65手目 宇宙から来た少女
「クレープ、美味しいクレープはいかがですかあ」
鉄板から上がる熱気の中で、私は前を行く人々に声を掛ける。
「ひとつください」
女子高生がひとり立ち止まり、人差し指を立てた。
「ありがとうございまーす」
私はできたてのクレープを包み紙に入れ、それを手渡す。
「150円になります」
私の手の平の上に、100円玉と10円玉5枚が置かれる。
「ありがとうございましたー」
私が頭を下げる暇もなく、少女はクレープ片手に去って行く。
そう、今日は文化祭……なんだけど、駒桜のね。
藤女の文化祭はあの後、無事終わり、アルバイト代も貰えた。結構な金額になったわよ。甘田さん、ありがとうございます。
「おーい、裏見、客は来てるか?」
教室の奥から聞こえた冴島先輩の声に、私は振り向いた。
頭にねじり鉢巻をした先輩は、鉄板の上で生地を焼いている。
「まあ、そこそこ」
あちこち騒々しいので、私はなるべく大きな声で返事をした。
「そろそろ休憩入っていいぞ」
私は時計を見た。14時半。あらら、もうこんな時間ですか。
「じゃ、失礼しまーす」
私はエプロンを外して、教室を出ようとした。
すると、入り口の近くで、数江先輩に呼び止められる。
「あ、休憩?」
「はい」
「だったら悪いけど、部室の鍵、閉めて来てくれない? 忘れちゃったんだよね」
そう言って数江先輩は、小さなキーを取り出した。
と、戸締まりはちゃんとしましょう。
まあ、盗まれそうなものもないけどね。あの物置き小屋には。
「分かりました。鍵はどこへ?」
「そのまま持っといて。片付けのときに、開けてくれればいいよ」
了解。私は今度こそ、教室を飛び出す。
こういう用事は、さっさと済ませちゃいましょう。
私は階段を上がって、さらに左へ曲がる。
奥に突き当たりかけたところで、私は眉をひそめた。
「……ドアが開いてる?」
部室の扉には、少しだけ隙き間が空いていた。
数江先輩の閉め忘れ……よね? まさか、どろぼ……。
「おい、裏見」
「きゃーッ!?」
私が驚いて振り返ると、そこには……。
「げッ! 松平ッ!」
私は一歩退き、警戒心を剥き出しにする。
こいつ、何でここにいるのよ? まさか、部室を漁ってたとか?
「おいおい、何だよその反応は?」
「あんた、何してんの?」
「何って……見りゃ分かるだろ?」
そう言って松平は、肩に担いだ看板を指差す。
「『射的屋』?」
私は看板の一部を、声に出して読み上げた。
「1組の出し物だよ」
ああ、サンドイッチマンってこと……。
「裏見こそ、何やってんだ?」
「部室の戸締まり」
私がそう言うと、松平は廊下の奥を見やる。
「部室? もしかして、あの物置きか?」
物置きで悪かったわね。
「じゃ、私はここで……」
踵を返しかけた私の視界に、再びドアが映る。
私は歩を止めて、松平を呼び止めた。
「ねえ、松平」
「ん、何だ?」
「ちょっと部室までついて来てくれない?」
私がそう言うと、松平はなぜか頬を赤らめて……。
待った、待った、待ったッ! こいつ、何か勘違いしたでしょッ!
「ちょっと今、変なこと考えなかった?」
私が詰め寄ると、松平は仰け反って頬を掻く。
「へ、変なことは考えてないぞ……?」
「あのね、部室のドアがなぜか開いてるから、中を見て欲しいのよ」
私が誤解を解くと、松平は急に真剣な顔になり、部室へと目を向ける。
「……確かに開いてるな。閉め忘れじゃないのか?」
「そ、そうかもしれないけど、念のため……」
泥棒だったら、最悪だもの。
「ふむ……生徒会の連中も、毎年窃盗が発生してるから、注意しろって言ってもんな。ここはオレが、一肌脱いでやるか」
いや、そこまで大げさなことじゃないんだけど……。
多分、私の疑心暗鬼だと思うし……。
「じゃ、松平が先に行って」
「おう、任せろ」
松平は看板をバットのように持ち直すと、部室へと向かった。
わざとらしく足音をさせている。
ドアの前に立った私たちは、お互いに顔を見合わせた。
コンコン
松平が、ノックをする。
私は思わず、肩をすくめてしまった。
「おーい、誰かいるか?」
……返事がない。
普通は、誰もいないと考えるところだけど……。
「誰かいる気がするんだよな……」
松平は、私だけに聞こえるよう、小声で呟いた。
うん、私もそう思う。なーんか、おかしいわよ。
「行くか?」
私が頷くと、松平はドアを一気にスライドさせた。
がつんという音が、廊下に響き渡る。
ちょ、びっくりさせないでよ。
「おい、誰かいるかッ!?」
松平は看板の柄を持って、中を覗き込む。
室内には……誰もいない。
「なんだ、誰も……」
「ちょっと待って」
中に入ろうとした松平を、私は制した。
くんくんと鼻を鳴らす。
「……何か匂うわよ」
私の台詞に、松平も息を吸う。
「化学室っぽい匂いだな。あるいは病院の……」
そのとき、ちょうど左サイドの影から、何かが飛び出して来た。
「こんにちは」
「うわーッ!」
松平は後ろに飛び退いて、看板を頭上に振り上げた。
飛び出して来たものの正体を見極めた私は、慌てて松平を止める。
「待ったッ! 女の子よッ!」
私の大声で、松平は正気に返ったらしい。
目の前の少女を見て、看板を下に下げる。
「何だ……びっくりさせんなよ……」
「『うわーッ』とか大声出して、情けなくないの?」
私のからかいに、松平は顔を赤くして、髪の毛をくしゃくしゃにする。
「うっせえ。おまえだって『きゃーッ』とか言ってたくせによ」
「あれは、あんたが後ろからいきなり声をかけて……」
「すみません、デートの最中でしたか……これは失礼しました……」
はあ? この子、なに言ってんの? ……ん? どっかで見たことあるわよ。
ショートカットで、ちょっと能面気味の怪し気な少女……。
「と、飛瀬さんッ!?」
「どうも、飛瀬カンナです……お久しぶりです……」
思い出したわ。確か、駒桜名人戦のとき、レストランでいきなり勝負を挑んで来た、あの中学生ッ! あのときは見知らぬ制服姿だったけど、はっきり覚えてるわよ。
「あなた、ここでなにやってるの?」
「『将棋部の部室はどこですか?』と訊いたら、ここを教えてもらいました……」
ああ、そういう……。
って、答えになってないじゃない。
「そうじゃなくて、何でここにいるの?」
「それはですね……」
まさか、リベンジの申込じゃないでしょうね?
