60手目 任命される少女
学校の廊下。
肩を怒らせて歩く私を、松平が追っかけてくる。
「おーい、裏見」
「……」
「裏見さーん、裏見香子さーん」
「……」
「裏見ちゃーん」
うざい。私は怒りをあらわに、うしろを振り返った。
「お、やっと振り向いてくれたな」
ムカつくほど爽やかな笑顔で、松平は手を振った。
引っぱたきたい衝動をおさえて、私は彼をにらみつける。
「なんの用?」
「いやあ、この前のことで、謝ろうと思ってな」
こいつ、反省する気ゼロでしょ。
そう思った途端、松平は急に頬の筋肉を引き締めて、頭をさげた。
「ほんとうに、すまなかった」
ふむ……一応、誠意は感じられるかな。
「……赦さないでもないわよ」
私がそう言うと、松平は例の陽気な顔に戻る。
ぐッ、やっぱり赦さない方が良かったかも。
「それともうひとつ、頼みがあるんだ」
「頼みごど……? 私に?」
松平は深くうなずくと、急に真面目な顔をした。ノートを見せてくれとか、金を貸してくれとか、そういう話じゃないみたいね。まあ、どっちも貸さないけど。
私は腕組みをして、不承不承という表情を作る。
「話くらいは、聞いてあげるわよ」
「うむ、実はな……将棋部を男女共用にして欲しい……」
……は?
「女子将棋部を廃止して、普通の将棋部にしろってこと?」
松平は、またまた深くうなずいた。
私は目を細めて、松平の顔を見つめる。熱あるんじゃないでしょうね。
「あのね、私に相談してどうするのよ。顧問に言ってちょうだい」
「じゃあ、裏見から顧問に話をつけてくれ」
「だから、なんで私なの? せめて部長に……」
松平は人差し指をふってみせる。
ほんと、いちいち仕草が癇にさわるわね。
眉間に皺を寄せた私をよそに、松平は先を続けた。
「今から動いても、改編は来年度になるはずだ。そんときは、おまえが主将だろ。それなら最初からおまえに頼んどいた方が、話が早い。大川先輩は卒業しちまうしな」
そもそも志保部長は、そんなことしてる暇が……。
ん? 今、なんて言った?
「私が主将……? なに言ってるの?」
私が首をかしげると、松平も首をかしげた。
お互いに顔を見合わせて、「え?」となる。
「……来年度は、おまえが主将だろ?」
「いや、そんなこと聞いてないし」
「そんなはずはない。おまえが主将だ」
「あんたが決めることじゃないでしょ。勝手なこと言わないで」
私が声を荒げると、隣で教室のドアがひらいた。
「おーい、廊下で騒ぐ……おっと、剣之介か」
見知らぬ男子の登場に、私はチャンスを見出す。
松平が気を取られている隙に、私はこっそりとその場を去った。
階段の手前で松平の声が聞こえたけど、無視。部室へ直行。
1、2回振り返ったけど、さすがに追っては来なかった。部室(という名の物置き部屋)に到着した私は、勢いよくドアを開く。
「裏見、入りまーす」
敷居を跨ぐと、室内の視線が、一斉に私へと向けられた。
おっと、全員集合ですか。どういう風の吹き回しで。
「お、ちゃんと来たな。ヒヤヒヤしたぜ」
あれ? なにか集合かかってたかしら? 記憶にございませんが。
「今日って、何かありましたか?」
私の質問に、冴島先輩は目を見開いた。私ではなく、歩美先輩を睨む。
「駒込、おまえちゃんと回覧メール送ったのか?」
「香子ちゃんのメアド、聞き忘れてたのよね」
しれっとした歩美先輩の回答に、冴島先輩は溜め息を吐く。
「部長に訊きゃいいだろ。ちゃんとメーリスあるんだからな」
「夜中だから、悪いかなと思って」
「今朝は時間あっただろッ! おまえ、絶対忘れて……」
「あのー、そろそろ始めてもよろしいでしょうか?」
困ったような顔で、志保部長が一同を見回した。
冴島先輩は口を閉じ、椅子に座れと私に顎で命じる。
はいはい、すぐに座りますよ、と。
私が着席すると、部長はパンと手を合わせた。
「では、会議を開きます。議題は、来年度の新体制と、文化祭についてですね」
「わーい、待ってました」
数江先輩が、よく分からない合いの手を入れた。
部長は、先を続ける。
「まずは、新体制についてです。メールに書いてあったと思うのですが……」
そう言いながら、部長は私の方へ視線を向けた。
「そ、そのメール……貰ってないんですけど……」
私がそう返事をすると、部長は何だか申し訳なさそうな顔で、両手を合わせた。
「駒込さんの指名で、裏見さんが、来年度主将ということになりました」
………………はッ!?
「え? あ、あの……どういうことですか?」
「うちの部では、現主将が次期主将を指名する方式なんです。一応、形式的に選挙はあるのですが、全員賛成みたいですし、その必要も……」
「え、え、え、ちょっと待ってくださいッ!」
私が椅子から立ち上がると、みんなびっくりしたような顔をした。
いや、びっくりしてるのは、私よッ!
「何で私が主将なんですか?」
部長は理由付けをする代わりに、歩美先輩へとバトンタッチした。
歩美先輩は顔色ひとつ変えずに、くちびるを動かす。
「私が香子ちゃんを推薦した理由は、ふたつ。ひとつ、来年度の2年生が、香子ちゃんしかいないこと、ひとつ、香子ちゃんの棋力なら、主将として申し分がないこと、以上」
それだけ言って、歩美先輩は説明を終えた。
え? なんで? 松平は、これを知ってたの?
