82手目 速攻される少女
7七角に対して、幸田先輩は30秒考えて……7四歩?
急戦模様? ……いや、それはないか。1四歩すら受けずに急戦なんて、無理でしょ。ただ、用心はしときたいから……4八玉。居玉は避けとくわよ。
私が王様を上がった途端、5五角が指された。
ん……? これはもしかして、田中戦と同じですか?
あのときは、銀の方を上がったけど……終始苦しかったわね。やっぱり、指し慣れてる高美濃の方が、頑張れそう。4七金、と。
私が4六の歩を受けると、幸田さんは2二角と戻る。
あれ? さっきから、動きが変。7三角だと思ったけど……うーん、あんまり考えても仕方がないかしら。とりあえず、持久戦模様な気がするし、そういう方針で……3九玉。
「じゃ、仕掛けるよ」
へ? 今、なんて……。
嘘……この段階で仕掛けた……?
何これ? 舐めプ? ……いや、そんなはずはないわ。ここが重要な対局だって、スネ夫くんも認識してるはず。適当に指していい状況じゃないんだけど……狙いが分からない。私は1分ほど考えた挙げ句、同歩と取った。チェスクロを押すのと入れ替えに、6四銀。
「え?」
私の口から漏れた言葉に、幸田さんは素早く反応した。
「どうかしたかい?」
「い、いえ……何でもありません……」
私が誤摩化すと、幸田さんは意味深な笑みをこぼす。
「これは、とても有名だからね」
くぅ……むかくつく……何が「とても有名だからね」よッ!
……これ、有名なの? 全然、意味が分からないんだけど……端歩不突きの、5三右急戦なんて、指されたことが……ない。少なくとも、おじいちゃんとか、おじいちゃんの友だちとの対局では、出たことがないわ。棒銀とかは、平気でやってくる世代なのに……。八一のマスターにされたこともないし……。
うぅん、参ったわ。右銀急戦なんて、『羽生の頭脳』くらいでしか読んだことないし、その変化もあんまり覚えてないから……ただ、端歩はちゃんと突き返したし、振り飛車側も、悪くはなかったはず。って言うか、後手番の右銀急戦で簡単に潰れるようなら、四間飛車なんて誰も指さないわよ。
と、とにかく、定跡を思い出さないと。
……………………
……………………
…………………
………………
だ、ダメだわ。大雑把な形でしか、思い出せない。
確か、7四歩だった……かな? 7四歩。
私が指すと、幸田さんはノータイムで8四飛。
えぇ? これ……じゃなかったはずなんだけど……。
飛車は7筋に回ってたような……もう定跡から離れた? ただ、定跡をちゃんと覚えてないから、離れたかどうかの判断がつかない……まずいかも。
私はさらに1分ほど悩み、とりあえず定跡っぽくしてみることにした。急戦調なら、捌けば何とかなるわ。押さえ込まれないようにしないと。まずは7八飛と寄って、飛車は戦地に回れを実行。幸田さんは、当然の7四飛。
おっと、これは、見たことのある形になったわよ。6五歩ッ!
「さすがに知ってたか……」
知ってるに決まってるでしょッ! 手筋過ぎるわよッ!
これは右銀急戦だけじゃなくて、左銀急戦でも出て来る筋。合宿で姫野さんとヨッシーを相手にやった、目隠しペア将棋が活きてるわ。感謝、感謝。
続きは、7七角成、同飛、同飛成、同桂、7六歩とか、そんな感じなはず。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
同銀、7九飛、6四歩、7七飛成……うッ、6七金とできない。
……そっか、5五角は、高美濃にして、急戦に弱くしてるんだ。
しまった。5五角〜7三角の持久戦しか想定してなかった。
焦る私の前で、幸田さんはさらに早指ししてくる。7七角成、同飛……。
ん? 銀を逃げた? これは……え、どうなの?
