68手目 予言する少女
出店に戻った私は、特に小言を受けることもなく、キッチンを担当させられた。
売り子より、こっちの方が楽だわ。
「はい、はーいッ! 美味しいクレープだよッ! 食べなきゃ損だよーッ!」
売り子は数江先輩。明るい人だから、こういうの向いてそうよね。
少なくとも、歩美先輩よりは。
「私の顔に何かついてる?」
椅子に座って本を読んでいた先輩と、目が合う。
「い、いえ、何でもないです……」
私はボールの中の生地を掻き混ぜながら、ちらりと視線を移す。そこには例の少女……飛瀬さんがいた。椅子に座って、クレープを食べている。
「飛瀬さんだっけ?」
歩美先輩の声。というか、手伝ってくださいな。
なぜに『変わりゆく現代将棋』とか読んでるかなあ……。
それに、飛瀬さんも無視しちゃダメでしょ。
「飛瀬さん?」
「はい」
ようやく返事をした飛瀬さん。
私は会話を盗み聞きする。
「下の名前は何て言うの?」
「……カンナです」
「へえ、女流にも同じ名前の人、いるわよね。漢字は?」
「全部カタカナです」
え、それは珍しい……。
むりやり当て字にしてきそうなもんだけど……。
「じゃあ、今度からカンナちゃんって呼ぶわね」
なんでいきなりお友だちモードなんですかッ!
ま、まあ、雰囲気が似てるのは否定できないけど……KYなとことか……。
「ところで、カンナちゃんは中学生?」
「はい、中学3年生です」
あら、そうなんだ。受験勉強とか、いいのかしら?
というか、この前の制服、市内で見かけたことが……。
「どこ中?」
飛瀬さんは、中学の名前を告げた。……聞いたことがない。
「それ、市外よね?」
「市外というか、県外ですね」
「県外の生徒が、何でここに?」
「実はですね……」
飛瀬さんは、一段と声を押し殺す。
「1年前、この町を観光していた最中に交通事故で死んでしまい、地縛霊としてこの世をさまよっているのです。あまりにも暇なので、将棋を指しているこの頃」
「……そう」
こ、この返しはうまいかも……参考にさせてもらいましょ。
「で、本当はなんでここに?」
「あ、信じてませんね? 証拠を見せましょうか?」
「証拠はいいから、理由を教えてちょうだい」
この強引なやり方もグッド。
「……父が来年度、駒桜市へ転勤になったのです。私も来年度から、この町の高校へ通うことになりました」
そう……え? 転勤?
「じゃ、じゃあ、来年度はうちに?」
私は手を休めて、後ろを振り向いた。
飛瀬さんはクレープを持ったまま、こくりと頷き返す。
「マジかッ! そいつは助かるぜッ!」
冴島先輩はそう言って、右手の拳を左手の平に打ち付ける。
た、助かるんですかね? なんか厄介者をしょいこんでいるような……。
「来年度は、1年生を大量に勧誘しないと、少子高齢化で潰れちまうからな」
あ、そういう……いやー、しかし……この子は……。
危険な香りがぷんぷんするんですが……。
「で、合格しそうなの?」
歩美先輩の無頓着な問い。
「余裕で合格圏内です」
わお、大きく出ましたね。嘘じゃないんでしょうけど。
「そもそも地球の学問レベルなら、無勉でも入れます」
はいはい、設定がめちゃくちゃになってるわよ。
幽霊なのか宇宙人なのか、はっきりする。
「理由は分かったわ。じゃあ、幽霊である証拠を見せてちょうだい」
えぇ……そこ蒸し返すんだ……。
歩美先輩、本気ですか……。
「いいですよ。ちょっと後ろを向いていてください」
歩美先輩はおとなしく、後ろを向いた。
「他の方も、お願いします」
私は、興味なさげに作業へと戻る。
ただ、聞き耳だけは立てておく。
……ん? 物音がしないわね。
私は、こっそりと振り返った。
「い、いないッ!?」
私の大声に、他のメンバーも振り返る。
「ほんとだ、消えちゃったよ」
数江先輩が、面白そうにそう言った。
「どうせ、そのへんに隠れてるんだろ?」
と冴島先輩。私もそう思います。
隠れられそうな場所は……。私は、室内を見回す。
……あ、発見しました。看板の後ろから、スカートが出てるわよ。