「地球人の生態を調査しに来たのです……」
「は?」
私と松平の声がハモった。
「実は私、N72星雲から派遣された、宇宙特捜隊なのです……今日は、地球におけるボードゲームの発達について調査しに来ました……」
……意味が分からない。
「あ、信じてませんね? その証拠に……」
飛瀬さんはそう言うと、私たちにくるりと背を向けた。
両手を顔にやり、何やらごそごそ動かしている。
「その証拠に、ほら、この通り……」
飛瀬さんが振り返る。
私と松平は、ぎょッと背筋を凍らせた。
「め、目が赤いッ!?」
松平の手から看板が落ち、カランと床の上で鳴った。
私も震えながら、口元に手を伸ばす。
「あなた、本当に宇宙人……」
なわけないでしょ。
「カラコンでしょ、それ」
私は飛瀬さんの額に、チョップを喰らわせた。手加減なしよ。
「レ、レンズが……」
飛瀬さんは慌てて、カラーコンタクトの位置を調整する。
いいから、外しなさいよ。
「用事がないなら、早く出て行ってちょうだい。ここは立ち入り禁止よ」
「さっきのは冗談です……実はですね……」
飛瀬さんは、奥のテーブルを指差す。
そこに用意されていたのは……盤と駒、それにチェスクロ。
「もう一回指してください……」
ほんとにリベンジ戦かいッ!
どうなってんのよ、この業界はッ!
「あのね、お姉さんは今、忙しいの。あなたも文化祭を楽しんで……」
そこまで言ったとき、うしろから歩美先輩があらわれた。
「あら、面白そうね」
「ひぃッ!」
ま、またステルスで登場。心臓に悪い。
「香子ちゃん、勝ち逃げは許されないわよ」
「あ、歩美先輩、なんでここに?」
「クラスの出し物がつまんないから、本でも読んでようかと思って」
さぼりダメッ! 絶対ッ!
一方、松平は、
「歩美ぃ、ここで会ったが百年目だぜ」
と言って、指の骨を鳴らした。
あんたは何を興奮してるの? しかもタメ口で。
「あら、剣ちゃん、いたんだ」
「いるに決まってるだろ」
決まってないです。ここは男子禁制。
「百年目だと、なんなの?」
歩美先輩の、あまりにも冷静な突っ込み。
だけど、松平の鼻息は収まらない。
「いい加減に決着をつけるときが来たんだよッ! 勝負だッ!」
は? なにを言ってるんでしょうか、この人は。
「あ、あの……歩美先輩となにかあったの?」
私が尋ねると、松平は怒りに満ちた目で歩美先輩を指差した。
「こいつがだッ! こいつがだぞッ! 毎回、毎回、オレのときだけ嫌がらせみたいに勝ちやがってッ! おかげで、小中あわせて優勝回数ゼロッ! このオレがッ!」
「そしてついた渾名が、『万年2番の男』、よね」
「その名前で呼ぶなーッ! おまえはなんでオレのときばっか会心譜なんだよッ!」
「それはね、私の調子がいいときに、剣ちゃんが当たりに来るから」
「意図的にやってるわけないだろッ!」
「私だって、意図的にやれるわけないでしょ? 籤なのに」
白熱するふたりの間に、私は割って入る。
「もしかしてさ……松平の『散々お世話になった』って、このこと?」
「そうだッ!」
……あほらし。もっとなにか因縁があるのかと思ってた。
小学生じゃないんだから……もっと心に余裕をもってですね……。
飛瀬さんはこの茶番を見て、
「裏見さん、なかなか面白い彼氏をお持ちですね……」
と言った。そう、こいつは面白い……って。
「勝手に彼氏認定しない」
「え、違うのですか……? てっきり……」
突っ込み役が足りない。ボケ3人は放置ッ!
「じゃ、部室閉めるんで、解散してください」
私の一言に、争いの全てが収まった。
「あの……リベンジマッチは……?」
「リベンジマッチはなし。私は出店が忙しいの」
ここで歩美先輩が余計なことを言う。
「あら、今は休憩中だって、さっちゃんが言ってたけど?」
ぐッ……把握されてるなんて……冴島先輩、恨みますよ。
「まあ、わざわざ来てくれたんだし、一局くらい、いいんじゃねえか?」
おまえは豆腐の角に頭を打ちつけて死ねッ!
「そうよ、さっきも言ったけど、勝ち逃げは許されないの」
私は大きく息を吸い、そして吐いた。
……ダメみたいですね。
「分かりました。……一局だけよ」
「では、宇宙より愛を込めて……よろしくお願いします……」