76手目 筋を違える少女
「ハァ……」
何で私だけ負けかな……情けない……。
「裏見、そう落ち込むな。相手が悪かったんだからよ」
と冴島先輩。
そうは言われてもですね……チームが4—1で勝ったのはいいとして、ああいう強豪がゴロゴロいると思うと、気が滅入っちゃうわ。私、春夏はそこそこ勝ってたけど、もしかしてヌル面子だったとか?
「次は、升風なんですよね?」
私が尋ねると、冴島先輩は渋い顔をした。
「ああ、そうだな……」
緊張してる? ……無理もないか。升風は、春の優勝校。つじーんと千駄会長だけでも、相当な戦力のはず。蔵持くんだって、志保部長や数江先輩クラスなら、そうそう負けないだろうし……。
「他の学校は、どうなってます?」
「見に行くか?」
何を? 私がぽかんとしていると、冴島先輩は席を立った。
「対戦表だよ、対戦表。正面のホワイトボードにあるはずだ」
あ、そういうことか。
私も席を立ち、先輩の後を追った。
……微妙に人集りができてるわね。確かに成績が載ってそう。
どれどれ……。
うッ……パッと見だと、把握しにくいわね。
「えーと、これは……」
「横の列を見るんだ。縦は関係ねえ」
なるほど、左から右に見ていけばいいのね。
うちは2連勝で、他は……。
「あれ? 藤女負けてる?」
「だな。2回戦で駒北にやられたか……」
うそーん、姫野さんたちがいても勝てないんだ……。
戦力が偏ってるわけでもないのに……何で……。
「オーダーでうまくやられちゃったんだよね……」
「うわッ!」
私が振り返ると、そこにいたのは……。
「ヨッシー」
「香子ちゃん、どう……? 勝ってる……?」
「い、1勝1敗……ヨッシーは?」
「私も1勝1敗……」
そっか……一緒なんだ……の割には、やけに雰囲気が暗そうですが……。
「オーダーで負けたって、どういうこと?」
「幸田先輩が、姫野さんとの当たりをうまく避けたんだよね……」
避けた?
「ははぁん、幸田の考えそうなことだな。あいつはオーダーがうめえから……」
「おっと、心外だな」
んん? 誰ですか、今の声は?
私はあたりをキョロキョロする。
すると、前髪を櫛で整えているキザな男の姿が映った。
っていうか、本人じゃんッ!
「あわわ……幸田先輩……」
ヨッシー、焦ってる、焦ってる。
「スネ夫、何の用だ?」
ほ、本人にその渾名言っちゃうんだ……。
冴島先輩だから許されるのか、それともこれが通称なのか……。
幸田さんも怒った気配がない。不敵な笑みで先を続ける。
「『避けた』っていうのは、人聞きが悪いよ、お嬢さん。『たまたま当たらなかった』だけのことさ」
「はんッ! 嘘吐いてんじゃねぇぞッ! 勝てねえから、ずらしたんだろッ!」
い、言い過ぎです……なんでそんなケンカ腰なんですか……。
だけど幸田さんは、臆することなく、肩をすくめてみせた。
「証拠はあるのかい?」
「状況証拠が黒だって言ってんだよ」
「状況証拠ね……だったら……」
幸田さんは前髪をかきあげ、腕組みをする。
「冴島くんが男であることの状況証拠を挙げてみようか。ひとつ、男装している。ひとつ、一人称がオレ。ひとつ、胸がない。どうだい、状況証拠で白黒つけられるなら、きみは男性であぶべッ!」
決まったーッ! 右ストレートッ!
って、何やってるんですかッ!
「そこ、何してるッ!」
ほらッ! 運営が飛んできたじゃないのッ!
暴力ダメ! 絶対ッ!
「てめぇ、いい加減にしねぇと、その面、二度と拝めないようにすっぞッ!」
「止めなさいッ! 失格にするぞッ!」
失格という言葉を聞いて、冴島先輩もさすがに拳を下ろした。
や、やばい……これは冗談抜きでやばい……。
幸田さんがキレて……ない?
「ふぅ……あいかわらず暴力的だね。まあ、慣れたけど」
慣れとるんかいッ! どういうことよッ!?
「次は手加減しねえからな」
さ、冴島先輩は冴島先輩で、殴り慣れてるみたいだし……意味不明。
「幸田くん、冴島くん、暴れるなら、外でやってくれよ」
おっと、会長のご登場。
ふたりとも、気まずそうになったわね。
これは収束模様かしら。
ただ、外でやられても困ると思うんだけど。
「くそが、だからKKって言われるんだよ」
周囲に聞こえない程度の声で、冴島先輩は悪態を吐いた。
KK? ……KYの間違いじゃないですかね。
「KYってことですか?」
私がやんわり訂正したところで、冴島先輩は手の平に拳を打ち付けた。
「ちげえよ、駒桜市の迷惑ふたり組み、略してKKコンビだ」
K……幸田……あ、イニシャルってこと?