「どこかなあ?」
私はボールを置いて、看板のそばへと近寄る。
数江先輩がくすくすと笑った。ダメよ、笑っちゃ。
「そこだッ!」
私はスカートのすそを引っ張る。
ちょっと驚かせるつもりだったんだけど……。
「あれ?」
私の手の中に、チェック模様のスカートだけが残る。
「え?」
みんなギョッとなり、お互いに顔を見合わせた。
冴島先輩、顔が青くなってますが……もしや……。
「ま、まじで幽霊か……」
「引っかかりましたね」
「うわーッ!?」
冴島先輩の大声と同時に、ロッカーの扉が開いた。
ギィという金属音の向こうから、飛瀬さんが顔を覗かせる。
「ここに隠れていたのです。……スカートは囮です」
私はスカートの端を握り締め、歯を食いしばった。
店内でパンツ姿になるなッ! 男子に見つかったらやばいでしょッ!
「さっさと履くッ!」
私は飛瀬さん目がけて、スカートを投げつけた。
見事に顔面ヒットする。
「ま、前が……」
「履くまで出て来ないッ!」
バタンという音と一緒に、飛瀬さんは再びロッカーの中に引っ込んだ。
まったく、どういう神経してるのよ。
冴島先輩も、しかめっつらで額の汗を拭う。
「あいつ、大丈夫か?」
大丈夫じゃないです。
「円ちゃん、すごい悲鳴だったわね。廊下まで聞こえたわよ、きっと」
「う、うっせえッ! 誰だってビビるだろッ!」
もしや冴島先輩、幽霊が苦手なんじゃ……。
あれ? それにしても、スカートを脱いでどうやってロッカーまで移動……。
「お取り込み中のところ、失礼致します」
「ッ!?」
こ、この声はッ!?
「姫ちゃん」
一番最初に反応したのは、歩美先輩だった。
歩美先輩は本を閉じて、出店のカウンターへと歩み寄る。
「今日はどうしたの? 私と勝負したいわけ?」
んなわけないでしょ。
「他校の文化祭というものも、少々見学してみようかと思い……」
姫野さんはそう言って、店内を見回す。
「クレープ屋ですか……健全でよろしゅうございますわ」
私と冴島先輩はちらりと視線をかわし、頬を染める。
あんまり、喋らないで欲しいんだけど……あの件は……。
「おい、姫野、ひとつ喰ってくか?」
冴島先輩は、腕まくりをしてみせる。
だけど姫野さんは、首を左右に振った。
「申し訳ございません。間食は控えておりますので」
「そんな砂糖細工みたいな体してんじゃねえぞ。もっと喰って鍛えろよ」
鍛えてるお嬢様とか、聞いたことないです。
これで腹筋が割れてたりしたら怖いでしょ。
「彼女が姫野さんですか」
「うわッ!」
今日で何度目かの悲鳴。
私が振り返ると、いつの間にか飛瀬さんがロッカーから出ていた。
名前を呼ばれた姫野さんは、訝し気に彼女を見やる。
「あなたは、いつぞやの……」
「飛瀬カンナです。お久しぶりです」
「お久しぶりです。……と言っても、一度しかお会いしておりませんが」
「いえいえ、そんなことはありません」
飛瀬さんの反論に、私は嫌な予感を覚える。
「実は私たち、前世で何度も会ったことがあるのです。確か直近では、昭和の暴力団抗争の際、敵対する組みに所属していたと記憶しています」
室内の空気が凍り付く。
だ、誰かこいつを黙らせてください……。
「ほほほ、面白い方ですわね」
そう言って姫野さんは、手の甲を口元に当てて笑った。
目が笑ってないんですが……。
「で、その前世の見える方が、なぜここに?」
前半部分は置いといて、尤もな質問よね。
私は飛瀬さんの肘を小突いて、そっと耳打ちする。
「ほら、ちゃんと本当のことを話すのよ」
「分かっています」
飛瀬さんの返事に、私はホッと胸を撫で下ろす。
飛瀬さんはひと呼吸おいて、それから唇を動かした。
「実はですね……」
それ口癖? 本当のことを一回も言ってないでしょ。
「最近、姫野咲耶さんの天文に、不吉な影が漂い始めています。そこで今日は直にお会いして、ことの真相を確かめてみたいと思いました」
ハァ……。私はあからさまな溜め息を吐く。
あのさあ……ふざけてんの?
