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こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第10局 はらはら秋の個人戦編(2013年9月8日日曜)
64/295

59手目 平手打ちする少女

 静まり返ったテーブル席。

 誰も声を発さない。敗者が喋るまでは喋らないのが、一応のマナーだから。

 歩美(あゆみ)先輩はしばらく目を閉じて、腕組みをしていた。敗因を検証しているのかしら。それとも……。

 1分ほど経って、ようやく感想戦が始まる。

「3七……不利なのは……ってたけど……飛車が……」

 声が掠れていることに気付いたのか、歩美先輩は軽く咳払いをした。

 そして、同じ台詞を言い直す。

「3七桂で不利なのは分かってたけど、十字飛車が見えてなくて……」

 ふたりは自然と局面を戻し、検討を始めた。


挿絵(By みてみん)


「馬を見捨てた方が良かった?」

 平素の声音を取戻した先輩は、2五金として、桂馬を払った。

 姫野(ひめの)さんは両肘をテーブルにつき、局面を睨む。

「どうでしょうか……。そちらの馬筋は、2五桂、同馬で、簡単に逸らすことができます。例えば6二飛成に4二香ならば、2五桂。このとき同馬と取ると、4二龍で将棋が終わりますわ」

「3四香だと?」

 歩美先輩は2五金に代えて、3四香と打った。

 うーん……これも単に6二飛成で悪そうな気が……。

「次に3二香と重ねて、3七香成の狙いですか……」

「ただ、3五歩とも受けられるし、取る暇がないと思ったのよね。2枚龍を作らせるくらいなら、本譜の方がいいかと思ったんだけど……」

「……いえ、それ以前に、3二香の局面は詰みますわね」

 え? 詰むの? ……あ、ほんとだ。指摘されると簡単ね。

「そっか……3一銀、1二玉、3二龍、2二銀、同銀成、同金、2一龍寄……」

「ええ、ですから、6二飛成は、避けた方がよいかと思います」

 ふむふむ、確かにこれで詰むようじゃ、本譜の6三歩しかないみたいね。

「じゃあ、本譜と同じように6三歩と打って……2四飛、同馬?」


挿絵(By みてみん)


 再び、沈黙が流れる。これは、対局中にちょっと読んだわよ。

「……3一銀じゃダメですか? 1二玉に4一龍で……」

 私は、恐る恐る尋ねた。

 歩美先輩が首を曲げて、こちらを振り返る。

 姫野さんも、私の示したように駒を動かしてくれた。

「2五馬ならば、3二龍で即詰みですか……」

「2二歩と受ける?」

 歩美先輩は、桂馬の上を滑らせながら、歩を打ち込む。

 んー、受かってるようにも、受かってないようにも見えますが……。

「なーんかありそうだな……」

 顎を摩りながら、松平(まつだいら)くんがそう呟いた。

「3二金からのごり押しは、1九飛車と打って、2二銀成、同金、同金、同玉、3二金、2三玉、2一龍に、1四玉と逃げられますね」

 つじーんの捕捉。

「そこで2七桂は、どうだ? 詰めろな気が……」

 松平くんは、5秒ほど考えて、深く頷いた。

「詰めろだな。2四龍、同玉に4二角。3四玉なら、3三角成の一手詰み。1四玉も、1五歩、同飛成、同角成、2三玉、3三馬、1二玉、2二金までだ」

 なるほど、これは並べ詰みですね。見落としようがないわ。

「一時的に詰めろですが、受けはいろいろありそうです……1五銀とか……」

 1五銀か……。同桂は、同玉で詰まなくなりそう。2四龍もダメっぽいし……。

 単に3五銀と上がる? ……ダメか。詰めろでも何でもないわ。

「じゃあ、こう指した方が良かったわね。2四同金が悪手だったかも」

「いえ、どうでしょうか。3一銀、1二玉に、2二歩という手もあります」


挿絵(By みてみん)


