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こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第2局 いきなりライバル登場編(2013年5月8日水曜)
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6手目 喫茶店の少女

 木原(きはら)先輩は盤面を見つめながら、

「うーん……難しいなあ……」

 とつぶやいた。


【先手:裏見うらみ香子きょうこ 後手:木原きはら数江かずえ

挿絵(By みてみん)


 両腕をテーブルにおいて、さらにそこへ頭をのせている。お行儀が悪い。

 局面は終盤。私の圧倒的な優勢。さすがにここから逆転はないでしょう。

 プロ相手ならともかく、後手は木原先輩だし……ちょっと失礼な言い方だけど。

「8一玉だと……うーん……」

 それは7三桂不成、9二玉、8三金、同歩、同歩成で詰み。

「……あ、そっか、8一玉は7三桂成でダメだね。必至がかかりそう」

 成らずで詰むでしょッ! なんで成るし……成りたがりなお年頃?

 先輩はべつの手を読み始める。

「8四金、7三銀、8一玉、8四銀成はどうかなあ……」

 7三銀は打たない。いきなり7三桂成と捨てる。

 同玉に6四馬。6二玉なら、7三銀、7一玉、7二歩、同金、同銀成、同玉として、そこで7三金。以下、6一玉、6二歩、7一玉、7二歩、8一玉、8二金で詰み。だから7三桂成を取らずに8一玉だけど、8四飛車が詰めろ。先輩が考えてる7三銀よりも速い。

「他になにかないかな、っと……」

 ないです。そろそろ投了して欲しい気もする。

 そもそも私がここへ来たのは、木原先輩と指すためじゃないのだ。

 リベンジ。冴島(さえじま)先輩と対局するのが目的。

 そう、ここは駒桜(こまざくら)市立(いちりつ)高校女子将棋部の部室。部室と言っても、物置のようなところに、テーブルをふたつ並べてあるだけ。学校の備品がしまってある本棚に、たくさんの棋書が置かれていた。

「ふむふむ、香子(きょうこ)ちゃんの王様は詰まないんだね」

 詰むわけないでしょッ! まともな王手が掛からないじゃないですかッ!

 ……ふぅ、いけない、血圧が上がる。高血圧は美容の敵。

 それにしても木原先輩、よっぽど将棋が好きなのね。私が冴島先輩を待ってたら、やたらと誘ってきたし。

 それからもうひとり、気になる人物がいた。私のとなりに座って、じっとこちらを観戦している眼鏡の女の子だ。部長の大川おおかわ先輩じゃない。今日初めて見るひと。三つ編みのお下げで、ところどころそばかすがあった。

 タイピンのラインは2本。2年生。

 部員名簿をちらりと見たら、ひとりだけ知らない名前があった。

 傍目(はため)八千代(やちよ)さん──このひと?

 それにしてもおかしい。八千代先輩の観戦態度が、じゃない。私が来たとき、傍目先輩と木原先輩は一緒にいた。だけど木原先輩は、彼女と将棋を指していなかった。入室した私を見て、「やっと指せるよ」なんて言ってたくらい。

 もしかして傍目先輩、駒の動かし方も知らないのかな?

