表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第12局 なんだか秋の団体戦(1日目・2013年11月3日日曜)
86/295

79手目 涙する少女

「い、いかんッ! これは俺が戦犯のパターンかッ!?」

 久世(くぜ)さんは顔色を変えて、席を立った。

 戦犯? ……あ、そうだ、冴島(さえじま)先輩の対局ッ!

 歩美(あゆみ)先輩は勝ってるはずだから、冴島先輩さえ勝ってば……。

 4番席にも、ギャラリーの人集り。

 私と久世さんの対局が終わって、みんな移動したらしい。

「失礼します」

 対戦校優先ッ! 私は人垣の中へと飛び込む。

 最前列に出た私を待ち構えていたのは……必死に歯を食いしばり、盤面を睨みつける冴島先輩と、冷静ながら殺気に満ちた(つじ)くんの姿だった。

 形勢は……冴島先輩敗勢……いや、ほとんど詰んでる……そんな……。

「つじーんの勝ちだな」

 後ろの方で、誰かがぼそりと呟いた。

 そ、そんなはずは……頑張ればまだ行ける……はず……。

 無情に秒読みが進み、無情に指し手が進む。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 やっぱり、詰んでる。

 簡単過ぎて、誰も見落とさないような詰みだった。

「負け……まし……た」

 頭金を置かれた冴島先輩は小刻みに震える手で、投了を告げた。

 しんと静まり返るギャラリー。誰も声を上げない。

「うぅ……あぁ……」

 嗚咽を上げる先輩。それは次第に、号泣へと変わった。

 先輩が……負けた……。

「ぐすん、チームも負けちゃった」

 いつの間にか隣にいた数江(かずえ)先輩は、涙ぐみながらにそう言った。

升風(ますかぜ)も、危ない試合するね」

「入ってれば、事件だったが……」

 決着を見届けたギャラリーたちは、散り散りになっていく。

 あとには、涙を流し続ける冴島先輩と、無表情のつじーん、それに私と……。

「う、裏見(うらみ)くん」

 半分涙目になっていた私に、後ろから声がかかった。

 振り向くと、そこには久世さんがいた。

「な、なにか……」

 私は目尻を拭いながら、掠れ声で答えた。

「す、すまない……感想戦だが……止めにするかい?」

 感想戦……そっか、まだだっけ……。

「いえ……大丈夫です……」

「そうか……じゃあ、先に席に戻って待ってるよ」

 久世さんはそう言い残して、3番席へと戻って行った。

 私はしばらく気持ちを落ち着けて、対局席へと向かった。

「すみません、お待たせしました」

 着席したときには、盤面はなぜか少し進んでいた。

 詰みを確認していたのかもしれない。

「いやいや、構わんよ。……どこから始めようか」

「……6九飛の周辺でお願いします」

 私が逆転を感じたところだ。

 だけど、確実に逆転してたのかは、分からない。

 むしろ、久世さんのポカの可能性の方が大きいと思う。

「ふむ……6九飛ね……」

 久世さんは一息吐くと、盤面を再現した。

 

挿絵(By みてみん)


