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こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第10局 はらはら秋の個人戦編(2013年9月8日日曜)
61/295

56手目 土俵を割る少女

挿絵(By みてみん)


 私は銀を見捨てて、馬を取った。

 姫野さんは、ノータイムで3三角成。私は読み通り、6二飛車と奥に逃げ込む。

 ここまでは読み通り。次が問題よね。

 4五桂とか? ……ん、違う。姫野さんの指した手は、4四歩。と金作りか。すぐに4二歩と受けてもいいけど、ちょっとくらい先手陣にちょっかい出しときましょ。

 ……4七歩とか? この形だと、一回叩いときたいのよね。4七歩、同銀、2八角。無視して4三歩成なら、3七角成として、先手は動きにくい形。と金ができてるけど、動かす場所があんまりないから。

 じゃ、こうしましょ。4七歩。

 姫野さんは10秒ほど考えて、同銀。私が2八角と打つと、4五桂と跳ねた。私は4二歩と受ける。3二馬なら、5一飛、3三桂成、6五桂……。

 先手、何指す? そのまま4二成桂と突っ込むとか? 5四飛、同馬、同金、4三歩成、5七桂成、同金、6五歩。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 次に6六歩の突きと、6四角成を見せましょう。駒の損得なし。

 私が一息吐いたところで、姫野さんは駒台の歩に指を伸ばした。

 歩打ち? ……あ、そっか。私の気付いた場所へ、歩が置かれた。

 2三歩。2二歩成〜3二とですか。何か、ゆっくりし過ぎのような……。とりあえず、一手余裕ができたから、香車を拾いましょう。1九角成。

 私が馬を作ると、姫野さんは2二歩成。5一飛と逃げまして……。3二と、か。私は6五桂と打つ。姫野さんは、堅実に6六銀と逃げた。

 ここで4六歩と打てば……ととと、二歩だわ。危ない。4二の歩、忘れちゃいそう。終盤は注意しましょう。

 さてさて、気を取り直して……。ん? もしかして、6五桂って打たない方が良かった? 6五銀と桂馬を喰い千切ってくれれば、同歩〜6四馬の筋ができるけど、取られない場合はお荷物になるような……。いや、でも、7筋に効いてるから、意味ないわけじゃ……。

 5二香のロケットは、4二とでダメよね。5六香、5一と、5八香成、6一とが詰めろだから、6九成香とできない。7一銀から詰んじゃう。

 ……攻め手がない。焦りかけた私は、お茶を飲んでリフレッシュした。顔を上げると、ギャラリーがそこそこ集まっている。鞘谷(さやたに)さんと甘田(かんだ)さんが、姫野さんの後ろにいる。ちらりと振り返ると、私の背後には冴島(さえじま)先輩と数江(かずえ)先輩と……。

 うえッ!? 松平(まつだいら)ッ! あんた何でここにいるのよッ!?

 驚く私に、松平くんは二本指で軽く敬礼のポーズをし、にやりと笑う。

「……」

 私はペットボトルのキャップを閉めて、盤に向き直る。集中、集中。

 ……ふむ、攻めてダメなら、受ける。思考を切り替えましょう。一番いいのは……5二金かしら? 4二とに同金を用意。4三歩成も、同歩じゃなくて同金。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 私は5二金と上がり、チェスクロを押した。

 すると姫野さんは、ノータイムで5三銀と打ち込んでくる。

 ふえ? 金2枚利いてるところへ銀打ち? こんなの、1秒も読んでないわよ。

 私は両腕を後頭部に回して、軽く背伸びをする。これはこれは……。同金寄、同桂成、同金、4二と、6一飛寄、4三歩成……。と金攻め……。ただ、駒割りは私が得してるわよ。金と銀桂交換だから。

 そこから6三金、5二と寄に、8四桂と反撃する? 6二と、同金、5二金、同金、同と、7六桂。飛車を逃げずに、玉頭へ殺到。7六桂は、8八金を見た詰めろ。7七歩は受けになっていない。おそらく、6五銀として、桂馬を外してくるはずね。同歩、6一とは、まだ詰めろじゃないわ。先手は、銀も角も持ってない。だから、8八銀と先に詰めろを掛けて、同馬、同桂成、同玉に、6一銀と手を戻す。