 数合わせの幽霊部員ってやつ? ……それにしては熱心に観戦してる。しかも彼女が手にしてる雑誌、将棋の雑誌な気がする。『将棋ワールド』って書いてあるし。

 ここで木原先輩が動いた。

「しかたないから8四金って取ろ」

 私はノータイムで桂馬を成ろうとした──ろうかでにぎやかな声がした。

 聞き覚えがある。私は桂馬を持ったまま、入口をふりかえった。

 スライド式のドアがあき、3人の女子が姿をあらわした。

「おーすッ」

 いたッ! 部長の後ろに冴島先輩を発見。あいかわらずの学ラン姿だ。

 校則違反にならないのかしら……? ま、どうでもいい。

「先輩、待ってました」

 私は木原先輩との将棋を中断し、冴島先輩に声をかけた。

 冴島先輩もさすがに私の顔をおぼえていた。

「よお、昨日の今日で入部してくれるとはな。指した甲斐かいがあったってもんだ」

「入部じゃありません」

 私の返答に、冴島先輩は「へッ?」と声をあげた。

「今日はリベンジに来ました」

「あのなあ……それはちょっとばかし……」

 ここで駒込先輩がわりこんできた。

まどかちゃんにリベンジしたいなら、入部してもらわないとダメよ」

 いやいや、私も反論する。

「リベンジするなら入部、っていう条件はなかったと思います」

「私がたった今そう決めたから。円ちゃんは今後、将棋部員以外とは対局禁止」

 メチャクチャだ。となりの冴島先輩もあきれてる。

「先輩はここのシェリフってわけですか?」

「そうよ」

 駒込先輩はあっさりそう言ってのけた。逆に私が困惑してしまう。

 私が言葉に詰まっていると、先輩は先を続けた。

「私は駒桜市立高校女子将棋部の主将よ。主将は部員の生活にまで口出しできるの。一日何時間将棋の勉強をするとか、だれとだれが指すとか、大会期間中はテレビゲームをしないとか、いろいろね……だから円ちゃんは対局禁止」

 な、なによその強権!? 日本の首相だって、そこまで口出しできないわよッ!

「そういう管理社会みたいな部には入れません」

 駒込先輩は「そう」とだけつぶやき、会話が終わった。あのさぁ。

 もうこのひとは放っておこう。でも冴島先輩とは指したい。このままじゃ、先輩の勝ち逃げになっちゃう。勝ち逃げされるのが一番ムカつくのよね。

 私と駒込先輩がバチバチやっていると、大川部長があいだに割って入る。

「えーと……これから例会ですので、議論はまたの機会に……」

 大川部長、ちょっと弱気。権力関係が主将>部長っぽい。

 どうやら公式の部活動らしく、私は退室させられてしまった。

 鞄を持って、部室をあとにする。

 肩を怒らせて、校門へと向かう。

 まったくあの駒込ってひと、どういう神経してるのかしら。

 怒髪天どはつてんで校舎を出ると、5月の風。校庭には運動部がいるだけで、友だちはみんな帰ってしまっていた。1時間も将棋してたら当たり前か。

 冴島先輩にリベンジできなかったのは残念だけど、また今度にしよう。

 さて、今日はおじいちゃんも、なにかの例会で遅くなるって言ってたし、帰っても特にすることないわね。ファミレスで詰め将棋の本を読みますか。

 学校から歩いてわずかに10分。もう見えてきた……あれ?

 ようすが変……駐車場に自転車が一杯……嫌な予感がする。

 私はファミレスの入口をくぐった。レジの店員と目が合う。

「申し訳ございません。ただいま満席となっております」

 見回せば、スポーツユニフォームの男女が一杯。

 体育会のパーティーか。いくら学校で飲食できないからって、ここはやめて欲しい。

「……また来ます」

 私はベルの音を背にファミレスを出た。

 はあ……今日はとことんツイてない。どこか他にくつろげる場所──

 あ、そうだッ! 今日は水曜日じゃないッ!

 水曜日と言えば、あそこの喫茶店がコーヒー学割100円ッ!

 ファミレスのコーヒーに大金払うところだったわ。団体客様々ね。

 私は一度来た道を半分ほど戻り、十字路で今度は左に曲がる。一見住宅街のような地域に見えるけど、穴場のコーヒーショップがあるのだ。名前は八一と書いてヤイチ。おじいちゃんの後輩で、やっぱり将棋好き。八一っていう名前が、その証拠。

 ……あ、見えてきた。私は店のガラス戸を開ける。

 涼やかな鈴の音。口髭のある店長が、こちらを見てほほえんだ。

「いらっしゃい、香子ちゃん」

「こんにちは、マスター」

「いつものコーヒーだね?」

 私はうなずいて、早速席をさがした。うーん、さすがに混んでるわね……宣伝もなにもしてないお店だけど、口コミで有名だから。

 でも4時を過ぎてるし、お客さんは減ってるみたい。

 木原先輩の長考が、まさかこんなところで役立つとは。

 ……あった。私は窓際の奥、観葉植物に近い席に腰を下ろした。

 鞄の中から、詰め将棋の本をとりだす。先月買って、半分くらい解いてあった。

 ちゃちゃっと片付けますか……私が集中していると、図面に影がさした。

 マスター、今日はえらく速いのね──ん?

