53手目 遠回りする少女
さてさて、ここで5三桂成と突っ込みたいわけですが……。
同金、4三銀、3一金まではいいとして、その先よね。
さっきは5九飛〜5四銀成を読んだけど、反対に3四銀成は、どう? 4三歩成とされると終わるから、4二歩と受ける。……あれ、手がない。
私は10秒ほど、鞘谷さんの穴熊を見つめた。玉が角筋に入っているうちに、何とかしたい。……ん、角筋……2三成銀の鬼手はないかしら? 同銀なら、4三歩成が開き王手。2二金、5三とは、かなり食らいついて……。
ない。2三成銀には、同銀じゃなくて3三歩だわ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これで切れてるか……。だったら、3四銀成じゃなくて、予定通りの5九飛ね。
そこで7七歩成とされても、こっちの方が速いでしょう。7七歩成、5四銀成、6七と、5三成銀、6六と、4三歩成ッ! 後手は7八飛成があるけど、3二金とべったり張り付いて、同金、同とは終了形。5六歩と飛車先を止められても……。
止められても?
「……」
私はうっすらと口を開けて、5六の地点を睨んだ。脳内将棋盤と、現実の将棋盤が重なり合う。3一金、同銀の後、どうやって食らいつく?
一目、4一金だけど、これって詰めろ……なわけないか。一手スキ……でもない? 3一金の形が、詰めろかどうかだけど……。例えば、5七歩成とされて、こっちは3一金。4七とのとき、後手玉が詰めば勝ち、詰まなかったら、私の負け。
2二銀、同玉、3二と、1三玉……。わお、詰まない……。
それどころか、詰めろすら掛からない状況になってる……。
じゃ、じゃあ、5六歩に、2二金は? 同金なら、3一銀と引っ掛けて……。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
……もダメか。これも詰めろじゃない……。
あれ? あれれ? 詰めろが掛からない? 何で?
ってことは、3二金がヌル過ぎるわけだ……他に手は……。直接4二と? 同金、同成銀に同角の展開なら、5二飛成。龍を作って、5一銀なら4一龍……。いや、5一銀はさすがに勝手読みか。7五角打と、遠くから紐を付けて、4三金……。
ちょっと待ってよ。4三金は、何手スキ? 3二金打が詰めろになってる? ……なってない気がする。2二金としても、2一金としても、同玉で詰まない。ただ、3二金打にさらに4一龍とすれば、さすがに詰めろだわ。ということは、4三金は二手スキか……。
じゃあ、7五角に、3二金と最初からべた貼りした方が良さそうね。これが、4一龍を見た一手スキでしょ。……あ、ダメか。3二金、3一銀打で、4二金、同銀は、継続手がないように見える……。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
今度4一龍なら、3一金で弾かれるわ……。
いや、でもでも、こっちはまだ王様が遠いでしょ。5六歩〜5七歩成が、ようやく二手スキか三手スキなんじゃない? 例えば、5五角、5六歩、3二金、3一金、同金、同銀右、2二角成、同銀、3二金、3一金、2二金、同金、3一銀、3二金、2二銀成、同金、3一銀、3三銀、2二銀成、同銀、3二金、3一銀……。
あれ? これって、長手数千日手コースなんじゃ……。
私は、もう一度読み直す。2二角成のところで、3二金と打って……4二金、同金、同銀は、7五の角が強過ぎて寄らないか……。
ん? 4二同金? 龍を見捨てて、3一金としたら、どう? 5二金に3二銀の詰めろ。3一銀とはできないから、3一角でしょ。そこで3一銀不成と入って……。
んー、ダメか。金を渡しちゃってるから、3二金があるわ。2二銀成、同金、3一銀、3三銀、2二銀成に同玉と取っちゃえば、もう寄せがない。6六角として、と金を払っても、6九飛と打って終了。ゲームセットね。
「……」
私はいつの間にか、お地蔵さんみたいに固まっていた。
まさか、ここまで後手の王様が遠いとは……予想外です……。
正確に言うと、王様が遠いんじゃなくて、7七歩成が奇天烈に速い。6六の角を抜かれると、攻めようがないみたいね。と金は遅いようで速いよ、を地で行ってる。
それなら、この局面で、7七歩成を受けないといけないわけか。
持ち時間を確認する。残り15分。中盤でこれ以上は考えられない。
私はさらに1分使って、6七飛の筋を読んだ。……一応、歩成りは受かるっぽい。7七歩成なら同飛として、同飛成、同角、7九飛。いい勝負だ。
これしかない。私は飛車を手にし、それを6七に上がった。
私の指し手に、鞘谷さんはぴくりと反応した。
読みと違った? 私と同じで、5九飛の方を読んでたのかも。
私の予想だと、ここから7三角、5七飛だ。さっきと違うのは、7七歩成が入っていないから、6七と〜6六との筋がないこと。同じように進んだとき、後手には7五角の妙手がなくなっている。それは、先手の勝ちだろう。
だから、5七飛車には、5二飛車。5三桂成に、同飛車を用意する。4三銀なら、5五桂かしら? 同銀、同歩、5四歩、5一飛、4二銀成、同金、4五桂……。
これは先手がよ……くないッ! 5六歩が王手飛車取りじゃないッ!
