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こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第12局 なんだか秋の団体戦(1日目・2013年11月3日日曜)
78/295

71手目 誘惑される少女

 パチパチと、初手の音が聞こえる。

 田中くんはしばらく「うーん」と悩んでから、7六歩と突いた。

 悩むところですかね……3四歩。

 2六歩、4四歩、4八銀、3二銀、6八玉、4二飛。まずは四間飛車から。2五歩、3三角、7八玉に9四歩として、端を打診する。

「うーん」

 田中くんは腕組みをして、悩み始めた。

 序盤に苦労してるみたいだけど……作戦を決めてなかったのかしら。

「受けとくか」

 そう言って田中くんは、9六歩。

 受けましたか。ひとまず4三銀と上がりまして、5六歩、7二銀、5八金右、5二金左。ふふふ、私だって、ちょっとくらい勉強してるのよ。昭和将棋からの脱却ッ!

 5七銀右、6四歩、3六歩……ん? ほんとに急戦?

 団体戦は持久戦の方が多いって、歩美(あゆみ)先輩が言ってたけど……。

 まあ、いいわ。とりあえず居玉を回避しまして……6二玉、と。

 私の玉上がりに、田中くんはうんうんと頷いた。

「ここで、こうだな」


挿絵(By みてみん)


 ふえ? 5五角?

 ……あ、高美濃を強要してから、3七角引きか。

 ただ、穴熊を牽制するなら、6三銀〜7一玉なのよね。どうしましょ。……アマチュアの私がここで考えても、しょうがないか。6三銀、と。

 6六歩、7一玉、3七角。角頭を窺いますか。3二飛。

「んー、激しいなあ」

 まあまあ、初戦から気が萎えないようにね。がんがん行くわよ。

 やる気を出した私の前で、8八玉が指された。はい、4二角、と。

 

挿絵(By みてみん)


 ほらほら、次に3五歩と仕掛けちゃうわよ。

 先手は王様を囲えてないから、強気でOKなはず。

 田中くんは2六角と、3筋を受けた。私はすかさず、2二飛と寄る。

「うわ、また角の頭……」

 田中くんはその角に触れた後、指先を放す。

「失礼」

 ちょっと謝って、それから再び考え始めた。

 ん? 何を考えてるの?

「千日手は嫌だしなあ……」

 千日手? ……ああ、3七角、3二飛、2六角、2二飛の繰り返しね。

 んー、私は先手番でも後手番でもいいから、千日手はノーサンキューなんだけど。ただ、こちらから回避する手段がなさそうだし、決定権は田中くんにあるかな。

 田中くんはさらに1分ほど考えて、4八角と引いた。

 千日手回避。私は3二飛と戻る。まさか、ここで2六角じゃないでしょうね。また千日手模様になるわよ。それは勘弁。

 私が心配する中、指された手は7八金。

 何、この手は? ……6七金右〜9八香とする気? こっから穴熊? 端歩は突いてあるけど、この組み方はそれっぽいわね。だったら、即座に3五歩と開戦……して大丈夫? 例えば、3五歩、同歩、同飛、4六銀で……。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 3二飛と引いて、5七角、5四歩、6七金右、4五歩(同銀なら4四歩で銀が死ぬわ)、3五銀……危ないか。こうなっちゃうと、むしろ私の方が薄いわね。6一の金なんて、王様以外に紐がついてない状態だし……。

 これは止めときましょう。一回8二玉と上がりまして……。

 6七金右、7二金。な、なんか、雁木みたいな形になったわね……。

 戸惑う私に対して、田中くんは1六歩、1四歩を入れてから9八香。来ました。やっぱりクマる気ね。そうはさせないわよ。3五歩ッ!

 田中くんもこれは読んでいたのか、あっさり同歩と取ってきた。同飛、4六銀、3二飛、5七角、5四歩、9九玉、4五歩と突いて、3五銀に容易の手、5三角ッ!

 

挿絵(By みてみん)


「ん……その手があったか……」

 さあさあ、受けなきゃ3五角で、こっちの銀得よ。

 3六歩と打ちなさい。3六歩と。

 私の気迫が伝わったのか、田中くんは3六歩と打った。

 ちょっと手損だけど……3四歩としましょう。2六銀と引かせて、4四銀。

 

挿絵(By みてみん)


 よし、これで好形になったわ。

 多分、次の手は……うん、8八銀ね。ハッチは閉められちゃったけど、イケるはず。私は5五歩と開戦した。

「取るしかないよな……」

 ですね。放置すると、5六歩と取り込んで、同金なら5五歩で終了。かと言って、5六歩に6八角は、そのまま5五銀と制圧されて勝てないでしょ。

 田中くんは歩を取って、チェスクロを押す。同銀、5六歩、4四銀。これで、何かのときに5七歩から、と金を作れるわ。一歩持ったし、焦らずいきましょう。

「ちょっと失礼」

 そう言い残して、田中くんはどこかへ行ってしまった。

 トイレ? トイレは、先に済ませましょう。

 私はそんなことを思いながら、盤面を睨む。こちらの構想としては、7四歩〜7三桂としたいんだけど、銀冠に組み替えられないのよね。変な雁木もどきにしたのは、失敗だったかしら? 囲いに発展性が……。

