70手目 緊張する少女
団体戦当日。私は少し緊張していた。
個人戦ではそこそこ勝ってるけど、団体戦は未勝利。今回こそは、と思いつつ、あんまり勝てる気がしないのよね。この予感、当たらなきゃいいけど……。
「裏見、どうした?」
冴島先輩が、私の顔を覗き込んでくる。
あいかわらず、ブレザーが似合ってませんね。執事服の方がカッコよかったかな。校則違反なのは分かるけど。
「顔色が悪いぞ? 変なもんでも喰ったか?」
「な、何でもないです」
「そっか……まあ、そんなにアガルなよ。団体戦なんて、自分が勝とうが負けようが、結局は他力だからな。あっさり土俵を割るとかしなけりゃ、何とでもなるさ」
まあ、そうですね。
私が全勝しても、チームが全勝とは限らない。
逆に、私が全敗しても、チームが全敗とは限らない。
だから私の責任ではないわけで……と言いたいところなんだけど、私が全敗したら、団体戦も全敗だと思うのよね。確実に勝ちが拾えそうなのは、歩美先輩かな。冴島先輩も、強豪に当たらない限り、8割方勝ちそう。でも、数江先輩、八千代先輩、志保部長のところは、黒星で見ておかないといけないと思う。だったら私が勝たない限り、チームは3勝できないわけで……。
「ただ、不利になっても、すぐには投げるなよ。持ち時間くらいは全部使え」
「……頭金で詰んでてもですか?」
「そうだ。隣で投了されると、どうしても焦るからな」
なるほど……味方が早めに投了すると、確かに焦るわよね。自分が勝たなきゃいけない状況になるから。ということは、頭金でも、持ち時間が残ってれば投げちゃダメなんだ。そのあたりが、個人戦との違いってわけ。
でも、相手は暇になるわよね。雑談もできないし。
「そろそろ対戦相手の発表じゃない?」
私の正面に座っていた歩美先輩が、誰とはなしにそう尋ねた。
志保部長が黙って頷く。
「そうですね、そろそろ……」
「対戦相手が決まりましたので、チェックしに来てください」
おっと、ずばり的中ですね。
こういうとき、歩美先輩は勘が働く。
「じゃ、見て来ますね」
そう言って、志保部長は席を立った。
私も慌てて席を立つ。
「あ、私も行きます」
部長を先頭に、私は最前列のホワイトボードへと向かった。
……うわ、混んでるわね。1校2名とかに絞りなさいよ。
私はつま先立ちしたり、生徒の列を掻き分けたりしながら、ホワイトボードを眺めようとしたけど、全然見えなかった。
うーん、邪魔。志保部長も困ってるし、誰か……。
「清心、天堂、升風、駒北、藤女だな」
ん、この声は……。
「松平、あんた、また来てんの?」
私の呆れ声に、松平はワハハと笑って親指を立てた。
「来年度は参加できるかもしれねえし、場慣れしとかないとなッ!」
こいつ……もう入部許可されること前提にしてるわね……。
数江先輩と志保部長が反対してること、知らないんだわ……。
まあ、話が複雑になるといけないから、こいつは放置して、と。
「さっきの順番、もう一回言ってくれない?」
「清心、天堂、升風、駒北、藤女だよ」
清心、天堂、升風、駒北、藤女……藤花女学園とは最後か。
「今日は、何回戦まで?」
「3回戦じゃないのか? 普通、初日はそうだが……」
松平の声が、自信なさげになる。
なるほど、男女混合は初めてだから、知らないわけか。
誰か知ってそうな人は……。
「3回戦までですよ」
っと、辻くん。
お久しぶりです。
「ほんとに? ってことは……」
「うちと最後に当たるってことですよ、今日は」
……そうなるわね。
「全体の対戦表とか、配られないの?」
私が尋ねると、辻くんは肩をすくめてみせる。
「そういうことにお金は使いませんからね。そもそも、抽選が今日なんですし、事前に準備しようがないというのもありますが……後で、連盟のHPにアップされると思いますよ」
後で……後でって、2日目しか役に立たないわけだけど……。
学生団体だから、このへんはやっぱりぐだぐだかな。
私がそんなことを考えていると、志保部長が人混みをかき分けて戻って来た。髪が若干乱れている。お疲れさまです。
「やっと写せました。秋は、こうですね」
初日(11月3日)
1回戦 駒桜vs清心 藤女vs天堂 升風vs駒北
2回戦 駒桜vs天堂 藤女vs駒北 清心vs升風
3回戦 駒桜vs升風 藤女vs清心 駒北vs天堂
2日目(11月10日)
4回戦 駒桜vs駒北 藤女vs升風 天堂vs清心
5回戦 駒桜vs藤女 升風vs天堂 駒北vs清心
6回戦 (予備)
さすが部長。尊敬します。
「藤女とは最終局ですか……」
「そうですね。3回戦以降が、かなりきついです」
確かに……春を見る限り、前半が下位校、後半が上位校か……。
「初日の升風vs駒北は、いきなり決勝戦だな」
と松平。そういうこと言わない。
うちだって、一応優勝は狙ってるわけだし。
ところで……。
「この『予備』って何ですか?」
「あ、これはですね。同順位の学校が出た場合、順位決定戦をするんですよ」
「例えば、4勝した学校が2つ出た場合、とかですね?」
私の確認に対して、志保部長は曖昧な返事をする。