 ……ダメだわ。駒損し過ぎてる。3二飛、6二香、2一飛が痛い。7二銀と打ってるようじゃ、もう勝てないだろうし……。かと言って受けないと、7一銀、同玉、6一飛成、同玉に5二金で詰みだわ。7一銀に7二玉と逃げても、6一飛成、6三玉(同玉はやっぱり5二金から詰み)、6二龍、7四玉(5四玉は3四飛成、4四合駒に4五金まで)、7九香、7五角、同香、同玉、8六銀、7四玉、7五金まで。余裕で詰んでる。

 じゃあ、むしろ5三銀を取らないで、放置してみる? ……6一飛引とか?

 5二銀成、同飛、4二と、6二飛寄、4三歩成……。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 さっきよりダメか……。同じ形で、桂馬が残っちゃってる。却下。

 だけど、他に手が……。私は手を模索する。

 ……何もない。しまった……6五桂が大悪手だったかも……。まだ6五歩と突いて、それから8四桂馬とした方が良かったような……。

 私はチェスクロを確認する。残り時間は……私が12分、姫野さんが25分ッ!?

 倍以上差がついてるじゃないッ! あうあう……。

 私は喘ぎながら、5三金寄とした。同桂成。ノータイム。

 同金として……またノータイムで4二と。ああ……完全にパターン入ってる……。

 私はと金攻撃を遅らせるために、7一飛車と深く寄った。それでもノータイムで4三歩成が飛んでくる。6三金、5二と寄。

 うぅ……お願いだから、6五の桂馬取って……8四桂……。


挿絵(By みてみん)


 当然の6二とかと思いきや、姫野さんは10秒ほど考えて、5三と寄とした。

 そっか……こっちの方が手厚いか……。5三同金なら、6二と。もの凄い位置にと金を駐在させられちゃう。

 取らずに7六桂? でも、先手も無視して、6二と寄よね。同金、同と……。これは勝てない……。というか、この時点で敗勢な気がする……。私の馬は何にも働いてないけど、姫野さんの馬は働きまくり。飛車2枚も完全ニートだし……。

 ああ……無情……7六桂……。

 6二と、8八銀、6三と寄、8四香、7二と、同飛、同と、同玉、5二飛。


挿絵(By みてみん)


「……」

 合駒がない……。まあ、あっても8二金、同玉、6二飛成から詰みか……。

「負けました」

「……ありがとうございました」

 姫野さんは扇子を閉じ、おしとやかに頭を下げた。長い黒髪が、肩から流れる。

 ……これは酷い。と金2枚を順番に寄られて、そのまま押しきりとか……。ここ数年で最悪の棋譜かも……。少なくとも、ワースト3には入りそうだわ……。

 私はしばらくの間、言葉を出せなかった。姫野さんも黙っている。

「……6五桂が悪手でしたか?」

 私は、絞り出すように尋ねた。

 姫野さんは小首を傾げて、それからこう返す。

「いえ……9五歩と突かれた時点で、よろしくないような……」

 9五歩? ……端歩の時点でダメってこと? そんな……。

「つーか、裏見(うらみ)、郷田新手知らなかったのか?」

 冴島先輩が割り込んできた。私はきょとんとなる。

「ごうだしんて? ……何ですか、それ?」

 私の返事に、冴島先輩は頭をぼりぼり掻いた。

「やっぱ知らねえのか……4五歩早仕掛けの2四歩、同角型に、9五歩だ。10年以上前にプロの郷田9段が指したから、郷田新手って言うんだよ。それ以降、2四歩に同角型は消えてるんだ」