「姫ちゃんに不吉な影? いったい何が……」
いや、歩美先輩、そこ乗らなくていいです。無視しましょう。
「ほお……わたくしも気になりますわね……」
うわ、この人たち、大人げない……。
笑って済ませずに、どんどん煽っていきますか……。
「そう言うからには、何か証拠がございますのでしょうね?」
姫野さんの声は、微妙に怒気を含んでいた。
ほらほらほら、怒らせちゃったじゃないの。
さっさと謝った方がいいわよ、マジで。
「証拠はあります。……お見せしましょう」
ああ、もう勝手にしなさい。
私が呆れ返っていると、飛瀬さんはポケットから、一枚の紙切れを取り出した。
それをテーブルの上に広げて、姫野さんを手招きする。
姫野さんはしばらく躊躇した後、入り口を迂回して店内に入って来た。
「これは……?」
姫野さんは、紙切れを覗き込み、そう呟いた。
私も好奇心から覗き込む。
そこには、ひらがなと「はい」「いいえ」の2単語。
ん、これって……。
「こっくりさんじゃん」
と数江先輩。そうですね。こっくりさんですね。
「こっくりさん……? 何かの遊びですか?」
あ、真面目過ぎて知らないタイプですね、はい。
ここは、私が説明しましょう。
「えっと、何て言うんですかね……狐の霊を呼び出して、未来の出来事なんかを予知するおまじないです」
「狐の霊? おまじない?」
姫野さんは、何だか怪訝そうな眼差しを私に向けてくる。
ああ、こういうのはまーッたく信じてないタイプですか。
別に、私も信じてるわけじゃないんだけど……。
「では、はじめましょう」
飛瀬さんは五百円玉を取り出すと、紙切れの中央に置く。
人差し指を硬貨に乗せたまま、姫野さんへと顔を向けた。
「姫野さん、人差し指を五百円玉の上に乗せてください」
指示を受けた姫野さんは、口元を結び、周囲の面子を一瞥する。
……恥ずかしい。
「姫ちゃん、物は試しよ。やってみれば?」
歩美先輩のアドバイス。
姫野さんは渋々と言った様子で、硬貨の上に指を置いた。
あいかわらず奇麗な指してますね。羨ましい。
「ここから、どうすればよろしいので?」
「姫野さんは、そのまま指を乗せているだけでオッケーです。では……」
飛瀬さんは深呼吸すると、将棋を指しているときのような真剣な瞳になる。
「こっくりさん、こっくりさん、おいでくださいませ」
……………………
……………………
…………………
………………
この茶番、あとどのくらいやるんでしょうか?
「……いらっしゃいました」
ふっと、あたりの空気が変わる。え、え、え?
「……何がです?」
「こっくりさんです。姫野さんが信用していないようなので、質問は私がします。こっくりさんが怒るといけませんから」
「あの……これでは、何が何やら……」
「こっくりさん、こっくりさん、お答えください。姫野咲耶さんの身に、何が起ころうとしているのでしょうか?」
……………………
……………………
…………………
………………
ま、動くわけがないわよね。
私がこのおふざけを中止させようとした瞬間、姫野さんの表情が変わった。
「コ、コインが……?」
動いたッ!?