6五歩の反発に、銀は逃げないのがセオリーだったような……分かんない。
まあ、これは7六歩で止めるわよね……7六歩。
私は歩を打って、銀をバックさせる。8四銀。ほら、形が悪くなった。
先に8二角と下ろしまして……む、8八角か。まあ、これも想定してたわ。9一角成、9九角成、8一馬、8九馬(飛車を取って来なかったわね)……シンキングタイム。
7五香、同銀、同歩は、9四飛、9六桂かしら。これは、桂馬の位置がマヌケね。8四の銀を働かせてるのもおかしいし、却下。むしろ6四歩と激しく行って、同飛、6六香の方が良さそう。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
飛車を逃げると6三香成だから、後手は8八馬かな。
こっちも飛車は逃げられないから、6四香、7七馬、6三香成、6七馬。
うわぁ……激しい展開ね……ただ、避ける手順もないと思うし……。
私はさらに1分、安全を確認してから、6四歩と突いた。同飛、6六香、8八馬。ここまでは一緒ね。6四香、7七馬、6三香成、6七馬……か、完全に読み筋通り。しかも、幸田さんはほとんどノータイムだから、お互いに合意の上ってことか……うむむ。
でもでも、ここで5二成香ッ!
金をゲット!
私が喜んでいると、幸田さんはまたまたノータイムで同金。
んー、考えないの? あんまり釣られないように、私は考えましょう。
ここは手が広くて、いろいろありそうなのよね。候補としては、8二飛が第一感で、他には6一飛と5四馬。順番に読みましょう。
まず、8二飛車の狙いは単純で、金銀の両取り。銀は助けられないから、6二歩と金を受けて、8四飛成、8九飛、5四馬、3五桂が一例かな。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これは……んー、難しいわね。すぐに4四桂は、2二玉で何ともなさそう。
こっちは……下手したら詰むんじゃない? 例えば、2二玉のあとに8一龍の詰めろを掛けた場合、4七桂不成と突撃して、同銀は4九馬、2八玉、3九馬、1八玉、1七香、同桂に2九馬までか。簡単な詰みね。
ただ、4七桂に同銀としなければ、詰まないんじゃない? 2八玉で……うん、詰まないわ。3九銀とされたら、1七玉で王手が掛からないから。問題は、2八玉の瞬間、5一歩と受けられると、速度が逆転してそうなのよね。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
ここで後手玉に詰めろを掛けないと、4九馬、同銀、同龍が詰めろ。3八銀と打とうが金と打とうが、3九銀から詰んでる。4七の桂馬が働き過ぎの形。
5二桂成は、詰めろかしら? ……違うわね。同歩としなければ安泰だわ。さっきの手順で入手した角を5五に打っても、3三香で止まってる。
んー、意外と堅い? そんなはずはないんだけど……こんな陣形……。
ま、8二飛は、これくらいにしまして、次に6一飛ね。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
7六馬と逃げて、6七歩、8九飛、5四……と、危ない。馬が利いてるわ。
5四馬とできないなら、飛車打ちがとぼけてる感じね。銀も拾えないし。
6一飛は却下。最後に、5四馬を読みましょう。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
この狙いは単純で、次に8一飛〜4四桂の詰めろ。あるいは単純に、4四桂、2二玉、5二桂成もありそう。
ただ、5三香の切り返しが、若干気になるのよね。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
避ける手はないから、8二飛、6二歩を入れてから、4四桂、2二玉、5二桂成、5四香と馬を献上して、6二飛成、5七馬(5七香成は王手じゃないから、即座に4一成桂)、同金、同香成、4一成桂。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
うぅ……これは際どい……。
でもでも、3二合駒に6六角があるのよね。王手成香取り。3三にも合駒をして、5七角からどうか、って感じ。自陣に龍も利いてるし、そこそこ指せそうね。
じゃあ、8二飛と比較しまして……うーん。
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…………………
………………
5四馬の方が、いいかな。5四馬ッ!
私が馬を引くと、スネ夫くんは溜め息を吐く。
「うーん、悩ましいね……」
さすがに、研究範囲からは抜け出したみたいね。考え始めたわ。
ほらほらほら、もっと悩みなさいよ。
ところで、持ち時間はどうなってるの?
私が15分で……スネ夫くん、28分ッ!
こいつ、全然使ってないじゃないッ!
……いや、落ち着くのよ。ここからは研究勝負じゃないっぽいし、寄せ合いで15分残せてたら、十分だわ。焦る必要なし。集中、集中。
私は5四馬のあとの、寄せを考える。……やっぱり、さっきの順が有力ね。5三香から馬を消し合って、お互いに牽制するパターン。5七角の位置が若干気になるけど……。
結局、幸田さんは5分ほど時間を使い、2二玉と寄った。
玉の早逃げか……4四桂に、同歩を用意したわね。冷静な一手。
こうなると、8二飛はますます打てない。今は意味がないから。
というか、下手すると、馬を逃げないといけない可能性すら……んー、スネ夫くん、自称2年生四天王なだけあって、やるわね。何かいい手は……。
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………………
むッ! 閃いたわッ! 4一金よッ!
