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こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第10局 はらはら秋の個人戦編(2013年9月8日日曜)
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55手目 味方を呪う少女

 歩美(あゆみ)先輩の感想戦が遅かったので、私たちは前と同じように、吉野家で牛丼を買い、すぐに会場へと戻った。公民館の自販機で、ペットボトルのお茶を購入。控えブースへ戻る途中、歩美先輩に声を掛けられた。

香子(きょうこ)ちゃん、千駄(せんだ)会長から、何か言われなかった?」

 会長から? ……何も言われてないわよね。記憶喪失じゃない限り。

「いえ、何も」

「ほんとに? 全然?」

「……トーナメントの籤を引くようには言われました」

 私が適当に答えると、歩美先輩は軽く首を捻った。

 それから、いつもの一言。

「そう……」

 えーと、何か言われてないと不味いんでしょうか?

 まさか、除名とかじゃないでしょうね。私、何も悪いことしてないわよ。

 私たちはブースに座り、さっさとお昼ご飯をかき込んだ。数江(かずえ)先輩は、大盛りに加えて、コンビニで買ったおにぎりを食べている。

 どうなってるの……この人……。太らないのが不思議だわ。

 私は、冴島(さえじま)先輩と、当たり障りの無い会話をする。歩美先輩はそこへ、一度も割り込んで来なかった。真面目な顔で、牛丼を食べている。

 そんなに美味しいんですかね?

 私が疑問に思う中、歩美先輩は半分くらい残して、席を立った。

 トイレかしら? ……あれ? 出口に向かってる?

「おい、裏見(うらみ)、聞いてるか?」

 冴島先輩の声。私は箸を止め、右隣を振り返る。

「はい?」

「次、どうすんだ? ヤクザとだろ?」

 ……嫌なこと思い出させますね。というか、人前で、その渾名は止めましょう。

 私は箸を置く。

「そうですけど……普通に指すしか……」

「何か奇襲とかしないのか?」

「奇襲ですか? あんまりそういうのは……」

 フェア・アンフェア以前に、指し慣れてないのを指すのは、良くないと思う。結局、自分のマイナスにしかならないから。私は八千代(やちよ)先輩みたいに、いろんな戦法を細かく知ってるわけじゃない。不慣れなところを突かれて、そのまま負けちゃいそう。

 私が言葉を濁していると、冴島先輩は溜め息を吐いた。

「ま、当たって砕けた方がいいわな」

 むむ……砕けること前提ですか……。酷い……。

「歩美先輩は、どこ行ったんですか? 自販機で買い物とか?」

 ……なわけないか。歩美先輩、自分用のお茶、とっくに買ってるし。

駒込(こまごめ)なら、緊張してんだろ。気にするなよ」

「緊張?」

 歩美先輩が? 緊張? あんまり信じられないんですが……。

 相手は横溝(よこみぞ)さんだし、言っちゃ悪いけど、普通に勝ちそう。

「歩美先輩って、案外アガリ性なんですね……」

 私の解釈に、冴島先輩は「はん」と鼻を鳴らした。

「あいつがアガリ性なわけねえだろ……決勝でヤクザと当たるからさ」

 決勝で姫野(ひめの)さんと……。ふむ、その可能性は……って。

「えーと、私はもう、負け確で見られてるんですか?」

 ちょっと怒ったように言う。冴島先輩は、慌てて首を左右に振った。

「そういう意味じゃねえよ。オレは裏見に勝って欲しい、が……ただ……」

 冴島先輩は、妙な間を置いた。

「ただ、駒込は、おまえに負けて欲しいと思ってるだろうな」

 ……は? 同じ部に所属してるんですが……。

 混乱する私に、冴島先輩は説明を加える。

「あいつは、姫野と指すなら、何でもするやつだからな。現に1回戦でも、オレはあいつから全然応援されてねえ。『さっさと負けろ』みたいな目で睨んできやがる」

 冴島先輩は、怒っていなかった。むしろ、面白そうな顔をしている。

 爪楊枝を取り出し、歯の間を掃除し始めた。ちょ……。

「おまえがヤクザに勝ったら、決勝前にトイレで刺されるかもな」

 めちゃくちゃな脅しを掛けてくる先輩。私は呆れてものが言えなかった。

 箸を持ち、さっさと残りを食べる。

 うーん……歩美先輩、若干自己中だと思ってたけど、ここまでとは……。そう考えると、春の団体戦、もしかしてわざと姫野さんに当たりに行ったとか? あのときは、姫野さんが大将に来るとは限らないって誤摩化してたけど、どうだか……。