……いや、お、落ち着くのよ、裏見香子。
確かこういうのって、無意識のうちに手が動いてるとか、そういうオチだったはず。
そう自分を納得させつつも、私はコインの軌跡を追った。
ら い は ” る か ” く る
「らいはるかくる?」
姫野さんは、ひらがなの部分を順番に口ずさんだ。
「点々は濁点です。……『ライバルが来る』と仰っています」
「ライバルが来る……? わたくしにですか?」
信じられないと言った顔で、姫野さんは返した。
というか、こっくりさんが来てるのは、前提になってるんですか? これ?
「はい。こっくりさんはそう仰っています」
「ライバルならここにいるわよ、ほら」
歩美先輩の台詞を無視して、飛瀬さんは先を続ける。
「こっくりさん、こっくりさん、お答えください。そのライバルはどこから来るのでしょうか?」
……………………
……………………
…………………
………………
動いたッ!?
う み の む こ う
「海の向こう?」
今度は姫野さんも、きちんと文字列を把握したらしい。
私はこの状況自体が把握できてないんですが……。
「海外からということですか? いったい、いつ?」
「……それも訊いてみましょう。こっくりさん、こっくりさん、お答えください。そのライバルは、いつ来るのでしょうか?」
……………………
……………………
…………………
………………
また動いたッ!?
く り す ま す
クリスマスッ!? って、後3ヶ月しかないんだけど……。
この予言、ピンポイント過ぎるでしょ。誤摩化しが効かなくなるわよ。
「そこまで分かるなら、名前も教えていただけますかしら?」
あらら、すっかり飛瀬さんの空気の呑まれてますね。
「分かりました。こっくりさん、こっくりさん……」
そこまで言って、飛瀬さんはおまじないを止めた。
「……どうかしましたか?」
「……こっくりさんは、急用で帰ってしまいました」
溜め息が漏れる。返答に窮して逃げましたね、飛瀬さん。
姫野さんも大きく息を吐き、コインから指先を離した。
濡れ羽色の長髪をかきあげ、一同を見回す。
「なかなか面白い手品でしたわ。……では、ごきげんよう」
はい……ごきげんよう……。
姫野さんは、そのまま出店を去って行った。
「あら……一局指そうと思ったのに」
と歩美先輩。出店を手伝ってくださいな。
私がいろんなことに呆れ返っていると、飛瀬さんが口を開く。
「ここのクレープは、なかなか美味しいですね。もうひとつください」
「お、マジか。そう言ってくれると嬉しいぜ」
冴島先輩は「へへ」と笑い、できたてのクレープを差し出す。
「150円でしたね」
飛瀬さんは財布を開き、千円札を取り出した。
「いや、将来の後輩だからな。タダでいいぞ」
おっと、気前がいいですね。
私が感心する中、飛瀬さんは千円札を仕舞い、さらに五百円玉を……。
ん?
「ちょっと、その五百円玉見せて」
「あッ」
私は飛瀬さんの手から、五百円玉をひったくった。
裏返しにした瞬間、私は喫驚を漏らす。
「オモチャじゃないッ!」
私の大声に、その場の全員が振り返った。
「あ、人のものを勝手に……」
「オモチャ? どういうことだ?」
私は裏返しにした五百円玉もどきを、冴島先輩に見せる。
先輩は目を凝らし、裏面を睨んだ。
「……何だこりゃ? 変なローラーがついてるぞ?」
そう。マウスによくある、360度回転式のローラーだ。
そのちっちゃいバージョンが3つ、コインの中に埋め込まれていた。
「なるほどな……こいつがありゃ、小さな力でも動かせるってわけか……」
「それはですね、こっくりさんが楽に動かせるように……」
「問答無用ッ! 五百円玉があるのにお札で払おうとしたから、変だと思ったのよね」
私の観察眼を、舐めてもらっちゃ困るわよ。
ところが飛瀬さんは、私のことなんか気にせずに、クレープを食べ始めた。
あんたねえ……次期主将権限で、出禁にするわよ。
「信用してもらえませんか。……では、クリスマスをお楽しみに」