5三香なら、無視して3一金が詰めろ。当然に同玉だけど、4四桂が好手。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これが3二飛、4一玉、5二飛成、3一玉、3二龍までの詰めろ。同歩なら、3二飛、4一玉に5二飛成と切って、同玉、6三銀、4一玉、4三馬。ここからは、詰めろの連続が解けなくなるはず。ほとんど必至に近いわ。
私はさらに1分使って読みを確認し、4一金と打った。
その瞬間、軽い舌打ちが聞こえる。
「それに気付くか……」
レディ相手に舌打ち禁止ッ!
……とはいえ、4一金自体は、読まれてたみたいね。さすが。
「じゃあ、解除しようか」
スネ夫くんはわずか1分の考慮で、馬を……馬?
う、馬切りッ!?
驚く私の前で、チェスクロが押される。
こ、これは……取るしかない……取るしかないけど……。
私は混乱する頭をなんとかして、先を読んだ。馬を切られても、即座に寄る順はないはずよ。詰めろは掛かってないんだから。
同銀。幸田さんは30秒追加して、3二金。
何だ、受けただけか。私は、ホッと胸を撫で下ろす。
どうやら、こっちの攻めが繋がりそうね。8二飛ッ!
私が待望の飛車を打ち下ろすと、幸田さんは即座に7八飛と応じた。
7八飛……あッ! これが詰めろッ!
そっか……馬切りは、この詰めろを見てたんだ……ってきり、3二金を補充した、苦し紛れの手だと思ってたけど……違う……。
で、でも、この飛車打ち、悪手じゃない? 2八銀の一手詰めなんて、簡単に防げるし、それに6八歩と打てば、いきなり止まってる。同飛成は、7七角、同龍、5五馬。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
もちろん4四角だけど、7七馬、同角成、8四飛成は、先手勝ちだと思う。最後、5二飛成だと、7四角、5六龍、同角、同歩、7八飛で、再度逆転しちゃうけど……さすがにスネ夫くんも、そのうっかりは期待してないはず。私の残り時間は、まだ9分もあるんだから。
……えーい、6八歩ッ! 詰めろの解除よッ!
私が威勢良く歩を打つと、幸田さんは再度長考に入った。
「ふーん……取れないね……」
さすがにバレたか。まあ、同飛成は、最初から期待してないけど。
幸田さんは3分考えて、6二歩。まだ16分残している。
うむむ、持ち時間の差が埋まらないわ……長考は避けたいけど……ここは、長考せざるをえない局面よね。このあとの数手で、勝負が決まっちゃいそう。
……個人的には、8四飛成で、銀を補給したいかな。ただそこで、3五桂と攻め合いに出られたとき、どうするか……。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これは、詰めろじゃないのよね。4七桂不成、2八玉、6八飛成、5八桂……うん、詰めろじゃないわ。メチャクチャ危ないのは事実だけど、そこで手を作れば、何とか……。
手がある? 一目、5五角と打ちたいかな。あるいは、3一金、同金を入れてから、5五角。3三香の受けに2六桂と打って、よくある筋を狙うわ。例えば、現局面から、3一金、同金、5五角、3三香、2六桂、4七桂不成、2八玉、6八飛成、3八銀打、3九銀、1七玉……。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
ど、どうなの、これ? 後手は……3四桂に1二玉?
ここで8一龍が、詰めろじゃなくて、一手スキなのが問題か。ただ、こちらに詰めろが掛かるかと言うと、そうでもないような……。8一龍、3八龍、同銀、2八銀打、1八玉、1七香、同桂、2八金……あれ? 詰んじゃった。そっか、3八龍は詰めろだわ。
危ない、危ない。頓死するところだった。これがあるなら、攻め合いは危険かしら。1七玉に代えて1八玉の逃げも、3八龍、同銀、2八銀打が詰めろ。ただ、そこで3四桂、1二玉、2六歩と、王様の懐を広げる手があるか。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
問題は、この2六歩で、本当に助かってるかどうかね。ここから詰めろの連続で迫られると、こっちが確実に負けるわ。馬の守備に期待して、2七玉〜3六玉〜4五玉と、入玉含みで指す手もあるけど……。
うーん、どうする、裏見香子?