61手目 騙される少女
10月6日、日曜日。
今日は、藤花女学園の文化祭。
市内のお嬢様学校だけあって、さすがに華やか……だけど……。
「えっと……これは……」
とまどう私のまえで、甘田さんが親指を立てる。
「サイズが分からなかったけど、ぴったりだね! あたしって天才!」
メイド服に身をつつんだ甘田さんは、ニシシと笑った。
なぜ……どうしてこんなことに……。
私が困惑していると、冴島先輩が姿をあらわした。
「す、すまねえ、裏見……誘われたとき、なんか変だとは思ったんだが……」
冴島先輩は、少女漫画に出て来るような執事服に身を包み、両手に手袋を嵌めていた。これは……喋らないと絶対に性別が分からない……。
「いやー、円ちゃんも、めちゃくちゃ似合ってるよッ! これなら、うちの女子もメロメロ! 間違いなしッ!」
「おいッ! どういうことだッ! 説明しろッ、甘田ッ!」
冴島先輩は、甘田さんの胸ぐらをつかんで揺さぶる。
さ、さすがに暴力はまずいと思います。
ところが当の甘田さんは、例の怪し気なスマイルで答えを返した。
「メールで説明したじゃん。『文化祭で出し物するから、手伝って欲しい』って」
「メイド喫茶とは聞いてねえぞッ! しかもなんでオレは男装なんだッ!」
「あれ? 言ってなかったっけ? おかしいなあ」
白々しい言い訳をする甘田さんを、冴島先輩は突き飛ばした。
おっとっと、なんて言いながら、甘田さんは片足でバランスを取る。
「ま、着てくれたってことはオッケーなわけだし、後はよろ」
「なにが『よろ』だ! こんな格好で、なにしろって……」
そのときだった。教室の外で、女子高生の黄色い声がする。
「きゃーッ! 駒桜の円先輩だーッ!」
「かっこいいーッ!」
なんというモテよう……。
冴島先輩は喧嘩を止め、クールな表情を作ると、前髪をかきあげた。
「お嬢さんたち、ちょっと待っててくれないかな。この女と話があるんでね」
……ノリノリかいッ! これじゃ出来レースだわ。
女の子たちは「はーい」と返事をして、お店のほうに回った。
そう、ここは控え室。着替えと飲み物の準備をするスペースなのだ。
「それじゃ、ジュース売ってきて」
甘田さんはそう言って、肩からぶら下げる大きなお盆を差し出した。
いろんな種類のジュースと、紙コップの山が詰まれている。
冴島先輩はチッと舌打ちしつつ、それを肩にかけて、お腹のまえで固定した。
「1杯いくらだ? 30円か? それとも50円?」
「100円でよろ」
「100……? 紙コップ1杯100円はねえだろッ!」
「大丈夫、円ちゃんが声をかければ、入れ喰いだから」
冴島先輩は頬を染め、歯を食いしばった。羞恥心をこらえているみたい。
「約束通り、時給2000円払えよ」
「分かってるって。それじゃ、よろしくぅ!」
冴島先輩はぶつぶつ言いながら、廊下へと出て行く。
その途端、何人かの女子が、あわてて先輩のあとを追いかけた。
ほんとに入れ喰いですね、はい。
「じゃ、香子ちゃんもよろしくぅ」
あ……しまった……私もだ。
「あ、あの、ほんとにこの格好で……?」
私は、ひらひらのスカートを摘み、腰回りを確かめた。
露出はほとんどないけど……ただ……。
「もちろんッ! メイド喫茶だからねッ!」
「甘田せんぱーい」
教室のドアがひらき、鞘谷さんが顔をのぞかせる。
彼女もカチューシャにメイド服という格好だ。
「順番待ちのお客さんが出始めたんで、早く来てください」
鞘谷さんはそう言うと、私を無視して扉を閉めた。
去り際に、ちらりと睨まれた気がする。なによ、もう。
「ルールは説明したよね? 1回500円の30秒将棋で、お客さんが勝ったらワンドリンクサービス、プ・ラ・ス、『ご主人様、お飲物です』のリップサービス付き。もち笑顔で」
「……最後のは、なんとかなりませんか?」
甘田さんは、懇願する私の背中をパシリと叩いた。
「いいじゃん、いいじゃん。文化祭くらい、はっちゃけて行こうよ」
答えになってないんですが。
「それくらいしてもらわないと、1時間2000円も出せないよ? ね?」
ぐッ、金に釣られた私が馬鹿だったか。
コンビニバイトよりも条件がいい時点で、察するべきだったわ。
裏見香子、なんたる不覚。
「ささ、早く早く」
私は甘田さんに連れられて、教室を移動した。
『将棋メイド喫茶』と書かれた看板の前で立ち止まる。
もうちょっと、ネーミングをですね、はい。
ガラリとドアを開けた瞬間、私は口元を押さえた。
「こ、こんなに?」
じゅ、10人以上いるわよ。指してる人、立ち見している人、端のテーブル席で歓談している人──私の入室に合わせて、隅っこに座っていた男子がひそひそ話を始める。
「あれ、駒桜の裏見じゃね?」
「……あ、ほんとだ」
げッ……顔バレしてる……どっかの将棋部員かしら?
