面子は、大川、駒込、傍目、裏見、冴島、木原ですわね」
「そうだよん」
静寂。……考えてるってこと?
覗き見たいけど……バレたら終わるわ。スパイ扱いされそう。
「……わたくしが2番席で出ます」
「理由は?」
「おそらく駒桜は、駒北の陽動作戦を見て、疑心暗鬼になっているはずです。実際、猿渡さんが面接からこちらに直行しても、おかしくはありません。したがって、猿渡さん駆け込みにも対応できるシフトを組むはず。つまり……」
「つまり?」
「駒込、傍目、裏見、冴島、木原と予想致します」
ぐッ! ……完全に読まれてる。
これは……でも、うちもこれは望んでた並びだし……。
「え? そう読むなら、姫ちゃんが歩美ちゃんに当たればいいじゃん?」
「わたくしはそこまで、自信家ではありません。それに、杉本さんでは、傍目さんに勝つことなど不可能。観る専とは言え、彼女の棋力は、女子の平均を超えています。したがって、わたくしが傍目さんを葬り、木下さんには犠牲になってもらう作戦を取ります」
再び沈黙。私も息を呑む。
「……ってことは、あたしが円ちゃん?」
「……他にどうしろと?」
「いや……そうじゃなくてさ……何と言うか……」
「通算成績では、勝ち越しているのでしょう?」
「そりゃそうだけど……ダブルスコアとかじゃないし……」
ん? 甘田さんが、弱気になってる? 何で?
甘田さんは何かごにょごにょ言って、それから小さく呻いた。
「ちょ、ちょっと、トイレ行ってくる」
そう言って甘田さんは、その場を駆け去った。
……お腹が痛かったとか? 食あたりじゃないでしょうね。
私は、ちょっぴり期待してしまう。
「鞘谷さん」
「はい」
っと、サーヤもいたんだ。
もしかして、レギュラー全員いるとか?
「何ですか?」
「ここだけの話……幸子さんは、負ける可能性があります」
「甘田先輩が? ……冴島さんには、相性がいいんじゃ?」
「幸子さんは、ああ見えて、プレッシャーに弱いタイプ。あれだけの実力を持ちながら、優勝経験なしというのは、ひとえにあの上がり性が原因です。……まあ、その上がり性のおかげで、高校入試の面接では恥じらいを出せたのですが、今は関係ありません。ともかく、甘田vs冴島は、甘田不利と見ます。4回戦で彼女が久世さんに負けたのも、その証拠」
えぇ? そこ●で見ちゃうの? だったら、うちに勝機が……。
「それがどういうことか、分かりますね?」
「……裏見さんに勝てってことですね?」
「その通りです。自信はありますか?」
「……あります」
なッ! 対戦成績は、私の2—0なんですが……。
「その言葉を待っていました。……しかし、気合いだけでは勝てませんことよ?」
「大丈夫です。ここ1週間で、香子ちゃん対策はばっちりです」
うわッ……歩美先輩の言った通りだわ……ほんとに対策されてる……。
やばい……どうしよう……。
まるで私に言い聞かせるように、姫野さんの声が響く。
「では、最終戦と参りましょう」