 消えてる? ってことは……。

「もしかして、定跡の時点で間違えてました?」

 冴島先輩は、残念そうに頷き返した。

 ああ……やっちゃいましたか……。これは……。

 しまったわ……定跡に疎い点を、完全に狙われた格好……。研究済みの手じゃ、力を出そうにも出せないし……。

「感想戦はナシ……ですか……」

 私は力なく呟いた。感想戦をしても、9五歩までは定跡、9五歩以降は敗勢。

 意味がない。そう判断したのだ。姫野さんにも、迷惑だろうし。

 姫野さんも、あっさりと首を縦に振った。

「そうしていただけると助かります。……決勝戦がありますので」

 姫野さんは一礼すると、そのまま席を立った。鞘谷さんと甘田さんも後に続く。

 私はしばらく呆然として、盤面を見ていた。

 決勝戦かあ……。たった2勝でいいのに……なんて遠いのかしら……。

「ま、そうしょげるなって……イテテッ!?」

 大声を上げたのは、松平くんだった。

 振り返ると、冴島先輩が彼の右腕を捩じ上げている。

「てめえ、どさくさに紛れて、裏見に触ろうとしただろ?」

「んなわけねえだろッ! ってか、入ってるッ! マジ関節入ってるッ!」

「そこ、静かにッ!」

 幹事席から、注意の声が飛んだ。そりゃそうだわ……他はまだ対局中なのに……。

 恥ずかしいから、このふたりは放置で……。

 私はペットボトルを持ち、席を立つ。そう言えば、歩美(あゆみ)先輩の対局は……。私が早めに終わっちゃったから、まだやってるは……ず……。

 あれ? 終わってる? 感想戦もやってない?

 ……反則でもあったとか? 私は会場を見回す。……あ、いた。歩美先輩、もう駒桜(こまざくら)の控えブースに戻ってるじゃない。ちょっと結果を……。

香子(きょうこ)ちゃん」

 わッ!? ……何だ、横溝(よこみぞ)さんか。

 ちょうど良かったわ。結果を……訊くまでもないか。負けたっぽいわね。

「凄い早指しで飛ばされちゃった……」

「戦型は?」

「ゴキ中超急戦……」

 超急戦? ……5八金右って上がって、いきなり仕掛ける奴だったかしら?

 あれも、相当な定跡勝負だったような……。

 んー、何か、歩美先輩たちの意図が見えてきたような……。

「感想戦も『お腹が痛い』とかでしてもらえなかったし……ショック……」

 横溝さんが、悲し気な悲鳴を上げる。

 なるほど……要するにですね……。

 

 決勝で積年のライバルと当たるから、1年生の雑魚はさっさと死ね

 

 というわけですか……。歩美先輩だけじゃなくて、姫野さんだって、そうだわ。凖決勝と決勝の間には、小休憩しかない。だったら、短手数で終わる定跡形の急戦にして、時間を使わずに勝った方がいい。その方が、長く休めるもの。

 左右のブロックに分かれた時点で、決勝しか見てないとか……。何か、当事者としてはやるせないわね……。もうちょっと後輩に気を遣ってですね、はい……。

 まあ、あのボロ負け将棋じゃあ、文句も言えないか……。

「おい、裏見」

 ん、この声は……松平くんか。

「さっきは完敗だったな」

 うっさいわね。言われなくても、分かってるわよ。

「ま、あんま気にすんなよ」

 適当なフォローを入れて、松平くんは会場を見回した。

 何だか、凄く指したそうな目をしてるわね。そんなに将棋好きなの?

「今日は、何しに来たの?」

 私の質問に、松平くんは頬を掻く。

「実はな……千駄(せんだ)さんに頼めば、参加させてくれるかと思って……」

「参加? ……個人戦に?」

「他に何があるんだよ?」

 まあ、そうだけど……。将棋部員オンリーのイベントじゃなかったかしら?

「で、どうだったの?」

「それがな……連盟公認の部に入ってないと、ダメなんだとよ」

 でしょうね。確か、各校の部が、運営費を払ってるんでしょ。だったら、部外者お断りになるのも、しょうがないわよね。

 ところが松平くんは、納得がいかないような顔をしている。

「ケチだよなあ。3千円払うッつっても、ダメなんだからな」

「3千円?」

 どっからそんな金額が……。あ、もしかして、1人当たり3千円が相場だとか?

