66手目 向かい合う少女
テーブルについた私と飛瀬さん。
振り駒の結果、私が先手と決まった。
「時間はどうする?」
「30分60秒でお願いできますか?」
飛瀬さんの返事に、私は渋い顔をする。
「それは無理だわ。休憩時間が終わっちゃう」
「そうですか……。では、15分60秒で」
「ごめん、できて60秒将棋よ。休憩は1時間しかないから」
飛瀬さんは拳を唇にあて、しばらく考えた後、こくりと頷いた。
「分かりました」
決まりね。1手60秒にセットして……。
私はチェスクロを自分の左側に置く。
観戦者は、松平と歩美先輩だ。
なんか変な気分ね。
「では、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
私たちは頭を下げる。
飛瀬さんがチェスクロのボタンを押して、対局が始まった。
……わけだけど、どうしましょうか?
前回の雰囲気だと、居飛車党っぽいのよね。少なくとも対抗型タイプ。
私が勝ったわけだし、素直にいきますか。7六歩、と。
飛瀬さんはノータイムで8四歩。うん、やっぱり居飛車党だわ。
中飛車にしましょ。5六歩。
私が中央の歩を突くと、飛瀬さんは8五歩と突き越して来る。
ん? 角道を開けない? これってもしかして……鳥刺しの構え? 角道を開けずに3二銀〜3一角は、歩美先輩にやられたのよね。もしその形になるなら、中飛車よりも向かい飛車に振った方がいいわけだけど……。
いやあ、でも私、向かい飛車指さないから……。
「どうかしましたか?」
「……考え中」
私は見たままの答えを返し、再び頭を悩ませる。
指し慣れてない戦法にするかどうか……。
うーむ……手損も嫌だし、向かいに振りますか。ちょっと舐めプ気味だけど。
私は7七角と上がり、5四歩に8八飛車と回った。
「……向かい飛車ですか」
今度は、飛瀬さんが長考に入った。
お互いに、序盤から神経を使ってるわね。おそらく飛瀬さんは、3四歩と突くか、それとも予定通りに3二銀〜3一角型を目指すかを検討中のはず。3四歩なら、激しくなるわよ。
「せっかくですから、力戦型にしますか」
何がせっかくなのか分からないけど、飛瀬さんは3四歩と角道を開けた。
はい、これは激戦必至ね。6八銀ッ!
4二玉、3八金、1四歩。かなり変則的な形だけど、角交換後の2八角を防ぐには、金を上がるしかないわよね。3八銀と美濃にするのは危険。
とりあえず、1六歩と突き返しまして……3二玉、4八銀……7四歩?
むむ、やってこいと……。
一目、2二角成、同銀、4六角が見えるけど……。
7三角と合わせて、同角成、同桂、4六角なら、6二銀でこっちが大損ってことか。
ただ、角を取らずに4九玉だと、7七角成、同銀(同桂?)、6二銀で、後手の方が若干好形な気がする。こっちは3八金型だから、進展性がないのよね、あまり。
じゃあ、ここで2二角成と取って、同玉なら5三角、4四角、同角成、同歩、4三角としましょうか。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これが金当たりだから、5二金右でしょうけど、3四角成と成れるわ。
この角成るを嫌うなら、同玉のところで同銀しかない。これは形が悪くなる。
オッケー、2二角成としましょう。えいッ!