 というか、先手はここからどうする気なの? 案外に、飽和しちゃってる気がするんだけど……この形じゃ、3八飛とは寄れないでしょうし、3七桂は反動が……。

「お待たせ」

 田中くんは、アクエリアスのペットボトルを持って帰って来た。なんだ、自販機へ買い物に行ったんだ。私も後で買いに行こう、と。

 田中くんは一気に3分の1ほど飲み干すと、蓋を閉めて脇にボトルを退けた。一息ついてから、3七銀と下がる。

 

挿絵(By みてみん)


 む……銀の後退……これは読んでなかった……。

 5七銀〜4六銀〜3五銀〜2六銀〜3七銀なんて、手損もいいところだけど、こちらの対応は……2二飛の一手? 放置すると、2筋を突破されちゃうのよね。4二角の受けは、ちょっとありえないし……。

 私は盤上この一手で、2二飛車と寄る。向かい飛車になっちゃった。

「クマったし、もう行くか」

 啖呵を切った田中くんは、ぴしりとした手付きで4六歩と突いてきた。

 ……なるほどね、これが3七銀からのワンセットですか。同歩、同銀、4五歩と収めても良さそうだけど……5五銀と出てきたら、3三銀〜5四歩で銀が死ぬし……。

 ただそれより、3三桂と跳ねたいかも。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 これ、いい手なんじゃないかなあ。4五歩なら同桂で、一気に優勢。もちろん、取らずに6八角なんでしょうけど、自分から4六歩と突いといて、4五歩と取り込めないんじゃ、ダメでしょ。指し手がちぐはぐだわ。

 私は桂馬を2度ほど空打ちして、3三桂と跳ねた。

 田中くんの顔色が変わる。

「取らない手があるのか……」

 おっと、読んでなかったのね。しめしめ。

 田中くんは1分ほど悩んで、6八角と引く。私は2一飛車と、手待ちした。

「取れない気がするんだよな……」

 かもね。4五歩、同銀、4六歩は、角筋が止まって論外。銀の処置も困難なはず。だから4五歩、同銀に……5五歩?

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 次に4六歩で銀が死ぬから(今回、死ぬケースが多いわね)、当然に4六歩。次に4七歩成を狙うわよね。そこで4八歩なら、4四角と出て、歩をかすめ取りますか。5八飛と回れなくなってるから、5五の歩を守れないわよ。

 かと言って、4八飛の受けには、2四歩。無視して4六銀なら、同銀、同飛、4五歩、4八飛、2五歩……ん、2四歩があるかしら? 2六角は2八飛で藪蛇だけど、かと言って先手からは2三銀なんてゴリ押しもあるから、2四歩を放置できないような……。

 途中で間違えたかも。要検討。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

「そっか」

 私は思わず、声を漏らしてしまった。

 ま、相手も独り言してるし、いいでしょ。

 さてさて、トリックが分かりましたよ。4八飛なら、やっぱり2四歩。4六銀に、同銀としないで、3六銀だわ。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 3七銀とムリヤリぶつけてきたら、4七歩、4九飛、3七銀成、同桂、3八銀、5九飛、4八歩成で大優勢。途中、4九飛じゃなくて2八飛の寄りなら、筋悪かもしれないけど3六銀と打ちましょう。2四歩の取り込みには、3七銀成で一手早いし、3八歩の受けなら、4八歩成とと金を作れる。

 オッケー、4八飛も大丈夫ね。ドンと来なさい。

 私が構えていると、田中くんはようやく4五歩と取り込んだ。

 同銀、5五歩、4六歩……同銀ッ!?

 直取りですか。これは同銀と……できないわね。取った後で、こっちの3二に傷が残ってる。でもでも、これにはさっきの読み筋が応用できるんじゃない? 3六銀、3八飛、4七銀成、3四飛に、4三金の顔面受け。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 飛車を引くとしたら、3六よね。次に3四歩と打たれたら終わりだから、こちらが先に3四歩と打ちまして……先手どう指す? こっちが押さえ込めるかどうかの勝負になってるわね。もう、7四歩〜7三桂の暇はなさそう。ひたすら大駒を捌かせないようにしながら、2筋を逆用のパターンか。