「同金ならば、同銀成、同玉に3五金と打って、いかがでしょうか?」

 ふむむ……いかがでしょうか……。

「……もしかして、2四金の形が必至?」

 歩美先輩はそう言って、盤面に覆い被さった。

 え? 必至? 例えば、2九飛車と打って、2四金、4九飛成、8八玉。ここで後手玉にうまい受けがあれば、後手勝ちそうだけど……さて……。

「確かに、必至っぽいな……3一角からの詰みと、2三金あるいは2三歩からの詰みを、同時に防げねえ気がする……」

 松平くんの言う通りだった。3二金としても、2三歩、同金、3一角、1二玉、2二金、同金、同角成、同玉、2三金まで。かと言って、他に良さそうな手もないみたい。

「じゃあ、2二歩は放置ね。すぐに2九飛で、どう?」

 歩美先輩の提案に、姫野さんは黙って、2一歩成とする。

 

挿絵(By みてみん)

 

 ……これが詰めろか。先手は……やっぱり詰まないわね。

「歩成りか……難しいわね……。同玉だと、4二銀成?」

「はい。1二玉で寄らなさそうに見えますが、3一龍が意外と厳しいかもしれません。2二銀の受けに、3二龍と引きます」

 3二龍? それって2一銀くらいで……。あ、ダメか。

「なるほどな。2一銀なら、同龍、同玉、3二金、1二玉、2一銀で詰んじまう。かと言って2一香は、飛車に当たってねえから、先手は一手余裕ができるって寸法か」

 ぐッ……先に言われた……。まあ、早押しクイズしてるわけじゃないんだけど。

「飛車に当てて3一香や3一歩は、同成銀で事態を悪化させるだけですね。2五馬も、同桂が再度詰めろになってしまいます」

 と(つじ)くん。

「踏ん張って、2五飛成としてみるか?」

 松平くんのアイデアに対して、つじーんは呆れたように目を見開く。

「同桂、同馬に、2六歩がありますよ?」

「2六歩……2六歩……」

 松平くんは目を閉じて、頬を掻く。

「……確かに、寄ってるな。同馬なら3四桂が詰めろ。こいつが振りほどけねえ」

 恥ずかしそうに、ほっぺを赤くしてる。ぷぷぷぷ、結構照れ屋ね。

 ……っと、これ、歩美先輩と姫野さんの対局なのよね。ギャラリーがちょっとばかし出過ぎてるような……。それとも、学生将棋って、どこもこんな感じ?

 私は、対局者の方に向き直る。歩美先輩は額に手を当て、背中を丸めていた。

「……ということは、2四同馬もダメね。2五桂打の時点で、終わってるのかも」

「なあ、ひとつ質問させて欲しいんだが……」

 おっと、ここで冴島(さえじま)先輩のご登場ですか。

 ギャラリーの視線が、先輩に集まる。

(まどか)さん、何でしょうか?」

「3六角成のところで、5四角成じゃないのか? 本譜、3七香を誘発してて、あれが良くない気がするんだが……」

 ああ、それは私も思ったわ。3六角成に3七香は、歩美先輩も見えてたはず。だから、5四角成としなかった理由があるんでしょうけど……それが、イマイチ分からないのよね。

「なるほど……検討してみましょう……」

 さらに局面が戻された。歩美先輩は、66手目、5四角成とする。


挿絵(By みてみん)


 松平くんたちと議論してた局面だ。これは難しい。

 ギャラリーも読み耽っているのか、誰も候補手を上げなかった。

 そんな中で、歩美先輩が先陣を切る。

「うーん、これは事前に研究してたんだけど……多分、捕まるわ」

 歩美先輩はそう言って、盤の上で手をひらひらさせた。

 全然ダメ、ってジェスチャーかしら? 将棋指しだと、たまに見る仕草。

「捕まる? ……後手玉がか?」

 冴島先輩は、信じられないと言った顔をしている。

 私はその隣で、一生懸命、議論の内容を思い出していた。

「えーと、それ松平くんたちと話してたんですけど……2九香くらいで……」

 私が小声で言うと、歩美先輩もうんうんと頷いてくれた。

「そうなのよね。2九香、2七歩、3五桂。これが痛過ぎるわ」

「4一香の受けには、2三桂成、同玉、3五桂ですか……」

 姫野さんは、扇子を鳴らしながら、盤面を覗き込む。

「ええ、それからは、どうやっても寄りそう」

 歩美先輩の断言に、ギャラリーがざわめく。

「入玉できそうじゃね?」

 端の方で、誰かが呟いた。

 姫野さんは、黙って2六に歩を置く。

「これが見た目以上に五月蝿いのよ。1五玉に、1七歩」


挿絵(By みてみん)