「交換ですか」
飛瀬さんは30秒ほど考えて、同銀。
うん、さすがにここでは間違えないか。
さてさて、後手の形を崩したし、私は素直に囲いましょう。4九玉、と。
6二銀、3九玉、3三銀、2八玉、2二玉、7七銀、6四歩。
んー、6三銀の構想かしら。4六歩と突きまして……。
私が4筋の歩を突くと、飛瀬さんは案の定、6三銀と上がった。
私は4五歩として、後手の陣形を制限する。飛瀬さんは3二金。
さて、お互いに角を持ってるから、駒組みが難しいのよね。6筋の金は動かせないし、それは飛瀬も事情が一緒。一気に角打ちの隙ができるから。
……ここで攻めちゃいましょうか? 例えば7五歩、同歩、6六銀だと?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
うーん、これは7六歩と伸ばされて、7五銀には7七歩成、同桂、7六歩か……。
却下。さすがに無理があったわね。
単に6六銀と出ましょうか。7三桂、7五歩に6五歩の反発なら、一旦5七銀と引いて、7五歩、5三角。3五角なら7五角成、6四角なら同角成、同銀、6三角と打ち直す。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これどう? ちょっと無理気味に見えるけど、陣形はまだ私の方が堅そう。途中の6五歩で単に7五同歩なら、同銀、7四歩、6六銀、6五歩、5七銀と一回収めて、7七桂を狙いましょう。例えば6四角なら、7七桂、7五歩、6六歩、同歩、同銀、7六歩、6五桂。
姫野さんの対局に触発されたのか、私は無性に攻めたくなっていた。
行っちゃいますか。6六銀ッ!
飛瀬さんの7三桂に、私はノータイムで7五歩と突いた。
「……過激ですね」
まあね。飛瀬さんは1分ほど考えて、同歩。
同銀、7四歩、6六銀、6五歩、5七銀……6四角。
予想通りね。ここで7七桂馬と跳ねれば……。
桂馬に触れた途端、私はピリッとしたものを感じた。
これは……悪手の予感? 7七桂、7五歩、6六歩、同歩、同銀、7六歩、6五桂まではいいとして、同桂、同銀、7七歩成、6四銀、同銀、5八飛、6七と……。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
ん……これはどっちがいいの? 角銀交換だけど、と金の位置が大き過ぎて……。
そもそも、6六歩に手抜いて7六歩、6五桂、同桂、同歩、7七歩成、6四歩、同銀、8九飛も、かなり際どいような……というか、こちらとしては指したくないような……。
ピッ。うッ! 予定変更ッ! 7八金ッ!
私は急いで金を上がり、チェスクロのボタンを押した。
これで7七歩成の筋は防げたけど……。
飛瀬さんはパチリと音をさせ、7五歩。ですよねー、これで7七桂馬がおじゃんだわ。
ただ、こっちにはまだ手持ちの角があるし、何か打ち込む筋が……。
私は盤面を睨む。中学生相手に、仲間の前で負けるわけにはいかないわよ。
……打ち込む隙はなさそうね。だったら……手待ちする? こっちが動けないなら、飛瀬さんに動いてもらうしかないわ。
ピッ。よし、手番を渡しましょう。6六歩ッ!
「そこを突いてきますか」
飛瀬は、ちょっと意外そうな声を上げた。59秒まで考えて同歩。私は同銀、6五歩、5七銀引と収めた。これで手番は飛瀬さん。
「指したい手が多い……」
そうかも。パッと見、7四銀としたいわよね。4一角は5二金で受かるし、7二歩と小技を効かせても、同飛、8一角、5二飛でやっぱり受かってるわ。
ぼんやり9四歩とでもしてくれれば……。
ピッ、ピッ、ピーッ! パシリッ!
飛瀬さんが指した手は……5五歩。激しい順で来たわね。同歩、同角が飛車当たりか。
まあ、苦しい状況だと、相手に身を委ねるしかないわね。同歩、同角。
いやはや、序盤でここまで不利になるなんて。我ながら情けないわ。
放置で8八角成、同金、6九飛車と下ろされると、半分ゲームセットかな。
9八飛車。飛瀬さんは59秒まで考えて、6六歩。あれ? 8六歩じゃないんだ。てっきり、飛車先を交換してくるかと思ったけど……。
まあ、これも厳し……い? 5六銀と上がると? 6四角、6五歩、5三角……。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これは押し返してるんじゃない? 次に7七金と飛車の横利きを通して……。
いや、待って。6四角じゃなくて、4六角だと困って……ないか。これは5五歩として、6七歩成に同銀、6五桂、6六銀とすれば受かってると思う。ちょっと怖いけど。例えば、5六歩の継続手があるような、ないような……。
ピッ。あうちッ! えーい、勝負に出ましょう。5六銀ッ!