コンビってことは、もうひとりいるわけだけど……やっぱり……。
「いよッ! 何か面白そうなことになってるね」
出ました。甘田さん。
「うっせえ、おまえはすっこんでろ」
「おお、怖い、怖い」
イシシと笑いながら、甘田さんは両手の平を振ってみせた。
「駒桜、2連勝じゃん」
そうそう、そうなんですよ。実は升風と並んで、トップグループなのよね。
これは予想外なんじゃないかしら?
「下位2校と当たってんだから、当たり前だろ。このふたつに負けたらビリだぞ」
ととと、また酷い言い方を……。
「升風を倒したら、一気に優勝候補だよ」
「倒せたら、な」
いやいや、ここで弱気になってどうするんですか。倒しましょう。うん。
「藤女は、次どことだ?」
「うちは清心」
田中くんのところか……藤女が勝ちそうね。
駒北は天堂だし、あの様子だと、ほぼ鉄板で駒北。
うちが升風に負けると、2—1グループが3校乱立か……きつい……。
「しっかし、駒北くらい、軽くのしとけよ。ヤクザは何やってんだ?」
「姫ちゃんは、ちゃんと勝ってるよん」
「何だ? おまえが負けたのか?」
「いやあ、サーヤちゃんがね、スネ夫に当たっちゃってさ」
そこまで言って甘田さんは、アハハと笑った。
結果はお察しくださいってことか……。サーヤに勝ったとなると……スネ夫くん、侮れないわね。そもそも、松平情報だと、スネ夫くんと菅原先輩が同じくらいらしいし、どう考えても強敵だわ。言動と棋力が比例してないのも、甘田さんと一緒。
「私も負けてるんだけどね……」
とヨッシー。うーん、それで暗いわけ。
もうひとつの黒星は、猿渡さんかな。
「駒北は、戦力が揃ってるんですか?」
私の質問に、冴島先輩は難しそうな顔をする。
「んー……そういうわけじゃねえんだが……」
「第3局を始めますので、席についてください」
「っと、こんな時間か。……オーダーはどうなったんだ?」
訊かれても困ります。そもそも、オーダーに関与させてもらってないし。
ホワイトボードの前から、どんどん人がいなくなっていく。
私たちも、対戦テーブルへと急いだ。
……あ、部長が座ってる。オーダー交換は済んじゃったのかな?
「部長、オーダーは……」
「あ、今からです」
そっか。じゃあ、一歩引いときましょ。
ちらりと視線を向けると、そこには……あれ? 蔵持くん?
何でくららんが……会長はどこに……。
「すみません、会長は忙しいので、僕が代行します」
あ、そういうこと。
「よろしくお願いします。……こちらからでいいですか?」
「どうぞ」
「では……駒桜市立、1番席、副将、駒込です」
おおっとッ! いきなりずらしてるじゃないッ!
蔵持くんも、ちょっとびっくりしてるわよ。
「升風、1番席、副将、蔵持です」
わお……くららん、ご愁傷様。
「2番席、三将、傍目です」
八千代先輩きたッ! まあ、6人しかいないから、当然よね。
「2番席、四将、千駄です」
うッ……ここは捨て試合か……完全な当て馬ね……。
「3番席、四将、裏見です」
「3番席、六将、久世です」
ふえ? ……久世さんと?
「4番席、五将、冴島です」
「4番席、七将、辻です」
「チッ……つじーんかよ……」
舌打ちしない。
「5番席、六将、木原です」
「5番席、八将、深野です」
最後は……よく分かんない組み合わせね。深野って人は知らないし……。
私はしばらく、オーダーを眺めた後、冴島先輩の肩をつついた。
「ん? 何だ?」
「どんな感じですか?」
「……1—4か2—3コースだな」
いきなり降参モードですか……。
応援部の割に、えらくあっさりしてるのよね、この人。
それとも、応援部だから、経験豊富で先を悲観しちゃうタイプ?
「まあ、悪くはねえ。千駄に傍目をぶつけられたのは、こっちの作戦勝ちだ。これで大川vs蔵持、千駄vs駒込なんてなった日にゃ、0—5まであるからな」
……なるほど、オーダーでは作戦勝ちしてるんだ。
「とにかく、オレとおまえが勝って3—2だ。どっちか負けた時点でアウトだぞ」
あうあう……そういうプレッシャーかけないでください……。
「ま、2連勝でペースを掴んでるのは確かだ。気楽にいこうぜ」
「は、はい……」
私と冴島先輩は、そこで別れ……ん?