「はい、そこ座って」
甘田さんは私の手を引っ張って、一番右端の机に向かった。
私がスカートを揃えて着席すると、早速順番待ちの男子がやってくる。
「裏見ちゃん、よろしくッ!」
「よ、よろしくお願いします……」
誰? 私は愛想笑いを浮かべながら、駒を並べた。
「裏見ちゃんって、駒桜市立じゃなかったっけ?」
「は、はい……今日は、お手伝いで……」
男子は「ふーん」と言って、駒を並べ終えた。
パンと両手を叩き、それをすり合わせる。
「じゃ、新人王に、ご主人様と呼んでもらおうかな」
……はあ? あんたねえ……。
何年生か知らないけど、将棋じゃゆずらないわよ。ぼこぼこにしてあげる。
振り駒をして、私が先手。チェスクロの位置を直し、頭を下げた。
「よろしくお願いします」
○
。
.
「ま、負けました……」
相手の敗北宣言に、私は軽く一礼する。
「ありがとうございました」
開幕から2時間、私はノリにノッていた。
これで6連勝。ちょろいもんよ。
男子は肩を落とし、席を立つ。頭を掻きながら、喫茶スペースへと戻って行った。
先に負かされた男子ふたりが、同情を含んだ目で友人を出迎える。
「なんだ、おまえも負けたのか」
「いや、さすが新人王だわ。一手差にもなんなかった」
「俺も終盤即詰みに討ち取られたからな……」
ふふふ、これが私の実力よ。
私は胸を張り、ちらりと隣を見た。4つの机と、メイドが4人。近い方から順番に、横溝さん、鞘谷さん、甘田さん、そして──
「次の方、どうぞ」
姫野さん。
メイド服も様になってますね……なんか、メイド長って感じ。
さっきから聞いてる限り、姫野さんも全戦全勝っぽい。一度も負け台詞を言ってないし、勝つのも速かった。私が2局指してる間に、3局ペースで負かしている。
まさに勝ち頭……もとい、稼ぎ頭ですね。そんな姫野さんの周りには、順番待ちの男子が大勢並んでいた。おじさんも、ちらほら見える。こいつら、負けると分かってて挑戦してるわね。まあ、姫野さんは美人だし、500円で20分くらい同席できるとなれば、安いものなのかも。
ただ、それってキャバクラと変わらないような。
「香子ちゃん、調子いいね」
隣に座っていた横溝さんが、私に話し掛けて来た。
ええ、絶好調ですよ、と。
「そこそこね」
「私なんか……もう3回も言わされてるよ……」
はい、聞こえてました。御愁傷様です。
言っちゃ悪いけど、横溝さんが一番弱いから、狙い撃ちされてるのかも……。姫野さんに続いて人気なのが、彼女だから。3番目に人気なのが……私かな? 多分。
いや、自惚れてるわけじゃなくてですね……その……。
「あれ……辻くん……」
横溝さんの一言に、私は入り口を見た。
ほんとだ。それに、蔵持くんと……げげッ!?