 うん、悪くはないわ。3六銀、と。

「あちゃー、そこ出れるのか」

 ととと、真面目に読んでくださいな。

 田中くんは、再び長考に入った。中盤はリードって感じかしら。

「2筋は突けないし、5筋に飛車回るのもなあ」

 ですね。2四歩の突き捨てはマイナスになるだけだし、5筋に回るのは、4七銀成、5六飛に、4一飛から逆襲できそう。あるいは単に4六銀と取って、同飛、4五歩と押さえる線も……4六同角なら、4五銀で両取りよ。

 田中くんは渋々と言った感じで、3八飛と寄った。

 私はノータイムで4七銀成。そこから3四飛、4三金、3六飛、3四歩と進む。

 さーて、ここで田中くんが何を指すかだけど……。

 田中くんは、長考中に次まで読んでいたらしく、すぐに3七銀と指した。

 

挿絵(By みてみん)


 また読んでない手がきました……。

 ここで銀交換は、したくないのよね。3七銀なんて働いてないし、ここで銀交換しちゃうと、3二銀と打たれるのが激痛だから。

 よって、候補手は……パッと見、4五桂と5六歩かな。まず4五桂馬だけど、これがあるから3七銀は疑問手だと思うのよね。4六銀のままなら、桂馬を跳ねる余地はなかったわけで……。それに、4五桂の局面で、先手は何を指すの? 何も手が……。

 あるわ、4八歩が。4八歩、3七桂成、同桂、同成銀、同飛は、桂馬と銀をそれぞれ交換しただけで、有利なところがなくなってるような……3二銀でも5四銀でも潰れそう……。4八歩、5八成銀として、4六角ならそこで3七桂成は? 同桂なら、2七銀で飛車が死ぬわよ。……同角で何ともないか。先に3七桂成、同桂、5八成銀、4六角、3五銀も、同角と切って、同歩、5六飛。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 成銀を逃げないといけないけど、やっぱり次に3二銀がある。却下。 

 5六歩はどう? 5六歩、同金……金がそっぽに行ってるけど、それを咎める手が思い浮かばない。もう4五桂とは跳ねられないし……。

 じゃ、じゃあ、単に3七同成銀とする? 同飛なら2六角と出て……あ、4七飛が金当たりになってる……全然ダメ……。

 あれ? 思ってたより、有利じゃなかった? 大局観がおかしかったかも……。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 4五桂馬と跳ねて、田中くんの間違いを期待する?

 4八歩に気付かないかもしれないし……。

 いや、でも……気付かれたら終わり……。

 私は、頭がくらくらしてきた。自分のおかしな声が聞こえてくる。

 

 4五桂って跳ねちゃおうよ。田中じゃ4八歩なんて気付かないって。

 ダメです。香子さん。大切な団体戦ですよ。油断は禁物。

 大丈夫、大丈夫。うまく対応されても、終盤で逆ればいいの。

 相手は穴熊、こちらは木村美濃。逆転は困難かと。

 

 しょ、将棋の天使と悪魔が戦ってる……。


 4五桂以外に手がないわ。これ以上考えるのは、持ち時間の無駄。

 どんな局面でも最善を尽くすのが将棋指し。初心を忘れてはいけません。

 相手が間違える手を指せばいいんだよ。簡単な最善より複雑な次善。


 あうあう……4五桂……。

「ひッ!?」

 頬にヒンヤリとした感触。私は思わず悲鳴を上げた。

 何かと思って右隣を見上げると……そこには松平がいた。

「ちょっと、対局中……」

「差し入れ」

 松平はニヤニヤしながら、お茶のペットボトルを差し出した。

 ……どういうこと?

「要らないのか?」

 松平は、少しショックな雰囲気を醸し出す。

 な、何が何だかよく分からないけど、貰えるものは貰っときましょ。

「……あ、ありがと」

 私は、雫の流れるボトルを受け取り、蓋を開けた。

 松平の視線が気になるので、左を向いてお茶を飲む。

 ……ふぅ、すっきりした。

 っていうか、持ち時間、どうなってるの?

 私はチェスクロを確認する。……18分? かなり残ってるわね。田中くんが、10分を切りそうな感じ。序盤で結構、長考してたから。

 何だ、これだけあるなら、もうちょっと考えないと。何だかボケてたわ。

 私は気合いを入れ直して、盤面に集中する。4五桂は却下。5六歩も却下。単に3七成銀も却下。……他にある? ないなら、悪魔の言う通りなわけだけど……。

 そもそも、この局面、私は何をするのがいいわけ? 攻める? 受ける? 第一感攻めだけど、ダメなら受けよね。ただ、受けるって何を……3二銀を? この傷は早いうちに消しとかないと、大変なことになりそう。銀交換に踏み切れないのも、この筋が残ってるからだし……とはいえ、4一飛なんかじゃ、依然として3二銀はあるのよね……。

 ん? 飛車じゃなくて、金の方を動かしたら?

 先にこうして、それからこうして……。

 え、もしかして、こんなのが成立しちゃうとか?

 私の意識は、読みの中へと溶け込んで行った。

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