私はパニックになりながら、もごもごと口を開く。
「で、でも、私は仕事も何も分からないですし……他の人のほうが……」
冴島先輩は、
「他のヤツは、全員3年に進級するだろ」
と言って、歩美先輩へと首を伸ばす。
「駒込、おまえもするんだよな?」
「大丈夫……多分」
た、多分って。どんだけ赤点取ってるんですか。
言質を取った冴島先輩は、ふたたび私へと向きなおる。
「だから全員入試で忙しいんだよ。特に2学期からは、身動き取れねえしな」
「じゃ、じゃあ、1年生が入ってから考えても……」
歩美先輩はこの提案を蹴った。
「それはないわ。1年生が主将じゃ、部がまとまらないし、それに、香子ちゃんより強い1年生が入って来るって噂は、今のところ耳にしてないもの」
言い終わった歩美先輩は、志保部長に顔を向ける。
「他の人も賛成なんでしょ?」
「ぶ、部長としては、異論ありません……」
「オレもねえぜ」
「あたしもなーい」
「私もありません」
志保部長、冴島先輩、数江先輩、八千代先輩が、口をそろえた。
こ、これって、強制なんじゃ。
「で、でも、私、なにをしていいのか」
歩美先輩は「ふむ」と言って、腕組みをした。
「確かに、そういう問題はあるわね。香子ちゃんは学生将棋歴が短いから、組織の運営とか、他の学校のコネとか、不十分なところがある。だけどそれを補うものもたくさんあるわ。新人戦優勝、秋の個人戦も、サーヤを破って2回戦進出。これなら、他の学校に対しても箔がつくし、舐められないでしょ」
褒めてもらえるのは嬉しいんですが……それでも……。
「ちょ、ちょっとくらい、考える時間を……」
「んー、香子ちゃんに拒否されると、困るんだけど」
要するに、拒否権はないと。ムチャクチャ。
「ほ、ほんとに分からないことが多いですし、幹事会とか……」
「その点はだいじょうぶよ」
歩美先輩はそう言って、八千代先輩に視線を投げた。
八千代先輩は頷いて、席を立つ。
「不肖、傍目八千代、大川先輩より、来年度部長を承りました」
え? 八千代先輩が部長なの? それって──
「八千代先輩、来年は3年生なんじゃ……」
「はい、もちろん3年生です。しかし大川先輩と同様、推薦枠が取れそうなので、現2年生の中では、一番余裕があると判断されました」
「だ、だったら、八千代先輩が主将も……」
「部長は事務方ですから、観る専の私でもできます。しかし、主将は別です。部員の棋力を判断して、オーダーを作成したり、育成をしなければなりません。それは、私ではできない作業です」
私が狼狽する中、歩美先輩は勝手に話題を変えた。
「さてと、問題は、幹事なのよね……香子ちゃん、会長からはなにも言われてないの?」
ん? またその話ですか? 個人戦でも訊かれた。
「せ、千駄会長からですよね。なにも……」
「てっきり、香子ちゃんにも声がかかるかと思ったけど」
「あの……なにか言われてないとおかしいんですか……?」
「そういうわけじゃないけど……ただ来年度の役員に、香子ちゃんが推薦されていてもおかしくないから、みんな気になってただけ」
「役員……?」
「駒桜市高校将棋連盟の役員よ。会長、副会長、会計、会計監査しかないけど、会計監査以外は2年生が務める慣わしだから」
ここで冴島先輩が、
「役員は、幹事と兼任だからな。出す手間が省けるかと思ったんだが……」
とつぶやいた。
あ、そういう……ようするに私が主将兼幹事をやれと。
い、忙しすぎるのでは。
「ら、来年度は、だれが役員になりそうなんですか?」
先輩たちは、お互いに意味深な目配せをした。
冴島先輩が答える。
「会長が蔵持、副会長が鞘谷って噂だ……。会計は分かんねえが、監査は千駄だろ。前会長の名誉職で、子守りみたいな立場だからな」
「蔵持くんが会長なんですか?」
私の声音に、冴島先輩はニヤリと笑った。
「なんだ? 不満か?」
しまった。私は発言を後悔する。
「そ、そういうわけじゃ……」
「隠さなくたっていいぜ。久世、千駄に比べると、はっきり格が落ちるからな。自分より弱い奴が組織のリーダーってのは、どうしても心にしこりが残っちまう」
うぅ、私の心境を代弁してる。
とはいえ蔵持くん、人当たりが良さそうだし、棋力以外に異論はないのよね。
「辻くんは、どうなったんですか?」
「オレも、会長はつじーんだと思ったんだがな……そのへんの裏事情が分からねえ。副会長が鞘谷ってのも謎だ……愛人枠か?」
先輩、それは洒落になってないです。
歩美先輩は、
「会計に香子ちゃんってのも考えられたけど……さすがに経験不足と見たのかな。学生将棋に参加して半年の人間を、簡単には推薦できないって考えたのかも」
と推理した。合理的。私もそう思います。
っていうか、そういう役職はやりたくないです。正直。
八千代先輩は、
「来年度の5月くらいまでなら、私が幹事を継続してもいいです」
と申し出た。それがいいです。決まり。
歩美先輩も納得したようで、
「そうねえ……幹事は学期の途中でも変更ありだし、連盟と部の連絡係だから、なんとかなるか……保留にする?」
とみんなにたずねた。
はいはい、それがいいです。私は何度も首を縦にふる。
「オレは裏見が兼任でいいと思うが……」
ダメです。絶対ダメ。
「1年生に適当なのが入ってきたら、その子でいいんじゃない?」
数江先輩、ナイス。
「では、この件は保留にしましょう。文化祭の話も残ってますし」
部長の一言が決め手になったのか、この話題は打ち切られた。
……あれ? ちょっと待って。主将は私で決まり?
これって……言いくるめられた?