 私は最後の一粒を摘んで口に放り込むと、お茶を飲んで喉を潤した。

 そうこうしているうちに、歩美先輩が戻ってくる。

 うわ、さっきの話、聞かない方が良かったかも……。目を合わせにくい……。

「カズちゃん、私の残り食べる?」

 歩美先輩はそう言って、食べかけの牛丼を数江先輩に差し出した。

 いや、それはさすがに……。

「やったね、歩美ちゃん優しい!」

 断らないんだ……。私の方が胸焼けしてきそう……。

「じゃ、私は先に行くから」

 そう言って歩美先輩は、対局テーブルへと向かう。

「あ……頑張ってください……」

「……」

 歩美先輩は何も言わず、そのままブースを離れた。

 マジかぁ……ほんとに私に勝って欲しくないんだ……。

 まあ、歩美先輩に気兼ねするつもりはないんだけどね。勝っちゃうわよ。

 私はペットボトルを握り締めると、姫野さんの待つテーブルへと急ぐ。時刻は13時5分前。男子の方は、人数が多いからか、30分前には始まっていた。

 ほんと忙しいわね。食べ終えたばっかりなのに。

「失礼します」

 私は椅子を引き、姫野さんの前に座る。

 姫野さんはにっこりと笑い、手にしていた扇子をパチリと鳴らした。

「よろしくお願い致します」

 おお……怖い……笑顔なのに怖い……。

 裏見香子、頑張れ……。

「女子の部、振り駒をお願いします」

 男子の部に配慮してか、幹事のひとりが抑え気味の声で指示した。

 私は黙って、姫野さんが振るのを待つ。

「では、失礼して……」

 姫野さんは1枚1枚丁寧に歩を拾うと、なるべく音を立てないように、宙に放った。

 ……歩が5枚。私の後手か。

「わたくしの先手ですね」

 姫野さんはそう確認して、歩をもとの位置に戻す。

 私はその間に、チェスクロを右手の方に置き直した。

「女子の部、2回戦を始めてください」

 幹事の掛け声と同時に、私たちは頭を下げる。

「よろしくお願いします」

「よろしくお願い致します」

 姫野さんは顔を上げると、鮮やかに7六歩と突く。

 チェスクロを押し、もう一度扇子を鳴らした。

 さて、私の作戦ですが……。矢倉は一回、凹られてるのよね。8四歩と突くと、リベンジ戦になる可能性が高いか……。

 私は10秒ほど考えて、素直に3四歩と突いた。

 それを見た姫野さんは、目を細め、意味深な笑みを浮かべる。

「なるほど……そうしますか……」

 うぅ……何か全てを見透かされてるような……。

 えーい、気合い、気合いッ!

 私が自分に喝を入れていると、姫野さんは即座に2六歩。私は4四歩と突いて、振り飛車を目指すことにした。姫野さん相手だから、誤摩化さずに行きましょう。四間飛車よ。

 5六歩、4二飛、4八銀、3二銀、6八玉、7二銀、7八玉、6二玉、2五歩、3三角、9六歩。


挿絵(By みてみん)


 むむ、9六歩と突いてきたわね……。さっきみたいなこともあるし、用心、用心。私は9四歩と突き返し、姫野さんは5八金右。持久戦か、急戦か、そこを見極めないと。

 私は7一玉と下がる。姫野さんは目を閉じ、扇子を押し開いた。

「……」

 ん? 指さない? 何を考えてるのかしら?

 ……もしかして、定跡を思い出してる? だとすると……。

「これに致しますか」

 姫野さんは瞼を上げて、3六歩と突いた。急戦確定。

 私は、8二玉と入城する。6八銀、4三銀、5七銀左、5二金左、4六歩、5四歩。

 私がチェスクロを押すのと同時に、姫野さんの指が4筋に伸びた。

「開戦致しましょう」


挿絵(By みてみん)


 うわ……6八金直すら保留して開戦ですか……。

 チェスクロを確認すると、私は2分、姫野さんは3分しか使ってなかった。

 私はここで長考する。この形は、4五歩早仕掛け。同歩とは取れない。定跡は……。

 確か6四歩ね。私はその通りに指す。3七桂、6三金、2四歩。

 同角と同歩の2通りがあるけど……。同角の方が良かったかしら? あんまり正確に覚えてないのよね……。部室の本で、ちょっと読んだくらいで……。そもそも、大会で急戦されたのって、これが初めてじゃない?

 私は記憶を振り絞る。……ふむ、だんだん思い出してきたわよ。確か、同角には、4四歩と取り込んで、同銀、4三歩、同飛、2四飛、同歩、3二角、4二飛、2一角成、4一飛打、3三桂、5一飛だった気がする。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 結構、お互いにメチャクチャな形よね。でも定跡。

 一直線だし、姫野さんが間違えるとは思えないから、ここまで進めちゃいましょ。さっきから姫野さん、ノータイム指しの連続。こっちも考えてる暇がないわ。

 私が同角とすると、姫野さんは煽いでいた扇子を止めた。

「同角……」

 ちょっと顔が険しくなる。

 あれ? もしかして、同歩だった? ……んー、どっちでもいいと思うけど。決定的に不利になることは、ないはず……。何だか、ドキドキしてくるわね。

 姫野さんは30秒ほど首を傾げて、それから4四歩と取り込んだ。同銀、4三歩、同飛、2四飛、同歩、3二角、4二飛、2一角成、4一飛打、3三桂、5一飛。

 何だ、やっぱりこの手順じゃない。お互いに指し手が速いわ。

 私が自信を取戻す中、姫野さんは端に指を伸ばす。

 

挿絵(By みてみん)


 え? 端歩? ……これ何?