 駒を動かしているうちに、私はだんだんと気持ちが楽になる。

 自分の将棋に集中する。

「さてさて、手拍子で5九香と打ってしまったわけだが」

 久世さんはそう言いながら、5九に何度も香車を空打ちする。

 まあ、それは何と言うか……打ちたくなるわよね。

「王手を防ぎつつの王手ですからね」

「そうなんだよなあ。だけど結果的には、5九金だったか」

「……そうですね。金打ちの方が嫌でした」

 私が正直に答えると、久世さんは軽く頷いた。

「まあ、しょうがないな。5九香に5七銀が見えてなかった」

 なるほど……そこが見えなかったんだ……。

 だとしたら、どうやっても5九金じゃなくて香と打つわね。

「5七銀なあ……これがなあ……」

 久世さんは、何度もぼやきながら、桂馬を空打ちし始めた。

 あ、それね。

「同角、5九飛成、4九桂で、受かってないですか?」

 おっと、この声は……蔵持(くらもち)くんですね。

 久世さんは空打ちを止めて、その太い首をねじ曲げる。

「お、くららん、どうだった?」

「いやぁ、歩美(あゆみ)さんに、こてんぱんにされちゃいました」

 照れくさそうに頭を掻く蔵持くん。

「ハッハッハ、そうか、そうか。俺もだ」

 ぐぅ……この勝ちチーム特有の開放感は……。

 まあ……久世さんはこてんぱんってわけじゃないけど……。

「ところで先輩、本譜は?」

「本譜は、5九飛成、2八玉、5七龍だな」

「あれ? 桂馬は? 角に紐がつきますよ?」

「うーん、それなんだがなあ……5八銀と打たれたときの対応が……」

 声をか細くしながら、久世さんは4九桂馬と打つ。

 私はそれに合わせて、5八銀。

 

挿絵(By みてみん)


「……何ですか、この銀?」

 ぽかんとするくららんを他所に、私は感心していた。

 なるほど、この罠は、見えてたんだ。パニクったようで、案外冷静ね。

「種明かしすると、6五銀の詰めろに、4九銀成、2八玉、5七龍でな……」


挿絵(By みてみん)


 しばらく盤面を見つめたくららんは、ハッとなる。

「あ……そういう……」

「そうそう、そうなんだよ。本譜より、さらに桂損してるんだよなあ」

 正解。4九桂の紐には、この5八銀を用意してたんだけど……引っかからなかったわね。ただ、この銀打ち周辺は、先手に妙手があると、すぐに終わっちゃう形かも。1分将棋ならではの攻防戦だ。

「4九桂に5八銀が見えたのが、40秒あたりで、もう時間がなかったから、とりあえず角を捨てて守りに入ったんだ。だけど、その後がまた……」


挿絵(By みてみん)


「んー、これも良くなかったな。6六玉くらいで逃れてそうだ」

 そうね。本譜はカッコつけで4九銀としたけど、6六玉の方が安全そう。

「確かに、6六玉で入玉を確定させた方が、良かったかもしれないですね」

「ってことは、5七龍以下は、どうやってもこっちの負けか」

 ……かな。6九飛、5九香の時点で、先手は勝ちが滑り落ちた感じ。

「じゃあ、もっと遡らんといかんな。個人的には……5七角あたりか」


挿絵(By みてみん)


「これ、どうだった?」

 どうだったと言われましても……。

「あるんじゃないでしょうか……実際、龍を抜けましたし……」

「打った瞬間はそう思ったんだが、よく見ると、微妙に損してるんだな」

 損? ……あ、そっか、途中で桂馬を取られてるんだ。龍を抜いたとは言え、それは角捨ての代償だし、純粋に駒割りで見ると、角桂交換まで戻ってる。もちろん、こっちが依然として駒損だけど、その前は銀損だから、かなり接近してるわね。

「そう言われれば、そうですね」

「ふむ……大技が見えると、ついついやってしまうが……」

 その気持ち、分かります。

 私でも、「いい手、見っけ!」とか言って指しちゃいそう。

「やはり、5七銀打、5五玉と引かせた方が良かったか……」

「6三角成は、どうです?」

 おっと、この声は……。

「お、歩美(あゆみ)くん……アドバイスかね?」

「ええ、6三歩と打たれた瞬間に、同角成で」

 歩美先輩、久世さんには一応敬語なんだ。

 私がそんなことを思っている間、久世さんは6三角成とした。


挿絵(By みてみん)


「これは……」

「放置したら、6四馬、同桂、同龍までですよね。だから、当然の同金ですけど、同龍が7三角からの詰みと5六歩からの詰みを見せた、上下の詰めろ。回避するなら、3五銀とでも捨てるしかないですが、冷静に同歩で勝っているのでは?」


挿絵(By みてみん)


「うーむ、6三歩に同角成だったか……さすがは歩美くんだ」

 た、確かに……これは助からない……負け濃厚……。

「ということは、龍抜きの大技が敗着……これだから将棋は止められん」

 おお、太っ腹ッ! 負けてなお趣味に楽しむ、ですか。

 しかし、あの6五角が敗着とは、ちょっと思わなかったわね。

 指された瞬間は、むしろ「やられた」って感じだったけど。

「これで負けなら、私の7九飛が悪手ということに……」

「7九飛か……」


挿絵(By みてみん)


「これは正直、読むのを後回しにしていたな。5四歩かと思ってたよ」

「それは私も読んだんですが、7四角、6三歩、6五桂が分からなかったんです」

「7四角、6三歩、6五桂……」


挿絵(By みてみん)


「6一金と7三金のダブル詰めろか……意外と厳しいな……」

「7四角って、詰めろなんですか? 違うなら、先に7九飛と下ろせません?」

 と蔵持くん。冷静ですね。

「ちょっと読もう」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 ぎりぎり詰まないっぽい?