そっか……5五桂に同銀、同歩は、王手飛車取りになっちゃうんだ……。
ちょっと巻き戻しましょう。5五桂は放置して、4二銀成と攻め合う。同金に、3七金と寄れば、受かってるんじゃない? 4五歩、同銀、4六銀、同金、6七桂成なんてムリヤリ攻めてみても、同飛、4六角、3七桂と受けて、次に4三銀の打ち込みを狙えばいいわ。それでも危なそうなら、3七桂じゃなくて3七金と受ける。
私の中で、方針が固まっていく。鞘谷さんは額に指を当てて、2、3度首を捻った後、7筋に指を伸ばした。
7筋? 角上がりじゃないの?
鞘谷さんの指はそのまま7六の歩に添えられ、涼やかに7七歩成が指された。
いきなり歩成か……飛車交換はオッケーってこと?
確かに、穴熊なら大駒交換は歓迎なんでしょうけど……。私は、さっきの筋を読み直す。同飛、同飛成、同角に、鞘谷さんが何を指すかだ。第一感、飛車をどこかに打つんだろうけど、その前にやっぱり7三角の覗きがありそう。
……鞘谷さんに訊くしかないか。私は7七同飛。そこから同飛成、同角はノータイム。鞘谷さんは、駒台に指を伸ばした。
ふむ……結局、飛車打ち……ん? 歩を摘んだ? 歩打ち?
目を細める私の前で、7六歩が指される。
角を退かす作戦か。6六角として……げッ、6九飛ッ!?
……めんどうなことになっちゃった……角桂両取り。
私は、少し焦った。だけど、すぐにこれが疑問手だと気付く。6九飛に、5三桂成って成ればいいんじゃない? 同金に7五角と出ちゃえば……。4二角とか? 後手も、さすがに金取りは放置しないでしょう。受けてきそう。4二角、5三角成、同角、4一飛……。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これは、指せてるんじゃないかしら。4二金なら、同飛成、同角、4三歩成。大駒を全部渡しちゃってるけど、攻めが続きそう。4二角打なら、一旦8一飛成として、8九飛成、4三銀と、角の頭を攻める。あるいは、桂馬も取らないで、いきなり4三銀。
うん、どうやら、5三桂成からの攻めは、好調みたいね。それ以外は……。
5三桂成としないで、すぐに7五角。8九飛成なら、5三桂成、同金、同角成で良し。4四銀なら、4二角成、同角(同金は4三歩、同金、5二銀)、7一飛……。
んー、これはさっきより冴えないか。5三桂成は前提みたい。ただ、5三桂成に、手抜いて6六飛成だと? 4二成桂、同角……4三銀か。今度は、4四に歩が残ってるわ。そこを足がかりにして、ガジガジ攻めちゃいましょう。
私は6六角と逃げた。鞘谷さんは、ノータイムで6九飛車。私は5三桂成と突っ込む。
「桂成?」
鞘谷さんは眉をひそめ、伸ばしかけていた手を止める。
これは……私が見落としてるか、鞘谷さんが見落としてるかの、どっちかよ。
鞘谷さんは、長考に沈む。6六飛成と5三同金の比較かしら? 5三同金、7五角には、金を逃げる一手だと思うけど……。
さっき読んだのは、4二角なのよね。単に5二金と引くと?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
……これ難しい? 4一銀、4二金右、3二銀成、同金、7一飛。4二銀と受けるのは、4二角成、同角、4三歩成、同金、3二銀が、詰めろ金取り。……あ、5一桂馬があるか。これが、詰めろを回避して、かつ4三の金に紐を付けてる……。
だったら、4三歩成とかトリッキーなことしないで、単に4三銀よね。同金なら同歩成だから、3一金かな。4二銀成、同金に……4三歩成? 同金、3二角が詰めろで……うッ、今度は3一桂が、似たような詰めろ回避になってる……。
で、でもでも、今回は4三角成、同桂に3二金として、3一銀打、同金、同銀、同飛成、2二金、8一龍と清算すれば、さすがに寄るんじゃない? 持ち駒は、こっちが金銀銀桂と歩2枚で、鞘谷さんが角2枚と歩2枚。次に4四歩or4四桂で決まりそう。
私がそこまで読んだところで、鞘谷さんは5三金と取った。私は7五角と上がる。
私がチェスクロを押すと、鞘谷さんの指は6筋に向かった。
あッ……単に突いて止め……。
しまった。ここ突く筋を考えてなかったわ。
やばいかも……。落ち着け、裏見。私は深呼吸して、気合いを入れ直す。
6四歩なんて、苦し紛れの手よ。……多分。