「そこで2六玉だと?」

 別の男子の声。歩美先輩は振り返りもせずに、先を続ける。

「それは1六金、3六玉に3八金が詰めろ。2五桂馬とトリッキーに受けても、5五銀が開き王手の馬取りになって、3五玉、5四銀、同歩、2六角、3四玉、6二角成と、馬を素抜けるの」

 ん……ちょっとよく分からなかったわ。もっと、ゆっくり喋ってくれません?

「そうかねえ……それまだ入玉の目があると思うけどなあ……」

 さっきの男子が、ちょっと嫌みっぽく呟いた。

 んー、なぜか雰囲気が険悪に……。この前の大会と言い、歩美先輩、微妙に嫌われてる感じがするのよね……。松平くんも、そう言ってたし……。

 でも、何が原因なのかしら? ちょっと口が悪いくらいのような……。

 ……まあ、あんまり深入りしない方がいいかも。

 それにしても、5四角成以下の変化は、研究済みだったわけね。だから、3六角成としたけど、それが正しかったかどうかは微妙。感想戦を見る限り、3七香〜3三香成〜3七桂〜2五桂打〜6四飛の流れを、変えられない気がする。やっぱり、7二飛車みたいな捻った手を指さないで、素直に2四同歩か、2三歩成、同馬で良かったんじゃないかなあ。姫野さんの対応力が凄いと言っちゃえば、それまでなんでしょうけど……。

「ポイントは押さえましたので、初手から参りましょう」

「そうね」

 対局者のふたりがそう言うと、ギャラリーは散っていった。

 さすがに初手からは付き合い切れない、と言った感じかしら。

 私はどうしましょ……。

「裏見、疲れたから、控えテーブルに戻ろうぜ」

 あ、冴島先輩は戻るんだ。……じゃあ、私もそうしますか。

八千代(やちよ)先輩は、どうします?」

「私は、男子の方を観て来ます」

 そうですか……お疲れさまです……。

 八千代先輩と別れた私は、冴島先輩と一緒に、控えテーブルへと戻る。

 ん? 何か、もうひとつの気配を感じるんですが……。

 私は、後ろを振り返る。

「……あんた、何でついて来てんの?」

 私の難詰に、松平くんはきょとんとする。

「え? だって同じ高校だろ?」

「高校は一緒だけど、部活は一緒じゃないでしょ?」

「あのさ……何でそんな俺にキツいの?」

「別にキツく当たってるわけじゃなくて、うちは駒桜《女子》将棋部の……」

「分かった、分かった。夫婦喧嘩は、それくらいにしろって」

 冴島先輩の割り込みに、私はカッとなる。

「そういう言い方はないんじゃないですか?」

 私が怒ったのに驚いたのか、冴島先輩は、目を白黒させた。

 あれ? ……ちょっと言い方がマズかった?

「お、落ち着けよ……どうしたんだ? 負けて、腹の虫が悪いのか?」

「いえ、別にイライラしてるわけじゃなくて……」

「ハハハ、アレだろ、生理だろ?」


 パーン

 

 清々しい音が、会場に鳴り響く。

 何人かの対局者とギャラリーが、こっちを振り向いた。

「〜〜ッ!?」

 ほっぺたを押さえて悶絶する松平。

 こいつ、最低。相手にした私が馬鹿だったわ。

「先輩、早く戻りましょう」

「お、おう……」

 私は背を向けて、先頭を歩く。

 後ろで、冴島先輩の溜め息が聞こえた。

「将棋村の男子は、何でこうもデリカシーがないかね……」

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