 私の推測を裏付けるように、松平くんは先を続けた。

「確か、秋季の登録費は、部員1人当たり3千円のはずだぜ。普通は部費からだけど、別に個人で払ったって変わらねえだろ。金は金なんだからな」

 ふむ……その理屈はどうかしら……。

 私が首を捻っていると、横溝さんがぼそりと口を開く。

「あ……私、邪魔かな……また後で……」

「え? 何が?」

 私は横溝さんを引き止める。

 もうね、鞘谷さんとか歩美先輩とか、人間不信になりそう。

 信頼できるのは、ヨッシーだけよ。うん。

「ところで、決勝の姫野vs駒込は、いつから始まるんだ?」

 知らんがな。私は「さあ」とだけ返す。

「14時半かららしいです」

 あれ、この声は……。私が振り返ると、何と八千代(やちよ)先輩が立っていた。

「裏見さん、私の顔に、何かついてますか?」

「いえ……今日、来てたんですか?」

 私の疑問に気付いたのか、八千代先輩は眼鏡を直しながら答える。

「もちろんです。特に今年の団体戦は、男女混合方式。男子のデータが大幅に不足しています。今のうちに、情報を集めておかないといけません」

 わお……凄い真面目……。

「決勝が14時半からか……えらく早いな」

 松平くんは、そう呟く。

 理由はですね……私と横溝さんが短時間負けしたからで……。

 ああ、もう、こいつは、嫌なことを思い出させるわね。

「裏見さんは、女子の決勝を観るんですか?」

 八千代先輩の問い。

 んー、特に決めてはないけど……観るかなあ……。

「そうですね……せっかく歩美先輩が出てますし……」

「分かりました。私は先ほども言った通り、男子の方を調べます」

 調べるというか……私は調べる気ないんですけど……。

「姫野vs駒込の決勝なんて、もう10回くらいやってるだろ。今さら……」

「正確には、次で7回目ですね」

 松平くんの発言に、八千代先輩が突っ込みを入れた。

「え、そんなにやってるんですか?」

 私はびっくりする。途中で当たるならともかく、決勝で7回とか……。

「はい、中学のときに4回、高校で2回当たっています。今日が7回目ですね。全て学生将棋というわけではありません。中学のときは、駒桜市主催の大会で2回だったかと」

「で、駒込の1勝5敗、と」

 松平くんは、呆れたように付け加える。

 そう言えば、歩美先輩が勝ったのって、1回だけって聞いたわね……。

 だとすると、かなり差があるような……。

 私は、駒桜のブースを盗み見る。歩美先輩は酷く真面目な顔をして、どこか宙を睨んでいた。

 これは決勝戦……白熱しそうですか?

場所:2013年度秋季個人戦 女子の部 2回戦

先手:姫野 咲耶

後手:裏見 香子

戦型:4五歩早仕掛け


▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲5六歩 △4二飛

▲4八銀 △3二銀 ▲6八玉 △7二銀 ▲7八玉 △6二玉

▲2五歩 △3三角 ▲9六歩 △9四歩 ▲5八金右 △7一玉

▲3六歩 △8二玉 ▲6八銀 △4三銀 ▲5七銀左 △5二金左

▲4六歩 △5四歩 ▲4五歩 △6四歩 ▲3七桂 △6三金

▲2四歩 △同 角 ▲4四歩 △同 銀 ▲4三歩 △同 飛

▲2四飛 △同 歩 ▲3二角 △4二飛 ▲2一角成 △4一飛打

▲3三桂 △5一飛 ▲9五歩 △5五歩 ▲9四歩 △3三銀

▲5五角 △2一飛 ▲3三角成 △6二飛 ▲4四歩 △4七歩

▲同 銀 △2八角 ▲4五桂 △4二歩 ▲2三歩 △1九角成

▲2二歩成 △5一飛 ▲3二と △6五桂 ▲6六銀 △5二金

▲5三銀 △同金寄 ▲同桂成 △同 金 ▲4二と △7一飛

▲4三歩成 △6三金 ▲5二と寄 △8四桂 ▲5三と寄 △7六桂

▲6二と寄 △8八銀 ▲6三と寄 △8四香 ▲7二と寄 △同 飛

▲同 と △同 玉 ▲5二飛


まで87手で先手の勝ち

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