ちょっと待ったッ!
「先輩」
「何だ?」
「久世さんの棋風は?」
そう、これを確認しとかないとね。
冴島先輩もうっかりと言った感じで、眉間に皺を寄せた。
「アドバイスを忘れてたな……久世さんは、正統派居飛車党だ」
居飛車党……ってことは、選択権は私にあるわけか……。
「得意戦法は?」
「これと言ったのはないが、満遍なくできるタイプだな。矢倉、腰掛け銀、横歩……対振りが弱いってわけでもねえし……まあ、裏見とはそこまで合い口悪くないはずだぞ」
そっか……これは心強いアドバイスだわ……。
どっちにせよ、堂々と勝負した方が良さそうね。
「ありがとうございます」
「よしッ! 一発入れて、会場を刮目させるか」
そうそう、その意気ですよ、先輩。
私は鼻息荒く、3番席へと向かう。
そこには……。
「よ、裏見ちゃん、おひさしぶりッ!」
出た。この巨体。仏の久世さん。
「失礼します」
「どうぞどうぞ」
何がおかしいのか、久世さんはワハハと笑った。
うーん……気圧されそう。体重で椅子が軋んでるような……。
「よし、今日は気合い入れていくぞ」
いや、それ1回戦の台詞です。なぜに3回戦で気合いを入れるかな……。
お手柔らかに。
「裏見ちゃん、勝ってるかい?」
「……そこそこに」
「そうかそうか、けっこうけっこう」
「はぁ……」
この飄々っぷり。
「それでは、振り駒をお願いします」
会場が、しんと静まり返る。
さすがに久世さんも黙ったわね。そこはKYじゃないわけだ。
今回の振り駒は、歩美先輩。
慣れた手付きで、振り駒をする。
「……駒桜、偶数先」
「升風、奇数先」
うわッ……また後手番……3連続よ、これで。
「よーし、俺が先手だな。裏見ちゃん、右利き?」
「……はい」
久世さんはその大柄な手で、チェスクロを私の右側に置いた。
それから両手をぱんぱんと叩き、ふぅと息を吐く。
駒が飛びそう。
3回戦でみんな疲れてるっぽいけど、緊張感は失われていない。
誰もが対局開始の合図を待つ。
「……それでは、対局を始めてください」
「よろしくお願いします」
私はチェスクロのボタンを力強く押す。
2コ上だからって容赦しないわよ、どーんと来なさい。
久世さんはその太い指で駒を摘み、7六歩と軽快に打ち下ろした。
気合い入ってるぅ。私も気合いを入れて3四歩ッ!
「よし、3四歩だね」
見りゃ分かるでしょッ!
私が突っ込みを入れる中、3手目が指された。
ふあッ!? 角交換? ……先手番一手損角換わり?
それって、正統派なの? ……とりあえず同銀。
「今日はこいつで仕舞いだな」
久世さんはそう言って、角を……え、何で角を持つの?
……………………
……………………
…………………
………………
ど・こ・が・正・統・派・な・の・よッ!
冴島先輩の嘘吐きッ! 筋違い角じゃないッ!
私は、隣に座る冴島先輩を睨んだ。私の視線に気付いたのか、先輩もちらりとこちらの盤面を見る。その途端、「えッ?」みたいな顔をして、気まずそうに視線を戻した。
後で問い詰めますからねッ!
「こらこら、女の子がそんな怖い顔しちゃいかんぞ」
久世さんの高笑い。ぐぅ……そのお腹に鉄拳を叩き込みたい……。
と、とにかく、筋違い角には負けられないわ。滅多にされないけど、印象が強いから序盤は何とかなるはず。6二銀。
3四角、3二金、6六歩、6四歩、8八銀、6三銀、7七銀、3三銀、7八角。
深く引きましたか。次はほぼ間違いなく、6八飛ね。
私は5四銀と進出させ、飛車回り備える。案の定、6八飛が指された。
4四歩、3八金、4五歩。どんどんプレッシャーをかけるわよ。筋違い角は、どちらかと言うと守りの戦法。こっちが気後れする理由はないわ。何で筋違い角を採用したのか分からないけど、裏見様を見くびらないでちょうだい。
「ふむ……序盤はしっかりしてるな……」
そう言って久世さんは、一層真面目な顔付きになる。
やっぱり、微妙に舐められてたかしら? その油断、後悔させてやるわッ!