「ちょっと違いますね。こういう将棋大会での順位は、チームの勝ち数+個人の勝ち星数で決まるので、同じ4勝でも、勝ち星の多い学校が上になります」
「……勝ち星って何ですか?」
「例を見た方が、早いですね。例えば……」
甲チーム
対乙チーム Aさん○ Bさん○ Cさん○ Dさん○ Eさん●
対丙チーム Aさん○ Bさん○ Cさん○ Dさん● Eさん●
「こういう勝ち方をしたチーム甲があるとします。この場合、甲チームの成績は、チーム勝ち数2、勝ち星7です」
勝ち星7? その数字、どこから……。
あ、分かった。そういうことか。
「分かりました。勝ち星って、個人の勝ちの合計なんですね」
「そういうことです。順位は、『チームの勝ち数の多い方が上。勝ち数が同じなら、勝ち星の多い方が上。勝ち星も同じなら、順位決定戦』というふうに、細かく決められています。2日目の第6局は、そのための予備枠ですね」
ふむふむ、了解。
まあ、チームの勝ち数も勝ち星も同じになるなんて、滅多にないんでしょうけど。
「えー、それでは、時間も迫ってきたので、各校はテーブルについてください」
幹事の声。
みんな、ぞろぞろと動き始める。
レギュラーは盤駒とチェスクロを、補欠はメモ帳を持参している。
対戦相手の情報をチェックするんでしょうね。
「では、私たちもそろそろ行きましょう」
志保部長と一緒に、私は前から2列目のテーブルに移動する。
松平がついて来るかと思ったけど、あいつはつじーんと何やら話をしていた。
ま、どうでもいいけど。私は、志保部長に話し掛ける。
「相手のオーダーは、まだ分からないんですか?」
「それは、1回戦のオーダー交換のときまで分かりません」
部長はそれだけ言って、テーブルの一番端へと移動する。
相手チームの清心は、とっくに集合していた。
うちの方が団体行動乱してるわね……。
「よろしくお願いします」
「よろしく」
相手の部長は、オーダー用紙を取り出して、テーブルの上に置いた。
すると、隣に立っている何人かの生徒が、それを写し始めた。
なるほど、こうやって他校のオーダーを記録しておくわけね。オーダーは、後から変更も追加もできないらしいし、一旦記録しておけば、2日目も使えるというわけですか。
「では、オーダー交換を始めてください」
幹事の声に合わせて、清心の部長が唇を動かす。
「1番席、清心、大将、近村です」
「駒桜、大将、大川です」
「2番席、清心、副将、小竹です」
「駒桜、副将、駒込です」
「3番席、清心、三将、田中です」
「駒桜、四将、裏見です」
そこで、相手の手が止まった。ちらりとオーダー表を見やる。
三将を飛ばしたから、警戒してるんでしょうね、多分。
まあ、そこは八千代先輩なんだけど。
「4番席、清心、五将、三宅です」
「駒桜、五将、冴島です」
そこで清心の部長は、軽く舌打ちをした。こらこら。
「5番席、清心、六将、森屋です」
「駒桜、六将、木原です」
……終わりかしら? ぞれぞれ、5人ずつ言ったわよね?
大川さんはボールペンで、オーダー表に相手の名前を記入していく。
「三宅先輩、冴島さんと当たってるじゃないですか」
清心の男子のひとりが、にやにや笑いながら言った。
あ、三宅って、清心の部長なんだ。だから、あそこで舌打ちしたわけだ。
「うっさい、おまえは自分の心配してろ」
ふむ……これは、冴島先輩の方が、圧倒的に有利そうね。
でなきゃ、こんなにイライラしないだろうし。
「オーダー交換が終わったところから、席について準備をしてください」
はいはい、準備しますか。
私は3番目の席に向かう。
するとそこには、刈り上げ頭の眼鏡くんが待っていた。
「田中くん、こんにちは」
私は椅子を引いて、腰を下ろす。
「裏見さん、お久しぶり。新人戦で会ったとき以来かな?」
うーんと……ファミレスで別れてから、会ってないかも……。
「多分、そうかな」
「藤女の文化祭で、メイドコスプレしてたんだってね」
……記憶にございません。
将棋に集中しましょう。
「準備が整ったところから、振り駒をお願いします」
おっと、これも重要。
私は大将席を見やる。
志保部長が振り駒を譲った後、相手の男子(近村だっけ?)が歩を集めた。
ん? 何か手付きが怪しいわね……慣れてないような……。
近村くん(上級生?)は手の中で適当にかき混ぜて、宙に放る。……見えません。
早く言ってくださいな。
「清心は……えーと、奇数戦です」
「駒桜、偶数戦です」
間髪置かずに、志保部長の声。偶数戦ってことは……。
「僕が先手だね」
ですね。1—3—5先手が奇数戦、2—4先手が偶数戦。
部長、歩美先輩、私だから、私は後手。
「右利きだよね?」
私が頷くと、田中くんはチェスクロを私の右側に置いた。
30分60秒。久々の長丁場ね。
一部の咳払いを除いて、会場は静まり返っていた。
春に感じたのと同じ空気が、私の肌に触れる。
田中くんの顔からも、さっきのフレンドリーさは消えていた。
「……では、対局を開始してください」
「よろしくお願いします」
挨拶の合唱が終わり、私はチェスクロのボタンを押す。
ピッという音とともに、対局が始まった。