80手目 策を弄する少女
今日は月曜日。
団体戦初日の興奮も醒めやらぬまま、部室では作戦会議が開かれていた。
「とりあえず、昨日はお疲れさま。2日目に向けて、頑張りましょう」
と歩美先輩。
あまり熱意が感じられないのですが……まあ、このへんは性格かしら。
「練習を始める前に、まずは現状分析をしましょう」
そう言って歩美先輩は、八千代先輩へと視線を向ける。
「じゃ、八千代ちゃん、よろしく」
八千代先輩は真面目な顔で眼鏡を直すと、席を立った。
そのまま、ホワイトボードへと歩み寄る。
「では、不肖、傍目から、現状を説明させていただきます。昨晩考えたところ、県大会進出に限って言えば、藤花女学園が一歩リードしているという結論に至りました」
え? 藤女が? 何で?
「藤女とうちは、2勝1敗で競ってるんじゃないですか?」
私が質問すると、八千代先輩と目が合う。
あぅ、気まずい。
「裏見さんの仰ることは正しいのですが……まずは成績表を見ましょう」
八千代先輩はポケットから紙切れを取り出し、それをボードに貼った。
えーと、見方は……左から右へ、だったかしら。
「この成績表にもとづいて、チーム勝数と個人勝ち星数を計算してみます」
八千代先輩はペンを持ち、結果だけホワイトボードに書き込む。
チーム勝数 個人勝ち星数
藤女 2 11
駒桜 2 9
八千代先輩はキュッとペンを鳴らし、7という数字で書き込みを終えた。
蓋を閉め、真剣にボードを見つめる。
「さて、以前説明した通り、順位の計算方法は、チームAとBについて、『チーム勝数がA>BならばAが上位、A=Bならば、個人勝ち星数を比較し、A>BならばAが上位、そこでもA=Bならば、初めてプレーオフ』というものです」
うん、それは知ってるわ。
でもだからって、藤女がリードしてる理由にならないと思うんだけど。
チーム勝数が同じで、勝ち星差が2だもん。こんなの簡単に……。
「問題は、勝ち星差で2つけられていることです。この2を縮めるには、『駒桜市立が藤花女学園よりも、勝ち数で2以上の成績を上げる』ことが必要です」
それも分かるわ。足し算だもの。小学生でもできるじゃない。
私の怪訝そうな顔に気付いたのか、八千代先輩はこちらに向き直った。
「さて、残りの試合で、うちと藤花が2以上差をつけられそうなところがありますか?」
2以上差をつけられそうなところ……えーと……要するに、藤女が1—4のときにうちが3—2で勝つとか、そういうことよね。
……………………
……………………
…………………
………………
あれ? ほとんどない?
「お気づきのようですね。……そうなのです。可能性があるとすれば、藤花が升風に0—5で、うちが駒北に2—3以上、あるいは藤花が升風に1—4で、うちが3—2以上の成績を収めた場合です」
「うちが最終戦で、藤女に1—4で勝ってもいいんじゃないですか?」
「もちろんそうですが、それについてはあとで説明します。とりあえず、勝ち星差2を縮めるには、4回戦で、藤女が大敗という前提を立てねばなりません。しかし、姫野、甘田、鞘谷、猿渡、横溝の面子で、1—4あるいは0—5というのは、さすがに考えにくいです。もちろん、千駄会長が姫野さんに勝って、残りの組み合わせも升風有利、ならば分かりませんが、少し楽観的過ぎると思います」
うーん……そんなもんかしら。結構、ありそうな気も……。
ただ、具体的に反論できないわね。
藤女0—5は、ちょっとなさそうだし。
「個人的見解ですが、4回戦で埋められる勝ち星差は、多くて1、つまり、藤花が升風に2—3負け、うちが駒北に3—2勝ちの場合です。この時点で、藤花の勝ち数が13、うちの勝ち数が12になりますので」
「最終戦前に1縮まれば、十分じゃない?」
と数江先輩。
私もそう思います。
「確かに、一見するとそう思えるのですが……しかしですね、最終戦は、うちと藤花の直接対決なのです。さきほどの進行が成立した場合、うちはチーム勝数3の勝ち星12、藤花はチーム勝数2の勝ち星13で、今度は条件が変わるのです」
「変わるって、何が?」