「よッ! 裏見ッ!」
「ま、松平ッ!」
な、なんで一番来て欲しくない奴がここに。
「おやおや、裏見さんも来てたんですか」
辻くんが、意味深な笑みを浮かべる。
私はそれを無視して、松平に食って掛かった。
「あんた、なんでここにいるのよッ!?」
「なんでって……つじーん、くららんと一緒に、文化祭巡りしてるだけだぞ?」
あ……そう言えばこれ、文化祭だった……。
「じゃあ、こんなところに来ないで、ほかを回りなさいよ」
「そんなの、俺たちの勝手だろ?」
ぐッ……反論できない……。
私が言葉に詰まっていると、辻くんが口をひらく。
「それに、藤女は大きな学校じゃないですからね。だいたい回り尽くしましたよ」
蔵持くんもうんうんとうなずいた。
「うん、だから、将棋でも指そうかなあ、と」
その瞬間、ひとつの影が、猛スピードで飛び出す。
「冬馬、来てくれたんだ。嬉しい」
「え? あ、涼子ちゃん……」
「ちゃんと席空けてあるから、こっちこっち」
出ました。鞘谷さんの猛烈アピール。
仕事中なのに、大丈夫なのかしら。
蔵持くんが連行されるのを尻目に、松平はこっちに向かって来る。
え……これって、まさか……。
「じゃ、裏見と一局指すか」
「……お断りします」
私の拒絶に、松平くんは眉をひそめる。
「なんだ? 順番待ちか?」
「そういうわけじゃないけど……」
「じゃあいいだろ? 500円払うぜ」
そう言って松平くんは、ポケットから財布を取り出し、500円玉を打ち付けた。
こういう動作でも、駒を打つ感じになっちゃうのが、将棋指しらしいわね……。
と、それはどうでもよくて……。ここは、誤摩化しましょう。
「30秒将棋だから、指したらさっさと帰ってね」
私は駒を戻しながら、早口でそうまくしたてた。
松平くんは、したり顔で私を見つめてくる。
「それだけじゃねえだろ? ……俺が勝ったら、リップサービスしてもらうぜ」
こいつ……あらかじめ調べて来たわね……。
「いいけど、負けないわよ? 今日は調子いいから」
「いいや、絶対に負かす。俺が、ご主人様だ」
松平くんはそう言うと、駒を並べ始めた。
王様を持った私の指に力が篭る。
「あの……お祭りだから……楽しく……」
「ヨッシーは黙ってて」
「……はい」
香車を揃え、私は歩を5枚集めた。手の平で掻き混ぜて、宙に放る。
歩が2枚……。
「俺が先手だな」
私は黙ってチェスクロを右に移し、歩を並べ直した。
背筋を伸ばし、チェスクロのボタンへと手を伸ばす。
「よろしくお願いします」
時計が動き始める。30、29、28──
松平くんは腕まくりして、しばらく目を閉じると、呼吸をととのえた。
まるで公式戦のような空気が、テーブルをおおう。
「いくぜ」
松平くんは7六歩と、角道を開ける。
私は即座に3四歩。2六歩と居飛車の構えに対して、5四歩と突く。
「中飛車か」
2五歩を決めるかと思いきや、松平くんは単に4八銀。
私は5五歩と位を取り、6八玉に3三角と上がる。
5八金右、4二銀、7八玉、5二飛ッ!
松平くんは、ようやくの2五歩。向かい飛車を警戒してた?
6二玉、7七角、7二玉、8八玉、8二玉と、順々に王様を移動させる。
お互いに、ほとんどノータイムだ。
「ま、ゆっくり指そうぜ」
そう言いながら、松平くんはノータイムで6六歩。速い。矛盾してるじゃない。
一瞬、突っ込もうかと思ったけど、持久戦にしようって意味だと気付く。指すスピードのことじゃないのね。とりあえず、銀を繰り出しましょう。5三銀。
7八金、6二銀上、6七金右……。さて、どうしますか。7二金としたいけど、松平くんの指し方が変則的だから、ちょっと欲張りたいのよね。
……4筋も詰めちゃいますか。4四歩。4六歩と受けたら、5四銀と出ましょう。
5九銀? ……あ、次に6八銀右か。
ただ、こうなると、4筋に飛車を振りたくなるわよね。4六歩と突っかければ、一気に突破できる可能性も……。
ピッ。あうち、30秒将棋はきついわ。4五歩。予定通り、位を詰めましょう。
6八銀右、6四歩……9八玉ッ!?
そっか……端歩を突いてないから……とりま7二金として……。
松平くんは、8八銀と補強する。私は遅ればせながら、9四歩と突いた。
8六歩の応手が返ってくる。
「うッ……」
しまった。8七銀〜7九銀〜8八銀だと藪蛇か……もう攻めるしかなさそう……。
私は覚悟を決めて、4二飛と回る。
「ま、そこを狙うわな」
松平くんは29秒まで考えて、2六飛と浮く。
ん? 2六飛? 端歩も突いてないのに?
私は26秒まで読んで、4四角と出た。これが飛車当たりだ。2八飛と戻れば、4六歩、2四歩、4七歩成、2三歩成に2六歩と蓋をして良し。
私が自分の読みに頷く中、松平くんは再び29秒まで考えて3六飛と寄った。
え? 3六飛? それ死なない?
私は3二飛と、同じ筋に回る。次は当然の3五歩だ。1筋に飛車を追い込めば、もうこちらの優勢のはず……ん? 4筋に手を伸ばした?
「歩突き……?」
「こうしないと、受からねえだろ?」
松平くんはそう言って、チェスクロを押す。
私は読みに入った。3五歩、4五歩、3六歩、4四歩、3七歩成、4三歩成……。これは玉の堅さが違い過ぎて勝てないわ。3七歩成のところで、4二金と上がれば、3六歩、同飛に3七歩、4六飛、2二角、4九飛成、1一角成……。
あれ? これも後手まずい?
ピッ、ピッ、ピーッ! 同歩ッ!
時間に追われた私は4六同歩と取った。
や、やだッ! 1秒も読んでない方を指しちゃったッ!