 顔を上げると、立っていたのはマスターじゃなかった。

 びっくりしちゃうくらい奇麗な女の人が、じっとこちらを見つめていた。

 セーラー服を着ていた。市内の名門、藤花ふじはな女学園の制服だとすぐわかった。

 上着の左胸に、藤の花の刺繍があったからだ。

「あの……どなた……」

「あなた、将棋をなさりますの?」

 はい……それがなにか? そのまえに、あなたはだれ?

 腰まである長々とした黒髪に、ちょっと切れ長の目。

 私がじっくり観察していると、少女は先をつづけた。

「わたくしも将棋をたしなんでおりますの」

 はあ、そうですか……けっこう珍しい趣味だけど、私も人のこと言えないし。

 で、なにがおっしゃりたいのでせうか?

「いかがでしょう、ひとつお手合わせなどを……」

 お手合わせ……? 一局指せってこと? ここで?

 私が目を白黒させていると、少女は勝手に向かいの席に座った。

 私は本を置き、どう対応したものか迷った。

「あの……将棋盤とかないですし……」

「わたくしが持っております」

 少女は鞄から、ビニールの盤と樹脂駒を取り出した。

 絶句。部室にあったのと同じものだ。

 最近の女子高生は将棋盤を常備してるの? そんなまさか。

 少女はそれをテーブルに広げ、さらに時計のようなものを取り出す。

 ……チェスクロじゃんッ! なにが起こってるのか、わけがわからなくなる。

 少女は駒箱を開けて、中身を盤の上にそっと出した。なるほど、お嬢様学校なことだけはあるわね。私なんか、一気にぶちまけちゃうのに。

 って、そんなことどうでもいいわ。このシチェーションはなんなの? どうして喫茶店で知らない女と将棋を指すのよ……おかしいでしょッ!

 なんか周りの人たちに見られてるし。

「ご自分でお並べになってください」

 ハッ! ……この人、もう半分並べてる。

 私は無意識のうちに、王様を手にしていた。定位置におく。

「見事な手つき……これは期待できそうですわ……」

 いや、期待しなくていいから。それよりこの状況を説明してよ。あなただれ?

「あの……お名前は……」

姫野(ひめの)咲耶(さくや)と申します」

 ヒメノ……お姫さまの「姫」に、野原の「野」かしら? 

 そういうことにしときましょ。他校だから学年はわからない。

「さて……」

 先に並べ終わった姫野さんは、余った歩を駒箱にしまって、鞄へもどした。

「15分30秒でいかがでしょうか?」

「はい?」

 私は上ずった声で、姫野さんを見つめ返した。

 姫野さんも私を見つた。

「15分30秒では、ご不満ですか?」

「いえ……15分30秒ってなんですか……?」

 あら、と言った顔をする姫野さん。

 そういう業界用語はやめてください。

 姫野さんは説明を始めた。

「持ち時間15分。それがなくなると、一手30秒未満で指すルールです」

「あッ、そういう……」

「お分かりになられまして?」

 私はうなずきかえした……なんでこの流れに呑まれてるの、私? おかしくない?

 私が混乱してると、マスターがコーヒーを持って来た。

「あれ、咲耶ちゃんじゃない」

 姫野さんもあいさつする。

「おひさしぶりです、マスター」

「さっき来たの?」

「ええ、こちらのかたが詰め将棋の本をお持ちで、それが目にとまり……」

 マスターは納得顔でうなずきかえした。

 いや、どういうことなんですか? 私は姫野さんを盗み見する。マスターが驚かないところを見ると、このひと、将棋で有名なのね。でなきゃ、マスターは私のほうに声を掛けてくるはずだし……手強いかも。さっきの駒を並べる手つきも、素人じゃなかった。

 私は気合いを入れる……って、やっぱり流れに呑まれてるじゃないッ!

「咲耶ちゃんもコーヒー?」

「いえ、ダージリンでお願い致します……ミルクで」

 注文を聞いたマスターは、ふたたびカウンターへもどる。

 姫野さんは私に向きなおり、にっこりとほほえんだ。

 その笑みには、どこか薄ら寒いものがあった。 

「それでは、振り駒をいたしましょう」

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