「えーと、一番厳しいのは、5二角成、同玉、7二龍、6二歩、6四桂ですか?」

「うむ、俺もそれを読んでいたが……5三玉は、5二金、6四玉、6五金、同玉、7五龍までだな。4二玉は6二龍、3一玉、3二金で即死だ」

 私は頷きながら、別の筋を披露する。

「ですから、4一玉と逃げて、先手は6一龍」


挿絵(By みてみん)


「5一の合駒は全部同龍ですから、3二玉と逃げますよね」

「さて、これが金2枚、桂馬1枚で詰むかだが……」

 詰まないんじゃないかしら?

 3一金、2三玉、1五桂、1四玉。これはもう、王手がかからないでしょ。

 2三金、同玉、2一龍、2二金も一緒。斜め後ろに利く駒がないわ。

「違う手順で詰んでません?」

 歩美先輩きたーッ!

 でも、どうやって?

「詰むかい?」

「初手を5二角成とせずに、6一金です。7三玉なら8三龍、6四玉、6五歩、5五玉、6七桂まで。5三玉なら、そこで5二角成」


挿絵(By みてみん)


 ん……これはさっきと似たような展開ですが……。

「あ、そっか……」

「うーむ、なるほどッ!」

 同玉なら、7二龍で詰みだわ。5三玉、6二龍まで。

 かと言って、5二角成に6四玉は、7五金、5五玉、6七桂まで。

 ぴったり……本当にぴったりの詰み……。

「ということはだぞ。7四角が詰めろだから、7九飛とは下ろせんわけだ。すると、本譜の先に7九飛が、まだマシだったことになる」

「そういうことに……なりますか……」

 私たちが了解し合う中、歩美先輩はさらに口を挟んだ。

「個人的に、後手は7九飛〜4九角〜6七銀の筋にこだわらないで、7八飛、6八金と金を使わせ、7九飛成、6九歩からの捻り合いに持って行った方が、良かったと思います。この展開なら、さっきの6五桂馬にしても、詰めろが外れますから」

 ……ですか。すぐには同意できないけど、最初から7八飛もあったわね。

 7八飛、6八金、7九飛成も、詰めろか。見えてなかったわ。

「いやはや、こいつは面白かった。いい対局だったぞ。ワハハ!」

 久世さんの高笑い。そっちはチームが勝ってますからね……嬉しいでしょうよ。

 これで私は2勝1敗。チームも2勝1敗。

 ただ、私が勝ったらチームも勝つ、って法則は成り立ってない。

 私が負けてもチームは勝つし、勝っても負ける。そんな展開だ。

「……他のチームは、どうなりました?」

 私が尋ねると、歩美先輩はこちらに視線を下ろした。

藤女(ふじじょ)駒北(こまきた)勝ち」

 うーん……やっぱりそうか……。

 これで2勝1敗が3校。戦国時代に突入ね。

 感想戦はこれくらいにして、最後にひとつだけ……。

「久世先輩……どうして筋違い角を?」

 私の質問に、久世さんは一瞬きょとんとしてから、豪快に笑った。

「いやぁ、裏見くんは、相居飛車でつじーんに勝ってるだろ。対抗型でもかなり勝ってるみたいだし、俺じゃちょっと相手にならんと思ってな。攪乱戦術だよ」

 なるほど……そういう……舐められてたわけじゃないんだ。むしろ、逆ね。

 そう考えると、ちょっとだけ嬉しいかな。

「よし、今日はお開きだ。ありがとうございました」

「ありがとうございました」


  ○

   。

    .