「この場合は、『藤花が勝てば、勝ち星数差で必ず上、藤花が負ければ、チーム勝数で駒桜が上』という状況になります。つまり、4回戦の成績と関係なく、『最終戦で勝った方が勝ち』なわけですね。そうなると、戦力差でうちが不利です」
な、なんだか、複雑……頭が混乱してきたわ……。
私が脳内で整理していると、冴島先輩が口を開いた。
「要するに、最終戦で勝ちゃいいんだろ?」
うーん、さすがは冴島先輩、分かり易いです。
ところが八千代先輩は、眼鏡を直しながら、首を左右に振った。
「うちは最終戦で勝っても、県大会に出られないパターンがあります」
室内の空気が、微妙に緊張する。
「直接対決で下しても、出られねえだと?」
「そうです。残念ながら、4回戦で藤花が升風に勝ち、うちが駒北に負けた場合、最終戦で藤花に勝っても、チーム勝ち数は3—3で同じ。勝ち星勝負になりますが、4回戦で差が3以上に広がっていますので、ほとんど絶望的です。差が3なら、最終戦で4—1、差が4なら5—0を要求され、差が5なら5—0でようやくプレーオフ、6以上になった場合は、4回戦終了の時点で、藤花の県大会進出が決定します」
そんな……4回戦で勝負が決まっちゃうなんて……。
冴島先輩は眉間に皺を寄せて、椅子に寄りかかった。
「4回戦の時点で、うちの県大会進出が決まるパターンは?」
「それはありません。たとえうちが駒北に5—0、藤花が升風に0—5でも、最終戦に藤花が4—1で勝てばプレーオフ、5—0で勝てば、そのまま県大会進出です」
「ってことは、うちは完全に他力状態なのか?」
「いえ、それも違います。2連勝すればいいだけの話ですので」
2連勝すればいいだけって……簡単に言ってくれるわね。
でも、それが一番話が早いのか……チーム勝数4—2なわけだし。
うぅ、こうなると初日の勝ち星差2って、めちゃくちゃ大きい……。
「やっぱオレが清心戦で負けたのが痛いな……すまん」
ととと、そこは触れない約束で。
確かに、勝ち星差がついたのは、清心戦なんだけど……冴島先輩が順当に勝っていれば、差は1だったわけだし……その後の展開も……。
「済んだことをごちゃごちゃ言っても始まらないわ。まずは、駒北に勝たないとね」
そうね。歩美先輩は冷静だわ。私も冷静になりましょ。うん。
「一応確認だけど、うちが駒北に負けても、藤女が升風に負けたら、最終戦勝負なのね?」
歩美先輩の質問に対して、八千代先輩は首を縦に振った。
「はい、その通りです。駒北に絶対勝たないといけないわけではありません」
うーん、そういう後ろ向きな考え方は、あんまり好きじゃないかな。
八千代先輩は、単純に分析してるだけなんでしょうけど。
駒北に勝たないと即死、くらいの気合いでやらないと、勝てないと思う。
「オッケー、状況は整理できたわ。対駒北のオーダーを考えましょう」
歩美先輩の台詞に合わせて、八千代先輩は別の紙切れを取り出した。
な、なんという手際のよさ。尊敬します。
「これが、初日に入手した、駒北のオーダーの写しです」
「ふん……あいかわらず、うまくズラしやがるな」
「そうですね。藤花戦に関しては、かなりの策士です。1回戦に幸田さんが1番席で出て、そこから一気に3番席へと下がるわけですから。藤花はそれに引っかかり、大将の猿渡さんを外した姫野、補欠、鞘谷、甘田、横溝の並びにしてしまいました。姫野さんで藤井さんか幸田さんを取りに行ったのですが、ダメだったわけですね」
むむむ、スネ夫くん、やりますね。うちも気をつけないと。
「天堂ではみっちーを避けてるしね。まあ、みっちーの方が実際強いし」
と嬉しそうな数江先輩。
「この表を見る限り、頭とお尻を3年生で挟んでるのね。これは、とりあえず枠を埋めたって感じなのかしら?」
歩美先輩の質問に、八千代先輩は「うーん」と唸る。
「何とも言えませんが、この3年生ふたりは、初日に来ていませんでした。森さんは前主将ですから、来るかと思いましたが……さすがに受験勉強優先のようですね」
えぇ……そこまで調べてるんだ……凄い。
道理で、観る専なのにいろいろ任せられるわけだわ。
「そりゃ、3年生は追い込み時期だからな。来ねえだろ」
「ということは、スネ夫くんは、下がっても3番席までか……」
歩美先輩は頬に指を当てて、長考し始めた。
ん? 何か閃きましたか?