 まさか、ここから端攻めが炸裂するってことは……。

 同歩、同香、同香……別に潰れないと思うけど……。

 私は、9筋に指を伸ばした。歩に触れた瞬間、嫌な予感がする。

 ……ちょっと待ってよ。同歩、同香、同香……先手は歩切れ解消で……。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

「あッ……」

 私は思わず声を出した。

「どうかなさいましたか?」

 姫野さんは、私を気遣うように……いや、嘲るように、小声で問い掛けた。

 開いた扇子で、口元を覆い隠している。……爆笑してんじゃないでしょうね。

 って、それはどうでもよくて……。不味い。そっか、端歩は、ムリヤリ歩を補充するためだったんだ……。4三歩に5二飛寄だと、4四角と銀を取られちゃう。それは敗勢。

 かと言って、他に飛車を逃げる場所が……。9八香成と突っ込んでも、7七角で何ともない。私の方は、あいかわらず飛車か銀が死んでるパターン。

 んー、つまり、端歩は取れないわけか……。でも、取らなかったからと言って、4三歩の筋を回避できるわけじゃないのよね。9四歩と取り込めば、先手はやっぱり歩を持てる。

 ……ということは、私の課題はふたつ。まず、端歩を放置すること。次に、その稼いだ一手で4三歩を回避すること。ただ、回避する手があるかどうか……。

 飛車を逃げる手は、ないのよね。それは4四角で終了。その4四角を防ぐには……。

 5五歩?

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 5五歩と突けば、9四歩〜4三歩に、5二飛寄でいいわよね。ただ、9四歩とされた後、後手はもう一手指さないといけない。そこで何を指すか……。

 3三の桂馬を取りたいかな? 9四歩、3三銀……5五角? これが銀当たり。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 こ、この局面……手が広過ぎる……。

 パッと見だけでも、2一飛or5五同飛or4四銀……。

 とりあえず、2一飛、3三角成、5二飛は、角銀交換か。先手の継続手は……4四歩と垂らして、と金作りかしら。ちょっと遅い気もするけど……。あるいはもっと直接的に、4三馬と当てちゃう? 飛車のどっちかは取れるわよ。2二飛上、5二馬、同飛、4一飛、3三角、6六銀……。ん、6六銀なら、5六飛車と走れるわね。

 ……あ、意味ないか。4七銀、6六角、同歩、同飛は、6七銀と強く受けて良しだわ。最悪、先手は自陣龍もあるし。鞘谷(さやたに)さんと違って、姫野さんが自陣龍を嫌うことはないと思う。

 攻めが強い人は受けも強い。と、おじいちゃんが言ってました。

 さて……となると、飛車を渡さない方がいいってことかな? だったら、5二飛と逃げられないわけだけど……。2一飛、3三角成、6二飛と、奥に逃げる?

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 ヒキコモリ気味で、あんまり好きじゃないわね……。

 でも、4三馬なら、5一飛と逃げられるわよね。飛車を取られない。指すなら、4三馬のところで、4四歩。と金を作られると不味いから、さすがに4二歩と受けましょう。

 ……その先が分かんない。3二馬は、5一飛で何ともないし……。

 まあ、この局面を選ぶかどうかは、ちょっと保留しましょう。

 次、次。確か、5五同飛だったわよね。同歩に……手筋で4七歩ってしたくなるけど、この局面だと同銀で何にもないのよね。2九角は、4六歩と防いで終わりだし……。

 逆に先手は、やりたい手がいくらでもある。1一馬でもいいし、4三歩でもいい。これは後手不利ね。5五同飛は却下。

 最後に、4四銀か……。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 角を逃げると2一飛だから、同角よね。同飛に、先手の馬がどう逃げるか……。

 まあ、2二馬かしら。これが飛車当たり。4二飛と逃げ……ないか。それだと、3三馬が再度飛車当たり。一手損してる。だから、4三飛車と、馬を囲うように引いて……。

 あ、全然ダメだわ。4四歩とされて、5三飛寄は4二銀。4二飛は3三馬、6二飛、4三歩成……。これは後手終わってる。飛車が閉じ込められた上に、と金とか……。

 そっか……だったら、最初の2一飛車が正解なんだ……私が読む限り……。

 私はチェスクロを確認する。……あうッ、残り18分。考え過ぎたわ。

 姫野さんも退屈そうにしてるし、さくッと指しましょ。

 5五歩、9四歩、3三銀、5五角に、2一飛ッ!

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