正直、同歩でもいいんじゃないかしら? 同歩、同金、5二飛、7五金、5一飛成なら、これは金が明後日の方に行ってて、先手有利でしょう。自分で守備を剥がしてるんだもの。だから、5一飛車には、7五金と取らないで、4二角か3三角。あるいは、深く突っ込んで2四角くらいかしら。
4二角には4三銀、3一金、4二銀成、同金、同飛成、3一銀打、6四角、同飛成、3一龍、同銀、4三歩成と全部清算して……。やり過ぎ? でも、次の4四角が激痛でしょ。これは、先手勝ってると思う。
あー、だけど、6四同歩に、同金とは取らないか……。6五飛成……。4八角、6四龍は勝てる気がしないわね。後手の守備が鉄壁。
6四同歩としないで、4一飛車と打ち込む?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
6五飛成とはできない。5一飛成が、さらに金取りだから。普通に考えたら、4二角として、一回は角取りを受けるんでしょうね。8一飛成、6五飛成、8四角、4四金、4五歩、同金、同銀、同龍、4六歩、4三龍……。
んー、ちょっと待って。鞘谷さんの性格を考慮すると、自陣龍にはしない気がする。アグレッシブに、突っ込んでくるんじゃないかしら。例えば……。
私は、チェスクロの時計を確認する。……残り時間8分じゃないッ!
変化が多いから、鞘谷さんの応手を見るしかないわね。とりあえず、6四同歩はダメで、4一飛車なら五分。4一飛車、と……。
私が敵陣深くに飛車を置くと、鞘谷さんは2四角と出た。
うむむ……予想通りの積極性ですね……。
2五歩の突きには、4六角、同金、2六桂がありそうなのよね。傷が出来ちゃう。
私は1分ほど悩んで、4三銀を選択する。3一金に、8一飛成。
いつ4六角と切られるのか、ヒヤヒヤものだ。
残り時間が8分の鞘谷さんは、そこから2分使って、4四金と上がった。拠点の歩を取られちゃったけど、これは想定の範囲内。問題は、これにどう応じるかだ。
考えているのは、6四角と5二銀不成。前者の意図は単純で、4三金に3一角成、同銀、同龍、2二銀、9一龍と、香車を拾う。次に3二銀と2五香の筋が残っていて、後手は同時に受けることができない。やるなら、4六角、同金、3一銀打かしら。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
ただこれは、4四歩、同金、4五歩、4三金として2五香か6四角でいいと思う。こちらはまだ安泰でしょう。
次に、5二銀不成だけど……これは消極的かなあ。後手は4五歩と打って、3七銀引に7九角成、5六桂、5五桂、4四桂、4七桂成。桂馬が乱舞してますね。4七同銀はお手伝いだから、6四角と出て、3八成桂、同金、2九金、2七玉、1九金……。
あれ、危ないか。でも、1九金は、詰めろじゃない気もする。3一角成、同銀、同龍の瞬間、先手詰む? 2九飛成、2八金打、1八銀、1七玉……。
詰まないか。かと言って、後手は2二銀と打っても、同龍、同玉、3二金、1一玉、2二銀で詰みでしょ。これは先手の勝ち。
うわ……悩ましい……。どっちも勝てそうって言うのが……。
私は目を閉じ、もう一度考え直す。6四角は、遠回りだけど、安全勝ちできそう。5二銀不成は、短距離の斬り合いになる。これって意外。逆かと思ってたし。
どちらかと言うと、短距離の方が得意なんだけど……元陸上部的にも……。5二銀不成、4五歩、3七銀……そこでいきなり4六桂馬と打つかも。7九角成は、さっきの読みだと全然意味なかったのよね。私が5六桂と打ち返して、3八桂成、同金、4六歩。同銀、同角、同金として、4九銀の引っかけ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
ここで4四桂は、3八銀成、同玉……。詰まない?
詰まないなら、勝ち……とも言えないか。こっちは、絶対に駒を渡さないといけない。その渡した駒で詰んじゃう可能性も……。それに、ここから6四角とすると、5七、4八の地点の守りがいなくなっちゃう。
……6八飛成の筋も危ないか。4八歩に5七銀。これが詰めろよね。ということは、6四角とする暇が、そもそもないということですか……。
よし、決めた。遠回りに行きましょう。5二銀不成は却下。
私は銀を見捨てて、6四角と上がった。