私たちは、歩美先輩の策を待つ。
「……こうしましょう。4回戦は、香子ちゃん4番席でいくわ」
歩美先輩の提案に、みんながぎょっとなる。
「裏見4番席? ……ってことは、部長、駒込、傍目、裏見、オレか?」
「そうなるわね」
「理由を訊かせろ」
うんうん、理由付け大事。
歩美先輩は少し間を置いて、それから話を始めた。
「私の記憶が正しければ、八将にいる津山って1年生、新人戦で2回戦に進出してるわ。相手が誰だったかは忘れたけど、升風だった気がする。さらに団体戦で3連勝してるわけだから、このメンバーでは上位でしょうね」
「その通りです。津山くんは、駒北3番手と目されています」
八千代先輩の合いの手に頷いて、歩美先輩は先を続ける。
「ってことは、ここを円ちゃんか香子ちゃんで潰さないと、うちに勝ち目がないわよね」
「木原を当て馬で当てときゃいいんじゃないか?」
「いえ、それは危ないわ。5番席に佐川が出て来たら、そこで1敗確定。さらに、部長か八千代ちゃんのところで1敗。香子ちゃんには大林って当て馬が来て、スネ夫vs私、津山vs円ちゃんのガチンコ勝負でしょ。しかも、この勝負、私たちは両方勝たないといけないのよ。駒北は、どちらか一方を拾えば3—2だわ」
……なるほど、理解しました、多分。
「だが、部長と傍目を両方出しても、同じことじゃないか?」
「いいえ、違うわ。まず、佐川vs円ちゃんは、円ちゃんの勝ち。さらに、八千代ちゃんが大林に当たってくれれば、そこは拾えると思う。大林って1年生は、新人戦にすら出て来てないから、棋力は相当低いはずだもの」
ふむむ……そこまで周辺情報を活用するんだ。
八千代先輩が、いつもスパイみたいなことしてる理由、分かった気がする。
「ここで2勝できれば、津山vs香子ちゃんと私vsスネ夫で、どっちかが勝てば3—2。さっきと状況が逆になるわ」
「佐川が出てこなかったら?」
冴島先輩、今日はやけに慎重ですね。
いつもなら「ああ、うぜえ、適当でいいんだよ」とか言いそうなのに。
「そのときは、佐川の代わりに誰が出て来るかって話になるけど……候補は、鈴本、下野、栗田くらいね。この面子なら、どうにかなるわ。どれも当て馬っぽいし、当て馬対決だと、うちは定評があるのよ。部長も八千代ちゃんも、当て馬陣営の中では上位だから。要するに、駒北が最大戦力で来る限り、5番席は佐川のはず」
そこまで説明して、歩美先輩は八千代先輩へと振り向いた。
「八千代ちゃん、念のために確認。津山が、升風戦で勝った相手は?」
「少々、お待ちください」
八千代先輩はメモ帳を取り出すと、ページを捲り始めた。
こうなると、もはやデータベースですね、はい。
「……五将の佐藤という1年生です」
「佐藤? ……久世さんでもつじーんでもないの? おかしくない? 初戦は相手のオーダーが分からないから、最強メンバーで組むはずだけど?」
「いえ、おかしくはありません。実はあの日、久世さんは午前中、いなかったのですよ。おそらくあの人も、受験で忙しいのだと思います。日曜日ですし、模試があったのかもしれません」
そ、そうよね……よく考えたら、3年生の11月って、めちゃくちゃ忙しいはず。その中で団体戦に出場してるんだから、よっぽど将棋が好きなんでしょうね。
「で、その佐藤って子は?」
「升風の1年生ですが、目立った戦績は……ん」
八千代先輩は、何かを思い出したように、ふと手を止めた。
そして、別のページを調べ始めた。
「思い出しました。この佐藤くんは、新人戦でも津山くんに1回戦で負けています。春季団体戦でも1度しか出ていないので、レギュラー候補ではないようですね。そのときは勝っていますが、相手は天堂です。菅原くんではありません」
「ってことは、佐川の負けた相手が、つじーんなのね?」
「その通りです。津山くんが辻くんに勝ったわけではありません」
八千代先輩の回答に、歩美先輩は深く頷いた。
「オッケー、佐川は同学年だから、棋力を把握できてるわ。くららんレベルだから、つじーんに負けるのは順当。佐川vs円ちゃんで1勝、津山vs香子ちゃんで1勝、残りの3戦で1勝なら、十分勝ち目があるわ」
……つまり、部長、歩美先輩、八千代先輩で、誰かが勝てばいいわけか。
藤井って人が2番手なら、実質的には2—1スタートかな。望みはありそう。
「ま、私がスネ夫を凹って、それで終わりなんだけど」
おお、歩美先輩が輝いて見えます。
拝んでおきましょう。ナムナム。
「よっしゃ、作戦会議は終わりだな。さっさと練習すっぞッ!」
冴島先輩の一言を合図に、私たちは将棋を指し始めた。
この1週間は、将棋漬けかしらね。
それでは、まずは冴島先輩を凹っちゃいましょうッ! 覚悟ッ!