 夕暮れ時。

 日の短くなり始めた市民会館の前に、私たちは集合していた。

 誰が中心になるとでもなく、円陣を組み、一様に押し黙っている。

 その沈黙を破ったのは志保(しほ)部長だった。

「それでは、1日目の反省会を開きたいと思います。まずは……」

 部長は、ぐるりと部員を見回し、歩美先輩に視線を止めた。

「まずは、主将からお願いします」

 指名を受けた歩美先輩は、静かに頷いた後、その唇を開く。

「今日は3勝で、いいスタートを切れたと思うわ。内容もまずまずね」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 え? これだけ?

駒込(こまごめ)さん、以上ですか?」

「以上よ」

 短い……勝者の余裕ですか……それとも、ほんとに喋ることがないのか……。

 部長も少し戸惑っていたが、すぐに先を続けた。

「では、私が。今日は1回戦と2回戦に出させていただき、2戦とも勝ちを収めることができました。特に1回戦は、3—2の一角に滑り込めたので、大変嬉しく思います。升風(ますかぜ)の調子が良いので、総合優勝は難しいかもしれませんが、藤女(ふじじょ)も2—1ですから、2日目も頑張って行きましょう。以上です」

 うーん、手堅くまとめてきましたね。

 っていうか、部長、2勝0敗って、何気に凄くない?

 相手が両方当て馬クラスだったのを考慮しても、貢献度大よ。

「では……木原(きはら)さん、お願いします」

 おっと、数江(かずえ)先輩か。

 冴島先輩に、ちょっと配慮したかな。

「えっとね、今日は3回指して、1勝2敗だよ。勝っちゃった。やったね」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

「以上ですか?」

「うん、以上だよ」

 私がずっこけていると、部長は八千代(やちよ)先輩を指名する。

 先輩は眼鏡を直したあと、厳粛な顔で話し始めた。

「今日は3回戦目、当て馬として出させていただきました。うまく千駄(せんだ)会長に当たれて、役目は果たせたかと思います。将棋の内容は、私の四間に対して、千駄会長の鷺宮定跡。『傍目(はため)さんじゃないと、こういう将棋に付き合ってくれないからね』と言われたのが、何と言いますか……大変ときめきました。はい。以上です」

 好きなアイドルと握手した女子高生みたいになってるんですが……それは……。

「では、冴島さん、お願いします」

 きた……空気が変わる。みんな、ちょっとだけ気まずそう。

 冴島先輩は軽く溜め息を吐いたあと、悲し気な笑みを浮かべた。

「今日は全部出て1勝2敗……チーム貢献ゼロの完全なお荷物だ……すまねえ」

 うわぁ……いきなりそう入りますか……重い……。

「何と言うか……準備が足りないってわけじゃないんだが……いや、言い訳は止すか。1回戦は部長が勝ってくれなきゃチーム負けだったし、3回戦は裏見が勝ってくれたのに、オレのせいで負けにしちまった。……本当に申し訳ねえと思ってる」

(まどか)ちゃんは悪くないよ。当たりが悪いんだよ」

 うぅ……数江先輩、優しい……。

「へへ、ありがとな。……ま、3回戦はみっともなく泣いちまったが、将棋の内容は酷いもんで、横歩のマイナー研究にはめられて、そのまんま押し切られた形だ。もうちょっと勝負に徹した方が良かったかもな。つじーんの横歩を受けたのがバカだったか」

 冴島先輩は、少し俯いて、遠い目をする。

「……まあ、今さら言ってもしょうがねえな……すまん」

 静寂。数江先輩と部長は、目を潤ませていた。

 八千代先輩も、黙って耳を澄ませている。

 ただひとり歩美先輩だけが、全てを聞き終えて、指先を立てた。

「ま、2—1で折り返せたし、良しとしましょう。藤女は升風、うちは駒北を残して最終戦が直接対決だから、県大会進出の目は、大いにあるわ。張り切っていきましょ」

 そうか……とりあえずの目標は、藤女を破って県大会進出……。

「よっしゃ、いい加減、県大会出るか」

 冴島先輩が手を叩く。

 そうよッ! その意気だわッ!

「そんじゃ、張り切っていきましょ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=454038494&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