私は銀を力強く上がり、威嚇するようにチェスクロを押した。その気迫に押されたのか、飛瀬さんは少しばかり背を引く。
「そっか……角の逃げ場所が……」
そう、2ヶ所しかありません。選んでちょうだい。
30秒……40秒……50秒。ピッと鳴ったところで、飛背さんは6四角と引いた。
ふむ、自重しましたか。じゃあ攻守を転じましょう。6五歩ッ!
5三角に7七金。あ、一回8八飛車とか5五歩でも良かったかしら?
でも、待ったなしだから……。私は諦めて続きを読む。
「……」
飛瀬さんは盤のあちこちに視線を走らせつつ、駒台に手を伸ばした。歩を打つ? 打つとすれば、1ヶ所しかないけど……。
ピッ、ピッ、ピーッ! パシリッ!
私の予想通り、5四歩が指された。うーん、少し消極的過ぎませんかね? 5六銀からの反撃で、怯んだ? そこまで形勢差が詰まった気はしてなかったんだけど……こうなってみると、むしろ私が良くない?
ま、とりあえず8八飛車と戻し……6八かしら? 3五角と出られても、6九飛車で一応受かってるような……いや、危ないか……。5八飛車も3五角の覗きがあるし……。ただ、8八飛で3五角と覗かれると、7九の地点を受けにくいのよね。そこで7八飛と寄るなら、最初からそうしとけって話に……。
いやいやいや、お互いにビビってますね、これは。気を奮い立たせて、6八飛ッ!
私の積極的な寄りに、飛瀬さんも3五角と飛び出した。私は6九飛車と引く。ここで6七歩成、同銀(同金は8六歩)、6五桂、7八金、7六歩が、意外と面倒かも……。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
7六同銀なら、8六歩、同歩、同飛。そこで8七銀みたいな受けをすると、同飛成、同金に6八銀(一見、7八銀が見えるけど、それは6五飛車と走っていいと思う)、3九飛、5七桂成と殺到されちゃう。これは潰れ。
ああ、やっぱり形勢逆転まではしてなかったか……苦しい……。
ピッ、ピッ、ピーッ! パシリッ!
……ん? 飛車をスライドさせた?
5二飛……あ、中央から攻め込む気……。
だけど、これは……。7四歩、同銀、4一角だと? 5一飛と逃げれば7四角成だから、もう飛車は動かせない。やるなら5五歩くらいで、5二角成、同金、5五銀と取れば……。
あ、ダメか。5五銀には6五桂馬と跳ねる手がある。一旦、4七銀引? これなら5八角の筋も消せるし……あ、でも、結局6五桂馬があるから……。
うッ、分かんない。ただ、こっちはもう5九飛車とは守れないから、こうやって相手の飛車を消すくらいしか手が……。
ピッ、ピッ、ピーッ! 7四歩ッ!
寸でのところで時間切れを免れた私は、再度読みを入れる。7四歩と打ってしまった以上は、4一角しかない。問題は、角飛車交換の後なわけで……。
私が読み耽る中、飛瀬さんは自信なさげに7四同銀と取った。どうやら、4一角の筋に気付いたみたいね、視線が玉の周りを這ってる。
じゃ、お望み通り、4一角ッ!
飛瀬さんは5五歩と突き、飛車の最後の利きを活かす。
5二角成、同金、5五銀……6七歩成……。嫌な手が来たわね。6五桂も面倒だけど、これも厭らしい。同金なら7八角。6八飛と立つと、同角成、同金、4五角成と銀に当ててくるか、あるいは8九角成と単に桂得を狙うか……。どっちも後手ウハウハよね。
そうはさせたくないんだけど……同飛もなあ……7九角成だし……。
ピッ、ピッ、ピーッ! 同飛ッ!
私は角を成らせることにした。飛瀬さんは勢いよく7九角成。次に8九馬が痛烈だから、私は7二飛車と下ろす。さすがに金を取られるとまずいと思ったのか、飛瀬さんは6三銀と紐をつけてきた。んー、8九馬、5二飛成、6七馬、同金、6九飛も相当嫌だったけど、今日の飛瀬さんは慎重策みたいね。ここは当然、7三飛成、と。
さてさて、この時点では駒割りに損得なし。
結末が見えてこないわよ。どうなることやら……。